AWC 鍾鼓洞の竜(2/3)  叙 朱


        
#4546/5495 長編
★タイトル (PRN     )  98/ 6/21  19:19  (165)
鍾鼓洞の竜(2/3)  叙 朱
★内容

 又え門は洞穴の入り口に立ちました。暗く湿り気を含んだ空気が流れてきます。
しかし、気配もなく、特に変わったところがあるようには思えません。又え門が
もう一歩踏みだそうとしたとき、奧から鋭い声がしました。
「誰だい」
 若い女の声です。意表を突かれた又え門は、思わず槍を構えました。
「荒井又え門と申す、竜に会いに来た」
 又え門の名乗りに応えるように、暗闇の中から若い娘が姿を現しました。美し
い娘です。あまりの美しさに又え門は思わず息を飲みました。
「貴方さまが槍の荒井又え門さまですか。竜に会ってどうなさるおつもりですか」
 娘の強い声は洞穴に響きわたりました。
「竜の鳴き声で近くの漁民たちが恐れをなしている。そのような恐ろしい鳴き声
を出さないように竜に頼みたい。もし聞き届けてもらえぬなら、この槍にかけて
も、という決意で来た。」
「荒井さま、竜は吠えまする。そういうものでございます。それを無理に止める
ことなど叶いませぬ」
「それでは力づくでも・・・」
 そこで娘がおかしそうに笑い出しました。美しさがいっそう弾けます。
「何がおかしい。娘、おまえはなぜこんなところにいる。お前こそ、何者じゃ」
「わたしは竜の娘です。竜とここで暮らしております」
「見たところはわしと同じ人間のかたちのようじゃが、竜の娘とな」
「はい。でも荒井さま、そろそろ竜が戻ってまいります。もしわたしが荒井さま
とこうして口をきいているのを竜が知ったら大変です。早くお戻りください」
「何を馬鹿なことを。竜に会わずしておめおめおと帰れるものか・・・」
 とそこまで又え門が言いかけたとき、突然地面が揺れ始めました。大変な揺れ
です。又え門は立っているのがやっとでした。
「ほら、そう言っているうちに竜が帰ってきました。荒井さま、どうなっても知
りませんよ」
 娘はそう言い残すと、奧に姿を消しました。あまりの揺れに又え門はとうとう
岩場に座り込みます。洞穴の底から地響きが始まりました。
「これは一体どういうことだ」
 又え門は槍を頼みに立ち上がろうとしますが、なかなかままなりません。
 洞穴の奥から身の毛もよだつような大きな唸り声が聞こえてきました。それま
でさわさわと流れていた風の勢いが強くなってきます。洞穴全体を揺るがすよう
な大きな唸り声。吹き付ける風に湿り気が増し、あたかも竜の息づかいのようで
もあります。又え門は身を折り曲げながら槍につかまりなんとか立ち上がろうと
試みますが、風はますます勢いを増して、もう目を開けているのさえやっとの情
況です。
 ひとしきり、唸り声が大きくなりました。あっと言う間に又え門の体が風にさ
らわれます。又え門は一度洞穴の天井に頭を打ち付けたかと思うと、そのまま気
を失ってしまいます。又え門の体は、まるで木の葉のようにあっけなく洞穴から
海に向かって吹き飛ばされてしまいました。


