#4658/5495 長編
★タイトル (PRN ) 98/11/ 8 20:33 (166)
見知らぬ知人 5 巳岬佳恭
★内容
こういうときに限って、なかなか他の客はやってこないものだ。
Y市中央林間駅前のスナック「シンシア」では国重一郎がひとりだけ、カウ
ンターに呆然と座っていた。柳村が立ち去った後、国重はそうやってまるで言
葉をなくしたかのように黙り込んでいた。
「シンシア」のママ卯月照美は国重を黙って見ている。
他の客が来たら、それを潮にカラオケでも始めようかと思っていた。そうで
もして雰囲気を明るくしないと照美もつらい。
午後八時になっていた。
照美は水割りを作る。それから、照明を落としてBGMをかけた。コンテン
ポラリーなジャズが薄暗い店内に流れ出す。
「水割りにする?」
照美が声をかけたが、国重は反応しない。
十年ぶりの同級生との再会。楽しみだったはずが、死に直面した同級生の暗
い現実を知る結果になってしまった。国重の落ち込みは想像できた。
新横浜駅の大阪行き新幹線の最終時刻が近づいている。そろそろ、そのこと
を言おうかと照美が思ったとき。
「どうして手紙をくれたんだろう」
突然、国重が呟いた。
「手紙? あの転居案内の手紙のこと?」
照美は沈黙が途切れてほっとする。
「うん。あの手紙を書いたのは誰だろう。この謎がどうしても解けないんだ。
もし沢口弓絵本人が書いたとしたら、おかしなことになる。なぜなら、彼女は
Aと入れ替わるつもりだ。うまく入れ替わるためには、彼女は自分を知ってい
る高校の同級生なんかを呼び寄せるということはしたくないはずだ。それなの
に、転居案内の手紙は送られてきた。なぜだ」
「そうね。確かにおかしいわね」
照美は国重の沈黙の意味を取り違えていたようだった。国重は悲しみに沈ん
でいただけではなくて、柳村の話を全て信用したわけではなかったのだ。国重
なりに、柳村の話を検証していたらしい。
「さっきの柳村の話だと、Aとの入れ替わりは日本へ来る飛行機の中で話し合
われたという。しかし、手紙は日本に着いてから出されたと思うんだ」
「あの手紙、消印はいつになっていたの?」
国重は内ポケットから手紙を取り出した。何回も取り出しているので、白い
角封筒のかどがくたびれ始めている。
「消印は今年の十月二二日、郵便局は中央林間になっている」
国重は手紙を照美にも見せる。
「中央林間郵便局はこの駅裏にあるわ。手紙はこの町で投函されたってこと
ね」
照美が中の手紙を取り出し、読み始める。
「沢口弓絵のY市への転入日は住民票では十月二一日になっている。それは彼
女が日本に着いた日と同じ日だ。しかも彼女はその日に僕の友人に成田空港か
ら電話をかけている。そして転居案内を出したのが十月二二日。しかし、その
時にはすでにAとの入れ替わりを決めていた」
「確かに矛盾してるわね。でも、この手紙の内容じゃ何も分からないわ。あり
きたりのことしか書いてないもの」
「それも変だと思う」
「どういうこと?」
「ママが昨日言ってたことだけど、手紙にしては中味がたった四行しかない。
これなら、葉書でも充分なはずだ。しかも、文章もおかしいと言えばおかしい。
いつも、ご心配ばかりおかけして申しわけありません、なんて書いてある。こ
れは少なくとも、最近に多少ともつき合いのあった人に対して使う言葉じゃな
いかな。僕と沢口弓絵はもう十年も会っていない。音信もない。この言い回し
は不自然な感じがする」
「そうかなあ。こういう挨拶文というのは決まり切った紋切り調が多いから、
わたしは違和感はないけど」
照美はもう一度手紙を読み返す。
(手紙本文)
たいへん、ご無沙汰しております。いつも、ご心配ばかりおか
けして申しわけありません。さて、私、転居いたしました。近
くにお越しの節はぜひお寄りください。それではご家族のみな
さまにもよろしくお伝えくださいませ。失礼いたします。
xx年十月二二日 沢口弓絵
転居先:神奈川県Y市中央林間xxx
電話番号:0462-xx-xxxx
「それに、横浜駅で僕は殺されかかった」
「え、なんて言ったの? 殺されかかった?」
照美は手にした手紙を落としそうになった。
「そうなんだ。昨日、東京へ行く途中のことなんだ。横浜駅のホームから突き
落とされた」
「そんな…。警察には届けたの?」
「警察は僕の不注意が原因だと思っている。しかし、違う。あれは間違いなく、
僕の背中を押したやつがいる。ちょうど次の電車が入ってくる直前だった。あ
のままだと僕は間違いなくあの電車に轢かれて死んでいた。事故死としてね。
たまたまホームの下に避難壕があって命拾いしたんだ」
照美は言葉をなくしていた。国重は照美の作ってくれた水割りを手にした。
