#4642/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/10/31 2: 6 (200)
僕は君だけは許せない 8 永山智也
★内容
と言っても、きちんと布団を被っていた訳ではない。布団の上に仰向けに倒
れ、咽をかきむしるようにして死んでいたのだ。
床の絨毯には液体がこぼれ、染み込んだ痕跡がある。そのすぐ横、ベッドの
下に隠れるようにして転がっているのは、被害者愛用のグラスだった。また、
机に備え付けの椅子が、ベッドの方向に向いていた。
状況から、被害者は床に入る前に寝酒をやり、その中に混入されていた毒物
で殺されたと見られる。しかも、椅子の向きから、時森譲には相手がおり、そ
いつが酒を注ぎ合っている内に隙を見つけて、毒を入れたと考えられる。犯人
が口を着けたグラスは、見あたらなかった。
毒物は青酸系のもの、恐らくは青酸カリと判断された。死亡推定時刻は、午
後十一時頃から午前二時頃の間。これらの点で鳥丸刑事と永室医師の意見は一
致した。
「仲々よくできた調書だぜ。推理小説でも、こうは一致しないんじゃないかね。
死亡推定時刻が、三十分から一時間ぐらいずれているだけだ」
見張りも兼ねていた朝日田が、二人が記したメモを見比べて、こう皮肉った。
「本当に失敬な奴だな、君は。死因が青酸系毒物であることは、時森さんの顔
色及び口臭やグラスからの香りから明白だし、死亡推定時刻もこれだけ幅をと
れば、似たようなものとなってくる」
「分かりましたよ、永室さん」
何かの皮肉のつもりか、朝日田は肩を大きくすくめて見せた。
死亡推定時刻における、各人のアリバイ調べはおいて、鳥丸は夏子の操縦で
本土に向かうことにした。
しかし、船着場に到着してみて、大変なことが分かったのである。
「エンジンが壊されていた?」
すぐに戻って来た二人の言葉に、吉林はとんきょうな声で反応した。
「そ、それはどういうことなんですか」
「正確には壊されていたのではなく、プラグが強引に外されていたと言うべき
でしょうか。とにかく、船は動きません。船は他になくて、ゴムボートの類も
ありません」
夏子が説明をすると、朝日田はすぐに飛び出し、しばらくしてから戻って来
た。
「ちっ、本当に壊されてるんだな。まったく、いかにも小説めいてきたもんだ」
「あの、何でもご自分の目でお確かめになるのは結構ですけど、これからはあ
まり勝手な行動はとらないで頂きたいのです」
「何だって?」
鳥丸の言葉に朝日田は目を剥くようにして反発した。
「ですから、連絡のとりようがなくなったのです。予定の四日が過ぎれば、向
こうでも不審に思って何らかの策を施してくれるかもしれませんが、それまで
は孤立無縁、まさに孤島となったんです、この島は」
事実、時森邸がある島は、数多くの島がある瀬戸内海の中でも、孤立した位
置にあった。泳いで他の島に渡る等という芸当は、不可能に近い。
「では、どうしろと言うんだい?」
「ここは現在、殺人事件が発生した状況下です。刑事たる私の言うことを、聞
いていただきたいのです」
「はん、なるほどね」
そっけなく答えた朝日田は、無言の承諾という感じで、ソファに倒れ込んだ。
「では、現在の状況を聡美ちゃんと井沢さんにも説明したいと思いますので、
吉林さん、二人を呼んで来てください」
井沢純子に慰められてか、聡美はすっかり大人しくなって、鳥丸ひろみの説
明を聞いていた態度だった。
「これで状況は飲み込めたと思います。私の許可なく、勝手な行動はとらない
ようにしてください。
で、これからすべきことですが、まずは毒薬の探索をすべきと考えています。
犯人は譲さんを毒で殺しました。まだ毒を持っているかもしれません。それを
捜すことで真相究明に近付くことができるかもしれないと、私は考えているの
ですが」
「よし、捜そう」
叫ぶように言って立ち上がった朝日田を、鳥丸は止めた。
「待ってください。捜すと言っても、てんでばらばらに捜すんじゃ、犯人がど
さくさに紛れて毒を始末することも可能です。そこで、皆さん一団となって、
一人々々の部屋を調べることにしたいと思います。調べる役は私がやりますか
ら、皆さんはお互いの動きを見張ってください。こんなこと、本当は嫌なんで
すけど」