「おい、目を覚ましてくれよ」
 弥助の声で又え門は気を取り戻しました。小舟の中でした。ずぶぬれです。さ
すがに槍だけはしっかり手に握りしめていましたが、大小の刀は腰から抜け飛ん
でしまっています。
「わしはどうしたんだ」
「それはこっちが訊きたいね。鉦鼓洞の前で待っていたら、あんたがふっとんで
きて、海に落ちたんだ。気を失ったあんたをこの舟に引っ張り上げるのには苦労
したよ」
 海は静かでした。舟は鉦鼓洞の島から壱の浦へと戻る途上のようです。
「おい、弥助。すまんがもう一度、鉦鼓洞に戻ってくれ。わしはまだ竜を見てお
らんのじゃ」
 弥助はあきれかえります。
「なんだって。あんたは正気かい。さっきまで正体もなく海に浮かんでいたあん
たが、また鉦鼓洞に戻るっていうのかい」
「いかんか。わしはな、本物の竜を拝まないことにはわが殿にあわせる顔がない
のじゃ。さすがに竜はたいしたものよ。ひと吹きで飛ばされてしまった。わしは
竜に立ち向かう気はない。しかし、何とか竜に会いたいのじゃ」
 弥助はちらっと舳先の風車を見ました。風車はくるりとも動かず、風は停まっ
たようです。
「どうしてもって言うのならしょうがないけど、風がない。鉦鼓洞へ行っても、
竜はいないかもな。それでも構わないんなら、戻ろうか」
 弥助は舟を回し、再び鉦鼓洞へと向けました。今度は真っ直ぐに進んでいきま
す。先ほどの島にはすぐに着きました。又え門は岩場へと跳び移り、洞穴の中へ
と入ります。
「おーい、娘。荒井又え門が戻ったぞ。竜に会わせてくれい」
 又え門の大声に、奧からさっきの娘が顔を出しました。
「荒井さま、ご無事でしたか」
「わしは大丈夫じゃ。それより竜はいるか。ぜひ会いたいのじゃ」
「残念ながら、先ほど竜は海の底へと行ってしまいました。しばらくは戻りませ
ぬ」
 娘が申し訳なさそうに説明します。
「そうか。それではあと三時(さんとき)も待てばよいかの」
 又え門がそう訊きかえすと、娘はびっくりしたように口をぽかんと開けました。
「わかったわかった。ではそのときにまた会いに来るかの」
 又え門は娘の返事を待たずにさっさと洞穴から出ました。洞穴の外には弥助が
立っております。小舟は岩場の上に引き揚げてありました。
「おや、舟から降りて待っていてくれたか」
「いやいや、また吹っ飛ばされたんじゃ今度はダメかもしれないんで、加勢に来
たんだよ」
「おおそうか。それは済まなかったな」
 又え門はなぜか上機嫌でした。弥助を促して舟に乗り込みます。海は凪ぎ、鉦
鼓洞の島は何もなかったように静かでした。
「あれが竜かのお・・・」
 これは又え門の独り言でした。それっきり又え門は黙り込みました。そんな又
え門を弥助が無表情に見つめていました。