わずかに震えている。それは怒りのためだった。どこに持って行きようもない
怒り。
「ね、柳村さんの言っていたホスピスに電話を入れて確認してみましょうか。
沢口弓絵という患者がいるかどうか。柳村さんの話を疑っているのでしょう。
実際に彼女がホスピスにいれば、そのことが分かれば、あなたの疑問は解決す
るんじゃない?」
照美の言うとおりだった。柳村の話を信じたくない気持ちが国重にはあった。
だから、なんとか話のほころびを見つけようとあがいているのかもしれない。
沢口弓絵がホスピスに末期ガン患者として収容されていれば、その事実だけで
国重には十分だった。
「Y市にホスピスっていくつあるんだろう」
国重は照美の提案に同意した。照美が読み直していた手紙を元通りふたつ折
りしてにして、封筒に収めようとした。その時。照美の顔がこわばった。
「こ、れ、は」
照美が絶句している。手元にはふたつ折りされた手紙。
「どうした?」
国重が怪訝そうな顔をして、照美を見る。照美が二つ折りしかけた手紙を開
いて、国重に見せた。
「これを見て。これは暗号文よ。よくミステリであるのよこういうの。文章の
行頭一文字だけを読むと別のメッセージになっているとか」
「え?」国重ものぞき込んだ。「でもこの手紙の各行の頭だけじゃ、意味をな
さないよ。た、け、く、さ、なんて」
「そうじゃないのよ、ほら。この二つ折りの折り線のところを見て。ちょうど
十五文字めのところに折り線が入っているわ。各行の頭と折り線のところの一
文字を続けて読んでみて、ちゃんとメッセージになっているわ」
(手紙本文) ↓折り線位置
たいへん、ご無沙汰しておりま|す。いつも、ご心配ばかりおか
けして申しわけありません。さ|て、私、転居いたしました。近
くにお越しの節はぜひお寄りく|ださい。それではご家族のみな
さまにもよろしくお伝えくださ|いませ。失礼いたします。
xx年十月二二日 沢口弓絵
転居先:神奈川県Y市中央林間xxx
電話番号:0462-xx-xxxx
「た、す、け、て、く、だ、さ、い」
「ね?」
国重の頭でぱちんと音がしたような気がした。柳村の話を聞いていたときに
漠然と浮かび上がっていた疑問の粒粒。それらが、国重の頭でいっせいに弾け
たのだった。
国重は勢いよく立ち上がった。
「ママ、こういう暗号文というの書くのは、本人がどういう状態にいるときだ
ろうか」
ミステリ好きのママは間髪入れずに答える。
「たぶん、本人が自由を奪われているか、誰かに厳重に監視されているときね。
中味がありきたりの挨拶文にしてあるのは、たとえ手紙を書いたのがばれても、
言い逃れができるように考えたのね」
「なるほで」
「でも沢口弓絵さんて立派な大人でしょう。そんなに簡単に監禁とか監視とか
できるかしら」
「彼女は両親と一緒に車に乗っていて、二ヶ月前に交通事故で重傷を負ってい
る。その後遺症で今でも車椅子を使わないといけないとしたら。彼女の自由を
奪い、どこかに監禁してしまうのは案外簡単だったのかもしれない」
「どこに?」
「あのマンションの部屋は昼間っから雨戸が閉まっていた。こんなに天気がよ
い日にだ。電話をかけても誰も出ない。沢口弓絵と名乗る別人がいる。たぶん、
見張りだろう」
「でも、なんのために?」
「カネじゃないかな。彼女に連絡を取りたがっていた銀行、ファーストエリア
バンクの担当者に事情を説明したら、僕の名前を覚えていてくれた。なにしろ
もとはといえば僕があの銀行に沢口弓絵の住所を教えたんだから。彼女は一人
娘だ。両親の遺産、それから両親の死亡保険金。それらの唯一の権利者なのだ。
そういった通知を沢口弓絵宛に送ったという」
「あの住所に?」
「そう、僕が教えた住所に」
「警察に連絡した方が良さそうね」
「うん、頼む。僕はこれからあのマンションへ行ってみる」
「彼女が無事であることを祈ってるわ」
照美が国重の背中に声をかける。
国重は急に身体の奥から力が湧いてくるような気がした。
沢口弓絵は国重に助けを求めていた。そのことが国重を奮い立たせた。沢口
の手紙からは一ヶ月も遅れたけれど、とにかく助けに行くことはできそうだ。
国重には沢口弓絵が生きているという確信があった。
「相手は外国の銀行だ。柳村が言うとおり、カネを手にするためには本人を証
明する署名が必要だろう。なんとかして署名を入手するまでは、本人を死なせ
るわけにはいかない。柳村は国重を銀行の調査員と誤解した。ということは、
まだ銀行との交渉には成功していないということだ。つまり、沢口弓絵は生き
ている。生きていて欲しい」
表通りは暗かったが、国重は焦げ茶色のマンションに向かって、全力で走り
始めた。
(以下続く)