AWC 見知らぬ知人 4         巳岬佳恭


        
#4657/5495 長編
★タイトル (PRN     )  98/11/ 8  20:32  (173)
見知らぬ知人 4         巳岬佳恭
★内容

 午後五時半。
 中央林間駅前のスナック「シンシア」には「準備中」の札が下がっていた。
国重は構わずドアをノックする。遠くから返事があり、ママの卯月照美がヘア
ピンをつけたままの頭で顔を出した。
 国重を見てドアを大きく開く。
「あら、昨日の…」
「はい。ビール、いいですか?」
「いいですよ、どうぞどうぞ」
 照美に案内されて、国重は開店前の雑然としたカウンター席に腰を下ろした。
照美は少しの間だけ奥に引っ込むと、すぐに商売用らしい暗い色のスーツに着
替えてきた。
「あの家、変ですね。昨日の夜、あれから何回か電話したんですけど、誰も出
ないんですよ」
 さっそくビールを小ぶりのグラスにつぎながら、照美が報告した。国重も先
ほど、マンションに行って来たことを告げた。やはり返答がなかったことも。
「警察に通報した方がいいかな、と思ったんだけど。その前にここを思い出し
てね。ちょっとここでいっしょにビールを飲みたいと思って」
 国重はビールの入ったグラスを取り上げた。
「光栄ですわ。そんなことを言ってもらえると」
「いやいや、ごめん。ママじゃないんだ」
「え?」
「そこのドアの外にもうひとり、お客さんがいる」
 言われて、照美がドアを開けに行った。
「いらっしゃいませ、どうぞ。お連れの方が中でお待ちですよ」
 照美の声が聞こえた。外にいた人物は躊躇してるらしい。
「遠慮しなくていいですよ、柳村哲生さん。こちらでビールでも飲みません
か」
 国重の声が聞こえたらしい。頭をかきながら、柳村が入ってきた。市役所で
会ったときと同じスーツ姿だが、胸の名札は外してある。
「いや、失礼」
 口をへの字に曲げた苦笑い顔で、柳村は国重のとなりに座る。照美が新しい
グラスを置くとビールを注いだ。
「どこからご一緒してましたっけ」
 国重がグラスを持ち上げて言った。
 市立図書館を出てタクシーを拾ったときに、すぐ後ろで慌ててタクシーを止
めた男に国重は気づいた。それが柳村らしいと分かったのは、駅前でタクシー
を降りたときだった。柳村は国重の後をついて、焦げ茶色のマンションからス
ナック「シンシア」へと尾行したつもりらしい。
「いやはや、すっかりお見通しだね。参ったな」
 ビールには手をださず、柳村はぺこりと頭を下げた。国重はそんな柳村を睨
みつけている。
「あのマンションにいる沢口弓絵と名乗る女は偽者ですね。本物の沢口弓絵と
どこかですり替わった。十月二一日にイギリスからこの町へ転入してきた本物
の沢口弓絵が、今、どこでどうしているのか。それが心配です。警察に通報し
て探してもらおうと思います」
「ちょっと待ってくれよ。俺が事情を説明するから。あんたの知人の沢口弓絵
はこの町にちゃんといるんだ。だから、警察に行くのはちょっと待ってくれ」
 柳村がまた頭を下げた。
「事情がありそうですね」
 国重は柳村から目を離さずに言った。柳村が頷く。
「あんたの後を尾けたのは、あんたが銀行から差し向けられた調査員ではない
ことを確認したかったからなんだ。あんたは市役所から番号案内を通じて、フ
ァーストエリアバンクに電話をかけただろう」
 国重はぎょっとなった。
「どうしてそんなことが、柳村さんに分かるんですか」
「いや、その、申し訳ないね。市役所の玄関。あそこには違法テレカ監視のた
めの防犯カメラがついているんだ。その映像で通話先の番号が分かったという
…」
「それはプライバシーの侵害じゃないですか」
「いや、誠にその通り」
「ひどいもんだ」
 国重は頭を振る。
「でも銀行の調査員なら、番号案内を通して銀行に電話するわけはないわな」
「最初からそうではないと説明しています」
「まあ、そうだったかな。それで銀行は何か教えてくれたかい」
「何も」
「銀行は秘密主義だから、まあ無理もないか。でもおかげであんたが銀行の関
係者じゃないということが分かった。そうすると高校の同級生というのもまん
ざら嘘じゃないかもしれないと思い始めてね」
「本当です」
「そう。そうすると話が早い。いいか、よく聞いてくれ。この件を警察に話し
てはいけない。警察に持ち込めば、あんたの同級生の意志に反する結果になっ
てしまうんだ」
 柳村はまじめな顔でそう言った。国重と照美が同時に口を開く。
「どうして?」
 柳村はそこで初めてビールに口を付けた。のどを鳴らしてグラスのビールを
飲み干すと、おもむろに話し始めた。