 弥助の操る舟は壱の浦に戻ってきました。
 又え門はそのまま弥助を連れて、名主の吉兵衛の家を訪ねます。
 吉兵衛の家は五浦の海のそばでした。村名主とはいえ、貧しい漁村でしたから
あばら屋のようなものです。迎えた吉兵衛は又え門がわざわざ寄っってくれたこ
とに驚きました。そしていっしょについて来た弥助を怪訝そうに見ます。
 吉兵衛に案内され、板張りに座り込んだ又え門は開口一番、鋭く言い放ちまし
た。
「吉兵衛、弥助、おぬしら計ったな」
 名指しされた二人は顔を見合わせました。
「なんのことやら・・・」
「鉦鼓洞に竜などはいない。そうであろう」
 又え門はまっすぐ吉兵衛を見据えました。
「なにを仰有いますか。現に荒井さまは竜のために散々な目にお会いになったと
聞きましたが」
「いいや、あれは竜ではなかった。わしは竜を見ておらんぞ」
「なにを言ってんだよ、竜に吹き飛ばされて、海のなかで気を失っていたのはど
なた様でしたかね」
 弥助が喚きました。
「ああ、あれは竜に吹き飛ばされたとは思っておらん。第一、竜の話はこの藩の
あちこちにあるが、みな作り話だ」
「違う、鉦鼓洞の竜は本物だ」
 弥助が立ち上がりそうになり、吉兵衛が押しとどめます。
「まあ、弥助、わしの話を聞け。竜の噂が藩のあちこちで聞こえ出したのはこの
春からじゃ。この春というとな、わが殿が初めての諸国漫遊から戻られた頃じゃ。
城下では訝しく思う者がおってな、それらの竜の話を逐一調べてみたのじゃ。そ
したら奇妙なことが分かった」
 そこで一度話を切ると、吉兵衛の女房が出してくれた茶をすすった。
「竜の話はみな作り話じゃった。まあそれはいい。ところがその話が出た村はみ
な、この春にわが殿が漫遊されたところばかりなのじゃ。これはいったいどうい
うことか。そして今度の鉦鼓洞の竜じゃ。しかもちっとばかりこれまでと違って、
鉦鼓洞の竜はたくさんの漁師がその声を聞いたという。今度こそ、竜の噂の謎が
解けるかもしれんと思うてな、わが殿もたいそうわしの話を心待ちにしておられ
る」
「荒井さま、よくお調べになったようですが、その竜の噂の中でもうひとつ大切
なことをお聞き及びじゃありませんか」
 又え門の顔が歪みます。
「うむ。そうじゃ、必ず出てきたのが竜は人さらいだということじゃ。どこでも
竜がその村の若い娘を連れ去ったという話じゃった」
「そして、その娘というのが普通の娘ではなかったんでしょう?」
「いかにも」
 又え門がまた茶をすすります。
「それらの娘たちはみな、わが殿が漫遊先でみそめて、お城への召し抱えを申し
渡された者ばかりじゃった」
「つまり殿のお気に入りの娘たちだったというわけですね」
「そうだ。ところが、竜の話と共にそれらの娘がことごとく消え失せた。だれひ
とりとして城に上がってこないのじゃ。城から使いを出したのじゃが、竜にさら
われたと言うだけで埒があかない。そこにここの竜の話が出てきたという訳だ。
本物の竜ならさらわれた娘たちもみな、ここにいるのかもしれないと思うてな。
しかし、竜はおらなんだ」
「どうして竜がいなかったと言い切れる、気を失った者が」
「それなら弥助、おぬしはどうしてわしを小舟に乗せて鉦鼓洞に案内するのに、
あんなに大回りをしたんだ」
「あれは浅瀬を避けるためだと言っただろ。あの辺りは岩場ばかりで危ないんだ」
「そうか。でもそれにしては二度目のときは、ずいぶんと真っ直ぐに行ったな。
あれはどうしてだ?」
「ああ、あれは・・・」
 弥助がしまったという顔をします。
「わしが答えを言おうか。最初の時はおぬしは時刻を見計らっていた。つまり潮
の流れじゃ。あの鉦鼓洞の奧は海に通じておるんだろう。潮の流れが変わるとき、
それを待っていた」
「言いがかりは止してくれ。な、何のためにそんなものを待つ必要があるんだ」
「わしが鉦鼓洞であのものすごい風に吹き飛ばされそうになったとき、水しぶき
を被ったのじゃ。それはしょっぱい水、つまりは海の水だった。それでカラクリ
が分かったんじゃ。あれは潮の変わり目に起きる洞穴の潮吹きじゃな。竜の声に
聞こえるのは潮が狭い岩場の抜け道を流れる音に違いない。竜の吠える声なんぞ
ではない。弥助は潮吹きの時刻を見計らって、わざわざ遠回りをした。壱の浦か
らすぐ近くの鉦鼓洞に行き着くのに一時(いっとき)ほどもかかったしもうた。
そうであろう」
「ははー。恐れ入りました。そこまでお分かりとあれば、申し上げる言葉もあり
ません」
 吉兵衛は板張りに平伏してしまいました。弥助はまだ不満そうに口を結んだま
ま、又え門を睨み付けております。

(以下、続きます)




前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 みやざきの作品 みやざきのホームページ
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE