#4595/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/ 9/21 12:43 (184)
そばにいるだけで 27−3 寺嶋公香
★内容
「オードリー=ヘップバーンは文句なしに素敵だと思う」
「なぁに? 誰?」
ぱちくりと音が聞こえてきそうなほどに、目を見開く白沼。
相羽の方は、わずかばかり落胆した。
「銀幕の妖精と呼ばれた人。知らない?」
「ひょっとして、凄く昔の人なのね」
指差してきた白沼に、うなずいて答える。
「まあ、旧い女優だけど、史上に残るヒロインだよ。『ローマの休日』や『テ
ィファニーで朝食を』、他にもたくさんの映画に出ている」
相羽の返答に、白沼は満足しなかったらしい。髪先をいじって、いらだたし
げにする。やがて無理に抑えたような調子で、再度質問してきた。
「今の人に限れば、誰が好みのタイプなのかしら」
「あのさ、白沼さん。聞いてどうするの?」
「もっちろん、合わせるわよ。私にちょっとは興味持ってくれるよう期待して」
「そんなことされても……」
「無駄って?」
台詞とは裏腹に、笑みをなす白沼。その表情を崩さぬまま、話題を換えてき
た。
「ところで相羽君。もう一人の方にも当然、お見舞いに行ったんでしょうね?」
「……涼原さんは同じ班だったし、自分にも責任あるからね」
「ふうん。義務みたいな言い方するんだ。じゃ、私をお見舞いしてくれたのは、
何か理由があるのかしら」
「肝試しで一緒の予定だったじゃないか」
「――なるほどね」
白沼は負けたとでも言いたげに左右の腕を開き、手の平を天井に向ける。
「ねえ、相羽君。さっき挙げた映画って、ソフトになってるんでしょ?」
「うん。レンタルショップにもある」
「今度観ましょうよ、私の家で一緒に」
「ええ?」
腕を絡めてきそうな素振りを見せた白沼に、相羽は身構えた。
白沼は相変わらず笑みを絶やさず、話をどんどん進める。
「うちにあるのよ、大型のプロジェクター。映画館と同じとまでは言えないけ
どね、それでも迫力あるんだから。いいでしょう?」
「……興味はあるけど……」
断る理由を探したけれども、簡単には見つけられなかった。
「ママやパパも一度会いたいって言ってるのよ、あなたに。だからさあ、つい
でに食事も」
「そこまでは遠慮する。気が引けるというか居心地悪いよ」
この辺できっぱり言っておかないと。相羽は白沼を初めてまともに見返した。
「遠慮なんかしなくていいの。だって、こちらからお願いして、会いたいって
言ってるのよ」
「気持ちだけ受け取っておく」
「……じゃあ、別の機会にね。段々と親しくなって、時機が来たら、ね」
「な、何でそうなるんだよー」
呆気に取られた相羽の眼前で、白沼は当たり前のように微笑する。
「いきなりお食事に同席なんて、無理があるわよね、やっぱり。それだったら、
少しずつお互いのことを知って、こぎ着ければいい。
――そうだわ! 私のところ、夏にはいつも別荘に行ってるの。今年はもう
難しいでしょうけれど、来年、一緒に行きましょうよ。涼しいんだから。テニ
スやサイクリングなんかをして、楽しく過ごせるわ」
「……」
結局、映画を観ることだけは約束させられた相羽だった。
* *
相羽信一は手をキーボードから離し、時計を見た。文書を保存すると、電源
を落とす。
(こんなに経ったか?)
椅子から腰を浮かし、閉めていたカーテンの端っこを親指と人差し指、中指
で摘んでめくると、外を見下ろした。家々の明かりが点々と白く灯っている。
「遅くなるとは聞かされていたけれど」
独り言を口走って、息を長く吐いた。同時にカーテンを戻す。
部屋が静かだと思ったら、音楽をかけるのさえ忘れていた。
そのことに気付き、机を離れてプレーヤーに向かおうとしたが、途中で足が
止まる。
(晩御飯が終わってから二時間半……。休憩しようっと)
宿題と小説書きとで、ほとんどずっと机に向かいっ放しだった。
ふと思い出して、タイマー録画がうまく行ったかどうか、念のため確めてお
こうと決めた。
特に好きでもないのだが、『天使は青ざめた』のチェックをするための録画
だ。
(純子ちゃんが観てるんだから、いつでも話を合わせられるように)
というのが理由の一つ。もう一つ、純子出演のコマーシャルが確実に流れる
というのもある。
純子とはしばらく会っていない。休みに入ったせいもあるけれど、以前お見
舞いに行ったときのハプニングのおかげで、足が遠のいているのだ。気まずさ
と恥ずかしさが、顔を赤くさせる。
テレビの前に来て、設定ミスも機械トラブルもなかったことを確認し、ひと
安心する。観るのは暇なとき、主に日曜日だ。
(どうしようかな。ひとっ走りして来てもいいんだけど、母さんと入れ違いに
なるのは嫌だし)
母親が帰ってくる前に、部屋の明かりを消したくなかった。
遅くにランニングに行くこと自体、好ましく思われていなかったし、結局、
出るのはやめた。
冷やしてあった紅茶を蓋付きのピッチャーからグラスに注ぎ、一口だけ飲ん
で食卓に着くと、信一はテレビのスイッチを入れた。チャンネルをニュースに
合わせる。
この時間にやっているニュース番組は、キャスターの喋りが肌に合わないの
で滅多に見ない。
ただ、今は何となく。万々が一、何かの事件・事故が起こって母親が巻き込
まれていたとしたら……という考えたくない悪い予感を消し去るために。
しばらく画面を見つめて、緊急のニュースはないなと判断した信一。自然と
安堵した。こんなときばかりは、キャスターの無神経なジョークも笑って聞き
流せる。
他の番組に切り換えようと、新聞を取り上げた。がさがさと紙の擦れる音に
重なって、玄関の方が騒がしくなった。
「――母さん、お帰りなさい」
抑えた口調で言いながら、信一は廊下に飛び出した。
「……ただいま」
靴の残り片方を脱ぐところだった母は、顔を上げてそう言うと、少しバラン
スを崩して壁に手を着く。
「母さん?」
ろれつの回りきっていない母の物腰に、信一はいつもと違う感覚を受け、駆
け寄った。お酒の匂いがした。
「酔ってるの? ねえ、車は?」
玄関口の電灯は、オレンジ色の柔らかな光を落とす。だから顔を見ても、酔
っているかどうか分からない。
「心配しなさんな。置いてきたから。タクシーよ」
息子がそばに来て意識が鮮明になったのか、母親の口調がいつものそれに近
くなる。しかし、スリッパを履いて羽目板に踏み出した足取りは、いささか頼
りなかった。
信一は無言のまま、母の身体に手を添えて支える。
「遅くなってごめんなさい。少し……疲れてしまって」
「いいよ。それよりしっかり歩いて。すぐ横になるのっ?」
「いいえ」
ゆるゆると首を振る母。髪の毛が若干、乱れていた。
「お水を」
それを聞き、食卓に向かう信一。
母親を椅子に座らせると、「水でいい? 冷たい紅茶もあるよ」と声を大き
くして尋ねる。少し間が空いて、「紅茶にするわ」と返事があった。
紅茶を用意し、テーブルに置くと、腕枕に頭をうずめていた母親はゆっくり
と上半身を起こした。まだ意識はしっかりしているらしいと見て取り、信一は
ほっとする。
両手を使って髪をなで上げ、グラスの中身を半分ばかり喉を鳴らして飲む母。
人心地着いた様子で、深いため息をついた。
「――ありがとう」
「何かあったの」
テレビのスイッチをオフにして、聞くことに専心する。年に一回あるかない
かの事態に、わけを問わずにはいられない。
「信一は心配しなくていいのよ」
おざなりの答を返した母は、グラスを両方の手の平で包み、ぼーっとした目
つきで前を見ている。その先にあるのは流し台やら食器棚。焦点は合っていな
い違いない。
「心配かけといて、それは勝手だよ。きちんと説明してくれるっていう約束が
あるだろ」
さすがに腹が立って、きつい口ぶりになる。
母親は瞬きを幾度か繰り返し、肩を大きく上下させた。
「そうね。お母さんが悪かったわ。仕事のことでもあるし、あなたに愚痴をこ
ぼしたくないのだけれど」
こんな前置きなんて、信一にとってさしたる意味はない。続きを待った。
「事情に通じていませんねって言われたの」
かなり唐突な切り出し方だったが、信一はうなずいた。続きをじっと待つ。
「企画を持っていって、スポンサーに判断してもらうのよ。私も自信があった
の。それだけにショックが大きかった。えっと、二つ、責められたわけ。一つ
はね、タレントの組み合わせ。と――名前を出すのはよくないから、A、Bと
いう二人のタレントさんがいるとするでしょ。私は二人の競演、とても感じが
よくてイメージにぴったりだと思ってた。ところが、指摘されちゃったのよね。
ううん、スポンサーさんからじゃなくて、下請けの製作サイドから。『AとB
は最近まで付き合ってて、別れたばかりですよ』って。それだけならよかった
かもしれないけど、そのあと嫌みったらしく、『所属プロダクションの力で表
には出てないけど、業界ではすでに常識ですよ。まだまだ情報収集がなってな
いようですね』と付け加えられて」
疲れたのか言葉を区切り、紅茶を口に運ぶ。すぐに再開した。
「もう一つは、指摘をされて、代替案を示したら、また叩かれてしまって。今
度はスポンサーの方からのクレームが出たのよね。『そのタレントは七年前、
ライバル企業のコマーシャルに出ていた』と。これもこちらの完全なミス。で
も、サイクルが早くなってるから、七年なんて気にしない企業がほとんど。そ
れを延々と言われて……もう、おしまいまで最悪だったわ」
話し終わると、母は信一を見つめてきた。
「こんな話をして、分かる?」
「分かるよ、だいたいは」
怒ったような響きがあるのを自覚した信一は、口に手をあてがった。喉を鳴
らして唾を飲み込む。
母親に怒っているのではなく、今日、母親を滅入らせた原因に腹が立った。
身びいきもあるにはあるかもしれないが、それを差し引いても、くだらない!
と感じる。
そして直後に、
(……そういうもんじゃないのかなあ)
と考え直すのも忘れない信一だった。
「さあてと」
ことさら明るい調子で言って、母親が立ち上がる。グラスはいつの間にか空
になっていた。
「ごめんね、信一。寂しかったでしょう」
「……ちょっとはね」
ほんのわずか、嘘を入れた。掛け値なしに寂しかったのだから。
「近い内に、ドライブに行こうか?」
「休みが取れたら母さん、家でゆっくりしてる方がいいってば」
信一の主張を、母はやんわりとかわした。そう、こんな具合に。
「たまには気晴らししたくなるのよ、母さんだってね」
* *
――つづく