#4656/5495 長編
★タイトル (PRN ) 98/11/ 8 20:29 (185)
見知らぬ知人 3 巳岬佳恭
★内容
銀行…忘れかけていたひとつの記憶が戻った。そういえば国重にも銀行から
電話があった。
「その銀行はファーストエリアバンクと言ってなかったか?」
「そんな名前だったかな」
「そうか、それなら僕のところにも電話がかかってきた。外国の銀行らしい。
沢口弓絵の住所を知らないかって」
「それで?」
「転居案内が来ていたんで、そこの住所と電話番号を教えた」
「そしたら?」
「いやそれっきりさ。だから、沢口に連絡がついたんだろう」
「だけど、その住所には別人がいたんでしょ」
「そうだ。名前は同じだけどね」
「それって変だよ。絶対に何かあるね。ひょっとしたらその別人、弓絵ちゃん
になりすましているのかも」
「そうかな。転居案内そのものがいたずらだったって可能性もあるから、何と
も言えないな。ところで、ひとつ訊きたい」
「なに?」
「その成田空港からの電話、本当に沢口本人だったかい」
「どういうことよ」
「今日、僕が会った沢口弓絵は明らかに別人だった。ひょっとしたら美川が話
した沢口弓絵も本人じゃなかったかもしれないと思ってさ」
「そうねえ。本人だとばっかり思って話していたから、気にはしなかったけど。
声の感じは似ていたなあ」
「でも久しぶりに聞いたんだろ。確かだって言い切れるか」
「うーん。なにしろ話したのは十年ぶりでしょ。何となく他人行儀になっちゃ
ってさ」
「まあ、そうだろうね」
国重に電話がかかってきても、本人かどうかは断定できない可能性が高い。
電話の間にルームサービスの夕食、といってもカレーライスとサラダという
軽いものだったが、はすでに運び込まれていた。カレールーの匂いが食欲をそ
そる。
「ねえ、ちゃんと調べてよ。私も気になってきたわ。せめてその沢口弓絵と名
乗る女の住民票でもチェックしたら? 弓絵ちゃんになりすましているなら、
それですぐに分かるわ」
「住民票か…」
国重は文香の指摘に唸ってしまった。
住民票は地方税の徴収原簿で住民がその住所に住んでいることを証明するも
の。住民がいつから住んでいるかや、本籍などがわかる。しかも、住民票の写
は本人以外でも簡単に取得できる。
昨日の女の素性を知るには良い方法に思えた。
電話を切る前に文香は、はっきりと分かるまで大阪に帰るな、と釘を刺した。
文香に言われなくても、国重は弓絵の所在を確認せずに、ここを立ち去る気
にはなれなかった。特に横浜の事件が国重の胸に深く突き刺さっている。
空腹を覚えて、ルームサービスのカレーをひとくち、口に入れた。ほどよい
辛さでうまい。カレーをかき込みながら、東京での仕事の後、明日もう一度あ
のY市へ行ってみることにしようと国重は決めた。
翌日、国重は丸ノ内に本社のある大手重機械メーカ、D重機を訪問した。
美川文香の言うとおり、国重は大阪にある法律事務所に勤めている。しかし、
国重は技術スタッフで、法律そのものは専門ではない。主に製造物責任訴訟、
いわゆるPL訴訟などで弁護士のために技術情報の収集、整理、分析を担当し
ている。
D重機は世界的なメーカでもあり、PL訴訟の処理には馴れているようだっ
た。安全装置の概要説明と今後の大日程の確認だけで、予定どおり昼までには
打合せは終了した。
昼食を誘われたが、丁重に辞退して国重は東京駅からJRの在来線に乗った。
ただし、乗り換えのホームでは線路寄りの一番前に立つのだけは避けながら。
東京駅から電車をふたつ乗り換えて、国重は再びY市にやってきた。午後の
二時をまわっている。中央林間駅前からはタクシーを使った。
Y市役所は銀杏の並木の通りに面していた。人口に比べると明らかに大きす
