#4655/5495 長編
★タイトル (PRN ) 98/11/ 8 20:27 (174)
見知らぬ知人 2 巳岬佳恭
★内容
ビールを飲んだせいか、照美の国重に対する口調もくだけてきた。
「さっきの続きだけど、この転居案内はあなたと沢口弓絵さんの関係を知って
いるぞと遠回しにあなたに暗示しようとした、というのはどう」
「ずいぶんと手が込んだ暗示だね。それでどうするの」
「その後で、これをネタにあなたを強請るのかな」
「ふーん。面白いけど、僕は誰からも強請られていないよ。それに残念ながら
僕と彼女の間に特別な関係なんてない。彼女は高校の同級生なんだ」
「あらそう? でも本人に会えなくて、あなたはずいぶんがっかりしてるよう
に感じたけど。だからその弓絵さんというのはてっきり昔の恋人とか愛人とか、
そういうワケアリかと思った」
「十年ぶりに同級生に会うんだ。楽しみにはしてたさ。それに彼女はとびっき
りの美少女だったからね」
「ははーん。やっぱり下心があったわけね」
「ないない。ただ懐かしかっただけ、それだけ」
国重は照れをごまかすようにビールを飲み干した。
「隠さなくてもいいわ。そうだ、ちょっと電話してみましょうか。まだ半信半
疑なのでしょ。その女性があなたの永遠の美少女、沢口弓絵さんだったかどう
かについて」
「いや、もうわかったからいいよ。あれは違う」
「いいからいいから。電話番号を教えて」
照美はカウンターの端にある電話機を取り上げると国重の言う番号を押した。
受話器を耳にあてる。が、しばらくしてそのまま受話器を戻した。
「留守みたいね」
「出かけたのかな。ま、いいさ。ママに話したら頭のもやもやが少しは晴れた
ような気がするよ」
「あら、こっちは逆よ。あなたの話を聞いたら、何だか気になってしょうがな
いわ。あなたが出会った沢口弓絵は、はたして美少女沢口弓絵とは赤の他人か
どうか。手紙をあなたに出したのはいったい誰か。そしてわざわざあなたがこ
の中央林間まで来て、沢口弓絵に会おうとしたのはなぜか」
「おいおい、僕がここに来た理由までミステリーになってしまうのかい」
「ええ、そうよ。謎はたくさんある方が楽しいじゃない。いずれにしても、そ
の女性に後でもう一度電話してみるわね」
「ははは、本当にミステリーが好きなんだな、ママは」
「私って、気になることがあると眠れない性分なの。だからはっきりさせたい
だけ。なにか分かったら連絡してあげるよ」
「うん、期待しないで待ってるよ。さてそろそろ行こうかな」
国重は立ち上がった。ビールのおかげだろうか。さっきまでのもやもやは消
え、気分はすっきりしていた。
単純ないたずら、案外それだけのことかもしれない。国重はそう思うことに
した。眉をひそめて考え込む照美に勘定を頼む。
スナック「シンシア」を出ると中央林間駅前はすっかり暮れていた。
東京へ向かうために、国重は横浜駅でJRに乗り換えた。
ちょうど夕方のラッシュ時で横浜駅の地下乗り換え通路は肩がぶつかるくら
いの混みようだった。
ホームも同じ様に混んでいた。ただし大阪とは違い、乗り込む方はちゃんと
三列に並んで待っている。国重はついいつもの癖で、電車のドアが開くとその
まま横から乗り込もうとして周囲からクレームを付けられてしまった。しかた
なくあきらめて、次の電車を待つことにする。
次の電車はすぐにやってきた。
「まもなく東京行きの電車が入ります。危ないですから黄色い線からお下がり
ください」
JR職員が国重のすぐ脇でハンドマイクに怒鳴っていた。あいかわらずホー
ムは混んでいたが、国重は列の先頭にいたのでどうやら次の電車には乗れそう
だった。
