AWC そばにいるだけで 26−3    寺嶋公香


        
#4558/5495 長編
★タイトル (AZA     )  98/ 7/31   9:53  (200)
そばにいるだけで 26−3    寺嶋公香
★内容

 * * *

 二分あまりの演奏を終えて相羽がピアノから離れると同時に、予想外の方向
から拍手が聞こえた。
「先生かと思っていましたが、生徒さんでしたか。いやあ、驚かされました」
 音楽室の出入り口のところで、背の高い男の人がにこやかな顔を覗かせてい
る。理科、特に生物関係を教える関屋(せきや)先生だ。見事な白髪と、同じ
く白い顎髭がトレードマークの、どこかのどかな雰囲気をまとっている風貌。
授業の進め方がややくどいけれど、話が面白いので生徒の間でそこそこ人気が
ある。
 黙礼しつつ廊下に出た純子達の中から、相羽を腕で示した関屋先生。
「君は何と言ったかな。確か……」
 つぶやいたきり、続きが出て来ない。
 こめかみ辺りに片手を当て、額にしわをつくる。が、顔は記憶しているのに、
名前をどうしても思い出せないらしい。唸っただけで止まってしまった。
「相羽です。二年十組」
 先を急ぐせいもあってか、相羽は早い舌回しで答えた。
 白沼や富井は相羽へ賞賛を送る機会を逸したためだろう、彼と先生から少し
ばかり距離を保ち、とことこと警戒するような足取りで歩く。純子も似たよう
な具合で着いて行くところ。
「そうだそうだ、相羽君だ。上手ですねえ。やわらかく弾いて、流れるような
演奏でした」
「はあ、どうもありがとうございます」
 相羽は恐縮した風に、頭を下げた。理科教師に音楽のことで誉められるなん
て、滅多にないに違いない。
「君は音楽の部活動をしているのですか? しかし、我が校にオーケストラ部
はないから……」
 興味深そうに言って、髭を撫でた関屋先生。自然、歩みは遅くなる。
 相羽は首を横に振った。そして楽しげな、あるいは悪戯っぽい笑みを浮かべ
て返事する。
「いえ、音楽関連の部活はしていません。調理部です」
「調理部? これはまた意外な組み合わせだ。もしや、包丁やお玉でまな板を
叩いて、演奏してるのかな」
 目を丸くしてびっくり顔を作っても、きっちり冗談を言う辺り、関屋先生の
気持ちは若い。
「まっさかあ。−−ピアノはほんの手習い程度です」
「そうですか? 謙遜してるとしか思えない」
 丁寧な物腰の先生は、考え込むように腕組みをした。
「実にもったいない。正式に習えば−−おっと」
 腕を解いたのは理科準備室の前。
「いけない。通り過ぎるところでした。僕はここで……」
 戸口に手を掛けながら、相羽達を見送る先生。
「邪魔をしてすまなかったね。次の授業に遅れないでください。どなたが担当
先生か知りませんが、私も申し訳が立たない」
 関屋先生が見えなくなる位置まで来ると、白沼がようやく口を開いた。
「意外だったわ。仙人先生って、音楽に興味あるのね」
「あれ? みんな知らないのかな。昔、職員室に行ったとき、音楽が趣味だっ
て言っているのを聞いたことあるよ」
 相羽が皆に説明する感じで応じた。階段を昇りながら続ける。
「自分は節操のない音楽好きですって、誇らしそうにね」
「節操のないって?」
 富井が乱れかけた息を抑えつつ、尋ねる。
「クラシック、ポップス、ロック−−とにかく何でも聴くらしい」
「へえ?」
 呆れたような感心をしたところで、二階に到着。
 純子も含み笑いをこらえて、感想をこぼす。
「ロックと理科って、なかなかない取り合わせよね」
「うん。あ、でも、植物や赤ん坊に音楽を聴かせて、育ちにどんな影響が出る
かっていう研究、結構行われてるみたいだから、全くの無関係とも言えないん
じゃないか? あははは」
 次の授業が始まるまでに、笑う暇はあんまりなかった。