「俺が沢口弓絵と会ったのは一ヶ月前のことだった。役所の研修で行ったロン
ドンからの帰りの飛行機の中で隣り合わせになったんだ。すっかり意気投合し
たせいか、彼女はいろいろな話をしてくれた。両親を不慮の事故で亡くしたこ
と。あ、これはあんたも図書館で調べていたみたいだから知ってるよな。それ
で急に日本に帰ることになったが十年ぶりの帰国ということ。日本にはほとん
ど住んだことがなくて身寄りもなく、とりあえずどこへ行こうか決めかねてい
ること。特に驚いたのは、彼女が不治の病にかかっているということだった
ね」
「不治の病?」
「うむ、ガンだ。イギリスでは不治の末期ガンでも本人に告知するらしいね。
しかもあとどのくらいの寿命かとかまではっきり言うそうな。彼女の話ではも
うあと三ヶ月も持つかどうかと言われていたらしい」
「それでこの町へ住むことを彼女に柳村さんは勧めた」
「そうだ。俺は独り身だし彼女の面倒くらいはみられそうだからね。だから熱
心に薦めた。彼女もその気になってくれたよ」
「でもあそこにいる女性は沢口弓絵ではないでしょう」
「違う。あれは沢口弓絵になろうとしている女だ」
「え?」
 国重と照美は顔を見合わせた。
「不審に思われても無理はないか。つまりこういうことなのさ。彼女、仮にA
としておこうか。Aは日本に住んでいながら戸籍も国籍もない。日本に不法滞
在していた外国人女と日本人との間に生まれたのだが、認知されないままに日
陰の生活を送っていた。それを聞いた弓絵が自分から提案した。自分はもうじ
き死んでしまうから、その時に沢口弓絵のアイデンティティーを彼女にプレゼ
ントするというのだ。アイデンティティー、つまり自分の身分だな、国籍も戸
籍も住民票も一切合切だ。幸い自分には日本に身寄りはいないし、日本で暮ら
した時期も短いので知人も少ない。だから、きっとうまく行くって言うんだ」
「そのことを彼女はいつ話したのですか?」
「もちろん飛行機の中だ。この町へ来る決心を弓絵がした理由のひとつだから
な」
「でも、それは法律違反よ」
 照美が溜息混じりに呟いた。
「もちろん、そうだ。でも見つからなきゃあ、誰も罪には問われない。俺はな
かなか良いアイデアだと思ったね」
「それで本物の沢口弓絵はどこに」
 国重は一番気になることだった。不治の病というのには驚いたが、その後の
話はなんとなく、あのはきはきした弓絵が思いつきそうなことのような気もす
る。
「市内のホスピスにいる」
 柳村が国重の目をのぞき込んできた。暗い視線だった。
「どこにあるんだ。名前はなんという」
 国重がせきこんで尋ねる。すると、ふっと柳村は視線を外した。
「はるばるやってきたんだから、会いたいんだろうな。十年ぶりの再会か。ま
あ、いいだろう。ホスピスの名前を教えてやる。しかし、これは知っておいて
くれ」
 柳村が空になったビールグラスをつかんだ。照美がさりげなくビールを注ぐ。
ビールの泡を見つめながら柳村が吐き出すように続けた。
「沢口弓絵は末期ガンだ。もう抗ガン剤は打たずに放置してあるが、それでも
ひどいやつれ方をしている。ほんの一ヶ月のうちにみるみる顔形が変わり、頭
髪は抜けている。意識も定かではない。だから、会いに行くのなら覚悟が必要
だ。ま、できれば顔を会わせない方が友人としての思いやりだと思うがな」
「そんなにひどいのか…」
 国重の胸に苦いものがこみ上げてきた。
「かわいそう…」
 照美が俯いて涙を拭う。
「でもせっかく大阪から来たんだから、会ってあげるのも友情かもな」
 柳村の言葉に国重が激しく頭を振った。
「わかった。わかったよ。僕はそれほど残酷な人間じゃない。死に面している
人間はそっとしておくのが礼儀だろう。会いに行くのはやめよう」
「そうか、それでいいのかい」
「ああ、いいんだ」
 国重はそう言うとビールを一気に煽った。もっと強い酒が飲みたい気分だっ
た。

 間を測るようにしていた柳村が立ち上がった。
「じゃあ、俺はこれで」
「まだ早いよ。もう少し飲んでいけばいいじゃない」
 照美が商売用のセリフで一応引き留めた。国重は先ほどの柳村の話から受け
た衝撃から立ち直れないでいる。
「ああ、そうだ」国重が声をあげた。「もうどうでもいいことだけど、柳村さ
んが気にしていた銀行の調査っていうのはどういうことなのかな。たしか、市
役所で会ったときには、大金がからむとか言ってたみたいだけど」
 国重の質問に柳村は立ち上がったまま、難しい顔を国重に向けた。
「あれはちょっと困ったことになっているんだ。突然、ファーストエリアバン
クなんていう聞いたこともない銀行から連絡があってね、沢口弓絵に面会した
いと言うんだ。なんでも彼女の両親が死亡したことに関連して、どうしても本
人の署名が必要だとか」
「ふーん、それがどうして困る?」
「今、言ったろ。沢口弓絵の提案でAが沢口弓絵になりつつある。だけども銀
行が会いたがっているのは本物の沢口弓絵の方だ。たぶん、海外にある亡くな
った両親の口座の引継ぎとか、そういうことだと思う。だからあんたに大金が
からんでいるとか言ったんだ。しかし、沢口弓絵本人は銀行に行かないと言っ
ている。そりゃあそうだ。Aと入れ替わろうかというときに、のこのこ本人が
出て行くわけにはいかないからな。だからといって、代わりにAが行ったらこ
れもこわい。偽者とばれるかもしれないからね」
「なるほどね。じゃあ、銀行からは逃げ回っているしかないというわけか」
「そういうことだ。じゃあな」
 柳村はそう言い残すと、そそくさとスナック「シンシア」を出ていった。
 国重のやるせない溜息だけが店内に漂う。何とも言えない脱力感だった。照
美が何も言わずに国重のコップにビールを注いだ。
 国重も黙ってそれを飲み干した。胸に溜まった苦い思いもいっしょに胃に流
しこんでしまいたい。国重は心底そう思った。

(以下続く)




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