JR職員の制帽制服姿が珍しい。国重がJR職員の方を見やったとき、視界
の隅で黒いものが動いたような気がした。
「危ない」
誰かの声が聞こえた。
次の瞬間、国重の背に強い力が掛かり、国重はホームから線路に転落した。
踏みとどまる余裕は全くなく、あっという間の出来事だった。
悲鳴のような音を立てて、電車が近づいてくるのが見えた。
心臓が喉からせり出しそうになりながら、国重は必死で線路を転がった。
国重はついていた。
転がった先がちょうどホームの下に設けられた緊急避難のための壕だった。
国重が転がり込むと同時に電車が背後に緊急停止した。
予約してあった東京港区のシティーホテルに国重がチェックインしたのは、
午後九時を回っていた。
横浜駅では鉄道警察にこってりと絞られた。後ろから急に押されたのだと国
重は主張したが、混んでいるホームで黄色の線の線路寄りに立つなんてとんで
もない、と逆に怒られてしまった。そんなことはない、自分は黄色の線の内側
にいた、誰かに押されたのだと反論したが、結局、鉄道警察は耳を貸してくれ
なかった。
本来なら列車往来妨害で訴えるところだと言われ、しぶしぶ始末書に署名し
た。命に別状がなかっただけでも幸いに思わなくてはいかんと説教され、結局、
無罪放免されるまでに、かれこれ横浜駅で一時間はかかってしまった。
国重は部屋にはいると急に疲労感に襲われ、ルームサービスで夕食を頼んだ。
ひとつの思いが頭にこびりついていた。
自分は横浜駅で殺されかけたのではないか。
線路に落ちた本人ではなければ分からない死の恐怖。そして、悪意を持って
自分の背中は押されたのだという確信。
国重の耳に走り込んできた電車のレール音が甦り、思わず身震いした。
まさに死と生は紙一重だったのだ。
しかし、一体誰が、という疑問が湧く。国重には人の恨みを買うような覚え
はない。日常で気まずい思いをしたり、行き違いになる人物は多かったが、ま
さか、自分を殺そうとまで思っている人間はいないはずだった。
そうすると今日の自分の行動が原因かと思う。
沢口弓絵を訪ねた。そのことが自分を難しい立場にしたのか。
突き落とされたのが横浜駅だったのが気になった。
国重が横浜駅を使ったのは、沢口弓絵を訪ねて中央林間へ行き、そこから東
京へ向かったからだ。そうでなければ、大阪から新幹線で東京に直行している。
やはり沢口弓絵にはなにかあるのか。
国重はシステム手帳を取り出した。
高校時代の親しい友人の電話番号をめくる。誰か同級生だった沢口弓絵のそ
の後について知っているかもしれないと思ったのだ。
しかし電話に出てきた友人たちは、三カ月しかクラスにいなかった弓絵のこ
とをほとんど覚えていなかった。国重が説明してやっと思い出した友人もいた
が、転校後の弓絵のことを知っているものは誰もいなかった。
最後に、クラス委員をやっていた美川文香に電話をした。
弓絵を見送ったとき、国重を改札口まで押し出して、弓絵と言葉を交わす場
面を作ってくれた文香だった。卒業後はそのまま九州に残り、実家の美容院を
手伝っているはずだった。
文香だけは国重が大阪に移ってからもときどき、連絡をよこしていた。ただ、
高校時代から国重に対してはずけずけと容赦がなかったが。
「あらら、国重くん? 電話くれるなんて珍しいね。もう立ち直ったの?」
相変わらずのぞんざいな口調だった。文香の質問は無視した。
「沢口弓絵って覚えているか? 高校一年のときに編入してきたやつ」
「弓絵ちゃん、ええ覚えているよ。この間、電話もらったもの」
国重はどきんとした。弓絵が文香に電話連絡をしていた。少しだけ、弓絵に
つながる糸がつかめたような気がした。
