#4633/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/10/31 1:52 (200)
そばにいるだけで 29−7 寺嶋公香
★内容
「……ごめんなさい……」
右腕をさすりながら、純子は声を絞り出した。
今さら痛みのことを持ち出して言い訳できるはずもないが、誰かに察しても
らいたいという気持ちがあるのも確か。
「こんなこと言いたくないんだけれど」
白沼は純子の台詞に直接は反応せずに、唐沢の方を見て言った。
「途中まで勝っていたのに、負けたのは涼原さんのせいだわ。彼女はともかく、
私達三人は、勝負の約束はなかったことにしてもらいたいわね」
胸の奥がきりきり痛む。それでも、純子は何も言えない。
「そりゃあ、俺はそれでもかまわないが。勝負自体、ちゃらにしても」
唐沢が同意を求めるかのような目を、相羽達三人へ向けた。
しかし、立島ら二人がうなずくのに対して、相羽は拒否。
「四人のチームの勝負なんだから、誰それのせいで勝った負けたなんて言うの
はなしだよ」
「……確かにそれが正論だけれど」
言ったのが相羽だからか、白沼は物分かりよく首肯した。だが、完全に納得
したわけでもなさそうで、不満げに全身を揺すっている。
相羽は一度、唐沢達に目配せし、賛同を得てから改めて始めた。
「ま、こっちの願い事ってのを聞いてもらってからでも、いいんじゃないかな」
にっこりと笑ってから、相羽は考える風に顎に右手を当てる。
「調理部のこと、僕一人で決めてもいい?」
「え?」
相羽の唐突な台詞は、純子に向けられたもの。ふせ気味にしていた顔を起こ
し、純子は目をしばたたかせた。
相羽は純子からの返事を待たず、再び白沼へ。
「白沼さんは茶道部の部長になったんだったよね」
「ええ。それが?」
怪訝そうではあるが、どこか嬉しさや楽しさを感じているようでもある白沼。
ただ、純子に対して「怒っているのよ!」という態度を保とうとしているため、
素直に面に出せないでいる。
「たった今、思い付いた。文化祭のとき、調理部と茶道部と、共同で何かでき
たらいいなって。考えてみてほしい」
「……わ、分かったわ」
白沼が戸惑い混じりの返事をする横で、純子はほんのわずかだが、重荷を軽
減してもらったような気がしていた。相羽のおかげで。
応援席に戻ってからも、白沼への負い目はなかなか消えない。それ故、あか
らさまに相羽と話をするのは気が引けた。
(調理部のことで話がしたいのに。茶道部と一緒にやるなら、何ができるか)
相羽との会話を断念し、クラスにもう一人いる調理部部員−−富井に持ちか
ける。最初にあらましを聞いてもらった。
「へえ! そんな賭けをしてたのぉ!」
何故かしら楽しがる様子の富井。純子は恐る恐る、肝心要の点に触れ始めた。
「それでね、自分達の方が負けたから、言うことを聞かなきゃいけないんだけ
ど、早速相羽君から話があって……」
「うんうん」
「文化祭の出し物、茶道部と共同で何かやれないか、だって」
「……茶道部って」
富井の大きな目が一層開かれ、白沼のいる方角を見つめる。
「白沼さんのいる?」
「そ、そう。もう、急に言い出すから、私もびっくりした。こんな大事なこと、
事前に相談してくれなきゃ困るのよね、ほんとに」
「相羽君がやりたいって言ったの? 何でだろ?」
「私に言われても……困る」
純子が口ごもると、富井は席を離れて、相羽を連れて来た。調理部の話とい
う口実――部分的に真実であるが――を用いたらしい。
「何で茶道部なんかと……」
「同じ食べ物を扱う部だし、ちょうどいいと思って」
富井の不満たらたらの質問を、相羽は軽くいなした。
だけど、当然、これで納得する富井でもない。
「わざわざ一緒にやらなくたって、いいと思うんだけどなあ。去年も別々にや
ってうまく行ったんだしぃ」
「力を合わせたら、もっとうまく行くかも」
「そうじゃなくって」
焦れったげ地団駄を踏む富井。言いたいことをうまく言葉にできないもどか
しさに、四苦八苦している。
純子が助け船を出した。
「合同でやるのなら、こういう賭け事じゃなく、きちんと申し込むのが物の道
理ってやつじゃない?」
「……確かに。まあ、白状しますと……涼原さんが責められているのを、同じ
部の人間として黙って見てられなかったのが本当なんだけどな」
これには純子も黙り込む。代わって、詳しい事情を知らない富井が尋ねた。
「どういう意味、それぇ?」
「リレーで負けたのは涼原さんのせいだって言って、白沼さんが不機嫌になっ
てたからね。どうすれば怒りを鎮めてもらえるかを考えてたら、思い出した。
白沼さん、勝ったら僕を茶道部の手伝いに駆り出そうとしたがっていたんだ」
「何で知ってるのぉ、そんなことまで?」
「立ち聞き。聞くつもりなかったのに、聞こえてしまったっていう形だけどさ。
それで、白沼さんのその願いと似たような状況にしようと思ったら、二つの部
の合同でやろうって持ちかけるのが一番じゃないかなと」
「――ありがとう。助かった」
純子は最前の予感が的中していたことに戸惑いつつも、礼を述べた。
相羽は小さなうなずきを返して、表情を少しばかり曇らせる。
「さっき聞けなかったけど、大丈夫か? バトンを落としたときに、どこか」
「ううん、何ともない。調子悪くしたのはバトンを落としたときじゃなくて、
落とす前からだから。あは」
言うつもりなんてなかったのに、思わず口走ってしまった。相羽の気遣いに
触れて、もっと頼ってみたくなったのかもしれない。
「どういうこと?」
案の定、相羽は顔つきに険しさを増した。無論、富井だって心配から両手を
握り合わせている。
「何でもないんだから。ただ、藍ちゃんがね」
純子は努めて明るい調子で、ことの次第を話した。ただし、周囲の−−特に
白沼には聞こえぬ程度の小声で。
聞き終わったあとの相羽は何と言えばいいのか困り果てた様子で、ただ純子
を見つめた。でも、その態度だけで語っているも同然。「まったく……」とか
「言えばいいのに」とか。
相羽はため息をついて、ようやく口を開いた。
「保健室に行こう」
「そんな大げさな怪我じゃないわ。いい」
「いいことない。湿布だけでもしてもらいなよ。――富井さん、着いて行って
あげてくれないか」
「それはもちろんいいけど、純ちゃんが」
富井が上目遣いで困惑を露にしている。その様子を目の当たりにしたのと、
これ以上騒いで目立ちたくないのとで、純子は意を決した。
「分かったわ。分かったから、大げさにしないでよ。郁江、ありがとう。でも
一人で行けるから」
重かった腰を上げると同時に、相羽の表情の和らぐさまが手に取るように知
れた。
下された診断は打撲。治療は右の前腕を湿布するだけで済んだ。……という
話を純子本人から直接聞いた相羽は、先にも増してほっとしていた。
「だから、大したことないって言ったでしょ」
と胸を張る純子に、相羽は「はいはい、それぐらいで済んでよかった」と苦
笑混じりに答える。
「それで、このあと、出る種目が残ってるんじゃないのかい?」
「あ、そうだわ。集団競技が」
二年生女子の集団競技、縄跳びがあった。紅白に振り分けられたクラス単位
で女子全員が整列して縄跳びを一斉にスタート、より長く跳び続けられた組ほ
どよい点が与えられるというものだ。
「縄跳びなら、腕の怪我は関係ないか」
「ええ、不幸中の幸い。でも、なるべく見られたくないのよね、この包帯姿」
(リレーに負けたの、怪我のせいにしてるみたいで……何か嫌だ。それに藍ち
ゃんが見たら、気にするかもしれないし)
そんな理由があった。
「せいぜい、今の内だけでも大人しくしておこうっと」
自分の言葉通り、それからは大人しく見物していた。途中で椎名がやって来
て、随分と心配されたけれども。
体育祭はほんの少し遅れ気味に進行していった。
そして二年生女子の出る縄跳びまであと二つほどになったとき――じっとし
ていた身体が待ちくたびれたか、はたまた緊張感が湧き起こったのか、純子は
用を足しに校舎の方へと走った。
体育祭中は不審者の侵入を防ぐために、校舎には鍵が掛かっている。今日解
放されているトイレは一般客も使えるようにと、校舎に隣接する形の体育館外
付けの物のみである。
済ませた純子が水飲み場を兼ねた水道で手を洗おうとカランを捻ったところ、
背後で足音がした。
「あれ、相羽君? どうし……」
「――転んだ」
右肘を気にする様子だった相羽は、純子の声に面を起こすと、照れ笑いを浮
かべた。右の肘と膝が土で黒くなっている。かすかだが、血が滲んでいるよう
にも見えた。
「どうしたの? 何か走るような種目に出た?」
「出たと言うよりも、強制的に駆り出された」
動作を止めた純子に対し、相羽はその隣の蛇口にたどり着いた。
「借り物競走にあの子――椎名さんが出ててさ。僕を呼び付けるから何ごとか
と思ったら、『珍しい名前の人』だった。そんなに珍しいかな、『相羽』って」
笑いながらカランを回す相羽。勢いよく流れ出した水を肘、膝と当てていく。
純子はその様子を見守りながら、続けて聞いた。
「転んだってことは、恵ちゃんも?」
「いいや。最初に席を立とうとした瞬間に、椎名さんが腕を強く引っ張るから、
バランス崩してしまって、僕一人で転びました。格好悪いなぁ」
「なるほどねえ。そっか、借り物競走、さっきやってたんだ? 去年と順番が
違うの、忘れてたわ」
「純子ちゃんがいたら、きっと椎名さん、君を連れて行ったと思うな。『涼原』
だってかなり珍しいから」
「あは。いなくてよかったかも。転ばずに済んだわ」
純子もようやく手を洗い始めた。
相羽が汚れを落とすのに比べれば、短い時間で事足りる。二人が洗い終わっ
たのはほぼ同時だった。
カランをぎゅっと締めて、ポケットからハンカチを取り出しかけると、
「そんなにきつく締めない方がいいと思うよ」
という相羽の言葉が耳に届く。彼自身は確かにふんわり、緩く締めたようだ。
「何でよ。いい加減に締めて、ぽたぽた水が漏れたら、もったいないでしょ」
「それは……ちょうどいい。見てて」
肩越しに後ろを向く相羽。そちらを見ると、どこから来たのか、小学一年生
ぐらいの男の子と女の子の四人組が、危なっかしい足取りでやってくる姿が。
その勢いと泥だらけの両手からして、どうやら水道を目指しているものと推
測し、純子と相羽は左右に分かれて場を空けた。
他にも蛇口はあるのに、四人の子はさっき純子と相羽がそれぞれ使っていた
二つに縋り付いた。男女別に二人ずつ。
(見てて……って、何なのよ、一体?)
クエスチョンマークが頭の中を飛び交う。それでも純子は素直に、子供らの
行動を見守った。
「……か、かたい。開かない」
女の子の一人が、つらそうな口ぶりで言った。
先ほど自分が使っていた蛇口だと気付いた純子は、はっとした。
「俺に貸せよ」
隣の男の子が任せろとばかりに出て来たが、その子の力でも水は流れない。
「だぁ、だめだ、ちきしょ」
「こっちは開いたのにねー」
相羽が締めた方の蛇口からは、今や水が景気よく溢れていた。
「相羽君……」
純子はつぶやきつつ、相羽に視線を送った。
相羽は声に出しては答えず、「ね?」という風に小首を傾げると、おもむろ
に子供達に話しかけた。
「ごめんな。さっき、僕が強く締めすぎちゃったみたいだ。ほら、貸してご覧」
親しげな口調で呼び掛け、場所を空けてもらうと、相羽は手を伸ばしてカラ
ンの締まり具合を緩めた。あくまで緩めただけで、水が出るまでには至らない。
「これでよし。もう力を入れなくても大丈夫。やってみな」
最後にちょっぴり、挑発するような語調で告げる。
小さな子達は我先にと手を伸ばし、じきに一人の手が水を導き出した。回し
すぎて、しぶきが激しく散った。
「ありがと!」
舌足らずながら元気なお礼の言葉に、相羽のみならず、純子も思わず微笑ん
でいた。ただ、純子が微笑む対象は子供ではない。
(そっか。私……相羽君のこういうところが好きなんだ。やっと見つけたかも
しれない)
−−つづく