#4622/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/10/31 1:35 (200)
思い込みの完全 5 永山
★内容
「事件を除いたら、何が思い浮かぶだろう?」
「――あっ、思い出した」
その叫びと同時に、電子音のチャイムが鳴り響く。二十分の休憩時間が終わ
りを告げているのだ。
「何を思い出した?」
席を立った砂田に、飛井田が忙しく尋ねる。
「二十日の夜なら、課題を仕上げるのに必死になってた! アパートの人が証
言してくれると思う! またあとでね、刑事のおじさん!」
かしましい砂田だったが、走り出した足がぴたりと止まった。肩越しに苦笑
いの表情をよこし、飛井田達に言った。
「課題を必死にやってたんだから、美憂さんも許してくれるかなあ?」
谷中はげんなりした顔を作ってから、飛井田と古村の二人と対面した。
「今度はお二人ですか。よいニュースかと思ったら、殺人事件に切り替わった
と言うし……失望した」
「まあ、そう性急になさらず」
飛井田は高い天井を見上げた。スタジオ内の気温は照明のせいか、快適を通
り越して上昇しているようだ。
「番組の方は、しばらくよろしいんですかね」
「ああ。三十分ばかり休憩だよ」
答えてから関係者に手で挨拶する谷中。その表情の変わりようは、役者の演
技練習を彷彿とさせる。多少、大げさではあるが。
谷中は刑事二人に向き直ると、しかめ面で告げた。
「刑事の訪問を受けたとあっては、体裁が悪い。場所を移したいんだが」
「もちろん、いいですよ。谷中さんにお任せします。局内の様子に詳しいのは
あなたの方だ」
谷中はスタジオから外れた廊下の一角に、飛井田らを連れ出した。紙コップ
に注ぐタイプの飲み物自販機が据えてあり、その隣には五人掛けの長椅子もあ
る。明かりに若干乏しいが、静かで、話をするにはうってつけだ。
「お疲れのところを申し上げにくいんですが、改めて……入山さんの件は殺人
として捜査本部が設置されました。どうしてそうなったかを、お話しする義務
があると思いまして」
「ぜひとも聞きたいね」
コーヒーの味は舌に苦かった。谷中は唇を湿した。
両隣に間隔を取って座った刑事達は何も飲まず、説明に入った。
飛井田の話によると、前回訪問時に伝えた食料買い込みの件と電灯の件に加
え、コンタクトレンズの装着状況がおかしいと判明したためだと言う。
「不審点が三つも出て来ますと、他殺の可能性を考えざるを得ないんですよ。
その点、ご理解いただきたい」
「理解どうこうの前に、遺書があったんじゃなかったのかね」
入山がコンタクトレンズを使い始めていたことなぞ、完全に想像の埒外であ
った谷中だが、ミスを犯した精神的衝撃はおくびにも出さず、自殺の証しであ
る「遺書」について指摘する。
「ああ、遺書に関しては、異論がありましてね。本当に遺書かどうか怪しいと。
ストレートな表現をしていないのは、まあ個人の自由でしょうが、音が整いす
ぎているところがどうも妙だと」
「では、一体……」
「あくまで可能性の話ですが、入山美憂が歌詞もしくは詩のつもりで書いた文
面ではないかというのが、我々の見解です。折り目が着いていた理由も説明で
きますしねえ。それを殺害犯が利用した訳ですよ」
飛井田の余裕たっぷりの物腰に引き続き、古村も軽い調子で付け加えてきた。
「もしそうでなくても、筆跡というのは練習さえすれば、いくらでも似せられ
るもんですよ。無論、筆圧や書き順などを精密に検査すれば、違いが明らかに
なりますけどね。要するに、現段階の捜査では、遺書を重要視してはいないん
です」
「殺人であるかどうかを見極めることこそ、大切だと言いたいんですな」
「警察の気構えを端的に表すなら、そうなりますか」
飛井田は薄く笑って、谷中を見据えてきた。何か質問してくるのかと待ちか
まえたが、一向に口を開く気配がない。しびれを切らし、谷中から仕掛けた。
「容疑者は挙がっているのだろうか? 気が早いかもしれんが」
「ええ、まあ、有力とはとても言えませんが、若干名」
「誰々なのか教えてほしいんだが、無理かね」
「うーん、さすがにねえ。どうしてお知りになりたいんでしょう?」