「電話? それはいつのことだ?」
「えーとね。一カ月くらい前のことだったかなあ。えーとね、どこかに書いた
なあ。あ、十月二一日だったよ。その日、美容院が暇で…」
「今、どこに住んでるか知ってるか?」
「日本国内のはずだけど、詳しくは知らないよ。だって彼女、教えてくれなか
ったもの」
「沢口は電話でどんなことを言ってた?」
「どうしてそんなことを聞くの? 弓絵ちゃんに何かあったの」
「いや、わからない。けど、奇妙なことになっている。連絡を取りたいんだ」
「ふーん」文香が不満げに鼻をならした。「事情がさっぱり分からないけど、
まあ、いいわ。国重くん、弓絵ちゃんのこと好きだったものね。奥さんに逃げ
られてひとり身になった今なら、別に昔の恋人の消息を気にしてもいいか」
「バカいうな。そんなんじゃないよ。それよりか沢口の電話の内容を教えてれ
くれ」
「うん。いいよ。別に大した内容じゃなかったな。弓絵ちゃんは、日本に帰っ
てきたばかりだと言ってた。成田空港からかけてきたみたいだったな。国重く
ん、知ってたでしょ、弓絵ちゃんはわたしたちの高校から転校していったあの
後、ご両親と一緒にヨーロッパに移り住んでたってこと。そのまま今年になる
までずっと向こうで生活していたらしいわ」
「ふーん。それなら約十年ぶりに日本に帰ってきたのか」
「うん、それでいきなり私に、法律に詳しい人を知らないかっていうの」
「法律? どういうことだ」
「知らないよ、そんなこと。ただね、弓絵ちゃんは日本での知り合いがほとん
どいないって言ってた。あの高校での三カ月間くらいしか日本にいなかったら
しいからね。それで、私に電話してきたっていうわけ。私は高校の時、電話番
号教えてたから」
「そうか。それで?」
「法律関係なんて私にはひとりしか思いつかなくて…」
「おい、まさか」
「うん、国重くんの大阪の住所と電話番号を教えといた」
「おいおい、僕は法律関係っていったって、弁護士でもなんでもないんだぜ」
「だって、国重くんは法律事務所に勤めているんでしょう。立派な法律関係じ
ゃないの。それに国重くんがバツイチで今は独身だってことも教えておいたか
ら。ちゃんと弓絵ちゃんから電話があったでしょ?」
「いや、電話はない。その代わりに転居案内の手紙が来たけど」
「あら、そう。私には転居案内なんて来なかったな。住所が決まったら連絡を
くれるって言ってたんだけど」
「そうか。すると美川は沢口が今、どこに住んでいるのかは知らないのか」
「知らないよ。でも国重くん、弓絵ちゃんから転居案内が来たのなら、そこに
住所が書いてあったでしょう」
「うん」
「だったら弓絵ちゃんはそこに住んでるんじゃない」
「そういう単純な話ではないんだ、残念ながら」
「どういうこと?」
「今日、ついでがあってその住所の近くまで行ってきた。確かに沢口弓絵と名
乗る人物がその住所にいた。しかし、会ってみるとそれは全くの別人だった」
「え?」
「つまり、転居案内の住所には沢口弓絵はいたが、それは僕らの知ってる沢口
弓絵ではなかったということさ」
文香が少し沈黙した。
「そう言えば、もうひとつ変な電話があったな」
「沢口からか?」
「いいえ、銀行から。カタカナ名前のあんまり聞いたことのない銀行だったけ
ど。沢口弓絵にコンタクトしたいが、連絡先を知らないかって」
「銀行から…それでどうしたんだ」
「私は弓絵ちゃんの連絡先を聞いてなかったから、知らないって言った。そし
たら誰か知っていそうな人は、ときかれたので、国重くんの電話番号を教えて
あげた。きっと彼女は国重くんのところに連絡するだろうなと思ったから」
(以下続く)