#4623/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/10/31 1:37 (200)
思い込みの完全 6 永山
★内容
「それでもまあ、税金泥棒と言われない程度には、頑張ってますよ」
飛井田がVサインの形にした指で、ダッシュボードをこんと叩いた。
「どうにかこうにか、二人ぐらいに絞り込んだ段階でして。いざとなれば両方
とも引っ張るという手段もありますが、荒っぽいのは好かない」
信号が青に変わった。十字路を右折し、しばらく直進し、スピードがのって
きたところでたはたと気付いた谷中。
(こいつ……試しているのか?)
横目で助手席の飛井田を見た。刑事は相変わらず、厳つい顔をなるべく柔和
にして口を動かしている。
「飛井田さん、ちょっと」
「――あ? 何です?」
「入山君の住まいがどこにあるのか、ナビをしてくれないと」
「え? あれ、ご存知でない?」
「ああ。やり取りは葉書をもらうだけだった。住所までは記憶しとらんよ」
「そうですか。あ、でも、これまでの道は合っていますよ。これは偶然ですか
ね。いやあ、素晴らしい勘だ」
「喜んでいないで、ほら、次の角。どうするのか」
苛立ちを隠さず、谷中は鋭い声で聞いた。道が分からずにいらいらしている
のだと解釈されるだろうから、かまうまい。
数日ぶりに訪れた犯行現場は、谷中にとって気分のよい空間ではなかった。
「空気が淀んでいる気がする」
咳き込んでみせながら、心の平静を保とうと室内を挑み掛かる風に見渡す。思い出し
てはならない。ここには初めて来たんだと、自分を騙すのだ。
「他に住む人もいないので、管理者に頼んで現場保存を継続させてましてね。
窓を閉め切ってますから、空気も悪くなるんでしょう。これでも、冬だからま
だましな方ですよ」
「まあいい。慣れるさ。それより早く済ませようじゃないか。どんな問題があ
るんだね」
「公表してないことですが、実はですね」
飛井田は秘密めかすように言葉を途絶えさせ、部屋を横切るとクローゼット
の裏側を指差した。
「床のここんところに、鍵が落ちてました。この家の鍵です。合鍵−−と言う
かもう一本の方は、入山さんが身に着けていた」
「……それが?」
慎重に応対する谷中。ここで焦ってはいけない。声に出かかった禁句を、本
当に喉を鳴らして飲み込んだ。
「管理者の話によれば、渡した鍵は二つだけ。入山さんが鍵屋に新しく作らせ
た様子はない。なのに、入山さんの死が発覚する直前まで、この家の鍵は全て
内側から掛けられていたらしいんです」
「つまり……この家全体が密閉状態にあったというのか」
「はい。外から鍵を掛けることは不可能なんです」
「じゃあ、やはり自殺だったんじゃないのかね?」
ほくそ笑みそうになるのを押さえ、常識的な応対をする。
「いえいえ、他殺の線はもう譲れません。問題の遺書らしき物を書いたのは、
すぐそばに添えてあった鉛筆ではないと判明しましてね」
「ほう……そんなことまで分かるのか。硬さでも違っていたのかな」
動揺を隠し、谷中はいささか早い調子で聞いた。
「芯の種類は同じでした。ただし、筆圧や紙質から推定される文字の濃さと比
較して、実際に問題の遺書にあった文字は薄いんですよ。つまり、あの文章が
したためられてから相当の時間が経過しているものだと考えるのが自然。もち
ろん、かつて自殺を試みて遺書まで書いたが取りやめ、今またその遺書を持ち
出して自殺を決行したという可能性もゼロとは言えませんがね。普通、自殺を
思い止まったら、そのときの遺書なんて破り捨てるもんじゃないでしょうか。
そうしないと、生きる気力ってのが湧かないと思う」
「……ふむ」
反論の道を封殺され、谷中は曖昧に首肯するしかなかった。しばらく思案げ
に右手を振って時間を稼ぐ。しかし、刑事の言葉を否定する理屈は見出せない
まま終わった。話題を戻す。
「他殺と決まったのなら、どうしてここが密室状態だったのかな」
「お、谷中さん、密室なんて言葉を使うんですねえ。推理小説がお好きですか」
「い、いや、愛読する訳じゃないが。これぐらいは君、一般的な用語だろう」
