AWC 思い込みの完全 1   永山


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#4618/5495 長編
★タイトル (AZA     )  98/10/31   1:29  (200)
思い込みの完全 1   永山
★内容                                         03/06/10 10:32 修正 第3版
 さして広くない室内には二人きり。蛍光灯が女の柔肌を青白く照らし出す。
「あ」
 ロッカーの前で、入山美憂(いりやまみう)は仕方なしに叫んだ。
「動かないで!」
「はい? ど、どうしたんですか」
 びくりと肩を震わせ、立ち止まったのは砂田恵利香(すなだえりか)。アル
バイトに入った時期はほぼ同じだが、年上の入山から鋭い声で言われると緊張
するものらしい。
「ごめん、コンタクト落としたっ」
「……美憂さんて、コンタクトだったんですか。知らなかった」
「のんきしてないで、一緒に探してちょうだいよ。踏んづけたら半額負担!」
「そんなあ」
「発見者には夕食おごるわよ」
 着替えるのを中断して、二人は床にひれ伏す姿勢を取り、目を凝らす。
 程なくして、コンタクトレンズは見つかった。着用時より視力の落ちた入山
を出し抜いて、砂田はご褒美に与ることになった。
「フランスでもイタリアでもいいわよ。中華は私が嫌いだからだめだけどね」
「大きく出ましたねえ。イタリアって、スパゲッティ専門店とかですか」
「馬鹿にするなー。今、リッチだから、本格的な店でも充分OK」
 コンタクトレンズの洗浄液を戻したばかりハンドバッグを、ぽんと叩く入山。
ロッカールームの外、親しくない人間に聞かれるのは嫌だから、声は小さめだ
ったが。
「本当に? でも、確かこの間、引っ越しが決まったって言って……物入りな
んじゃあ」
「平気平気。それを補って余りある」
「ふーん。美憂さんて、他にいい稼ぎ口があるんじゃないですか? 私にも紹
介してくださいよ」
「紹介できればしたげるけど、そういう種類のバイトじゃないから」
 前髪を気の済むまでいじってから、バッグを肩に。出発準備完了。
「ひょっとして、おみずですか?」
 眉を寄せ、気になってたまらない様子の砂田に対し、入山は微笑で応じた。
「違うわ。もっと効率のいい、楽なやつ」
「何か、やばい系っぽいですね」
「それ以上詮索するなら、おごるのやめようかな」
「待ってくださあい。もう言いませんから」
 先へ先へと行く入山を、砂田が慌てた風に追いかけてきた。
 彼女が横に並ぶのを待ってから問う。
「私の知ってる店でいいの?」

 暖房が効いているにも関わらず、谷中雷吾朗(やなからいごろう)は訳あっ
て手袋を脱がなかった。
 毛の先ほどの感慨を持って室内をざっと見渡し、相も変わらず寒々とした人
工的なことで、と思った。
 いくら客間とは言え、家主が若い女性にしては飾り付けがほとんどなく、イ
ンテリアとしては無粋な灰色のクローゼットが目に着く程度。テレビやビデオ、
ステレオといったAV機器を収めた台は、物持ち第一のような頑丈な造りをし
ていた。閉ざされたカーテンは薄い黄色のモノカラー。ちゃぶ台を白く塗った
風な軽い質感のテーブルの上から、蛍光灯が白光を落としている。
 自分の坊主頭もこの光を反射しているんだろうなと考えて、谷中はつい苦笑
しそうになった。
「助かったわ。これで当分は心配せずに暮らしていける」
 枚数を数え終わった入山美憂は、茶封筒の口に息を吹きかけた。一万円札の
束を戻すと立ち上がり、谷中に背を向ける。拍子に、丈の長いスカートが風を
起こした。
「先生のご商売が繁盛してくれて、ありがたいことよねえ」
 封筒ごとクローゼットの三段目の抽斗に丁寧に置く。抽斗が押し込まれると
き、現金という餌を喜ぶかのようにきききと音を立てた。
 唇の両端を吊り上げた笑みで、入山は振り返った。
「もっとも、谷中先生の収入が減ろうがどうなろうが、払ってもらいますから
ね。せいぜい今の人気を保ってくださいませ」
「心配してもらわなくて結構。私には学者よりも今の職の方が合っている。気
付くのが遅すぎたほどだよ」
 固い口調を自覚しつつ、笑みを返す谷中。その内心では、噛み潰された苦虫
の亡骸が山を築いていた。
 入山は立ったまま、少し意外そうに口をすぼめた。何ごとかを言いかけたよ
うにも見えたが、結局声は発さず、キッチンに向かった。
