#4624/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/10/31 1:39 (200)
思い込みの完全 7 永山
★内容 16/09/16 05:17 修正 第2版
穴とクローゼットをそれぞれの手を使って示す飛井田。それらの位置関係は、
ちょうど九十度角をなす壁にそれぞれが沿っている具合だ。穴から鍵を普通に
投げ込んでも、クローゼットの後ろ側には落ちない。
谷中は思索げに顎へ右手をやり、時間を取る。そしておもむろに口を開いた。
「多分、糸状の物を使ったんだろう。犯人はこの家を出る前に、あの穴からそ
ちらのクローゼットの裏手まで、凧糸か何かを一本、ピンと張り渡したに違い
ない。鍵には四角い穴がある。そこに糸を通せば、ロープウェイのようにして
鍵をクローゼットの裏に送れるはずだ」
「糸が残るんでは」
「セロテープで固定したのだとすれば、外から強く引くことで回収できる。痕
跡は一切残らない訳だ」
自らの手で密室トリックを解明してみせた谷中。その狙いは、優越感を満た
すためという意味合いの他に、捜査への心理的効果も狙っていた。
(まさか犯人自身が、犯罪の仕掛けを警察に明かすなんて思いも寄るまい。こ
れが心理的障壁となって、警察は万一にも私を疑わないだろう)
思惑通りになることを念じる谷中の正面に、飛井田が立った。谷中の手を取
ると、快活な表情で見上げてきた。
「いやぁ、ありがとうございます。これですっきりしました。事件は半分がた
解決したも同然です。私の目に狂いはなかった。あなたに協力を求めて、本当
によかった」
谷中の両手を取り、上下に振る。
「私としても、お役に立てて嬉しい」
「犯人を捕まえた暁には、祝杯をご一緒したいですね」
飛井田の気味悪いくらいの笑顔に、谷中は静かにうなずいた。
(そうなると、酒を酌み交わすのは一生無理だな。ふふん)
捜査部屋に飛井田の姿を見つけた古村は、急いで駆け寄った。
「あ、飛井田さん。どこ行ってたんですか。こっちも忙しいんですから」
抗議口調は、落ち着き払った態度で座っている飛井田の手と言葉で遮られる。
「本命は谷中だ。本ボシと言ってもいい」
「は? 突然……何を根拠に」
自信みなぎる断定に、古村は戸惑った。自分の努力が否定されたようで、多
少なりともむっとしたが、飛井田に信頼を置いているだけに、理由を知りたい
気持ちが上回った。
果たして飛井田はあっさりと言った。
「やっこさん、ネクタイピンを持って行きやがった」
「分かるように言ってください」
「谷中の勤務していた大学のネクタイピンを手に入れて、現場の台所に置いた。
そのあと、奴を現場に呼んだんだよ。そしたら、こっそり取って懐に仕舞い込
んだ。私には一言もなし」
「そんなことしてたんですか。うん、確かにおかしいですね」
呆れつつも納得した古村。彼もまた自分の席に腰を下ろした。
「まだある。入山美憂の家を知っている節も窺えた。車の運転を谷中に任せき
りにしていたら、途中まですいすい走ってくれたよ」
「怪しいと言えば怪しいですけど、こうも考えられませんか? 谷中氏は入山
と付き合っており、それを隠したがっている」
両手の平を上に返し、疑問を呈した。
飛井田は全く逆の動きをした。芝居がかっている。
「じゃあ聞くがね、おまえさん。隠したがる理由は何だと思う?」
「ありがちですが、殺人事件に関わるのが面倒なんでしょう」
「すでに充分関わっていると言えないか?」
「いや、飛井田さんが仰るような意味の関わりでなく、容疑者扱いされてはた
まらないっていう……」
語尾が弱々しくなる古村。答える途中で自信がなくなってきた。自分の言っ
てる理屈が、どうも現実に即していないと知った歯がゆさがある。
それを見抜いたかのように、飛井田は笑った。
「少なくともここにいる刑事一人は、彼を容疑者扱いしているのを忘れてくれ
るなよ。だいたい、普通の付き合いなら我々が調べれば尻尾ぐらい掴めるはず
だろ。実際は、いくら洗っても出て来なかったんだから、普通の付き合いじゃ
ないさ。間違いない」
「普通じゃない付き合いって、たとえば何なんですか」
「砂田が、入山美憂は金回りがよかったと言ってたじゃないか」
バトンを手渡すかのごとく、古村を促した飛井田。
「要するに飛井田さんの考えは……入山美憂は谷中から金をせしめていたと?」
「当たりだ。あくまで想像だが、図式は合う。すっきりするだろ? どういう
理由で、谷中が入山に金をやっていたのかは分からんが、殺人の動機の火種が
存在していたのは容易に考えられる」
「入山の金の出所が谷中であるという確証がほしいですね」
「ああ。動機があるとなれば、そこから奴を崩せるかもしれない。何しろ、現
