AWC 思い込みの完全 8   永山


        
#4625/5495 長編
★タイトル (AZA     )  98/10/31   1:40  (181)
思い込みの完全 8   永山
★内容

 飛井田は耳から顎にかけてしきりに掻きながら、右手の中にあるA4用紙数
枚に目を落とした。
 二十字×二十行、きっちりとした体裁でプリントアウトされた文章に、自筆
署名はない。
「どれ……。『入山美憂を自殺に見せかけて殺したのは、私、出川優です。捜
査の手が身辺に及んでいることを感じ、また、死んだ彼女の怨念の影がちらつ
き、慚愧の年が』、おい、この字、間違ってるよな」
 飛井田は掻くのをやめ、紙を指差しながら古村に見せた。
「慚愧の『念』ですね。ワープロの誤変換を見落としたんでしょう」
「この世に別れを告げる一文を、随分せっかちに書き上げたんだな」
 まだ合点が行かない顔をし、再び顎に手を当てた飛井田。
「ま、それはおくとして、要するに罪の意識に絶えかねて、自殺したと言いた
いんだな。自首を選ばなかったのは何でだろうねえ」
「きっと、生き恥をさらすより、と考えるタイプの人間なんですよ、出川は」
「おまえさん、これで事件を終わりにしたいんだ?」
「だって、決まりでしょう。動機は恋愛感情のこじれだと述べてあるし、入山
美憂の家の密室についても説明してありますよ。それに、入山の遺書は彼女が
書いた詩だったとも」
「出川には確固たるアリバイもなかったしな」
「そうですよ。遺書の字体も、出川の自宅にあるプリンターによるものと同じ
だと分かりましたし。これで決着」
 ぽんぽんと手をはたいた古村の眼前で、大げさな動作で首を捻る飛井田。
「そこだよ。まず、ワープロの遺書ってのが気に入らん。入山を殺害した際に
は自筆文書を用意しておきながら、てめえが死ぬときはワープロ。しっくりこ
ないねえ」
「うーん……逆説的に、偽の遺書が自筆だったんで、自分のは本物だと示そう
として、ワープロにしたとか」
「ひねくれすぎだ、そりゃあ。天の邪鬼にもほどがある」
 古村の見解を一刀両断にすると、飛井田は右の人差し指を立てた。
「疑問点はまだある。何であんなところで自殺したのか。普段滅多に行きやし
なけりゃ、さしたる思い出がある訳でもない、殺風景な橋から線路にどすん。
最期にふさわしい場所とは、とてもとても」
「……自殺者の心理なんて、推測不能でしょう」
「逃げなさんな、古村君。いいことを教えてやる。現場の橋だがな、谷中の家
と、彼がよく出演する番組を撮ってるテレビ局とを結ぶ途上にある」
「そうなんですか? 偶然じゃないとしたら、意味ありげですが……」
「ひとまず、谷中のアリバイを調べてみなけりゃ、始まらないが」
「ちょ、ちょっと待ってください。谷中が犯人だと言うんですか? 出川を殺
す必要があります?」
 慌てふためく古村の前で、飛井田はお手上げの格好を取った。今さら何を言
ってるんだと呆れている風情がある。
「少なくとも、入山を殺したのは谷中だと思っている。私の中じゃあ、奴が本
命さね。出川殺しの方は動機も何も、これからだ。現時点でただ一つ言えるの
は、入山の件と裏で深くつながってる可能性が高いということ」
「『裏で』とは、つまり同一人物による犯行だと」
「くどいねえ、君も。もちろんだ。ここ数日の出川の行動を調べる。谷中と接
触を持たなかったかどうか、生前の入山、もしくは入山の遺族と連絡を取り合
っていたかどうか。その辺から何か出て来るかもしれんよ」
 気楽な調子で言うと、飛井田は自信ありげにうなずいた。

