#4634/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/10/31 1:54 (199)
そばにいるだけで 29−8 寺嶋公香
★内容
彼の横顔を見つめていると、嬉しくなってくる。嬉しさが深くなる。
「使い終わったら、締め忘れんなよ!」
つま先の向きを換え、歩き出すと、純子はハンカチで手を拭くのもすっかり
忘れて――ほとんど乾いていたが――、相羽に話しかける。
「小さい子思いなんだね、相羽君。何だか感激しちゃった」
「大げさな。体験から来てるだけだよ」
相羽の台詞は事実なのだろうけど、謙遜に聞こえた。
と、そこへ、二年生女子に招集をかけるアナウンスが響く。
「さ、縄跳び、頑張りなよ」
「もっちろん。一日の内に二度も自分が原因で負けるのは、嫌だもん。頑張る」
純子は左腕で力こぶを作るポーズをすると、ポニーテールを翻して先に駆け
出した。
* *
応援席に戻る道すがら、相羽は呼び止められた。同時に、不安がよぎる。
「戻らなくちゃいけないんですが」
「少しぐらいいいだろう」
不安の原因である声の主は紅畑先生。そりが合わないこと以上に、大きな理
由があった。疑惑と言い換えてもよい。
「ここの運動会を初めて見させてもらったんだが、いやはや、面白いね。一年
生が笑い担当かな。仮装やゼスチャー――」
「何が言いたいんですか?」
「去年、君はどんな仮装をしたのか、ちょっと気になるな。さぞかしユニーク
だったことだろう」
「……話がそれだけなら、失礼します」
きびすを返そうとした相羽。その先に回り込む紅畑先生。
「待ちなさい。本題はこれからだよ」
物腰こそ柔らかだが、命令調の響きを含んでいる。
相羽は意を決した。
「何でしょうか、先生」
「今日、君の親御さんは来られているかな?」
「……答えなければいけませんか」
「おや、今日はまたやけに反発するね。答えたくない理由でもあるのかい?」
「先生がそんなことを知りたがるわけを教えてくださるなら、答えますよ」
紅畑先生は顎に片手を当て、しばらく考える仕種を見せた。小さく肩をすく
めると、笑いながら答える。
「生徒を指導する立場にある者から、一言二言、お話をしようかと思っただけ
だよ。君の親御さんは君をどう育てられたか、学校での君のことをご存知なの
かどうか、とかね」
「僕だけ、ですか? 何故?」
「ふふん、決まってるだろう。はっきり言うなら、僕の基準に照らすと君は問
題児に映るんだ。枠からはみ出していて、扱いにくい。ユニークすぎる」
「教育論……と言っていいのかな。そういう話を先生とする気はありません。
少なくとも今は。僕の親ともしないでください」
何のためにこんな話をしているんだろう。相羽は浮かんだ疑問自体に嫌気が
差し、かぶりを降った。そこへ追い打ちをかけるように、相手の台詞が届く。
「そうは行かないよ。独創的なだけならまだしも、君は問題を実際に起こした」
「……どんな問題ですか」
「あれ。忘れたとか言うんじゃないだろうね。数週間前のことになるが、中学
生に似つかわしくない週刊誌を購入し、学校へ持って来たじゃないか」
「……すみませんが、もう一度、言ってください」
相羽は唇を噛みしめた。
「ん? よろしい、ずばりと言ってあげよう。――女性の裸の写真が載ってい
るようなエッチな週刊誌を買い、学校へ持ち込んだ。聞こえたかね?」
「そのこと、誰からお聞きになりましたか?」
「変なことを聞く奴だな」
大きな動作で首を捻る紅畑先生。
「ま、いい……君のクラス担任の先生、そう、小菅先生からだ」
「それを小菅先生の前で誓えますか」
「……おい。どういう意味だね、あぁ?」
多少なりとも、紅畑先生の顔色が変わったかもしれない。ただ、校舎が作る
影のせいで、判然としない。
「言葉通りの意味です。小菅先生を呼んできてもいいですよ」
「……君の言いたいことが分からないな。ひょっとしたら小菅先生じゃなく、
他の先生の口からだったかもしれん。しかしそれは大した問題じゃあるまい。
君がエッチな雑誌を持って来たことは、教職員の間でもちょっとした話題にな