「いつも通り、乾杯してってくれるわね?」
「ふむ……今夜は、君がここに越して来てから初めての訪問だったな。君が望
むなら、応じよう。ただしアルコールはいらんよ」
 ため息混じりに答える谷中。相手の祝杯に付き合わされるのはもうこりごり
だったが、機嫌を損ねるのは賢明でない。
 台所を見やると、入山が流しの左サイドにある抽斗から、箱に入った刃物の
セットを出していた。蓋を開け、中から派手な花模様の包丁を選び取る。
「もちろん。飲酒運転で事故って、捕まったりしたら大変だわ。先生の商品価
値がなくなるのは、私にとっても大損害よ」
 何かを刻み始めたらしい。まな板を叩く包丁の音が小気味よく響く。入山に
は楽しいだろうが、谷中にの耳には凶暴なリズムとしか聞こえない。
「これからもずーっと、頼んだからね。ほんと、お金がないとだめなのよねえ。
私ってほら、買い物魔だから」
 後ろ姿だけを取れば、出来のいい若奥さんに見えないこともない。
 谷中は愚にもつかぬ感想を抱きながら、そっと立ち上がった。
「この間もねえ、テレビショッピングで」
 絨毯に靴下の布地が触れるのさえ意識し、慎重を期して近付く。気付かれて
はならない。可能な限り接近し、彼女が包丁を手放すのを待つのだ。
「抗菌まな板と穴あき――」
 客間から一歩踏み出すと、キッチンの床が鳴った。板張りだ。
 そのかすかな音をキャッチしたか、それとも気配を感じ取ったのか、入山が
肩越しに顔を向けてきた。
「聞いてる、先生?」
 入山の台詞を封じ込めるために、谷中は両手を伸ばした。左手で彼女の身体
を押さえつけ、右手で彼女の口と鼻を覆う。
「あ」
 ごく短い悲鳴が漏れたが、それだけだった。
 幸いにも、入山の手に包丁はない。半透明のまな板の上に、薬味ねぎととも
に置かれている。
 入山はかなりの力で暴れるが、標準男性をやや上回る体格かつ運動能力を有
す谷中にかなうはずもなかった。
 谷中は手袋越しに右の手の平が熱くなるのを感じた。もがく入山の荒い息が、
布を通して伝わってくる。谷中は手袋をさらに押し付けた。
 何分ぐらいそうしていたのか分からない。長くはなかった。
 ぐったりした入山の上半身を谷中は両腕で抱え、元の客間まで引っ張った。
クロロフォルムの効果に満足しつつ、自らの呼吸を整える。テーブルの横に寝
かせた入山を見下ろし、着衣の右ポケットからこの家の鍵を摘み取ると、自然
とにやりとした谷中。二本ある内、素気ない黒い長方形のキーホールダーに着
いた鍵を戻し、もう一本の裸の鍵を懐に仕舞う。腕時計で時刻を確かめ、また
にやりとした。
「まずは計画通り。ここからが肝心だ」
 大きく呼吸をして気合いを入れると、予定の作業に取りかかった。
 最初に足が向いたのは、テレビの前。その後ろの壁、やや上方の位置を通る
コードに用があるのだ。
「多過ぎるな」
 何本かのコードを、ビデオやらデコーダー等の機械本体から外す。まめに掃
除していたのか、それとも越して来て間もないせいか、埃がほとんど付着して
いないのはありがたかった。
 細工を終え、次はクローゼットへ向かう。渡したばかりの金を取り返した。
無論、封筒も一緒。しわになるのもかまわず、背広の内ポケットに強く突っ込
んだ。
 さらに自分の衣服をチェック。ボタンをちぎり取られたり、糸がほつれたり
していないことを充分に確認した。
 続いて、家中の戸締まりを見て回った。玄関を残し、全て内側から施錠され
ている。暖房を入れているのだから、それで当たり前だろう。
 しばし考慮してからキッチンへ足を向ける。まな板の上にあるのは薬味の他、
短冊形のままの刺身。
 このままにはしておけない。と言って、流しのゴミ入れに捨てる訳にいかず、
谷中自身が食べて始末するのもまずい。
 谷中は流し台に発泡スチロール製の容器を見つけると引き寄せ、魚の切り身
を戻した。手袋に汁が染みたようだが、これぐらいは問題あるまい。
 パッケージしてあったビニールも見つけ出し、元通りにしてから冷蔵庫の中
に入れた。パーシャル室にするか、普通の冷蔵室にするか迷ったが、後者を選
択した。ねぎの方は小皿に移し、ラップをかけてこれも冷蔵庫へ。
 まな板と包丁はよく洗う。ただし、水流は必要最小限にとどめた。余計な音
を立てて、万一にも隣近所に聞きとがめられるのは避けなくてはならない。
 まな板を立てかけてから、包丁をしげしげと見つめた。今風の若い女性の好
