AWC そばにいるだけで 29−6   寺嶋公香


        
#4632/5495 長編
★タイトル (AZA     )  98/10/31   1:51  (200)
そばにいるだけで 29−6   寺嶋公香
★内容
 食べ終えるのを待っていたみたいに、純子を訪ねてきた者があった。それも、
椎名恵ではない。
「藍ちゃん、背が伸びてきたね」
 純子は久しぶりに会う藍ちゃんの頭の上に、手の平をかざした。
 椎名には悪いが、皆から離れて木陰に行く。少し前方にある鉄棒では、やは
り体育祭を見に来た小学生達が、前回りや後回りを飽きずに繰り返していた。
「私、嫌なんだよ、これ。早く伸び始めると、早く成長が止まっちゃうんだっ
て聞いたから」
 小学三年生になった藍ちゃんは、身体こそ細いが、なかなか活発な性格に育
っているようで、肌も相当に日焼けしていた。
「みんながみんな、そうなるとは限らないよ。普通に食べて、運動して、眠っ
ていたら、育ち方も普通になるから」
「ふうん。じゃ、涼原のおねえさん、胸は?」
 小さな子の視線を感じて、純子は肩をすくめた。
「こら。気にしていることを言うんじゃない。これでも育ってるんだからね。
 そんな話よりも、藍ちゃんは誰と来たの? お母さん?」
「違うよー。一人」
「一人って……友達は? 寂しくないの?」
「いいの。約束してたんだけど、喧嘩したから」
 首を強く振って、藍ちゃんは純子の上着の裾を引いた。
「おねえさんがいればいいんだもんね。遊んでよ、おねえさん。ちょっとでい
いから」
「そりゃあ少しなら時間あるけれど。喧嘩なんてよした方がいいわよ。どんな
ことがあったのか、私には分からないけど……一人だと楽しくないでしょ」
「……今は涼原のおねえさんがいるから」
「私がいなかったとき、面白かった? 一人で観ててもあんまり面白くなかっ
たと思うなあ」
 純子が語りかけると、藍ちゃんはしばしためらい、そしてうなずいた。
「……うん」
「だったら――。原因が何なのか知らない。でもね、つまんない意地を張り合
ってるんだったら、先に謝った方が格好いいよ。きっと、相手も謝るきっかけ
がほしいに違いないと思うの」
「おねえさんは、いっつも先に謝るの?」
「うーん」
 真っ直ぐに問い返され、純子は頭に手をやった。
「譲れることと絶対に譲れないことって、あるもんね。だから、いつも先に謝
るのは無理。お互いが悪いと思えるときは、早くすっきりさせたいから、先に
頭を下げてるつもりよ」
 純子の返答に、藍ちゃんは考える仕種を見せた。しばらくしてから、思い切
ったように口を開く。
「……多分、私も相手も悪いから……先に謝ってみようかな」
「それがいいよ、きっとね」
 純子はそう言ってから、多少なりとも気恥ずかしくなる。
(偉そうなこと言えるほど、私は大人じゃないのに)
 考えていて、ふと顔を上げると、藍ちゃんの姿が見当たらない。やや焦りつ
つ、左右に目を走らせる。と、手近の木の枝にその小さな身体を見つけた。
「ど、どうしたの、いきなり?」
「高いところ、好きなんだよー。ここからなら運動場、よく見えるし。風が気
持ちいいから、頭を冷やすの。かっかしちゃってた」
「それはいいけど、危なくない?」
 純子が気を揉んでいる合間にも、藍ちゃんは跨っていた枝に足をかけ、とう
とう立ち上がってしまった。無論、手で上の枝を掴んでバランスを取っている。
「しっかり持ってるのよ。放したら、ほんとに危ない……」
「危なくないよ。こんなの、へっちゃら−−」
 皆まで言い終わらぬ内に、藍ちゃんは足を滑らせた。小さな身体が大きく、
急激に傾く。
 危ない!という純子の叫びは声にならず、代わりに身体が動いた。
 足は地面を蹴り、木の下に可能な限り近付く。同時に精一杯、腕を伸ばす。
 目の前を影が通り抜け、次の瞬間、右腕に重量が掛かった。
「うわっ」
 純子は思わず呻いたが、予想していた痛みは感じない。しっかりと藍ちゃん
を抱きしめ、背を丸くして根元へ滑り込む。
 停まった。
 二人だけが大騒ぎをしていて、近くの人達は誰もこちらに気付いていないら
しかった。
「藍ちゃんっ?」
 顔を覗き込むと、小刻みに震える藍ちゃんの、不安げな様子が伝わってきた。
「よし、大丈夫だから。もう平気。どこも怪我していないよね」
「う、うん」
 こくこくとうなずく藍ちゃんだが、その動きはまだ震えの延長のよう。
 純子は手から力を抜くと、藍ちゃんをこちらに向かせた。
「本当に、どこも痛くない?」
「……痛くない」
「そう。よかった」
 頭を撫でてあげようとして、純子は右手に痛みを初めて自覚した。でも、大
したことないと思い、そのまま肘を伸ばす。
「おねえさん……」
「ん?」
 目を伏せてしまった子へ、微笑みながら首を横に傾ける。
「なあに、藍ちゃん?」
「怒ってるんでしょう? 勝手なことしたから……言うこと聞かないで……」
「怒ってるわよ。でもね、今はそれよりもほっとしてる」
 努めて穏やかな口調で、純子は答えた。
 藍ちゃんが横目をして、見やってくる。
「だって、何ともなかったんだもん。よかった。あとは、藍ちゃんが反省して
くれたら、言うことなしよ」
「反省する……から、許してくれる?」
 府に面を起こし、見上げてきた。
 もちろん、純子は強く首肯してみせた。そして立ち上がると、藍ちゃんも手
を引いて立たせる。
「反省の他にもう一つ。友達と仲直りするのも忘れないようにね」
「あ、うん、それは分かってる」
「よかった。さ。私はもう行かなくちゃ。藍ちゃん、席に戻ったら大人しくし
てるのよ」
「うん」
「あ、私を応援するんだったら、思い切り騒いでいいからね」
 笑みを投げかけると、純子は後退しながら片手を振った。
「涼原のおねえさん……頑張って!」
 藍ちゃんの声援に、改めて強く手を振る。それからくるっと背を向け、小走
りに。
 が、しばらく行き、藍ちゃんから見えない位置まで来ると速度を落とした。
右肘辺りを押さえる。
「いたた……」
 どこが痛みの源なのか、まだ分からない。痺れたような感覚があって、鈍痛
が続いているようだ。
(自分の方が無事じゃなかったみたい。で、でも、これぐらい)
 気を取り直すと、純子は真っ直ぐ前を見て、再び駆け出した。リレーの開始
予定時刻は、一年生の仮装行列のあとだ。
(少しでも冷やした方がいいかしら……)
 水道のあるグラウンド隅へと足を向ける。