ぎると思われる建物は、正面玄関がガラス張りで、入るとだだっ広い吹き抜け
のロビーだった。
市民課に住民票の写しを申し出た。
「用紙に記入してください」
窓口で示された閲覧申請用紙は黄色だった。国重は沢口弓絵の現住所を書い
て、手数料を払い、番号札をもらった。
窓口の上に番号表示の電光板があり、そこに自分の番号が表示される仕組み
らしい。
しばらくかかりそうだ、と言われて国重は待合スペースに並んでいた椅子の
ひとつに腰をおろした。市民課のほうを見ると、国重の書いた黄色の申請用紙
を持った女事務員が奥のほうへと歩いてゆく。
待合いスペースの片隅でテレビが点けっぱなしになっていた。ニュース番組
らしく、スーツ姿の男が無表情に何かを読み上げている。ボリュームが低く抑
えてあるので内容は聞き取れないが、病院らしい白い建物が映っていた。国重
がアナウンサーの説明に注意を向けようとしたとき、背後から声をかけられた。
「失礼ですが国重一郎さんかい?」
胸に名札をつけた中年男が鋭い目つきをして立っていた。国重がそうだと頷
くと軽く会釈をして、名刺を差し出してきた。
市民課 課長補佐 柳村哲生
「なにか?」
国重は椅子に座ったまま、名刺と柳村の顔を見比べながら尋ねた。
「実は沢口弓絵のことでちょっと話があってね」
「え?」
国重は柳村の顔を見返す。柳村は断りもせずに国重のとなりにどすんと腰を
下ろした。
「あのー、その前に名刺をもらえないかな」
「はあ? どうして僕の名刺を?」
「沢口弓絵のことを調べてるんだろ。住民票をとって何が知りたいんだ。内密
な調査なのは分かってる。ただね、俺は彼女のことをよく知っているんだ、調
査の手伝いができるのじゃないかと思ってね」
「あの、なにか勘違いしてませんか。僕はこういう者なのですが」
国重は自分の名刺を柳村に差し出した。片手でそれをつまみ上げると、柳村
は国重の肩書きに一瞬、怪訝そうな顔になった。
「法律事務所? へえー、さすがにちゃんとした調査をするんだなあ」
ますます誤解しているような雰囲気だった。国重は迷った。
どうやら柳村は沢口弓絵について、何か情報をくれようとしている。国重を
誰かと間違えているらしいが、そのまま、間違いに気づかない振りをして柳村
の話を聞いてみたい気にもなった。しかし、法律事務所に勤める立場上、嘘を
つくわけにはいかない。
「僕はあなたの言うような調査をやっているわけではありません」
「ははは。そんなに隠さなくてもいいよ。ガードが固いね。さすがに法律事務
所だ。まあ、問題になっているのが大金だしね。無理もないか、ははは」
柳村は顔を歪めて笑った。無理矢理に笑い顔を作ったという感じだった。市
役所の職員にしては横柄なしゃべり方をする男だった。
その時にふと国重は気づいた。柳村の声に聞き覚えがあるのだ。しかも、最
近のことだ。一体、どこだったか。
国重の沈黙を柳村が誤解したらしい。低い声で勝手に喋り出した。
「実は沢口弓絵と一緒に住んでるんだ。近いうちに結婚するつもりでね。だか
ら俺は彼女のことをよーく知ってる。何でも訊いてくれ。彼女の両親のこと、
国重さんがわざわざこちらまで調査にやってきたわけ。全部分かってるんだ」
上目遣いで柳村が国重を見ている。その剣呑な感じを振り払うように国重は
言い返した。
「柳村さん、あなたは勘違いしている。僕は沢口弓絵と高校の時に同級生だっ
ただけで、それで久しぶりに会いに来た。それだけなんですよ。仕事上の理由
でここにいるわけじゃありません」
「そんな見え透いたごまかしは駄目ですよ。昨日もそんなことをいってたみた
いだけど」
「あ…」
国重は思い出した。昨日、弓絵のマンションを尋ねたときに部屋の奥からし