っていたんだよ。あの真面目な子が……ってね」
「紅畑先生」
相羽は気が進まないながらも、視線を鋭くして相手を見据えた。と言っても、
先生の方が身長があるため、やや見上げる形になる。
気持ちの上で圧倒されたか、かすかではあるが戸惑ったように後ずさった紅
畑先生に、相羽は言葉を続けた。
「僕は、一ヶ月程度のことなら、黙ったままさよならにしたかったんです。少
し嫌な思い出は残るでしょうけど、こちらが反論したためにもっと嫌な思い出
を作りたくなんかなかったし。
でも、そちらからしつこく突っつくのであれば、そして先生が嘘をつくので
あれば、僕も見過ごせない。それに、他の学校で同じことをなさらないように、
ここで言っておくべきだと考えるようになりました」
「一丁前に、何を……」
「説明したくないな。先生の方から認めてほしいんです。それが、今できる最
もいい解決だと思うので」
「み、認める? 何のことやら」
「……あなたは先生をやりたくてやってるわけではないんですね。もう、僕に
も我慢の限度が来ました。きっぱり言わせていただきます。僕はやましい物な
んて持って来ていません」
「今さら言い訳するのかね」
紅畑先生の言葉は、どことなく強がっているように聞こえた。
かまわずに続ける相羽。許されるなら殴っていたかもしれない。現実には、
両拳に力を込めただけでこらえていた。
「僕自身が持って来てないなら、誰か別の人がやったということになります。
僕はこんな悪戯をした奴が誰なのか知りたくて、一つの嘘をつきました。期待
はしてなかったんですが、悪戯をした人は引っかかった」
「……」
「抜き打ちで持ち物検査が行われたあの朝、僕は『校則違反の物を持って来た』
と自己申告をした。そのあと、生徒指導室で小菅先生に渡したのは……何だと
思いますか、先生?」
「大人をからかうんじゃない。成人雑誌だ。決まっている」
体勢を立て直した。そんな風情でもって、紅畑先生は大声で言い切った。
相羽は唇をきつく噛むと、首を小さく振ってから答えた。
「違います。小菅先生に提出したのは、そういう雑誌ではありませんでした」
「……何を言っている?」
「僕はカード――トランプ一組を提出した。小菅先生もそれで納得されて、僕
が妙な雑誌を持っているなんて知らないまま、終わったんです。さあ、紅畑先
生。僕のことが先生方の間でどう話題になっていたのか、もう一度だけ言って
ください」
返事に窮した紅畑先生だが、短く歯ぎしりをすると、幾分早い口調で始めた。
「先生から聞いたんじゃなかったな。生徒の一人から聞いた。誰だか名前は知
らないが、お喋りしているのをたまたま聞いたんだよ。相羽君。君は、先生達
には黙っていても、友達には言っただろう?」
「いいえ、言っていません」
「……嘘をつくな」
「言っていません。友達に聞かれたときも、漫画とか何とか言って、本当のこ
とは打ち明けずじまいできましたから。――このあとも続けさせるんですか、
先生。あの朝、僕の机に入っていた物を正確に知っているのは、僕以外には悪
戯を仕掛けた人しかいない」
「もういい、くそ」
低い声で吐き捨てると、紅畑先生は頬の筋肉をわずかひきつらせつつ、相羽
から顔を背けた。そのままの姿勢で、彼の口から出て来た声は裏返っていた。
「やっぱりな。僕の目は正しかった。何て嫌な生徒なんだ」
「謝ってくれないんですか」
「悪かったな。出来心だ。君を困らせたくてやった。これで満足か?」
「どうして僕を嫌うんですか」
「……最初の授業のあと、君は僕をばかにしただろう。あれだ。あれが全てだ」
「待ってください、ばかになんかしてない」
生意気だ何だと言われることは覚悟していた相羽にも、これだけは予想外の
答だった。
「いや、あれは僕に対する侮辱だね。僕は常に生徒に言うことを聞かせてきた
んだ。刃向かってきたのは、君が最初で最後だ」
相羽が信じられない思いから言葉をなくしている合間にも、紅畑先生はぶつ
ぶつと何やら口走った。
それが不意にやむと、にやりと口元を歪めた。
「まあ、あれやこれやと理由を付けてみたが……一番は、君の目だよ、相羽君」
