AWC そばにいるだけで 30−6   寺嶋公香


        
#4665/5495 長編
★タイトル (AZA     )  98/11/30  10:18  (200)
そばにいるだけで 30−6   寺嶋公香
★内容
 ふさぎがちとか、落ち込んでいたとかではないが、朝からついさっきまで、
純子の気持ちは停滞していた。
 それが、ちょっと気分転換しただけで、人知れぬ岩清水みたいに爽快感が湧
き起こり、上昇線を辿り始めた。あるいは、きっかけを作ってくれた人の効果
もあるかもしれないけれど。
(……今なら、気持ちよく唄えるかも)
 ふとよぎる思い。よい考えのように感じられた。取り消そうとしても、もは
やできない。
「ん、んっ。えへん」
 喉を指で軽く押さえながら、故意に咳払いをした純子。
 他に誰もいるはずのない屋上を、右、左、右と横目で見やり、さらに後ろを
向いて、自分一人であることを確認する。
 それでも念押しして、「あー」と声を短く出してみる。声量が大きすぎない
よう、あらかじめ調節しておくのだ。
 それから純子は、背筋をすっと伸ばした佇いを取った。自然体でいながら、
実に姿勢がよい。
 思い切り息を吸い、気持ち三分の一ほど戻す。準備完了。
(ようし)
 純子の唇が、滑らかに歌を語り始めた。

           *           *

 もちろん、確信があったわけではない。
 相羽はただ、昼間に純子と別れた位置、休むのに適当な場所、そして純子の
気持ちについて考えを巡らせ、結論を出しただけ。文化祭ということで、自由
に出入りできる場所が限定されているのもありがたかった。
 純子が休憩している場所。思い浮かんだ候補は三つあった。
 一つは図書室であるが、着替えに使わせてもらっただけに、わざわざ引き返
して休むのはちょっと考えにくい。
 二つ目は保健室。突飛だが、絶対にないとは言い切れない。ただし、これは
最後に探す場所だ。
 そして今、相羽は屋上に向かっていた。
(当たっていたら……結構凄いかも)
 通常使うことのない階段は、心持ち角度が急であるような印象を受ける。逸
る気持ちを押さえて、一歩一歩慎重に進む。
(とか言いながら、文化祭を見て回っていたら、喜劇だ)
 もうすぐ調理部での受け付け役が回ってくる時間。
 町田達から「あの子なら、探さなくても時間を守るわよ」と楽観的な言葉が
聞かれたが、相羽は念のために探している。何もかも忘れて身心を休めていた
ら、時間も頭の片隅から追いやっているかもしれない。そう考えてのことだ。
 屋上へと通じる緑色をした扉の前に立ち、相羽はふっと考えた。
(純子ちゃんが休み足りなかったときは、どうしたら?)
 思考は短時間しか要さなかった。
(見つからなかったって言えばいいや)
 決めると、扉を押した。同時に聞こえてきた純子の歌声。小さいけれども、
しっかりメロディを紡いでいる。
 相羽は足を止めた。最初の数秒は戸惑って、目をぱちくりさせてしまった。
それでも純子の後ろ姿を見つめている内に、心が和んでくる。
 拍車を掛けるのは、純子の歌声。音楽の授業などを除けば、目の当たりにし
ながら聴いたのは今が初めてだ。
(いつの間に、こんな……)
 聴き惚れるとともに、驚きも起きる。
(授業ではわざと下手に唄っているのかな。いや、違うか。声の質が別人みた
いに……何て言うか、整えられた声、唱い方)
 相羽は、その柔らかな歌声に、無意識の内にリズムを取りたくなった。ピア
ノがあれば、伴奏さえしたかもしれない。
 しかし、腕に力を入れて、思い止まる。このまま邪魔をせず、最後まで聴い
てみたい。神経を集中させるため、目を閉じた。
 風が音を運んでくれる。次から次へ、何度も何度も。
 いくら屋上とて、他からの音が全く届かないわけではない。道を行く車のエ
ンジンや自転車のブレーキ、高く遠くを飛んでいる飛行機、擦れ合う葉っぱ、
鳥や虫の鳴き声。そして何よりも増して、文化祭のざわめき。
 にも関わらず、鮮明に聴き取ることができた。心地よさを伴って。
 幸福な時間もやがて終わる。
 歌声が消えたのに合わせ、目を開けた相羽。
 視線の先で、純子は両手を組み合わせ、頭上に掲げると、背伸びしていた。