「音信は途絶えがちだったとは言え、教え子が殺されたんだ。それに、容疑者
の枠内にも私の教え子がいるかもしれないと思うと、気になってしまう」
「なるほど、お気持ちはよく。だが、あきらめてください。あらゆる意味で情
報を漏らす訳にはいかんのです」
へし口を作って押し黙る飛井田に、谷中は食い下がった。
「そこを何とか、簡単にでいいから。そうだ、私の他の教え子が関係してるか
どうかだけでも、話してくれんか」
「そう言われると弱いんですなあ、私は。いいですか、変に追及したり、調べ
たりはなしですよ」
「ああ、約束する」
「入山さんと同じゼミだった人から……話を伺ったとだけ申しておきましょう。
これで勘弁してください」
「……やむを得ないようですな」
つい、舌打ちをしてしまった谷中だったが、その音を咳払いでごまかす。
「それでは、私も疑われているのかどうか、これぐらいは教えてほしい」
紙コップを空にし、握り潰すと、近くの屑篭へ放った。乾いた音がした。
「今日伺ったのは、前回、結論が出たら報告するとお約束したからですよ。ひ
とまず、自殺の線は薄くなったという結論が出ましたんで、伝えたまで……。
余計なことでしたら、今後お邪魔はしません」
「……いや、よろしく頼むよ。殺人事件となると、行方が気になる」
「承知しました。我々としても、その方が助かります。谷中さんから意見をち
ょうだいできれば、心強いですからねえ」
「犯罪の専門家はあなた達だ」
首を横に振りつつも、内心ではほくそ笑む。自殺に見せかけての殺人は屋台
骨がぐらついたようだが、うまくすれば、警察の動きをコントロールできるか
もしれない。
「じゃあ、新しくお話しできるだけの情報が揃ったら、伺います。さて、古村
君、行くか」
「あ、はい」
飛井田の悠然とした態度とは好対照に、古村は慌てぶりも露に立ち上がった。
「えーと。出口はこちらでよろしいんですかね。テレビ局ってのは広くて困る」
「ええ。そこを曲がればすぐだ。捜査、頑張ってくださいよ」
刑事達が廊下の角を折れて見えなくなるのを待ってから、谷中はきびすを返
して歩き始めた。
と、その背中に先ほど聞いたばかりの声が掛かる。
「あのー、谷中さん! もう一つだけ!」
「……何だね、飛井田さん。そろそろ休憩が終わるんだが」
憮然としながらも立ち止まった谷中の前に、飛井田と古村が駆けて来る。
「いやはや、申し訳ない。あなたの話がうまいもんだから、つい聞きそびれて
しまったことがありました。時間もないでしょうから、こうなったらずばりお
聞きします。二十日の夜、そうですな、夜八時以降の谷中さんの行動をお聞か
せください」
「何だ、やはり私も容疑者の一人か」
「いえいえ、とんでもない。これは形だけ。報告しとかないと、上司がうるさ
いんですよ。私の上役ってのが、また嫌な奴で。でっぷりと太っているせいか、
デスクから離れようとしない。まあ、外回りしなくていい役職ですからそれで
もかまやしないんですがね。口うるさいんです。ちょっとしたことをあげつら
って、がみがみ、ねちねち。おまけにチューイングガムを長時間噛んでまして、
その音が癇に障る」
「ああ、分かった。あの日は……家にいたよ、確か。雑誌の連載コラムやら公
園用の演説原稿やら、片付けるべき仕事がたまっていたのでね。誰も訪ねて来
なかったし、執筆の邪魔になるから、電話もターミナルアダプタの電源を切っ
ておいた。証人はなしってやつだ。これでいいかね?」
「うーん、ま、仕方ないでしょうな。本当に、すみません。お手数を取らせま
して。お仕事、頑張ってください」
腰の低い飛井田に、谷中はわずかながら引っかかるものを感じた。じわり、
じありと足元をからめ取られるような。
が、不安な気分を打ち消し、「ああ」とだけ応じると、谷中はスタジオ目指
して歩き始めた。
「誰が本命か」
関係者のリストを眺めながら、飛井田はあくびをかみ殺した。人員不足が寝
不足につながっている。
「大甘に見て、動機がありそうなのは、入山美憂と付き合いのあった若島と出
川、小松の三人。砂田恵利香は被害者から結構な額の借金をしていましたが、
返済を迫られていた訳ではない、と」
「あのお嬢さんには見事にやられたよ。借金のことを一切出さずに、聞き込み
