#4563/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/ 7/31 10: 0 (200)
そばにいるだけで 26−8 寺嶋公香
★内容
* *
なかなか寝付けなかった。
気分が高揚しているためではなく、慣れないテントのせいでもない。富井の
おかげである。
「いいなあ、純ちゃん」
横になった姿勢のまま、この言葉を何度聞かされただろうか。うらやましさ
にちょっぴり嫉妬が混じった響きのある、しかし基本的に明るくて甘えた感じ
の富井の声で。
「こうなると分かってたら、私も委員長やってればよかったぁ」
「予想できるわけないでしょうが」
ほとほと疲れ果て、小さな声で返す純子。
相羽とは肝試しが済むなり、別々に帰った。
と言うのも最初、相羽が「白沼さんの様子を見に行ってくれないか。こうい
うときって、やっぱり女子同士の方がいいだろうから」と持ちかけてきたのに
対して、純子は首を横に振ったから。白沼さんはあなたに来てもらった方が喜
ぶに決まってるわ、分かってるくせに云々と言い立てて、相羽を走らせた次第
である。
「それにね、白沼さんは今、大変なんだから。そっちの心配をしなさいな」
「だってぇ」
もぞもぞ動く音がした。毛布の下で、身体をよじっているらしい。
「そりゃあね、私、白沼さんは好きじゃあないけど、心配はしてるよぉ。でも
さあ、もし相羽君の相手が最初、あの人じゃなかったら、私、『交代して』っ
てお願いするつもりだったのよ」
「はあ」
適当に相づちを打っておく。どうせ、「それほど相羽君と一緒に肝試しした
かったんだから」と主張したいのだ。
そのとき、くすくすくすと笑い声がテントの中に広まった。
音源を振り返ると、遠野が毛布を鼻先まで被り、小刻みに震えているようだ。
「と、遠野さん?」
「−−あ、聞こえちゃったの? やだ、恥ずかしい」
さらに頭を毛布へとうずめようとする遠野。
純子と富井は薄明かりの中、目を見合わせた。
「今さら恥ずかしいなんて言われても。そんなにおかしかった?」
「うん。おかしい……」
思い出し笑いか、くっくという声が漏れ聞こえる。
純子はいい加減、話を換えようと思った。
「あ、あのね、遠野さん。肝試しはどうだった?」
「どうって……」
「ほら、色々あるじゃない。恐かったとかつまんなかったとか。男子は頼りに
なったか、なんて。そう言えば遠野さん、誰とペアだったっけ?」
「藤井君とだった。出発してすぐ、何だかんだ話しかけてきて。随分にぎやか
な肝試しになってしまって、うふふふ。私がほとんど喋らないから気を遣って
くれたのかしらと思うのだけれど」
「そうだよ、きっと」
強い調子で富井が同意する。ひょっとしたら、毛布の中の手は二つとも握り
拳を作っているかもしれない。
「藤井君も優しくて、いい感じだもんねえ」
「そ、そう言う富井さんは……」
いくらか遠慮がちに尋ね返す遠野。川の字の形に三人は横になっており、真
ん中は純子。その上を経由して、言葉が行き交う。
「それがさぁ」
富井のトーンががくっと落ちた。晴れ晴れとした表情が一転にわかにかき曇
り……と言っては、相手の男子に失礼か。
「柴垣君、いい人なのよ。小学校のとき、一緒のクラスだったことあるから、
いい人なのは分かってるけれどぉ……恐がりすぎよ、あれじゃあ」
「え?」
今度の聞き役、純子と遠野の声がハモる。
富井はテント中に聞こえそうな、大きなため息をついた。