「そうですか。うちの古株には、密室と聞いたら男女の秘め事ばかり想像する
のがいますよ。推理小説嫌いで、わざと言ってるのかもしれませんが。ははは」
「問題は密室の謎だ、飛井田さん。何故、今まで話してくれなかったんだ」
「一つには、鍵の存在の確認に手間取ったからです。我々にとって、密室と来
れば合鍵ですからな。三本目の鍵の存在が否定され、初めて、これは厄介だと
慌て出しまして」
「何にしても、解かねばならん」
分かった風に静かに言った谷中。飛井田が食い付く。
「そこでお知恵を拝借したいんですよ。私は頭が固くて、いくら絞っても真っ
暗闇のまま、解決の糸口さえ見つけられない」
「犯人を捕まえて、白状させればいい……と言いたいところだが、それはでき
ないんだな?」
「ええ。捜査状況が芳しくないばかりか、私ゃ、荒っぽいことは苦手なもので」
頭をかく飛井田。口元は笑っているが、目つきは鋭いままだ。
谷中は考えねばならなかった。
(くそっ、自殺のまま片が付くと信じて疑わなかったが、雲行きが怪しいな。
もはや、偽装の意味はなくなったらしい。誰か他人に罪をなすり付けるのなら、
ここで密室を解明すべきかもしれん。しかし、すらすらと喋っては、自分に容
疑が向く……。今は様子見をすべき)
「とにかく、状況を教えてもらわないと、何とも言えない。家の中を見て回っ
ていいかね」
「ご自由にどうぞ」
大げさに両腕を広げ、飛井田は壁際に身を寄せた。
谷中は周囲を見渡してから、まず勝手口に向かった。
「言うまでもなく、出入り口となり得る場所の鍵は、ドアも窓も全て施錠され
ていました」
飛井田の注釈に、黙ってうなずく谷中。背中を向けた体勢だったから、刑事
から見えたかどうかは定かでない。
「勝手口の鍵は玄関の物と同じだそうです。実際に確かめました」
「なるほど。窓は二重ロックとかいうやつですな。中央のボタンを押し込まな
いと回らない」
「はい。外からの施錠は無理でしょうなあ」
「抜け穴なんて物は、ないだろうね?」
子細に調べるふりをしてから、谷中はおもむろに振り返った。
「抜け穴ですか。人が通れるような物はありませんが、小さい穴でよければ、
換気扇や通風口などが」
部屋の上片隅を指差す飛井田。言う通り、丸く穿たれた穴に格子型をした肌
色の機具が取り付けてある。ただ、それらは全て内側から閉じられているよう
だ。
「通風口の蓋は、外からは閉じられるのかね」
「いえ、無理でしょう。室内にあるつまみ。ほら、その出っ張りですよ。それ
を捻ることで開閉できます。もっとも、それが外から開閉できたって、何の役
にも立ちません」
「そうか?」
谷中は思わずほくそ笑んだ。やはりこの刑事は能なしだ。与し易し――そう
踏んだのだ。
優越感から、谷中は密室作成のヒントを出してみたくなった。その気持ちを
押さえつけることはかなわず、咀嚼が充分でないまま口走った。
「何らかの穴があれば、鍵を外から室内に送り込むことができるかもしれない」
「え、どういう意味で?」
「つまり、だな。犯人は入山君の鍵を奪って、玄関なり勝手口なりの鍵を掛け、
その後、家の外から穴を通して室内へ鍵を落とし込んだ。こういう方法がある
んじゃないのかということだ。気が付かなかったのかね」
「はっはーん。なるほどねえ。そういうのもあるんですなあ。ううーん、全く
想像もできなかった」
腕組みをし、感心することしきりの飛井田。
谷中はせいぜい、真顔を保つのに苦労した。
「換気扇はどうだろう」
つぶやき、台所に向かう。通り一遍に観察したポーズを取り、「換気扇もだ
めだ。外からカバーが掛かっている」と聞こえよがしにはっきり口にした。
「他に穴と言えば……」
首を巡らせた刹那、流し台の奥、一段高くなった箇所に、意識を釘付けにさ
れる谷中。
きれいに洗ってあるガラスの空き瓶が、ぽつんと放置されている。岩海苔か
何かの瓶詰めを再利用した物に違いない。
問題はその中。見覚えのあるネクタイピンが一つある。濃い緑色と赤を使っ
た、稲妻を模したデザイン。かつて勤めていた大学の校章も丸く入っている。
(まさか、私の……?)