を乗り切ろうとするんだからな。まあ、アリバイ成立した連中は除外しよう。
砂田は住んでいるアパートで課題とやらに没頭していたのは間違いなかった。
小松は足の骨を折って動けなかった。この二人はもういいだろ。一方、若島の
主張には裏付けが全く得られなかったし、出川は肝心の時刻のアリバイが欠け
ている」
「二人に絞りますか」
「いや、もう一人、気になるのがいるんだ。谷中雷吾朗先生だ」
「谷中はアリバイの証明はないですけど、動機もないですよ」
不満を表明する古村だったが、飛井田は軽く一蹴。
「ちょっとな。引っかかった発言をしてくれたんでね、あの先生。入山美憂の
亡くなったときの状況を知っていた節が見受けられる」
と、理由の説明につなげる。
聞き終えた古村は、判断しがたいとの感想を漏らした。
「たったそれだけの根拠で、ですか? 偶然かもしれないじゃないですか」
「昔付き合ってたってだけで容疑者扱いするのと、どっこいどっこいだと思わ
ないか? まあ、それだけ我々の力不足なのかもしれんがね。ともかく谷中は
外せんよ」
「分かりました」
反対しても無意味だと分かっている。古村は伏し目がちながら、承知した。
「でも、谷中は飛井田警部にお任せします。人手が足りないんですから」
「いいとも。その方が動きやすい」
気易く請け負うと、飛井田はボールペンを使ってリストの内の三人に強く丸
を付けた。
刑事の三度目の訪問に、谷中は不快感を露にした。そう振る舞っても不自然
でないと判断したためだ。
「事件解決してないのに、よく顔が出せるものだ。感心させられたよ」
仕方なしに車を停め、リアウィンドウを下げて顔を覗かせる。駐車場は現在、
混雑模様になく、中途で停めても誰も文句を言わない。
飛井田は小走りでやって来た。そして谷中に対し、殊勝に頭を下げる。
「お恥ずかしい限りです。あのう、もうお仕事は終わりですか?」
「……今日の分は片付いた。これから帰るところだ」
素早く思慮し、正直に答えることにした。刑事が話に乗ってくるようなら、
捜査の進展具合を探ってやろうという魂胆だ。
「すみませんが、お話しする時間をいただけませんか。谷中先生のお知恵を拝
借したくて」
「『先生』はやめてくれ。薄気味悪いじゃないか」
「そりゃどうも。ですがね、谷中さんに頼りたくなるほど、事件の捜査がどん
詰まり状態なんですよ。ぜひとも、あなたのお考えを拝聴したいんです。だめ
ですかねえ?」
「ふん。乗りたまえ」
ドアロックを外す操作をしながら、助手席側を指差す谷中。
飛井田は申し訳なさそうに片手を後頭部へやり、ぺこぺこ礼をしながら助手
席側へと回った。
「お忙しいところを、本当にすみません。だけど――やれやれ。気持ちが少し
明るくなりましたよ。谷中さんのような方に協力してもらえると、もう大助か
り」
「いいから、さっさと話してくれないか。私に何を聞きたいんだ」
「それがですねえ、事件現場に行かないと説明しづらいことなんです。こうや
って乗せてもらった上に恐縮なんですが、これから現場へ向かうってのはどう
でしょうか」
「飛井田さん。あんた、最初から」
「うーん、まあ、少しは考えてましたよ。いいじゃないですか。だめならだめ
と、遠慮なく言ってください。私は即座に退散いたします」
笑みをなした飛井田。真の感情を押し隠した顔に見えなくもない。
谷中は警戒しながらも、相手の提案を受け入れるのが得策と考えた。
「あんたには負けるよ」
「どうもすみません」
車を再発進させると、駐車場を出て右に折れた。そのまま調子よく走らせる。
「飛井田さんは弱気な言い様をしているが、実際のところ、目星は着いている
のだろう? 私はそうにらんでいるのだがね」
「買い被りですなあ。私は足でかけずり回って、ちょっぴり脳みそを使うタイ
プでしてね。今度のような策を弄した事件とは、肌が合わないのかもしれない」
「そんなことはないんじゃないかな。脳の受け持ちを多くすればいいだけだ」
「簡単に言ってくれますなあ、いかにも元大学教授ですね。そう簡単に行けば
苦労しません」
赤信号に引っかかり、停止。スピードを上げれば通れたタイミングだったが、
刑事を乗せているだけに、無難なハンドルさばきに努める。
−−続く