時点では、物理的にも心理的にも証拠に乏しいからな」
今日初めて弱気に、ため息混じりに言って、飛井田は腕組みをした。
お昼時はとうに過ぎているにも関わらず、学食内の椅子の半数は学生で占め
られていた。そんな中、飛井田達のような「見慣れぬ中年」は、目立って仕方
がないだろう。
「あの人は所詮、マスコミ人間でしたからねえ。教授にまでなったんだから、
そりゃ能力もあったんでしょうけど」
飛井田刑事に尋ねられ、韮澤伶市(にらさわれいいち)は鼻を鳴らした。髪
型や服装に工夫を凝らして若作りしているようだが、近くで見るとしわや染み
が目に着く。
「教職に情熱を持っている訳ではなかった、と」
古村の問い掛けに、韮澤は一度うなずいてから、訂正をした。遅い昼食はな
かなか進まない。
「教職にとどまらず、研究にも情熱を持っていなかったでしょう。地位を固め
るためだけの努力とでも言えばいいのか」
「谷中さんは、何で学校の先生なんかをやってたんですかね」
飛井田は質問したあと、ストローをグラスから抜いた。暖房が効いているの
でホットをやめて冷たい野菜ジュースにしてみたのだが、ちまちま飲んでいる
のが面倒臭くなった。
「昔聞いたところでは、あの人は新聞記者志望だったんです。しかも大手じゃ
ないとだめだというタイプ。どこにも引っかからなかったので、当時の指導教
官の勧めを受け、教職の道に入った。齢を重ねて、ひょんなことからテレビに
露出するようになって、かつての夢が膨らみ始めたんじゃないですか。コメン
テーターも世間に対して持論を発せられるという点で、新聞記者と相通じるも
のがあるような気がするじゃないですか」
「じゃあ、今こそ水を得た魚という訳だ、谷中さんは。教職時代は授業……講
義ですか、講義も熱心でなかったんですかね?」
「はあ。ま、ほどほど、そこそこっていう感じでしょう」
その辺りに興味はないよという風情で、プラスチック製のフォークを振る韮
澤。飛井田は質問を変えた。
「学生の間での評判は、いかがでした?」
「一、二回生には人気ありましたよ、多分ね。何せ、単位の取りやすい講座ば
かりだったから。ゼミ教官としてはどうだったかなあ? 人脈ある人だから、
就職先の世話についてはなかなかのケアをしていたようですが」
「学生との間でトラブルを起こしたようなことはなかったでしょうかね」
「ええ? そんなのは、さすがに聞いてません。彼は独身を通してましたから、
女学生相手に愚にも着かないことを言っては、笑わせていたそうですがね。こ
れはコミュニケーションの類でしょう」
「四、五年ほど前、誰か女学生と付き合っていた、なんてことはないですか?」
「まさか。若かりし頃ならいざ知らず、四、五年前じゃあ、年齢が違いすぎる」
「うーん、参りましたな」
言下に否定され、飛井田は唸った。
入山美憂の指導教官だった頃の谷中を知る人物数名に当たってきたが、殺人
の動機になりそうなつながりは見えてこない。
「お忙しいところをどうも」
礼を述べる間にも、思索に走る飛井田であった。
「入山を殺しましたね」
「久しぶりの対面で、とんだ挨拶だな」
谷中に動揺はなかった。と言っても、それは相手が事前に手紙をよこしてく
れたおかげだが。
「優秀な教え子を持って、私も嬉しいよ」
「ふん」
相手――出川優はレザーコートのポケットに両手を突っ込み、寒そうに首を
すくめていた。鼻を鳴らしたのは、本当に鼻がむず痒かったのかもしれない。
冬の夜空には雲がかかっていたが、雪を降らしそうな気配はない。
「こんな話、早く終わらせるに越したことはないですからね。率直に言うと、
金がいるんです。ご多分に漏れず、うちも不景気で今どき鉄なんて売れやしな
い。でかいくせして、給料のアップは雀の涙ってやつです。俺がギャンブル好
きなのは先生も知ってるでしょうが?」
「急に『先生』と来たか。学生時代も、君は人に取り入るのがうまかった」
当たり障りのない応対を繰り返しつつ、谷中はどうすべきかを必死に考えて
いた。
(夜の公園、人通りはゼロと見なしていい。さて)
本当の選択肢はいくつもあるだろう。
しかし、現在の谷中の脳裏には二つしかなかった。この場で殺すか、日を改
めて始末するか。
(かつての教え子が続けざまに死を迎える不自然さ……私にまた聞きに来るだ
ろうな、あの刑事。厄介だ。
しかし、入山を殺した犯人が出川であるように見せることができれば、全て
は丸く収まる。自殺の偽装工作が破綻した今、事件を決着させるにはこれが最
適だろう。
問題は、こいつをいつ殺すかだが……。自殺を装わなくてはなるまいから、
計画を練るべきか? それとも警戒されぬ内にさっさと片付けるべきか?)