みか、柄は白地にフラワープリントという代物。しかし刃はしなやかで鋭い。
一センチ足らずの楕円形の穴が数箇所、規則正しく開けてある。鏡と化したそ
の表面が、谷中の今の顔つきを映した。緊張から来る心臓の高鳴りとは裏腹に、
谷中は笑っていた。
「落ち着いてやればいい」
 自身へ言い聞かせるようにつぶやく。それでもまだ完全に落ち着けてはいな
かったが、意は決した。
 谷中は包丁片手に客間へ引き返すと、数分後には凶器となるそれをテーブル
上へ置き、空いた手で入山の両脇下を抱えた。無理矢理正座の姿勢を取らせる
が、当然頽れてしまうので、左腕で支える。右手は包丁を掴んだ。
 入山にその包丁を逆手で握らせようとする。
 が、うまく行かない。片腕だけでやれる作業ではなさそうだ。
 時間を無駄にできない。谷中は一旦、入山の身体を放り出すと、両手を使っ
て彼女に包丁を握らせた。
 無論、意識のない人間が包丁を掴み続けられはしない。谷中が手を添えるこ
とで、どうにか保たれるのだ。
 谷中は息を乱していたが、疲れは覚えていなかった。入山の身体に再度、正
座の格好をさせると、包丁の切っ先を服の上からあてがう。何度か軽くつつく
ようにし、ようようのことで場所を定めた。
「ここでいいはず」
 谷中は左手で入山の口を覆い隠すと、彼女の右手の上から同じ右手を使って
強く握る。何故か二人羽織を思い出した。
「成仏しろよ」
 早口で言って、あとは勇気を振り絞った。
 ――知らない内に目を瞑っていた。
 次に目を開けたとき、深々と突き刺さる包丁が見えた。
 心臓を直撃したはずだ。想像していたよりは、血は飛び散らない。でも、入
山の衣服をじわじわと浸食する赤が確認できる。
 その瞬間、吐き気が起こったが、すぐに自分を取り戻すと、計画に従って入
山の絶命を待つ。
 刺した位置が的確だったか、入山は騒がないどころか、ぴくりともしない。
 脈を取っていると、弱まりつつあった血流がやがて消えた。その変化が指先
を通して実感されたことに、谷中は肩を震わせた。
「よっこらせ」
 年寄りじみたかけ声に合わせ、入山の姿勢を整える。前傾させて、バランス
を取る。別に横たわっていてもかまわないのだが、正座をして胸に包丁を突き
立てている方が、覚悟の自殺らしく見えるだろう。
 最終的には、テーブルに額を当てる形で収まりが着いた。
 血糊で手袋が汚れたため、交換した。予備にあと二組、同じ手袋を用意して
きていたのだ。言うまでもないが、使用済みの物も持ち帰る。
 そうして、胸ポケットから白い紙片を取り出す。四つ折にしたそれを広げて、
テーブルに置いた。折り方が強かったためか、自然と畳まれそうになるのを見
て、谷中は押さえつける物を探した。ガラス製の灰皿があったので、文鎮の代
わりとする。ついでとばかり、電話横にあったメモパッドからBの鉛筆をつま
み上げ、紙片に添えた。入山は鉛筆にしろシャープペンシルにしろ、芯の硬さ
はBに限るというこだわりの持ち主だった。よく覚えている。
 殺害計画を立てるに当たって、自殺に見せかけようという気になったのは、
この紙片を入手したことが大きい。何しろ、入山の方から自筆の「遺書」をよ
こしてくれたのだから、谷中にとって渡りに船であった。
 入山本人には「遺書」なんてつもり、これっぽっちもなかったに違いない。
彼女が紙片にしたためた一連の文章は、詩であった。「疲れた」だの「死」だ
の「安らぎ」だの、ともすれば自殺を連想させる単語が随所に出て来る、陳腐
な歌詞のような内容だった。
(ずる賢い面がありながら、子供っぽい愚かさも持つ女だった。私がいくらマ
スコミとの結び付きが強くても、おまえのような素人の下手な詩を売り込んで
やれる訳がない。馬鹿げてる。まあ、その馬鹿さ加減が私に幸いしたんだがね)
 頭の中でひとしきりののしり、最後に感謝を少々付け加える谷中。満足の笑
いが大声になりそうなのを、すんでのところで我慢した。
 鉛筆の先が程よく丸くなっているのを確かめ、
「よし。万全だ」
 低く言って、谷中は手をはたいた。
 遺体を一瞥してみた。赤い色が今も広がっているのを気味悪く感じ、視線を
即座に逸らす。
 部屋の端に立つと電灯のスイッチに手を掛け、終わりの言葉を投げた。
「せめて安らかに眠りたまえ、入山君」

−−続く





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