「またお邪魔します」
 のっそりと入ってきた飛井田刑事に、谷中は招き入れたことを後悔し始めた。
何とはなしに、嫌な予感がする。
「今日は、お仕事はよろしいんで?」
「ああ。だからこそ飛井田さん、あんたを上げたんだ」
 仕事が空いているのは事実だが、それ以上に、出川の事件がどう処理された
のかが気になる。歓迎したくない相手に笑顔で応じているのも、そのせいだ。
 応接間に通してから、ひとまず相手の出方を窺う。
「入山君の事件はどうなってるんだろうね?」
「ああ、本日はそれとは別の件でして。と言っても、関係はあるんですがね」
「もしや……出川君の」
 探るような口ぶりに努める谷中。先走ってはいけない。
「ご存知でしたか」
 飛井田は片目を薄く瞑り、ほっとした表情を垣間見せた。
 その反応をどう解釈すべきかを考えながら、谷中は応じる。
「無論だ。新聞に出ていたのを読んだ。大して詳しい記事ではなかったな。自
殺だそうだが」
「例によってと言えばいいんでしょうか、公表していないことがあります。事
件性を嗅ぎ取ったからなんですが……実は、出川は遺書で殺人を告白していま
した」
「殺人だと? 何だそれは。ああ、まさか」
「はい。入山さんを殺したのは自分だと、書いてありました」
「ふむ。信じられん」
「おや、谷中さんもそう思われますか」
「……『も』、とは何だ?」
 喉が渇く。
 飛井田の笑みが、気味悪く映った。
「私も信じちゃいません。出川が入山さんを殺したんじゃあないですね。ああ、
呼び捨てにするのは忍びないんですが、ま、捜査方針てやつで仕方ないんです」
「そうか……彼が犯人でないのなら結構なことだ。だが、根拠はあるのかね」
「ええ、ええ、そこなんですよ、今日、伺った目的は。おかしいと感じた点が
いくつかありまして、谷中さんならどう解釈されるんだろうと」
 飛井田はメモ用紙を取り出した。しわくちゃになっていたのを広げ、顔から
遠ざける。目を細めるのは、焦点を合わせようとしているためであろう。
「最初は身長です」
「しんちょう、と言うのは?」
「背の高さ。仮に出川が入山さんを殺したんだとすると、背が合わない。彼の
身長なら、入山さんの胸辺りに刺し傷ができるのが普通です」
「何だ、そんなことか」
 吐き捨てる口調の谷中は、心の中で安堵していた。
「自殺に見せかけたんだろう? 衝動的な殺人ではない。ならば当然、刺し傷
の位置も計算立ててやったんだ。そうに違いない」
「しかしですねえ、相手は生きて動いてる人間ですよ。そううまく刺せますか」
「意識を失わせればいいじゃないか。動いていなければ、刺すのは簡単だ」
「ああー、なるほど」
 ぽんと手を打つ飛井田。おかげでメモ用紙が乾いた音を立てた。
「睡眠薬みたいな物を飲ませる、いや、嗅がせれば、動けなくさせられますな。
これで一つ解決だ」
「まだあるのか。警察も暇なんだな。小さなことをほじくり返して、時間を無
駄にしてるとしか思えん」
「うーん、谷中さんともあろうお人の言葉とは思えませんなあ。人の生き死に
に関わってるんですよ。ましてや死人に口なし。出川が本当に入山さんを殺し
たのかどうか、徹底的に調べねば納得できんでしょう。特にご遺族はね」
「ふむ。そうだな。慎重に当たらねばならない。続けてくれたまえ」
「おかしいと思った第二点は、出川は入山さん宅の住所を知らなかったような
んです。住所録や葉書等を徹底的に調べたんですが、入山さんが引っ越した先
の住所がどこにも書かれてない。出川が犯人だとすると、入山さんの家に行っ
たんだから、知ってないと困る」
 言葉を切ると、飛井田は睨み上げるように谷中を見据えた。
 気圧されて思わず胸を反らせた谷中は、拳を口に当てると咳払いをした。
「まあ、よくもつまらんことを。いや、失礼。だが、私には何を悩んでいるか
不思議でしょうがないね」
「そうですか」
「いくらでも考えようがあるだろう。たとえばだ。入山君は出川君と別れたが