「わざとかもしれないんだけどね。大げさに恐がってみせるの。私、段々白け
ちゃってさあ」
「それは多分、郁江を恐がらせようとしてのことと思う」
「うん、そうよ」
純子の推測に、遠野も納得の相づち。
「そうなのかなあ。だとしてもよ。もうちょっとうまくやってほしいわ」
「郁江。たとえばの話よ。相羽君が同じことをしていたら、どういう感想を持
った?」
思い付きの質問をしてみる。
果たして富井は予想通りの返事をよこした。
「いやーん、聞かないで、純ちゃん。それはもう決まってるわよぉ。何したっ
て許しちゃう!」
……早く寝よう。
朝、冷たさに目覚める。と言っても、冷気ではない。
「何これ……」
テントの床シート全体がしっとり濡れていた。
上体を起こし、しばらくぼーっと考える。他の二人はすやすや寝入っていた。
(まさかおねしょじゃないし、お茶か何かをこぼしたのでもない)
頭を向けていた方、テントの壁を見やると、下部が結露しているのに気付い
た。決して高級品とは言えない代物故、露が中まで着いたものらしい。
一安心して、時刻を確認しようと枕元に置いた赤いバンドの腕時計に手を伸
ばす。
「いたた」
背中が痛い。動きを止めた。
普段使うスプリングの効いたベッドと違い、下は固い地面に厚さ数ミリのシ
ートを何枚か重ねただけ。触れれば小石のとんがりが認識できる箇所さえある。
純子は我慢して腕時計を手に取った。
「五時半? 早すぎ」
思わずつぶやく。旅のしおりでは六時半に起床、七時までに食事場に集合と
なっているのだ。
しかし、一度目覚めてしまうと、再び眠るのは難しかった。とにかく肌寒い。
(どうして自分だけ目が覚めたのかしら……)
疑問を浮かべ、ものの十秒ほどで理由に思い当たる。
(トレパンを脱いでたせいかもね。それで気温に敏感になって)
しばらく足をさすっていたが、眠れるほどにはならない。かえって意識がは
っきりしてきた。
(もったいない)
ばからしくなって、起き出すことを決心。幸い、純子がいる位置からテント
の出入り口までは目と鼻の先。富井達を起こさずに出て行けるだろう。
「えと。歯ブラシ……」
洗面ぐらいはできるはずと思い、リュックの中から歯ブラシやタオル、その
他洗面用品をひとまとめにした半透明のビニールポシェットを取り出した。
髪の乱れを手櫛で適度に整えてから、頭を外へ出す。
「わあ。霧」
白く煙った世界に、純子は感嘆の息をこぼした。
実際は霧ではなく、もやといった程度だが、静寂の中、ミルク色したカーテ
ンの合間から木々の緑や地面の茶色が覗く様は、一種幻想的である。空気もひ
んやりとしていて、おいしく感じられるから不思議。
深呼吸をする。喉の調子は回復したようだ。
時間が早いのか、あるいは天候が曇りがちなのか、まぶしくはない。半分閉
じていた目も、自主的にぱっちりしてきた。
純子はまだ背中に小さな痛みを覚えつつも、思い切って外に出た。冷気がテ
ント内に流れ込まないようにと、素早く閉める。
すっくと立ち、周囲三百六十度を見渡す。誰の姿もない。
他の女子班のテントが居並ぶ様は、ちょっと趣を削ぐけれど、もやの掛かっ
た風景はなかなか目にしないもの。やはり嬉しい。自然からのプレゼントのよ
うに思えてくる。
(ただし、露はいらなかったね)
心中でつぶやくと、純子は両腕を斜め上に突き出し、大きく伸びをする。合
わせてまた深呼吸。
(気持ちいい。うん、早起きしてみるもの!)
