#4545/5495 長編
★タイトル (PRN ) 98/ 6/21 19:17 (156)
鍾鼓洞の竜(1/3) 叙 朱
★内容
まだ五浦の海が今よりも低く、ちゃんとその名の通りの五つの入り江になって
いた頃に、入り江の先にぽつりと浮かぶ小島に鍾鼓洞(しょうこどう)という名
前の洞穴(どうけつ)がありました。近くに住む者たちは、この洞穴に竜がいる
と噂して誰ひとり近づきません。
ある日、そんな噂を伝え聞いた荒井又え門(あらいまたえもん)という武士が、
水戸藩主の命でやってきました。又え門は藩内きっての剛の者であり、噂の竜の
正体をしっかりと見てくるようにと言われて来ておりましたが、内心は「本物の
竜ならばわしが退治してくれるわ」と意気込んでおりました。
実を言うと、水戸藩内のあちらこちらに「竜が飛んでいた」「竜が寝ていた」
というような話はありました。が、荒井又え門が調べてみるとそれらはみな伝え
話や面白半分の作り話のようで、実際には竜の影も形もありません。それで竜な
んていうものはこの世にはいない、ということになりかけたところに出てきたの
が、この鉦鼓洞の竜の噂でした。
他の噂と違ったのは、鉦鼓洞の竜は、その姿こそ見たものはいませんでしたが、
たくさんの漁師が恐ろしい叫び声を聞いているというところでした。
五浦の村名主、吉兵衛が荒井又え門を街道の辻まで迎えました。
「荒井さま、ほんとうに竜にお会いなさるのか」
「おうよ、わが殿が心配しておられてな。気軽に諸国漫遊の旅に出かけられる殿
だから、ご自分で出っ張られると言われたが、まさか竜の正体を見極めないうち
には心配でな。それでわしが竜を調べる役目を仰せつかった。ぜひとも竜に会っ
て行かねばならぬ。そのために来たのじゃからの」
又え門は意気込んでおります。
「それで荒井さま、竜にお会いになれたとして、どうなさるおつもりですか」
どうも吉兵衛のしゃべり方は曰くありげです。しかしそんな吉兵衛にはおかま
いなく、又え門は自慢の槍をかざして見せました。
「この槍でひと突き、首尾よく退治できたら嬉しいがの」
「はあ、荒井さまは竜を退治されるとおっしゃるのか」
吉兵衛の心配顔がますます曇ります。そんな吉兵衛の心配が自分の身を案じて
くれているものと早合点した又え門は、心配するな、と大きく頷きました。竜の
島へ渡る段取りについて吉兵衛に尋ねます。
「どこからか船を出してもらわないとな」
街道は五浦の手前で左へ折れて、真忽(まこそ)の関から阿武隈山を越えてい
きます。五浦へは海沿いの険しい間道を行くか、船で岬を回るかしかありません。
舟はよしとして、誰も近づかない鍾鼓洞ですから漕ぎ手が見つかるかどうか。
ところが吉兵衛に抜かりはありませんでした。
「船はこの間道の先、壱の浦に用意いたしました。弥助という者がおりますので、
そこからはご案内申し上げます」
「おお、かたじけない。それでは早速」
気の短い又え門は礼を言い、すぐに間道へと歩を進めようとしました。
「あの、荒井さま」
吉兵衛が呼び止めます。
「鍾鼓洞の竜は噂ではござりませぬ。本物でございますぞ」
「おお、そうであろうとも。それでこそはるばる訪ねてきた甲斐があるというも
のだわい。そのように心配そうな顔をするな。わしは大丈夫じゃ。きっと竜を仕
留めてみせようぞ」
「荒井さま、ご無礼を承知で申し上げます。鉦鼓洞の竜は本物であれば、これを
仕留めることはかないませぬ」
又え門がさっと顔色を変えました。
「いま何と言うた。わしが鍾鼓洞の竜に負けるというのか」
「いえいえ滅相もありません。そういう意味で申し上げたのではございません。
ただ本物の竜でしたら、天の国からの使いといいます。命を無数に持っておるそ
うでございますから、槍で突いても死にませぬ」
「吉兵衛といったか、そんなことがどうしてわかる。おぬし、竜と戦ったことで
もあるのか」
「手前はただの名主、この村の漁師を束ねておるだけのものでございます。恐ろ
しい竜と戦かったことなぞはござりませぬ。しかし、これまでに荒井さまのよう
なお方が何人もお見えになりました」
見せ物小屋たちは商売にめざとい。この五浦に限らず、竜の噂があると必ずこ
うした手合いがすぐに飛びつく。腕に覚えのある浪人達を雇い、竜を捕まえよう
とするのだ。
「うむ。そういう話は聞いておる。見せ物小屋に頼まれた浪人どもだろう」
「はい。その通りでございます」
「しくじったという訳だな」
「はい、それどころか、おひとりとして島からお帰りになりませんでした」
「なに、それはみな竜に殺されてしまった、ということか」
「さあ、案内した弥助の話では、竜の叫び声に驚いてそのまま泳いで逃げた方も
いたとか」
「はっはっは。腰抜けどもが。だが、わしは違うぞ。槍を持てば藩の中では無敵
を誇る荒井又え門じゃ。逃げたりはせん。心配するな」
「はあ、でも決してご無理はなさらぬように。なにしろ相手は無数の命を持った
竜でございますからな」
吉兵衛の言葉尻は聞き流し、又え門は威勢良く手を振ると壱の浦へ続く間道を
歩きだしました。
壱の浦までの道はわりあいと平坦でした。又え門は右手に海を見ながら早足で
歩いてゆきます。おりからの日差しで松林のむこうの海はきらきら光っておりま
す。そして聞いた通りの小さな島々が幾つも波間に顔を覗かせていました。
壱の浦は小さな岩場の入り江でした。小舟が一艘だけ繋いでありますが、漕ぎ
手の弥助の姿は見えません。又え門はあたりを見回して、途端に「痛っ」と思わ
ず叫んでしまいました。右の肩口に突き刺すような痛みがあります。石つぶてを
受けたのでした。後ろの山からのようです。
「なに奴!」
又え門はすぐに槍を構えました。
「あんたはもう死んでたな」
不敵な男の声がして、黒い影が道脇の木陰から飛び出しました。それは又え門
の槍の届かない距離を見計らって着地すると、すっくと立ち上がりました。
「荒井又え門と知っての狼藉か」
槍を構えたまま、又え門は間合いを詰めてゆきます。この男の言うとおり、あ
の石つぶてが短刀だったら深手を負っていた。そのことが分かるだけに、又え門
は焦っていました。
「ふん慌てるんじゃねえよ。おれが弥助だ。鍾鼓洞まで行きたいんだってね」
自分に向けられた長槍を、いっこうに気にする素振りを見せずに弥助は話しか
けてきました。見る限り、何ら武器らしいものは身につけていません。丸腰のあ
いてに槍を突き出すというのも格好が付かないので、又え門は槍を引きました。
「おぬしが弥助か。なかなかの腕と見た。どこで修行した」
「ああ、そんな話はよしましょうや」
弥助そう言って白い歯を見せると、横へつうっと走り海際の岩の上に駆け上り
ました。
「じゃあ行こうか」
岩の上から身を踊らせます。
弥助の身の軽さは尋常ではありません。どうやら忍びの心得があるのかと、又
え門は当たりをつけました。でもそんなに腕のたつ者が、こんな寂れたところで
舟を漕いでいるとはいささか解せません。
岩場の向こう側、白い波にふらふら揺れている小舟には弥助がすでに櫓を持っ
て立っていました。
「あんた、竜を退治に来たんだって」
又え門が乗り込むと、弥助はすぐに舟を出しました。吉兵衛と似たような質問
をします。又え門は聞き流して、海に浮かぶ島々を眺めました。
「今まで5人ばかり案内したがなあ、ひとりも戻らなかった。せいぜい注意する
こった」
又え門が熱心に舳先から見つめているので、弥助は無駄口を切り上げにかかり
ました。鉦鼓洞の島はその他の島と大して変わらない緑の島でした。ただ、船を
つけるような入り江や砂浜が見当たりません。又え門は目を凝らしますが、鉦鼓
洞も見えませんでした。
弥助は休みなく櫓を漕いでいましたが、小舟はなかなか目当ての島へは近づき
ません。壱の浦を出てからもう半時(はんとき)は経とうとしておりました。と
うに見えていた島がなかなか近くにならないので、又え門は不審に思いました。
「おい弥助とやら。どうもわれらは島へ遠回りをしているようだが?」
「ふん、なにも知らねえ奴はそう思うんだよ。いいですかい、この辺はこんなに
小島が多いんだ。ということはこの海面の下にもたくさん浅瀬があってな、こう
やってちゃんとした道を通らないとたちまち動けなくなってしまう。遠回りだが、
確かな道筋だから、心配するねい」
「ああそうか。あいわかった。ところで弥助、おぬしは竜を見たことがあるのか」
「ああ、あるともさ。何度もね。これまで何人もの侍がここへやってきた。それ
をみんな案内したのはおれさ」
「ふむ。わしは書物でしか竜のことは知らぬが、して、竜とはどのような生き物
なのじゃ」
弥助がニヤリと笑いました。
「おうおう、よくぞ聞いてくれた。教えてやろうじゃないか。鉦鼓洞の竜は、そ
んじょそこらの竜とはわけが違うんだ。なにしろ頭が七つある。その七つの頭が
それぞれに違う顔を持っているんだ。7つの頭は首のところで金色の胴体になっ
ていて、胴体には大きな羽根がある。その大きな金色の羽根を広げて、空をすご
い速さで飛ぶ。しかしなによりも恐ろしいのはその吠える声だ」
「吉兵衛は竜は死なないと言っていたが、おぬしは聞いているか」
「さあねえ。あの7つの頭をみんなやっつけないと死なないというのなら、そう
かもしれねえな」
目指す島がようやく近づいてきました。舳先に立てた赤い風車(かざぐるま)
がぶんぶん回り始めます。
「おや、これはまずいぞ。竜に気づかれたな。しかも機嫌が悪そうだ」
弥助が目の上に手をかざしながら、島の方を伺います。
緑の小島には波が砕けて白い花を咲かせています。絶壁の岩と岩の間に暗い洞
穴がようやく姿を現してきました。鉦鼓洞です。
弥助は、いったん舟を大きく右に切ると、島沿いにゆっくりと洞穴に近づいて
行きました。
「おれはここで待っているから、あんたはその岩場に跳び移るんだ」
洞穴のすぐ手前の岩場に船を漕ぎ寄せました。又え門は岩場へ跳びました。弥
助ほどにはうまく行かなくても、槍を片手にちゃんと岩場に取り付いています。
上方に見える洞穴は静かでした。
(以下、続きます)