 スタート前から、白沼の張り切りぶりはよく伝わってきた。闘志が炎となっ
て目に見えると表現しては大げさだろうけど、他を威圧するような雰囲気を醸
し出しているのは確か。普段は華やかさを振りまくタイプなのに、今ばかりは
うつむき加減になって精神集中を図っている。
「あのね、白沼さん」
「何?」
 きつい口調で問い返され、純子は少し身を引いた。
「男子の方が一着になったんだから、どんなに頑張っても引き分け……」
 そうなのだ。二年十組の男子は前評判通り、圧倒的な速さを見せつけ、他を
大きく引き離しての一位を獲得していた。つまり、男子側の負けはなくなった。
「負けるのは嫌よ」
 きっぱりとした口調の白沼。相羽に願いを聞いてもらう望みは絶たれたとい
うのにこの気合いの入りよう。純子には不思議だった。
「特に、あの唐沢君には。勝ち誇られるのを想像するだけで、頭痛くなるわ」
 白沼の内面では、どうやら新たな目標ができたらしい。
(参ったわ。腕はまだ痛いけど、頑張らないと)
 問題の右腕をさすり、具合を診る純子。
 そうこうする内に順番が回ってきた。二年生女子のクラス対抗リレーが始ま
る。チームを成す四人は第一、第三走者と第二、第四走者の二人ずつに別れ、
所定の位置に散った。
 ウォーミングアップは済ませてあるが、緊張をほぐすため、軽いストレッチ
やダッシュ、股上げなどをする子も多い。
(みんな、真剣だな。ようし、自分も気持ちを換えなきゃ。余計なことは考え
ず、勝つために走ろう)
 落ち着くために、深呼吸。それに合わせて伸びをする際、後ろに反らせた右
腕が少し、痛みを発した。熱も持っているかもしれない……。