洗面セットを持って、水道があるところまでゆっくりと歩いていく。
地面に薄く積もった落葉が湿り気を帯び、歩を進める毎にさわさわさわ……
と擦れる音が起きる。たまに、鳥の羽ばたきや鳴き声も届いた。
石造りの流し場に着くと、水流の音が大きくなりすぎないように注意を払い
つつ、歯磨きと洗面を済ませた。水はひんやりしていて、刺激的だった。鏡を
見ながら、肌や髪の具合をチェックするのも忘れずに。
(よしっ、これで完全に目が覚めた)
ついでにトイレに寄る。野外に個別に立てられている物で、よく工事現場な
どにあるロッカーみたいな型式のやつだ。
用を足してから白沼のことを思い出した。
(治ったのかしら……大騒ぎになってないから、大丈夫と思うけれど)
考えながら手を洗う。
(あいつに任せておけば問題ないわよね)
どうも苦手意識があって、積極的に見舞いに行く気になれない。
純子はポケットに入れてきた腕時計を取り出した。ようやく六時を迎えよう
かというところ。
誰かが起き出してきてもいい頃と思って、目線を左右に走らせていると、う
まい具合に人影を発見した。
牟田先生だった。よく見知っている教師なので、いくらか気楽になる。
「先生、おはようございます」
「おおー、涼原。早起きだな」
こちらを見て言うと、あくびをかみ殺したようなしかめっ面を作る。それか
ら改めて「おはよう」と付け加えた。
「一人か。もしや徹夜してたんじゃないだろうな」
「とんでもありません。そんなことしてたら、目が真っ赤で隈ができてます。
先生の方こそ、眠たそうに見えますが……」
「男子の方のテントを見回りしたからな。今年は比較的大人しい連中ばかりだ
ったから楽だったんだが、それで妙に目が冴えてしまって……枕が変わると眠
れない体質が抜けきらんようだ」
自嘲気味に言う牟田先生の顎辺りには、髭がうっすら伸びていた。
「それだったら、まだ起きなくたっていいのに」
「おいおい、無茶言わんでくれよ。生徒と同じ時間に起き出すわけにいかんだ
ろ。他の先生方だってもう起きている」
「あ、そうなんですか」
「そういや、涼原は今もモデルとか、やっとるんだろ? 睡眠不足はお肌の敵
とか言うんじゃないのか?」
顎を撫でながら聞いてきた。表情からして、冗談らしい。
でも、純子の方は真剣に強く主張。
「え。で、ですから、ちゃんと寝てましたって」
「分かった分かった。まあ、朝食までゆっくりするのがいい。オリエンテーリ
ングは結構ハードだぞ。ああっと、時間が来ても目を覚まさない連中がいたら、
ご苦労だが起こしてやってやれな」
言い置いて、牟田先生は立ち去った。
(当たり前だけど、先生も楽な仕事じゃないね。うちの学校って、真面目な方
みたいだから、ましだとしても)
朝食はキャンプ場側(ペンションのオーナー)が用意してくれるので、食べ
るだけだった。パンにベーコンエッグといった洋食にも、みんな抵抗なし。朝
はご飯にお味噌汁に限るなんて人は、生徒の中には皆無と言っていい。
その後、一時間半ほどのフリータイムを挟み、九時からオリエンテーリング
のスタート。順調に進めばお昼までには終了する段取りになっているが、空の
片隅に灰色の雲が浮かんでいるのが、多少なりとも気に掛かるところ。
「崩れない内に終わるよう、開始を早めた方がよくありません?」
「そうですな。山の天気は変わりやすいと言いますし」
「キャンプ場の方に意見を聞いてみれば……」
先生達が相談をしている。
結局、始めるのは八時半に繰り上げるとの旨が、他の注意事項――蛇や蜂の
巣、あるいは岩場には充分に注意するよう等――と併せ、朝食後の全体集会で
告げられた。
「ありがてぇ」
と諸手を挙げて歓迎したのは、唐沢。
「面倒は、わずかでも早く済ませるに越したことはない。うん」
「それは言い過ぎだとしても、僕らは最後の班だからな。早いのは助かる。待
つ時間は変わらないけど」
これは相羽。
班と班の間は一分ずつ空けてスタートする。最後の班は相当待たされるのだ。
「分からん」
勝馬が上下左右に向きを換えてひねくり回しているのは、各班に一枚ずつ配
布されたオリエンテーリングの地図。この付近の鳥瞰図にはスタートとゴール
の他、各チェックポイントや簡単な目印がそれぞれ数箇所記されているだけで、
普通の道案内としてはいかにも不親切。だからこそゲームになるのだが。
「駆け抜けるだけなら、まだ自信あるんだが」
「徒競走じゃあるまいし」
「でも、本格的なオリエンテーリングって、走ってするんだぜ。テレビで観た」
「まあ、自分達のペースでやりましょ」
「優勝したら賞品が出るって噂、聞いたんだけどな」
−−つづく