           *           *

 間隔を置いて、都合五曲を歌い終わった。
 最初はウォーミングアップ。二曲目はまだまだ不満。三曲目で調子が出て、
四、五と気持ちよく唄えた。おかげで身心ともすっきり。思わず伸びをした。
「さて」
 身体の向きを換えた純子は、出入口の付近に相羽の姿を見つけ、一歩後ずさ
った。フェンスに張り付き、後ろ手で掴む。
 言葉が出ないでいると、向こうから声を掛けてきた。
「もうすぐ時間」
「え、あ、そうなの? あは、つい、夢中で」
 ひきつったように笑いながら、顔が赤らむのを嫌でも意識する。いつから見
られていたのだろう。おかしな子と思われてしまったんじゃ……と、疑問と後
悔がセットで脳裏に浮かぶ。
 思い悩むあまり、純子は動き出すのを忘れていた。再び、相羽から近寄る。
「やっぱり、ここにいたんだね」
「……もしかして、唄ってるの、聞こえちゃってた?」
 距離を狭め、必死に問う純子。
「声が聞こえたから、ここへ来たんでしょ? ね、どこまで聞こえてた?」
「ううん。全然、聞こえなかった」
 分かり易く、左右に首を大きく振った相羽。
 純子は怪訝さも露に、瞬きをした。
「じゃあ、どうして屋上に……」
「何となく。勘。納得いかなきゃ、推理したと言ってもいいけれど」
 真面目なのか、ふざけているのか分からない返答だった。
「聞こえてないのね」
「うん」
「――よかったぁ」
 胸元に右手をあてがい、ほうっと長い息をついた。
「そんなに気にしてたんなら、最初から」
「言わないでよ」
 相羽の言葉を皆まで聞かず、打ち消した純子。
「唄ってみたくなったんだから、しょうがないでしょっ」
「そうだね、しょうがない」
 同意をあっさり得て、かえって拍子抜けしてしまう。
 うつむいた純子は、まぶしさに目を細めた。雲を割って、陽の光が落ちてき
ている。それを水たまりが反射していた。
 手をかざした刹那、バランスを悪くして、前方に少しよろめく。相羽の胸へ
もたれ掛かるような格好になってしまった。
「ご、ごめん!」
 重心は残っていたから、すぐに体勢を戻せた。
 相羽の方は支えるために一歩後退。ただし、足場を確かめる余裕はなく、ぴ
しゃという物音と「あ」という短い叫びが、ほとんど重なった。見ると、相羽
の左足が水たまりの中にあった。水を吸い上げ、上履きに染みが広がっていく。
「ああ、ごめんなさーいっ」
 立て続けに謝る純子。相羽は右隣に飛び退く風にして脱出。靴やズボンの裾
を見るため、身体を半分に折り曲げる。
「どじったな。そっちはしぶき、跳ねなかった?」
 姿勢はそのまま、見上げてくる相羽に、純子は黙って首を振った。水しぶき
がかかったか否かの確認なんてしていない。そんなことどうでもいいという意
味で、首を水平方向に振ったのだ。
「あの……重ね重ね、すみません……」
「いいっていいって」
 相羽はそう言ってくれるものの、黙って見ているだけでは居心地悪い。いた
たまれず、スカート横のポケットに手を入れると、ハンカチを引っ張り出した。
「これを」
「あ、ありがと。でも、いいよ。もう手遅れ。泥水じゃないんだし」
「遠慮なんかしないで」
 相手と同様に屈んで、ハンカチを持つ手を伸ばす純子。
 と、そのとき、相羽から注意の声が飛んだ。
「ストップ。何か、ポケットから落ちそうになってる」
「え?」
 相羽の指差す方へ顔を向ける。先ほどハンカチを取り出したポケットから、
茶色い布が顔を覗かせている。
 お守り――琥珀を入れたきんちゃくだ。袋の口を結わえる紐までポケットか
ら少し垂れており、見た目にもやや不安定。大事な物が水に浸かってはと、当