た男の声、それはこの柳村だったのだ。どおりで聞き覚えがあったはずだ。
「弓絵はずっと海外で暮らしていて、日本の高校には行ってないんだ。だから、
高校の同級生なんて見え透いた嘘はだめだよ。調査員の身分を隠したいんなら、
もう少しましな嘘を考えなくっちゃ」
「嘘なんかついてませんよ」
国重は頭が混乱してきた。
柳村の言う沢口弓絵は国重の知る弓絵と海外暮らしが長いという点で境遇が
よく似ている。ただ日本の高校には行っていない点だけが違うが。しかしそれ
にしても、偶然にしては話が出来過ぎているような気がする。
「まあまあ。弓絵がなかなか銀行に行かないのには訳があるんだ。両親の死の
ショックからまだ抜け出せないんだな。だから、もう少し待ってくれ。あと一
ヶ月くらいしたら、出向くように説得するよ」
「両親の死? 銀行…」
国重の頭の中で何かが動いた。柳村のいう「両親の死」「銀行」というキー
ワードが国重の頭の中でバラバラだったパズルのピースをくっつけ始めている。
口をつぐんだ国重の肩を柳村が軽く叩いた。
「ほら、住民票が用意できたようだよ。あの番号はあんただろ。それじゃ、俺
はこれで。何かあったら電話くれ、協力はするから」
柳村はそう言うと、やれやれというように立ち上がった。市民課の窓口の前
を急ぎ足で通りすぎると、そのまま職員通用口と書かれたドアの向こうに姿を
消した。
国重は番号札と引き替えに沢口弓絵の住民票を受け取った。そこには弓絵の
Y市への転入の記載があった。
「xx年十月二一日イギリスより転入」
日付はちょうど一ヶ月前。美川文香が成田空港に着いたばかりの弓絵から電
話を受けた日と一致している。そして、本籍地。
「アメリカ合衆国イリノイ州xxx」
国重は沢口弓絵の住民票をしばらく見つめていた。そして、次に何をすべき
かを考えた。
市役所の玄関には灰色の電話機が並んでいるコーナーがあった。国重は大股
に電話機に近寄った。百円玉を放り込んでから呟く。
「番号案内は何番だったかな」
Y市立図書館は市役所と同じ通りにあった。
閲覧コーナーには5台のパソコンが置いてあり、図書や雑誌の検索ができる
ようになっている。さらにコーナーの壁には大きな棚があり、雑誌類や新聞の
バックナンバーが順番に収納されていた。
国重はその中の全国紙の新聞六ヶ月分を取り出すと、閲覧用のテーブルに広
げて社会面を開いては、見出しだけを目で追いかけた。
六ヶ月前から四ヶ月前までは何もそれらしい記事はなかった。
一息をつく。しばらく休んでから、三ヶ月前の新聞の束に取りかかった。
そして、ついにそれらしい記事を見つけた。それは二段の小さな記事に過ぎ
なかった。海外での日本人夫婦の交通事故死。単なる事故死だったから、扱い
が小さいのも仕方がなかろうと思われた。
事故はイギリスで起きていた。今年の八月十日、バーミンガム近郊のアウト
バーン。雨の中、中央分離帯を越えてスリップした日本人夫婦の車が、対向車
線のトラックと正面衝突した、という記事だった。運転した夫、助手席の妻、
両方とも即死。沢口姓の夫婦はその名前に記憶があった。沢口弓絵の両親に間
違いなかった。
後部座席に乗っていた一人娘、弓絵は意識不明の重傷、とあった。
午後五時過ぎに、国重は焦げ茶色のマンションの前にいた。
住民票に記載された沢口弓絵の現住所。一ヶ月前に弓絵はここに住み始めた
らしい。しかし、昨日は沢口弓絵と名乗る見知らぬ女が出てきた。
階段を上る。二階の202号室。
チャイムを押した。返事はない。
もう一度、チャイムを押す。やはり返事はなかった。
国重はしかたなく階段を下りた。裏に回って二階を見上げる。
ずらりと洗濯物が干してあるベランダの中で、202号室だけは穴が空いた
ようにネズミ色の雨戸が閉まっていた。
(以下続く)