AWC 願い 7      リーベルG


        
#4508/5495 長編
★タイトル (FJM     )  98/ 6/ 1   3: 7  (171)
願い 7      リーベルG
★内容

                 7

 妖精はゆっくりとシズカを見た。
「何だって?」
「三つ目の願いよ」シズカは繰り返した。「もうやめて。そいつを逃がしてやっ
て」
「本気で言ってるのか?」
「本気よ」
「本気でこんなやつの命を助けてやりたいの?」
「そうよ」
 妖精は頭を抱え込んだ。
「わからない」心底、理解しがたいといった表情で妖精は呻いた。「何を考えて
いるのかわからない。全くわからない。なんでこんなやつの命が気にかかるんだ
よ」
「そんなことどうでもいいじゃない!ああ、ごめんね」
 最後の言葉は、シズカの声で目を覚ましてしまった赤ん坊にかけられた。赤ん
坊は弱々しい泣き声をあげ、シズカは優しくあやしはじめた。
「よしよし、いい子ね。怖くないから」
「理解できない。全然理解できないよ」
「あんたにはわかんないわよ、妖精」シズカは赤ん坊を驚かさないように小声で
答えた。「それが人間なのよ」
 ふっと妖精はため息をついた。感心したのか、呆れ返ったのかはわからないが、
妖精はヨシハルに及ぼしていた力を解いた。ヨシハルはそのまま気絶してしまっ
た。
「まあいいや。今のは願いの中には入れないことにするよ。シズカへの好意だと
思ってくれ」
「ありがと」シズカはにっこり笑い、ついで地面に倒れたまま身動きひとつしな
いヨシハルを見た。「死んでないでしょうね?」
「大丈夫だよ。骨が何本か折れてるだけさ」
「この人、感染してないって言ってたわ」シズカは妖精を振り返った。「それが
本当なら、何か免疫になるような原因が……」
「ウソだよ」妖精はあっさり否定した。「この疫病は人を選ばない。善人も悪人
も、金持ちもホームレスも、権力を持つ者も渇望する者も軽蔑する者も、全ての
人間を等しく死に至らしめる。こいつだって感染してるよ」
「でも……」
「たぶん最初の発熱で脳に器質的な損傷を受けたんだろう。記憶の混乱をともな
う軽度の精神障害で、感染の記憶をなくしてしまったというところだね」
「気の毒な人ね」
 妖精はひどく優しい目でシズカを見た。それに気づいたシズカは、問いかける
ように視線を返した。
「なに?」
「人間がみんなシズカみたいに優しい心を持ってれば、あるいは……」妖精は人
間じみた声で言いかけ、思い直したように口をつぐんだ。「いや、なんでもない」
 シズカは少しとまどい、それからくすりと笑った。
「なんだい?」
「妖精族ほど現実的で理知的な種族はいない、か」皮肉な口調でシズカは妖精の
言葉を口にした。「けっこう、ロマンティストじゃない。妖精だって」
 妖精はひどく侮辱されたような顔をした。
「ぼくは単に起こり得たかもしれない可能性を言っているだけだよ。人間が自分
の作った生物兵器で滅びるのは自業自得さ」
「わかったわよ」シズカはにやにや笑った。「そんなにムキにならなくてもいい
じゃない」
「別にムキなんかなってないよ。それより、行くんだろ。この子の両親のところ
へ」
「もちろんよ」
「その前に一眠りしよう」
「妖精も眠るの?」
「シズカのためだよ」
「そうね」シズカは思い出したように大きなあくびをした。「行くのは明日の朝
早くにしましょうか。でもどこで眠ればいいのよ?街は燃えてるわ」
「ここでどうだい」
「外で眠るの?」
「ここが一番安全だよ。ここならぼくの力が充分使えるし、火も防げる。おっと」
妖精は足元のヨシハルを見下ろした。「こいつは捨ててこよう」
「あのね……」
「わかってるよ。ちゃんと安全な場所に捨ててくる」妖精は指をパチリと鳴らし
た。「その前にベッドを出そう」
「シャワーも欲しいわ」シズカはベンチに座り込んだ。「この子のベッドもね」
「わかったよ」
 妖精は指を鳴らした。公園の中央の空間がぐにゃりと歪み、瀟洒な白い壁のこ
じんまりとした小屋が出現した。
「中に全て揃ってるよ。朝になったら起こしてあげる。ぐっすりおやすみ」
「寝てる間に忍んでこないでよ」
「楽しみは先にとっとくよ」



 シズカはぐっすり眠り、夜明けとともに自然に目を覚ました。同時にドアがノ
ックされた。
「もう起きたかい?」と妖精の声。
「ちょっと待って。顔洗うから」
「テーブルに朝食を置いとくよ。終わったら出発しよう」
「わかったわ」