「……早く言ってください。クラスの応援ができなくなる」
無性に腹が立つ。それ以上に情けなくて、相羽はどうでもよい気がしてきた。
楽しいはずの体育祭に、こんなばかばかしい話なんか持ち込みたくないのに。
「その目が、兄貴のと似ているんだよ。僕の大嫌いな兄貴の目にそっくりだ」
効果を楽しむかのように言うと、紅畑は自嘲気味に笑みを浮かべた。
相羽が聞きたいことは、もう残っていなかった。
* *
体育祭は最後のプログラム、閉会式を迎えていた。
紅白戦の行方は紅組の勝ち。今年白組だった純子は、去年に続いて勝利の女
神には微笑んでもらえなかったらしい。
それはさておき、勝敗以上にみんなが気にしていることがあった。
フォークダンスである。全プログラム終了後の打上げ的な意味合いのこのイ
ベントは、今年初めて企画された。
そちらに意識が向くのだろうか、校長先生の締め括りの言葉を気もそぞろに
聞き流し、ざわついた雰囲気がほのかに漂う。
式辞が終わり、一旦解散となって、全校生徒で大まかな後片付けを始める。
「今年の生徒会はなかなか粋なことしてくれるね」
夕陽のオレンジ色の中、テントの鉄柱を運びながらも満足げにうなずくのは
唐沢。聞き手は、一緒に鉄柱を運ぶ相羽を除けば、同じ組の女子ばかり。両手
に花ならぬ、周りに花の状態だ。
体育倉庫まで到着し、荷物を置くと、
「林間学校のときと違って一クラスずつ輪になるのは惜しいが、新しい出会い
はなくても、親睦を深めるにはちょうどいい。――ね、すっずはらさん」
近くにいたから声を掛けた、そんな風な気易い調子で唐沢が純子の名を呼ぶ。
椅子を手にした純子が返事に窮していると、周囲の他の女子達−−唐沢ファ
ンが一斉に騒ぐ。まるで餌をねだる雛鳥。かしましくて鮮明には聞き取れない
が、主張している内容は皆同じのようで、「私とも深めて!」ってことらしい。
囲まれて身動き取れなくなった唐沢の横で、純子や富井、遠野らがぽかんと
していると、様子を見ていたのだろう、町田がやって来て後ろから押す。
「さあさ、早く行きましょ」
「芙美? 方向が……」
「いいからいいから、あっちは放っておいて」
町田のペースで遠回りして歩いていると、相羽が追い付いてきた。
「やれやれ、女の子を引き寄せる磁石みたいだ、唐沢ときたら」
「相羽君だってそうじゃないの」
間髪入れぬ町田の指摘に対し、相羽はぼんやりと見返した。
町田発言に顕著な反応を示したのは、むしろ他の女性陣。
「そんなことないだろー? 唐沢とは違うと思うけどな」
「人気じゃいい勝負でしょうよ、きっと。そだ、人気投票やってもいいかもね」
左の手の平を右拳でぽん。町田は唇の両端を上げ、弓なりにした。
純子と富井がおうむ返しに尋ねると、得意満面に拍車が掛かった。立てた人
差し指を振り振り、説明する町田。
「男子の人気投票。どれだけ人気あるか、相羽君に自覚してもらいましょうか。
で、ついでに、唐沢の奴に現実を認識してもらうと」
「何を言い出すかと思ったら」
その場にいる全員が、弛緩したように苦笑を浮かべる。
いや、違った。富井は乗り気のようだ。相羽には聞かれたくないのか、小さ
な声で純子ら女子だけに向かって言う。
「いいよね、それ。ライバルを完全にチェックできるかも」
「やるんだったら……文化祭に合わせてみるのも面白かろうて」
町田はどこまで本気なのか分からないが、とにかく普段に比べるとはしゃぎ
気味であった。
「ねえ、芙美。十組の男子の人気投票を、あなたが企画するわけ?」
純子の素朴な疑問。
町田は一瞬考えるように目を上に向け、じきに答えた。
「クラスが違うってのが問題あるなら、二年生全クラスを対象としますか。こ
れでも顔は広い方なんだからね」
これは本気みたいだわと感じたのは、純子だけであるまい。
「トップになった人には、何か賞品着けちゃおうかな」
町田の唐突な提案にみんなで話し込む間に、きっかけを作った相羽の姿は見
えなくなった。付き合いきれないと思ったのか、それともたまたま先に行って
しまったのかは、定かでない。
−−『そばにいるだけで 29』おわり