           *           *

 スタート直後からトップを確保した十組女子チームに、グラウンドの真ん中
で座って見ていた相羽達男子チームの面々も声を上げた。
「おおー、頑張ってますな」
 唐沢は片手で庇を作り、展開を目で追っている。先にレースを終えており、
余裕に満ちた風情があった。
「この調子で行けば向こうも一着。勝負は引き分けか」
 何となくほっとしながら、相羽はぼそぼそとつぶやいていた。
「なあ、勝ってたら何を頼む気だった?」
 相羽の問いに、立島は答えなかった。
 見れば、第三走者で前田が走っている。クラスが異なるとは言っても、立島
の本心では前田を応援したいだろう。
(やれやれ。立島は前田さんのチームと勝負したかったかもな)
 などと考えた相羽は、わずかばかり羨ましくもなった。
 と、そのとき、唐沢の「あ」という短い叫びが上がる。
「どうし――」
 尋ねながらも自ら視線を走らせる相羽。彼の目に入ったのは、バトンを受け
取り損なって、出遅れた純子の姿。地面に転がる紫色のバトンを、今、やっと
拾い上げたところだ。言うまでもなく二位に着けていたチームに抜かれ、逆に
差を広げられている。そればかりか、三位にも追い付かれかねない様相である。
「おいおい」
 信じられないという響きで、唐沢がつぶやく。相羽は背中の汗が風にさらさ
れ、身体から急速に熱を奪われていくのを感じた。
「純子ちゃん、しっかりしろ!」
 気づいたときには叫び、立ち上がっていた。それが合図というわけでもない
だろうが、唐沢達チームメイトは無論のこと、他のクラスの男子らも立ち上が
り、それぞれ声援を飛ばす。
「頑張れっ」
「巻き返し、行ける!」
 相羽達の声が届いたのか、純子は髪をなびかせ、必死の追い上げを見せる。
二位の座をキープし、前方との距離を詰めていく。あと一メートルもない。
「行けっ!」
 しかし、ゴールまで残り少ない。
 最終コーナーに差し掛かった。
 純子のスピードはいまいち加速しない。腕の振りのバランスがよくなく、コ
ーナリングでの減速が極端だ。
 結局――最後の直線で巻き返したが、純子達ははなの差の二位に甘んじた。
「……あーあ。こりゃ、洒落にならなくなったかもしんねえ。まじいな」
 勝負を提案した唐沢自身、呆気に取られているようだった。
(こんなことになるなんて……分かってたら、わざとでも何でも、一着なんて
取らなかったのに)
 相羽も内心、どうしようもない後悔をしていた。

           *           *

 退場門を出てからも、純子は白沼と視線を合わせることができないでいた。
(負け……)
 レース終了後からずっと、心にどんよりと雲が垂れ込めている。
 言葉を交わすことなく、ぞろぞろと応援席の方に向かっていると、先を行っ
ていた男子らが駆け寄ってきた。
「よ。残念だったな」
 努めて明るくしたような声で、唐沢が口火を切る。
 でも、気まずさは取り除かれない。少しの間、沈黙が続いた。
「何を暗くなってんだよ。たかがお遊びだぜ」
「たかがお遊びでも、負けたくなかったの」
 白沼の声の調子は冷たいと言うよりも、疲れ切ったようなところがあった。
事実、ため息を「はあ」とついて、
「あんな負け方するなんて、思ってもみなかったわ」
 と純子を横目で見やってきた。

−−つづく




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