 二十分後、シズカは赤ん坊を抱いて外に出た。いい天気だった。ドアの外では
妖精が宙に浮かんで待っていた。
「お待たせ」
「じゃ、行こうか」
「場所はわかってるの?」
「わかってる」妖精は手を差し出した。「握って」
 シズカは手を握った。
「冷たい手ね」
「心が冷たいからね」妖精は空を見上げた。「行くよ」
 体重が消滅したような感覚がシズカを取り巻き、続いて足が地面を離れた。
「浮いた!」
「ちがうよ」妖精が訂正した。「飛んでいるんだよ」
 妖精は高度二〇〇メートルまで一秒に上昇した。シズカは息を呑んでぎゅっと
妖精の手を握りしめた。
「今まで飛んだことは?」
「あ、あるわけないでしょ、ばか!」シズカはようやく声を出した。「もっとゆ
っくりやってよ」
「ほら」妖精はシズカの抗議を無視して、東の方角を指さした。
「何よ」シズカはそちらを振り返り……言葉を失った。
 白い光が見渡す限りの空に満ちていた。純粋な美しさが、人間がもはや永遠に
失ってしまった世界がそこにある。全ての愛も芸術も色あせてしまう高貴な世界
がシズカの目に映っていた。あらゆる言葉は無力であり不必要だった。
 シズカの双眸には、いつのまにか熱い涙があふれていた。
「行くよ」妖精が声をかけた。
「うん」シズカは言葉少なにうなずいた。
「しっかりつかまってて」
 三人の身体は南の方角へ向かって飛びはじめた。
「ねえ」
「なに?」
「あれが見せたくて……」わざわざ朝になるのを待ったの?そう訊きかけて、シ
ズカは言葉を呑み込んだ。きっと妖精は否定するだろうと思ったから。「……な
んでもない」
「一時間と一四分で脱出船に着くよ」
「この子の両親はまだ生きてる?」
「なんとかね。まだラインは途切れてないよ」



 妖精は時間を守った。一時間一四分後、三人は脱出船の甲板に立っていた。
 脱出船は、疫病が日本中で猛威を奮い、医学ではそれをくい止めることができ
ないとわかったとき、非感染者を救うために超法規的措置によって準備された。
だが、大混乱に陥った秩序の中で、感染者を完全に弾くことは不可能に近かった
はずだ。疫病の潜伏期間は四週間から六週間と長く、その間は病原体は検出でき
ない。
 甲板には、すでに数人の死体が転がっていた。もはや水葬にする人間もいない
のだろう。ほとんどは疫病で死んだらしく、最後の症状である大量の吐血のあと
が残っている。だが、明らかに他からの暴力による死を迎えたらしい死体もあっ
た。
 これまで数え切れないほどの死を目にしたシズカも、つらそうに目をそむけた。
「みんな死んでいるんじゃないの?」
「船室ではまだ生きてる気配がある」妖精は親指で甲板を指した。「たぶん、発
病した人間を甲板に出して、閉じこもったんだろう。無駄なことだけどね」
「万に一つの希望にすがったのよ」
 妖精は先に立って船室へ通じるドアに手をかけた。だが、ドアは固く閉ざされ、
中から鍵がかかっていた。
「開けて」シズカは命じた。
「はいはい」妖精は人差し指を立てて、それをじっと見つめた。「周りが海だか
ら都合がいい。力が集中しやすい」
「急いでよ!」
 妖精は指先に集中した力を、閉ざされたドアにぶつけた。シズカが予想してい
たような激しい閃光や炸裂音はなく、ただカチャリとロックが外れる音が聞こえ
ただけだった。
 妖精がドアを開いた。とたんに胸が悪くなるような臭いが三人を襲った。
「何、これ」シズカは顔をしかめた。
「死臭だね」妖精は冷静に言った。「もう大勢が死んだのに、死体を片づける人
がいないんだ」
 三人は死体をよけて、船室に向かう階段を降りた。
「こっちだ」
 小さな船室のドアがいくつも並んでいる廊下を、妖精は何かを探すようにゆっ
くりと進んでいく。いくつかの船室のドアは開け放たれ、中には疫病の症状に苦
しむ病人がいた。妖精とシズカを見て、助けを求めるように手を伸ばす病人もい
たが、妖精もシズカもあえて何も言わずに進んだ。もう、彼らにしてやれること
は何もないのだから。
 やがて妖精は一つの船室の前で立ち止まった。
「ここだ」
「ありがと」シズカはドアの前に立った。「ここにいて。あたしが話をするから」
「わかった」
 シズカはドアをノックした。
 応答はない。
 シズカは再びノックした。
『どなた?』
 弱々しい女性の声が、ドアの向こうから聞こえた。
「開けて下さい」シズカは言った。「あなたの赤ちゃんを連れてきました」





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