結論を下すのは、出川がどこまで事態を把握しているか、見極めてからでも
遅くない。谷中は探るような視線を向けた。
「先生は先生ですよ。それよりか、応じてくれるのかどうか、返事を早く頼み
ます。寒くってたまらない」
出川は身体を小刻みに揺すりながら、口を開いた。苛ついているのか、冷気
のせいかは定かでない。
「無礼な君に尋ねるが、どんな証拠があって、そんな物言いをするのかね」
「入山本人から聞いてたんですよ、俺。金蔓を掴んでいるって。最初は分かり
ませんでしたがね、あいつの話を何度か聞く内にぴんと来ました。谷中先生だ
ろうって」
「空想じゃないか」
どこまでが真実なのか。谷中は相手の顔を見据えた。
あっけらかんとした口調で、出川が応じる。
「いいえ、違います。直に尋ねたら、彼女もあっさり認めた。だからこそ、こ
うして要求しているんじゃないですか」
「たとえそうだとしても、私が入山を殺した証拠にはならん。出川君、論理が
お粗末過ぎるぞ」
「では、警察に話します。興味を持ってくれると思いますがね。むしろ、新聞
社なんかのマスコミの方がいいでしょうかねえ」
「風聞による暴力は最も忌むべき行為の一つだ。確か、講義においても述べた
はずだが、君は忘れたか?」
「風聞が真実を暴くということもあった」
昔を思い出しかねないやり取りに、谷中は戸惑いと懐かしさをほんの少し覚
えた。だが、それらを上回って余りあるのが、恐れ。
「君の空想するような真実なんぞない。そもそも、正義に燃える人間が、金を
要求するのかね」
「臨機応変ってやつです」
「そんなこと言ってるが、出川君。どうせのっぴきならない借金でもあるのだ
ろう。もしや、かつてのゼミ仲間にも同様の戯言を吹っかけて回っているので
はないかね? 入山君の事件を悪用して、適当なことを――」
「冗談じゃない。それは間違いですよ、谷中先生。この耳で、しかと聞きまし
たからねえ」
打ち首スタイルに顔を突き出し、自らの右耳を引っ張って、にやりと唇の端
を上向きにする出川。身長は元生徒の方がある。
「私が金蔓だと入山君が言っていたとしても、彼女の発言が真実であるか否か、
君に判別できまい。証拠がない」
「確実な証拠なんてなくてもかまわないんですよ、こっちは。テレビで食って
る先生にとって、噂だけでもダメージは計り知れないでしょうが。まあ、僕は
真実だと思ってますし。下手な駆け引きはやめて、さっさと片付けませんか。
ほんの一千万足らずでいいんです」
「……こうまで長引くと、身体に悪い」
「はあ?」
「歳のせいか、私も寒さには弱くてね。話の続きは、私の家でどうだろう。よ
り詳しく」
「なるほど。先生も今現在は大金を身に着けてる訳じゃなし」
簡単に承知すると、先に歩き始めた出川。
あとに続きながら、谷中は相手の背中に尋ねた。
「今夜、私と会うことは誰かに話したかね?」
「誰も。恩師に突然会いに行く理由なんて、そうそう転がってないし、まさか、
脅迫まがいのことをしに行くなんて他言できないし。安心してください、口は
堅いから」
出川の明るい口調に、谷中は苦い表情をなした。それでも必死に策を探る。
(記憶がおぼろげだが……こいつは確か、私と同じインクジェットを使ってい
たと聞いている。賭けてみるか)
−−続く