「いいえ、それが当然だわ。早速、そうしましょうよ」
井沢が言った。
お互いの身体検査から始まった捜索は、結局は芳しい結果は得られなかった。
どの部屋にも毒らしき物はなく、また食堂や調理場、風呂といった共同の場所
も調べられたが、発見されなかった。最後には屋敷の周囲、雨樋の中、そして
亡くなった時森譲の部屋までもが捜査対象となったが、それでも見つからなか
ったのだ。
「これは、見方を転じれば、よかったのかもしれません」
自分も含めて、全員を勇気づけるためか、鳥丸は元気よく言った。
「毒薬がどこにも見つからなかったということは、犯人は今は毒を所持してい
ないということを示しています。つまり、これから食べ物や飲物なんかを口に
しても、まずは安心だと言えましょう」
「すでに飲食物に毒を入れてあるかもしれんじゃないかな」
鳥丸の身体検査をした朝日田が投げやりな調子で言うと、
「じゃあ、昼食を兼ねて、遅い朝食をとりましょう。私から口を着けますから」
と、鳥丸は言った。
食事は確かに何ともなく、鳥丸が口を着けて無事だったのに安心したか、全
員がとることができた。
「これからするべきことですが」
あらかた食べ終えた鳥丸は、口の周りを丁寧に拭きながら切り出した。
「皆さんのアリバイ調べ、動機調べです」
「動機と言えば」
すぐに反応したのは、例によって朝日田である。
「僕達三人の、夏子さんに対する想いってのがある」
自分の名前を口にされ、夏子の顔が赤くなった。
「……それは認めざるを得ないでしょうな。それが殺人の動機となるかどうか
は別問題だが」
「いや、永室さん。いい子をする必要はないぜ。選ばれることに自信のなかっ
た奴が、譲さんを殺し、多数決を成り立たなくさせようとした。充分、考えら
れるさ」
朝日田が言った。推理作家らしい意見と言えよう。
「その線で考えますと……。選ばれることに自信はあったが、早く財産を手に
したい者が、手っとり早く――こんな言い方してすみません――時森さんを亡
き者としたとも考えられませんか」
「その考え方は、行き過ぎだと思います、吉林さん。いえ、これは私がそう思
いたいだけなのかもしれませんが……」
鳥丸が刑事らしからぬ言い方をした。そしてしばらくおき、また口を開く。
「動機は他にもあると思いますが、今は先にアリバイを調べさせていただきた
いんです。時森さんが亡くなったのは午後十一時から午前二時までの間と思わ
れます。青酸は速効性の毒物で、どんなに遅くても一時間以内には死に至って
しまいます。一時間も時森さんが苦しみ続けたのであれば、誰か他の者が気付
いてもいいと思いますから、時森さんは毒を摂取後、すぐに亡くなったと見な
し、死亡推定時刻イコール犯行時刻と考えてもらいましょう」
「ふん。そんな時刻にアリバイか。昨日は、午前0時になるまでは、皆さんご
一緒だったんじゃないですかね? もちろん、時森譲さんと聡美ちゃんを除い
てですが」
「そうでしたわね、朝日田さん。広間でおしゃべりをしていたんでしたわ」
井沢が同意する。
「確かにそうでしたね。それ以後のアリバイを思い出してください。まず、私
から述べておきますと、あれからすぐに自分の部屋に戻り、眠ったとしか言い
ようがありません」
鳥丸は全員を見渡すようにしながら申告した。
「刑事さんのアリバイはなしか。ま、これは冗談として、僕も似たようなもん
ですよ。すぐに寝たとしか言えないな。いや、実際は起きていたんだが、ベッ
ドにもぐり込んでいたのは事実だ。で、いつの間にか眠っちまって、気付いた
ら朝だったと」
朝日田がそう申し立てたのを筆頭に、誰もが同じ様なものだった。途中、ト
イレに起きた者もいたが、それとて証人がいる訳ではない。
なお、荒木聡美については、午後十一時に自分の部屋に入り、午前0時にな
らないうちに眠りについたとのことだった。これも証人はない。ただし、聡美
は当然ながらアルコールは飲めないので、犯人としての条件は満たしていない
と考えられる。
「これでは捜査は無駄になりますねえ、刑事さん。あーあ、せめて、何か一つ、
作品でも抱えてりゃあ、僕のアリバイは完璧だったのにな」
こう朝日田が笑ったのに対し、井沢が文句をつけた。
「仮にあったとしても、そんなのはアリバイにならないわよ。元々殺人を計画