荒い鼻息をしてしまいそうになる。
(いつ落としたのだろう? 入山を殺害した当日は、あのネクタイピンを使っ
たか? 違う。あのときは別の物を付けていった。よしんば、記憶違いだとし
ても、私は犯行後、身なりをチェックした。ネクタイピンを落としてはいない。
しかし……以前に入山を訪ねた際、落としたのかも……。それを入山が取っ
ておいたのか? 分からん。
とにかく、まずい。もしもあれに私の指紋が残っていたら、私の主張がぐら
つく。ここ数年、入山美憂とは葉書をもらう程度だったという話が、嘘だとば
れてしまう!)
谷中は怖々、後ろを盗み見た。飛井田刑事の動向は……?
客間にいる飛井田の姿を視認し、ほっと安堵する。
飛井田はぶらぶらと客間を歩き回りながら、「穴、穴、穴」と念仏でも唱え
るみたいに繰り返している。
チャンスだ。今しかないとばかり機敏に手を伸ばすと、谷中は問題のネクタ
イピンをつまみ上げようとした。
が、指先に引っかかったピンが抜け落ち、ガラス瓶の底に当たった。
「あー、見つからん!」
谷中は大声を張り上げた。音をごまかすためだ。刑事の注意を引いたとして
も、ガラス瓶やネクタイピンの存在は、谷中の背中で隠れて見えないはず。
「こっちもですよ」
飛井田の近付いてくる気配を感じた。
谷中は息を詰めることで逸る気持ちを押さえ、右手の人差し指と中指に神経
を集中させた。そして素早くネクタイピンをつまみ上げると、背広の内ポケッ
トに突っ込んだ。
「秘密の穴でもあるんですかねえ」
すぐ後ろに飛井田が来たときには、全て終えていた。
表情を作って唇を湿らせてから、ゼンマイ仕掛けの舞踏人形のごとく、実に
ゆっくりとした動きで向き直る。
「まさか。この時代に、からくり屋敷もないだろう」
「でしょうねえ」
ねっとりとした言い様に、嫌悪感を抱いた谷中。が、それは面に出さず、彼
にとってある重要事項について質問した。
「飛井田さん。この家の中を、警察は、どの程度捜索したんだろうか?」
「現場、つまり入山さんが亡くなった客間を中心、ざっと」
「隅から隅まで?」
「そう問われるとつらい。そこの客間には精を出しましたが、あとは怪しそう
な箇所を抜粋した具合ですかね。ごみ箱とか排水孔なんてのが、重要なんです
よ。あるいは床に落ちてる毛髪」
「そうか」
谷中は自らの坊主頭を一撫でして笑った。ほとんど無意識の内の行動である。
(ここにネクタイピンが置きっ放しということから考えても、警察は重要視し
ていないに違いない。よし、安泰だ)
一時的な恐慌が去ると、爽快感を覚えた。冷や汗を感じただけかもしれない
が、とにかく今の谷中は気分がよい。
再び、優越感が鎌首をもたげた。頭の中でそろばんを弾く。
「――あっ、あれはどうかな、飛井田さん」
客間の壁の一点を指差す。
「どこです?」
キッチンからでは距離があるため、二人して客間に戻った。
谷中が「ここだよ」と指し示したのは、アンテナとテレビを結ぶフィーダー
線を通すための穴だった。他にも複数本のコードが延びている。衛星による放
送も受信できるようにしてあるからだ。
「これは相当に大きい穴だ」
「ですが、コードが邪魔で鍵は通せんでしょう」
飛井田の言い分に、谷中はしょうがないなと言わんばかりに首を振った。
「あんたの立派な目玉で、よく見たまえ」
コードの行方を辿らせる。やがて飛井田は大げさな感嘆の息をついた。
「おや? ほほう、これはこれは。コードの内、ちゃんとつながっているのは
テレビの分だけだ」
「その通り。コードの垂れ具合から想像できたよ。一本を除いて残りはつなが
っていないとね。つまりだ、家の外からこの穴のコードを一時的に抜き取れば、
鍵を通すのに充分な空間ができる、違うかね?」
「多分、できるでしょうなあ」
「犯人は犯行後、鍵を使って玄関をロック。それからこの壁の裏に回り、私が
今言ったような作業を経て鍵を室内に戻したのだと思う。あとはコードを元の
ように押し込んでやればいい」
「ふーむ、さずがですな。だが、そこから鍵を放り込んだだけでは、クローゼ
ットと壁の間に転がりはしないんじゃないでしょうかね」
−−続く