           *           *

 六月の第三日曜日。相羽信一にとって今日は思い入れのある日の一つだ。自
分と母と、そして父にとっての。
 もちろん、父の日は他の多くの人々から見ても、ある種特別な日であること
に間違いあるまいが、単なるイベントと化しているケースがほとんどであろう。
 信一の本心としては、誰にも邪魔されたくない、そんな気持ちが強い一日。
「−−さあ、行きましょうか」
 母に促され、信一は目を開けた。合わせていた手をゆっくりと離し、線香の
煙の向こうに墓石を見ながら、立ち上がる。
「いつもより長かった気がしたけれど、お父さんと何のお話をしていたの」
 駐車場へ向かう小道を、白い石を踏みしめながら行く相羽親子。墓参する人
の姿は他になく、虫の囁きか木々の葉擦れがたまに届くぐらい。
「うん。ピアノのこと」
「そう……。また始めたくなった?」
 質問にすぐには答えず、信一は挿し替えて役目の終わった切り花を、専用の
処分場所に放った。少し以前までは持ち帰り、ドライフラワーにしていたのだ
が、捨てられなくなるので今の時点で土に返すようにした。
 水分の残った手の平を、愛用のハンカチで拭う。
「その道に進むかどうかはまだ決心着かない。ただ言えるのは−−もっと弾き
たい。これだけは」
「好きにしていいのよ。そりゃあね、音楽学校に行くとなったら真剣に考えな
くちゃいけないけれど。趣味でやるだけでも、信一が楽しいのなら」
「家に置けないでしょう?」
 母を見上げる信一。いや−−見上げるという表現が嘘になる日が来るのも近
いだろう。
「防音してあっても、マンションでは難しいわね。引っ越すか、おばあちゃん
の家に行くか、ピアノ教室に通うか。そんなところかしら」
 乗用車の横に着き、ドアを開ける母。ロックの解除を待って、信一は助手席
後ろのシートに乗り込んだ。
 運転席の母は、早速クーラーを回す。木陰に置いてはいたのだが、車内温度
は太陽のおかげでぐんと上昇していた。
「引っ越すって、転校は嫌だよ」
「もちろん分かっているわ。私の仕事も、今の場所が都合がいいし……引っ越
すとしたら、同じ学校に通えるようにすればいいんでしょう?」
「うん。もう転校したくない」
 うつむき気味に答えてから、信一は急いで目線を起こした。
「今はそういう話じゃないったら」
 息子の強い口調に、母はルームミラー越しに微笑をした。
「何で笑うのさ?」
「おかしくて笑ってるんじゃないのよ」
 そう言ってから、車をスタートさせた母。
 急発進でなかったにも関わらず、身を乗り出していた相羽はバランスを崩し
そうになった。

