#4501/5495 長編
★タイトル (AZA ) 98/ 5/27 15:52 (200)
そばにいるだけで 23−8 寺嶋公香
★内容
そんな風に感じたものの、口には出さないでおいた。
「念のためにお伺いしますが、アンダーウェアのモデルにはやはり抵抗がござ
いますか?」
「それは……多分。純子、どう?」
「え? 何?」
面食らった様子の母から話を振られたが、純子は別のことを考えていたので、
間の抜けた調子で聞き返す。
「アンダーウェアのモデル、やりたいのかやりたくないのか、ですって」
母は額に手を当てながら、呆れ口調で教えてくれた。
「アンダーウェアと言うと、もしかして、下着、ですか」
純子は片仮名言葉を頭の中で変換し、次に市川へ視線を向けた。
市川は真顔のまま、声だけ笑って答える。
「そう。もしかしなくても下着。AR**さんから下着のモデルが依頼される
かもしれないから。ううん、可能性は低い。今は、中学生や高校生の女の子に
はさせないのが通例だから」
「そ、それでしたら遠慮しときます。友達に知られたら恥ずかしいし……胸な
いし……」
最後のフレーズに、市川は今度こそ微笑を浮かべ、母親は「ばかね」と娘の
頭をぽんと叩いた。
(何て言われたって、気になるものは気になるの!)
その後、いくつかの取り決めがあって、契約成立。
詳しくないので分からないが、純子の希望−−学校優先のレッスンプログラ
ムを組んでくれる内容になっているのは間違いない。仕事が入った際のスケジ
ュールも同様だ。その代わり、実入りは当分抑えられるけれど。
「さあ、これで『ルーク(:looc)』所属のタレントモデル第一号の誕生
よ。頑張って、成功を目指しましょう」
差し出された市川の手を、純子は握り返した。半分は怖々した気持ち、半分
はわくわくした気持ちで。
* *
「相羽君、掛け持ちするの?」
教室で大工仕事−−ただの釘打ち−−に従事する最中の相羽は、紐を受け取
るために出した左手を中途で止めた。教卓の上に立っているため、多少バラン
スが悪い。
下で待つ純子の手の平では、ピンク色したビニール製の紐が輪を作る。
やがて背伸びをした純子。
「届かない? 早く取って」
「うん」
人差し指と中指とで挟むようにして受け取り、続いて今度は額縁をより慎重
な手つきで抱える。放課後、委員長と副委員長に命じられたのは、教室前方の
壁に色紙の入った額を飾ること。
「それで、掛け持ちするって決めた?」
「するつもり。−−いい?」
額のバランスを見てもらおうと、相羽は聞いた。
数歩下がり、見上げてくる純子の視線。相羽はそれを背中で感じて、何故か
知らないけれどくすぐったい。
肩越しに振り返ると今度は目が合いそうで、どことはなしに気が引けた。
「ほんの少し、右ね」
「これでどう?」
こんなやり取りを幾度か繰り返し、額縁はやっと落ち着いた。光の加減でガ
ラスが鏡のようになる。
「お疲れ様」
教卓が揺れぬよう純子が押さえてくれている。
「どうも」
手を突いて、ゆっくりした動きで降りる相羽。そしてすぐに道具を片付け始
める。
「で、どうなのよ?」
いつの間にか気忙しい口調の純子に、相羽は話の流れを思い出した。
「だから、するつもりだって言ったでしょ」
「それは聞いたわ。何のクラブかってこと。サッカー?」
「分かんない。掛け持ちは決めても、何をするかは迷ってる」
道具を仕舞い終わり、鍵を探す。
教卓の上にあったのをどけて、手近の机に移したはず……。
と、そこまで考えた相羽の耳に、ちゃりんという音が届いた。
「鍵ならここよ。ね、サッカーにしなさいよ。私から見ても上手だって分かる」
「……何で涼原さんが気にするのさ」
後ろに回した両手を机の上に突き、何となく笑いながら、相羽は尋ねた。
純子はふいっとそっぽを向いて、
「べ、別にぃ」
と言うや、唇を尖らせる。口笛を吹こうとしているみたいだが、うまく行か