然慌てる純子。
 が、身体を元の姿勢に戻すと、かえって落ちてしまいそうな気がした。それ
どころか、手足をちょっとでも動かそうものなら、危うい。
「相羽君。非常に申し訳ないんですが、落っこちないように取ってほしい……」
 過剰なほど丁寧な言葉遣いになって、純子は相羽に頼んだ。ただいまの自分
の格好――前傾姿勢がみっともないというのも、もちろんある。
 相羽はきょとんとしつつも、素早く上体を起こすと、左手の指先に袋の紐を
引っかけた。そして強く握りしめる。
「取ったよ」
 その声に純子もようやく身体を戻せた。
「えへへ、ごめんね。謝るの、これで三回連続だわ。どうもありがとう」
「これってお守りか何かかい?」
 手の平の袋を指差す相羽。
「そうよ、お守り。大事な物だから、落とさないようにしなくちゃ」
「ふうん。健康とか交通安全祈願?」
「残念でした、外れ。うふふふ。神社でもらったお守りじゃないのよ」
 相羽の思い込みを、笑みを交えて否定する純子。たいていのことをお見通し
の彼が間違えてくれたのが、何だか楽しい。
「じゃあ、何?」
「うん――思い出の品って言えばいいかしら」
「へえ。よかったら教えてほしい」
「秘密にしてるわけじゃないから。琥珀よ」
「琥珀」
 純子の答をおうむ返しにして、相羽は絶句してしまった。
 返してもらおうと手を伸ばしていた純子は、相手の様子に首を傾げた。
「どうかしたの?」
 反応がない。相羽は考えるのに没頭して、耳がお留守になっているようだ。
「ちょっと。相羽君、相羽君……もう。相羽信一!」
 大声でフルネームを呼んで、純子はやっと相羽の注意を引いた。これでだめ
なら、耳を引っ張ってやろうかと思っていた。
「はい? 何」
「何、じゃないでしょうが。どうしたの、急に黙りこくって。返してほしいん
ですけど。それに、早く行かなきゃ」
「ああ……。中の琥珀、見たらだめかな?」
「何で気に……あっ、そっか。相羽君が考えてるのは、化石のことね? 化石
なら入ってるわ」
 得意満面、にんまりして教える。
「それも当たり前なの。だって、その中の琥珀、恐竜展に行ったとき、お土産
コーナーで買ったんだから」
「きょうりゅう……」
 語尾が消え入る。相羽は唾を飲み込んだようだった。続いて口を二度、ぱく
ぱくさせたが、結局声は出て来なかった。
「見てみる?」
 純子は相羽の手から袋を取り、その口を引っ張ろうとした。しかし、やり遂
げる前に、第三者の大きな声が掛かり、ストップを余儀なくされる。
「ああっ! やあっと見つけたっ。こんなとこにいたんだー」
「郁江」
 髪を乱し、扉に寄りかかるようにして息を切らす富井に、純子は水たまりの
合間を縫って、飛び跳ねて接近した。
「もう、疲れたよー」
「探してたの? ごめん、ごめん。走らなくたっていいのに」
「走りたくもなるわ。二人もいなくなったら、大変なんだからあ」
「本当にごめん」
 手で顔を仰ぐ富井に、相羽も謝った。
 富井はそんなことよりもと首を振り、相羽と純子の手を引っ張る。
「それでさあ、ちょっぴりもめちゃってるの」
「もめてる? 誰と誰が」
 靴底の水を切るのもそこそこに、階段を駆け下りつつ、聞き返す。思わぬ話
に、純子も相羽も少なからず慌てている。
「白沼さんと唐沢君」
「え、何で唐沢君が?」
 普通に歩いていたなら、立ち止まっていたかもしれない。それだけ意外な名
前が出て来た。
「純ちゃん達がいなくなってから、しばらくして、唐沢君達が来たのよ。女の
子いっぱい引き連れてさあ」

――つづく




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