           *           *

 教室に一人残り、日番のお役目、日誌を着けていると、前の扉ががらりと音
を立てた。
「ん?」
 手を止め、顔を上げた町田は、戸口に立つ相羽の姿を見てふと首を傾げた。
「何か用かしら、相羽君?」
「ええっと。町田さん、時間は大丈夫?」
 教室内の様子を窺う風に、きょときょとする相羽。
「大丈夫。そんな心配してくれるなら、早く入ってきたらいいじゃない」
「あ、ああ」
 鞄片手に、足早に近寄ってきた相羽。ぽつんと立ったままでいる彼へ、町田
は前の椅子に座るよう勧めた。
 相羽は黙って腰を下ろした。ただし、黒板とは向き合わず、廊下側を見つめ
る形で。
「それで?」
 改めてペンを動かしつつ、促す町田。
「珍しいわよね。相羽君の方から私に声をかけてくるなんて」
「そうだったかな? よく話してる気がするけどな」
「たいていは、こっちから話しかけてるもんね。たまにそっちから話しかけて
きたと思ったら、純がお目当て」
「……そのことなんだ」
 額に右手を当て、次にその手で顔のあちこち−−鼻や頬や顎−−をやけにい
じる相羽。しばらくしてから手を降ろし、町田へと向き直った。
「町田さんにはばれているから、まあいいやと思って。聞いてくれる?」
「もち」
「涼原さんは誰とも付き合っていないと前に聞いたんだけどさ、今も変わって
ないのかな?」
「そんなこと? そうねえ……私らは、本人の口から聞いたわけじゃないのよ。
でも、まず間違いなく、純は一人だわね」
 町田の返答に、相羽は少し、嬉しそうに口元を緩めた。
「そっか。それじゃあ……理想の相手が現れたら付き合う気があるんだろうか、
涼原さんて?」
「そこまでは知らない」
 町田が首を水平方向に振ると、相羽は「そう……」とため息混じりの生返事
をよこした。
(あらあら。相羽君、切羽詰まってるかな?)
 町田はいくらか逡巡し、口を開く。おかげで日誌はちっとも進まない。
「ま、多分それもないわね。琥珀の王子様が現れたら、話は別かもしれないけ
れど」
「琥珀の王子様?」
「ううん、何でもないのよ。こっちのこと。とにかく、安心していいわよ。今
現在、純は誰とも付き合う気、ないみたいだから」
「誰とも、かあ……」
 天井を仰ぎ見た相羽。
 町田は暫時遅れて、自分の言葉の意味するところを把握した。フォローして
おこうと思う。
「うーん、そうね。頑張ったら、どうにかなるんじゃない? この間、話して
たら、やっとこさ男子を意識し始めたみたいだしね、あの子」
「……頑張る、か」
 つぶやくように言って、相羽は立ち上がった。
「ありがとう、町田さん。こんなことに答えてくれて」
「いいよ、これぐらい。そうね、あんみつでもおごってくれたらオッケーにし
ようかな」
「あ、それならいつがいい? これから? 高い店は困るけど」
 相羽の間を置かない早い反応に、町田は再度手を止めた。日誌から目を外し、
見上げる。
「冗談よ、冗談」
「え」
「ふふっ。真面目すぎるぐらい真面目よねえ、こういう話には」
 きょとんとする相羽の下、町田は手早く日誌を書き上げた。
「さてと。今度は本気よ。よかったら一緒に帰らない?」
「−−いいよ。唐沢の家に用事があるし」
 先に歩き出した相羽を見つめ、静かに息をついた町田。
(ちょっぴり、ほんのちょっぴり期待したんだけどな)
 そして鞄と日誌と鍵とを持って、席を離れる。

           *           *

 一学期の期末試験が終わると、各クラブは代替わりの時期を迎える。調理部
もそれのために家庭科室に集まっていた。
「こんな感じで考えたんだけど、みんなはどうかな?」
 南部長の案が黒板に記された。
 新部長が町田、会計が井口……と来て、純子や相羽には何の役職もなし。
 当然のごとく、富井が手を挙げた。
「どうして相羽君や純ちゃんは何にもないんですかぁ?」
「役職の数がそれだけしかないから……なんて冗談はともかく」
 南は真面目な口調のまま話を続ける。
「今年度になってから二人とも他の用事で忙しいみたいで、割と休んでるでし
ょう? それで何かと不都合が生じるんじゃないかと思って、外したのよ。涼
原さんはまだ一年目だしね。それとも、やれる?」
 純子と相羽を順番に見やってくる南。
 先に純子が首を横に振った。
「これからも抜けることがあると思いますから……自分の勝手で迷惑かけてす
みません。あんまり無責任な約束はしたくないけど、できるだけ手伝います」
「何があって抜けてるの?」
 他の三年生部員から確認の質問が飛ぶ。
「お稽古ごとです」
 純子は言い慣れた返答をここでも使った。友達相手にも、ずっとこれで通し
てきている。

−−つづく




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