していた推理作家が、アリバイのために小説を用意していたのかもしれないん
ですからね。あなた、携帯ワープロで執筆してるんでしょう? 持って来てい
たわよね」
「そりゃま、そうですが」
いつかみたいに、大きく肩をすくめる朝日田。
そんなやり取りを無視するかのように、鳥丸は口を開いた。
「動機の問題に戻りたいと思います。さっき、少しだけ動機の議論がありまし
たが、私の考えていたのは、実はそういうことではなくて、時森譲さんが文書
の形にしたためたはずの、夏子さんのお相手の書かれた封書。それがどこに行
ったのか、ということを問題にしたいのです。毒捜しであれだけ引っかき回し
たにも関わらず、封書のような物は出ませんでした。夏子さん、どこか隠し場
所に思い当たりますか?」
「いえ、全く」
「そうですか。それじゃあ、問題の封書か何かは犯人の手によって処分された
と考えるのが妥当ですね」
「誰の名前が書かれていたかは、重要じゃないかな」
永室が言った。
「犯人が封書を見つけたとします。もし、そこに犯人自身の名前が書かれてい
たとしたら、犯人は封書を処分しやしないでしょう。処分したということは、
封書には犯人の名はなかったとなる」
「ちょっと待ってください、永室さん。それは早急に過ぎませんか。容疑の枠
をあなたを含めた夏子さんのお相手候補三人に限ってしまっては」
「おや、刑事さん。では、他にどんな理由があると? 封書を処分する理由が」
「例えば……。そう、飽くまで例として考えていただきたいのですが、封書に
記された人物と夏子さんの結婚を願っていない者が処分したとも考えられます。
夏子さん自身の場合もあり得ますし、動機だけを論じれば聡美ちゃんにもあり
得ます。何だかんだ言っても、譲さんの発言権が大きかったのは事実ですから」
「私は……。本当は、お母さんは誰とも結婚してほしくなかった。せめて私が
成人するまでは、独りでいてほしいって、そう言おうと思っていたのよ」
聡美は気を悪くする風でもなく答える。その様子は、何かをぐっと我慢して
いるようにも見えた。
「夏子さんはいかがです?」
「私には、すでに決めた人がいます。でも、聡美がそこまで言うのでしたら、
この娘が成人するまで、その人との結婚は待ってもいいと思います」
「成人まで!」
朝日田が大声を出した。
「それは現実的でないなあ。成人までったら、あと何年だい? 七年近いだろ
う? そんなに期間を空けていたら、夏子さん、あなたの気持ちだって変わる
こともあるだろうし、それまで待たされる他の二人の男は救われないなあ」
「それは言えますな。私は自信がない訳でないが、私の家の方が、そういった
事情を待ってはくれない」
医者の永室が言った。反対するのは、吉林も同じである。
「自分もそうです。今でも上司からの見合い話がどんどん来ているんです。と
きが来るまでそれを断わり続けると、将来のことに響きかねません」
「夏子さん。今、この場で、心に決めた相手の名前をおっしゃてもらう訳には
いきませんか? これは警察の仕事じゃないとは思うんですが……」
「でも、鳥丸さん。こう言っては何ですが、私が決めた人が、ひょっとしたら
殺人犯なのかもしれませんのよ、私の父を殺した。そんな状況のままで、口に
するなんてこと、できません」
夏子の反応は、至極当然だった。
「女としての気持ち、分かります。そうなりますと、元に戻って、私が犯人を
捕らえるのが最重要となりますね。きっとこの休暇中に犯人を確定することを
誓います」
鳥丸は宣言し、長い髪を揺らした。
「これから個別にお話を伺いたいと思います。ご自分の部屋で待機するようお
願いします。待っている間、勝手な行動は慎んでください。最初はそうですね、
夏子さんからにします」
「まず、あなたの父上の部屋についてです。目についてなくなった物はありま
せんでしたか?」
「ええ……。なかったと思います」
考えるように首を傾げ、ゆっくりと答えた時森夏子。顔色はまだ悪いが、気
分は持ち直したらしい。
「譲さんが封書なり何なりの形であなたの相手について記すということを、い
つ知りましたか?」
「今日、初めて聞かされました。でも、それは大したことじゃないと思います
わ。私は初め、父の言葉に従うつもりでしたから」
――続く