AWC 思い込みの完全 2   永山


        
#4619/5495 長編
★タイトル (AZA     )  98/10/31   1:31  (199)
思い込みの完全 2   永山
★内容
 スイッチをオフにした。暗くなった室内に、蛍光灯が光の残像を白くまとっ
て、ぼんやりと浮かぶように見える。
 谷中は静かな足取りで廊下を行き、玄関に着いた。靴を履いたあと、念のた
め、三和土に足跡が残っていないか、目を凝らす。
 安心するとドアを押し開け、できた隙間に身体を滑り込ませるようにして、
外へ出た。手で勢いをセーブしながら、そろりそろりと閉めた。そして鍵を取
り出し、施錠。鍵を引くと、油塗りたてのように鍵穴からするりと抜けた。
 玄関を離れ、一度アスファルト道に出ると、谷中は素早く家の裏手に回った。
仕上げをするために。

 野次馬の輪を割って入ってきたその男は、お世辞にも風采がよいとは言えな
かった。
「おはよう」
 キープアウトのテープをくぐる際、髪が触れて乱れた。もっとも、気にした
様子は微塵もない。寝癖が着いて二箇所ほど立っているのを見ても、ヘアスタ
イルに無頓着なのが窺える。
 男は玄関口に歩を進めた。青っぽいジャケットを引っかけた年若い同僚に手
を挙げ、声を掛ける。
「おはよう。冷えるね」
「おはようございます、飛井田(ひいだ)さん。そうですね」
「さて、具合はどうよ?」
 飛井田はスーツの上から大きめのコートを羽織り、それでも寒そうに首をす
くめている。おかげで、折角の中背が、ひがみっぽい小男のような印象になっ
ていた。上目遣いのどんぐりまなこ、軟式野球ボールを握りつぶしたような団
子っ鼻、がっしりしたあんこ型の肉体といったパーツが、拍車を掛ける。唯一、
唇は男にしては薄く、形がよい。それが何の得になるのか、甚だ疑問であるが。
「死んでいたのはここの家主、と言っても独り暮らしなんですが、入山美憂。
こんな字を書きます。二十六歳」
 手帳にある書き込みを示してから、若い方は淀みなく続ける。
「元銀行員で今フリーターとか」
「無職でこんな家に住んでるのかい。親が金持ちか?」
「まだ分かりません。僕も怪しいとは思いますが、これからの調査待ちですね。
他殺だとしたら間違いなく調べる価値ありなんでしょうが、現時点では何とも。
自殺の可能性も相当ありそうで」
「刃物を腹だか胸だかに突き立てて死んでいたそうだね。痛そうだなあ。きょ
うびの若い女性は、そういう痛い死に方を選ぶものなのかね。死に様だって、
決してきれいじゃないだろうに」
「ええ、絨毯に血だまりができてました。心臓をやっちゃったんだろうって話
です。だから刃物が残ったままでも、血がどくどく……ご覧になります?」
「あ、搬出まだなのか。見よう」
 屋内に入る二人。曇りがちの空の下、寒風が見えない渦を作った。
「こちらです。鑑識はあらかた済んだはず」
 客間らしき部屋へ直行。探すまでもなく遺体が目に着く。まだ凶器は刺さっ
た状態にあった。
「指紋と写真、終わってる?」
 鑑識課員から肯定の返事があった。
 飛井田はしかめ面をしてごく短い間立ちすくんだが、やおら腰を折って遺体
を覗き込む。特に手元を注視しているらしい。
「握り方は不自然さじゃないみたいだね」
「はあ。何が自然と言えるのか、知りませんけどね」
 苦笑はすぐに消えた。
「この包丁は被害者の持ち物?」
「多分、そう思われます。台所の流しを見れば、包丁を差しておく穴が一箇所、
空になってましたから」
「なるほどねえ」
 飛井田は遺体のそばを離れ、首を巡らせてから台所へ向かった。
 足元の収納スペースの戸を開け、確かめる。もう一度「なるほど」とつぶや
き、流し台の上や蛇口、コンロへと目を走らせた。
「透明なまな板とは変わっている。ガラスか? 私なんぞ見たこともない代物
だね」
「あ、それ、今流行りの抗菌まな板の一種で、しかも汚れ落ちがいいんですよ」
「ほう。君、詳しいな。料理が得意だっけか?」
「い、いえ。親しい人が同じ物を使っていまして、はい」
「親しい人か」
「そ、そう。テレビショッピングで見て、買ったんですよ。入山美憂もそうだ
ったんじゃないでしょうか」
「何を赤くなっている。必要があれば調べるさ」
 飛井田は台所を眺め渡しながら、質問を再開した。
「遺書はもう持って行った?」
「はい。文章ならここに写し取ってありますが」
「いや、それならいい。あとで見るよ。遺書があったのはどこ」
「テーブルの上です。そこの灰皿の下敷きに」
 機敏な動作でテーブルへと舞い戻る飛井田。コートの裾がばたばたと音を立
てた。
 しゃがみ込むと灰皿を指差した。ガラス製のそれは、角で光を反射していた。
「このことかい」
「ええ」
「吸い殻が全くないね。きれいなままだった訳だ」
「不思議じゃないでしょう。遺書を押さえる重石に使うんですから、きれいに
洗った物を」
 両腕を開く同僚に対し、飛井田も同じようにしてから肩をすくめた。
「いえいえ、気になるよ、二つほどね。一つは基本的なことだ。入山美憂は喫
煙者だったのか?」
「まだ判断できるような物は何もありませんね。でも、仮に煙草を吸わない人
でも、灰皿を持っていたっていいでしょう。付き合いのある男が吸うとか」
「ま、それが妥当な見方ではあるな。無論、確認は必要だ。さて、二つ目の気
になる点だが、何のために押さえたのか、だよ」
「は?」
「遺書を押さえておく理由が分からない。窓でも開けてたんなら、風で飛ばな
いようにってこともあるだろうが、今は冬。暖房をかけて閉め切っていただろ」
「警部は遺書の実物をご覧になっていないから、疑問に感じるんですよ。実物
には四つ折にしたときみたいな折り目が着いていて、そのままだと閉じてしま
うんです。開いた状態にしときたかったんでしょう」
「そいつは知らなかった。だが、おまえさん。それじゃあ疑問の解消にはなら
ないよ。折り目が着いたのは何故なんだろう? 遺書を一度折り畳んで、また
テーブルに広げる理由が分からない」
 飛井田の疑問のあと、しばらく静かになった。辺りは騒がしいのに、二人の
間で会話が途切れる。
「こういうのはどうでしょうか。入山美憂は遺書をしたためてから四つ折にし、
服のポケットにでも仕舞った。だが、自分が包丁での自殺を決意したことを思
い返し、遺書が血で汚れるのを避けるためポケットから取り出して、テーブル
に広げた」
「おお、理屈は通っているように見えるなあ」
 飛井田は感心した風に首を何度か縦に振った。が、その直後、目をぎょろつ
かせる。合点が行ってない信号だ。
「惜しむらくは、道理にかないすぎている点だ。それだけ冷静に考える余裕が
あるなら、自殺を思いとどまってもいいじゃないか。私なら絶対にそうするね」
「飛井田さんはそもそも自殺なんて、つゆとも考えないタイプでしょう」
「そりゃそうだが、将来、絶対にないとは言い切れんよ。いやいや、こんな話
をしてるときじゃない」
 クローゼットと台所を交互に見やった飛井田。少し迷うように片手を顎に当
てていたが、やがて再び台所へ。
「君はそっちのタンスやテレビを頼む」
 と、クローゼットを指差しながら、自らは冷蔵庫の前に立った。独り暮らし
にふさわしく、ツードアの小型。表面がぴかぴかしていることから、使い始め
て間がない物らしいと思えた。
 両手にはめた手袋の口を順に改めて引くと、飛井田は冷蔵庫の扉を開けた。
 その途端に、素っ頓狂な声を上げる。
「何だい、こりゃ。ちょっと来てごらん」
 クローゼットの中を覗き込んでいた同僚は、軽く舌打ちしてから向かった。
「何ですか、いきなり」
「ほら」
 冷蔵庫の前から退いて、中が見えるようにする飛井田。
 橙色の光にぼんやり照らされ、刺身や豚の小間切れ、牛乳パックにチョコレー
ト菓子、生卵は六個パック、チーズ、レタス等々がコンパクトに配されている
のが見えた。割にぎっしり詰まっている。
「これが一体……。秘密めいた物が隠されてたんですか?」
「牛乳の日付が昨日になってる。刺身や肉も同様だ」
 指摘を受けてそれぞれ手に取った同僚は、飛井田の言が正しいことを知った。
それが何を意味するのかぴんと来ず、首を捻る。
「まあ、独り暮らしにしては多いかもしれませんが、個人の自由でしょう」
「自殺する人間がこんな物を買ってどうするんだい。死を覚悟したなら、最後
の晩餐以外、不要じゃないかな」
「ああっ。しかし、衝動的な自殺ってのもありますから」
「否定はしないよ。だが、衝動的に思い付き、遺書を書く余裕を持てる人間て
のはなかなかいまい。大したたまだ」
「はあ、はい」
「私は自殺以外の線を調べるよ。上にはうまく言っといてくれ」
 急に宣言した飛井田に、同僚は飛び付いた。
「ま、待ってくださいよ。単独行動はなるべく控えないと。それに、捜査方針
だってまだ決まってないんだから。そのあとでも遅くないでしょう」
「自殺と判断された瞬間に、手を放れちまう。今の内に動いときたいんだ」
 整然と言い返され、言葉を詰まらせる同僚を後目に、飛井田は室内捜索を続
行した。

 谷中には玄関先に立つ男が、どうしても刑事に見えなかった。漠然と、日雇
労働者のイメージが浮かぶ。そうでなければ大工の棟梁か、寿司屋の頑固親父
だ。
「飛井田と申します」
 馬鹿丁寧にお辞儀をし、見上げてくる飛井田。つられて谷中も礼をした。
「谷中です」
「そんな名乗っていただかなくても、存じ上げています。私のような人間でも、
谷中さんの名前を知っていますよ。それほどの有名人。お会いできて光栄です」
「どうも。ありがたいのだが、それよりも今日は何の御用ですかな」
 当然、警戒しているものの、自尊心をくすぐられて悪い気分ではない。
「電話で伝えました通り、入山美憂さんが亡くなられた件で」
「悪いんだがねえ、えっと、飛井田さん。私はその入山某を知らないんだ。正
確に言えば覚えていない、とすべきなんだが」
 あらかじめ用意していた台詞を口にする。我ながらすらすら言えたと、谷中
は満足だった。
「入山さんはかつて、あなたが大学教授をなさっていたとき、指導を受けてい
るのですが」
「そこなんだが……ああ、立ち話も失礼でしたな。お上がりください。やもめ
暮らしのむさ苦しい小屋だがご勘弁願いましょう」
 応接間へ案内して、椅子を勧める。腰を落ち着けた飛井田に、軽い調子で聞
いた。
「こういう場合、お茶を出してもいいものなのかな。まさか賄賂に当たる?」
「おかまいなく。だいたい、この一件は自殺の線が非常に濃厚でして、私は参
考までに訪問させていただいてるだけです。入山さんのアドレス帳を元に」
「そうですか。ならば、時間はあまり掛からないと」
「うーん、状況次第ですが、十五分程度を見てもらえると助かります」
「分かりました。知っている範囲でお話ししましょう」
 大股で革張りのソファの前に立ち、どっかと腰を落とす。
 谷中は訪問者との間にある木のテーブルに目を落とし、唇を嘗めた。
「さあっ、何でもどうぞ」
「では早速。まず確認ですが、入山さんとは彼女の卒業来、一切接触していま
せんか」
「ああ、まあね。年賀状が来たり、ひょっとしたら電話を受けたりしたことも
あったかもしれないが、しかと記憶に残ってはいないな。いや、ちょうどタレ
ント活動が忙しくなり出した時期だったのでね。最後の方はゼミの学生と言え
ども、顔と名前、それに学年がごちゃごちゃになって、区別つかんのだ」
「そうですか。じゃあ、彼女が自ら死を選ぶような理由なんて、思い当たりま
せんよねえ?」
「ううん、申し訳ないが、さっぱり。遺書はあったのですか。新聞にも詳細は
なかったようだが」
「遺書はありました。理由らしきこともちゃんと。生きるのに疲れたとか、こ
んな生活は自分が夢見ていたものじゃないとか」
「……ひょっとして、入山某は銀行で働いていたんじゃあ?」
 いかにもたった今思い出した風を装い、谷中は利き手を前にかざした。
 飛井田は口を丸くし、続いて大きくうなずいた。
「その通りです。思い出されましたか」
「なに、何年前か忘れたが、年賀状だか暑中見舞いだかで、勤め先の銀行に合
併話が持ち上がり、その余波を受けて整理されてしまったと窮状を訴えていた
子がいたのを、ふっと思い出して。その葉書にも『疲れた』『予定が狂った』
『夢破れ』なんて言葉が連ねてありましたよ。だから」
「なるほど。まさしくそれです。入山さんはフリーター生活を送ってましたよ」
「フリーターね。便利な言葉だ」

−−続く




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