っていた。だから新しい住所を教えないでいた。しかし、事件の起こった日、
出川君は偶然にも入山君を見かけ、そのまま尾けた。入山君の家を確認した彼
は、押し入って、殺害に及んだ」
「おかしいなあ。だめです、そりゃあ」
「どこがだ?」
 むっとした気持ちを隠そうとしても、谷中の表情は不機嫌に歪んだ。眉間に
深いしわが刻まれている。
「あれー? 気付きませんか」
「分からんから聞いてるんだ。からかうつもりか」
「いえいえ、そんな滅相もない。お詫びします。ですが、実に簡単なことなん
ですがねえ。あなたの説を採ると、出川は衝動的に殺人をやらかしたってこと
になる。偽の遺書をいつ用意したんでしょうか?」
「うん? ああ……そうか」
 頭をつるりと撫で、歯噛みした谷中。軋む音が漏れ聞こえそうなほど強く。
 飛井田は得意そうに満面の笑みを作り、両腕を大きく広げた。
「偽の遺書自体は入山さんから何らかの形で詩でももらったことにすればいい
として、まさか出川がそいつを常備していたとは考えにくいですからね」
「では……事件の日よりも前に、出川君は入山君を見つけ、住所を確かめたの
だよ。そして計画を練り、別の日に殺人を実行した」
「それだと、新住所をメモした紙の一つでも見つかっていいんじゃないですか
ねえ。無論、殺人を行ってから処分したと考えられなくもないですが、そこま
でやるとしたら、犯行を悔いて自殺するなんて、全然噛み合わない気がする」
「……やはり、飛井田さんは専門家だ。私になんぞ、意見を求めるものでない」
 谷中は自嘲した。声がかすれかかっている。
「いや、まだ大問題が残ってるんです。ぜひとも聞いてほしい」
「聞くだけなら」
「結構です。大問題とは、出川が犯人でないとしたら、真犯人はいったいどこ
のどいつだ? これに尽きます」
「……分かるわけがない」
 小さくお手上げをした谷中。内心、刑事の言動の意味を考えながら。
「ま、これは我々の仕事です。ご無理を言って申し訳ない。ところで……」
 飛井田は室内をぐるりと見渡した。
「谷中さんはお一人ですか? ご結婚は?」
「独身貴族を気取ってる内に、年を食ってしまった」
「しかし、もてるでしょう? テレビに出てるんだから」
「はっ。そんな単純な図式じゃないよ」
 話題が事件から外れて、谷中は警戒心を解けた。表情が勝手に軟らかくなる。
「そうですか。では、炊事洗濯なんかはどうされてるんで」
「当然、自分でやってる。まあ、食事は、遅くなったときは、弁当を買ってき
て済ませるが」
「谷中さんのご自慢の料理は何です?」
「人に出すような物はないねえ。自分自身で食うからこそ、好き勝手できる」
「それでも包丁さばきなんかは、結構やるんじゃないですか。ちょっと見せて
くださいよ」
「な?」
 リラックスしていた谷中は、遂に笑い出してしまった。
「はっはっはっはっ。君は面白い男だな」
「はあ。見せていただけませんか?」
「やらんとは言わんが、見て楽しいかね? こんな中年が大根や人参を刻んで
いる姿を」
「実は、最近、料理に凝り出しましてね。と言っても、嫁さんのを手伝う程度
なんです。滅多に休みが取れないから、ちっとも進歩しない。いやあ、もう悔
しくて悔しくて。それで、他の男性がどれほどできるものか、見てみようと。
ま、そういう興味ですよ」
「ほう。人は見かけに寄らないと言うが、私や君は完全にその口だな。よし、
同好の士ということで、特別に見せよう」
 愉快になって、谷中は快諾した。刑事を連れてキッチンに向かうと、流し台
の下の扉を引いて、包丁を取り出した。
「飛井田さんもやってみるかね」
 二本目の柄を向けようとすると、飛井田はバイブレーターみたいに首をぶる
ぶると振った。
「谷中さんのお手並みを拝見して、対抗できそうだったら、やらしてもらいま
すよ」
 飛井田の遠慮ぶりが、谷中の上機嫌に拍車を掛けた。

−−続く




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