ないらしい。かすかに赤みを帯びた頬をしきりにこすって、純子は一度かぶり
を振った。
「それより、どうして迷う必要があるの? 他に何があるのか言ってみて」
「み……やめた。笑われそうだから嫌だ」
「笑わないわよ。最初に調理部を選んどいて、今さら何恥ずかしがってんだか」
再度ペースを取り戻した様子の純子は、相羽の前まで来て迫る。
「さあ、話して。話してくれなきゃ帰れない」
「は? 帰れない?」
「気になるもん」
純子の言い方が気に入った。相羽は短い間、考えた。
「……まだ他の人には言わないでほしいんだけどな」
「約束するわ」
「それなら。−−武道と言うか、要するに、身を守る術を習いたいと思ってる」
「それって」
人差し指を立てた右手を静かに掲げ、宙をさまよわせる純子。
「えっと、身を守るクラブというと、柔道や剣道?」
「学校にあるので言えば、そうなる」
「似合わないんじゃない? あなたには向いてないって言うか。まあ、前に柔
道の授業を見たときは、結構がんばってたわね。でも、あれぐらいでは……」
「向いてないからやりたいと思うこともあるんだ。知ってるくせに、僕が調理
部に入った理由」
答えた相羽は、自然と笑みがこぼれるのを意識した。ふと立ち寄った書店に
流れる有線でお気に入りの曲がかかったときみたいに、楽しくなってくる。
「そっか……だけど、サッカーと比べたら絶対にサッカーが人気あるんじゃな
いかしら?」
「人気は関係ないの。そりゃサッカーは好きだよ。それでも迷う理由があるわ
けでして」
「理由、聞きたい」
純子が両方の手に優しい拳を握るのを見て、相羽はまた思った。どうして気
にしてくるのかなと。期待していいのかなと。
「あなたのことだから、調理部のときみたいに理由があるんでしょう?」
「当たってる。ただ、ちょっと遅いんだけどね、思い付くのが」
自嘲気味に笑ってから、話し始める。
「きっかけは単純で、思い出したくないけれど、あの事件−−誘拐未遂犯の弟
がうちまでやって来て、母さんを」
「あ。分かった」
皆まで言わせず、純子は深くうなずいた。それから吹き出しそうになったら
しく、慌てたように両手を口元へ持って行く。
「何だよ、笑わないって言ったのに」
「あはっ、はは、ご、ごめんなさい。で、でも。相羽君て」
こぼれる笑い声のせいで、純子の言葉は実に聞き取りにくい。まるで昔々の
衛星中継だ。それでも相羽は内心、必死に集中し、耳を高性能の受信機と化す。
「−−何て言えば……真っ直ぐで、凄い、面白いっ」
誉めてもらってるのかどうかあやふやな言い回しに、相羽は分からぬぐらい
小さなため息をついた。
「真剣なんだぜ」
「うん、それも分かる。お母さんを守るため、かあ。いいね、男の子って感じ」
「……母さんだけじゃないよ、守るのは」
「へえ? うん、そうだよね。あのとき、あの場所には私もいたし」
あれ? 珍しく伝わったか−−と相羽は思った。
だけど糠喜びだった……やっぱり。
「前にも言ったけれど、人気あるのよ、あなたって。みんなを守ってあげてち
ょうだい−−とか言ったりして」
純子は鍵を振って音を立てた。
「帰ろっと。話してくれてありがとね」
「うん。大した話じゃなかったけど」
鞄を取り、ぼちぼちと歩き出す相羽。
見つめると、先を行く純子が首を振るのが分かった。
「ううん。役に立ったわよ」
* *
「役に立った? 何だい、それ?」
立ち止まって振り向くと、相羽の怪訝そうな表情が捉えられた。
(こうして見ると、戸惑ってる顔もなかなかかわいらしいかもしれない)
先ほど、武道を習う理由を教えてもらったときに抱いた感想を、純子は今ま
た思った。
「そっちが話してくれたから、こっちも話すね」
廊下に出て、教室の扉を施錠しつつ、喋る。相羽の方は中庭に面する窓を閉
じて回りながらも、意識はこちらに向いているよう。
「元気を分けてもらいたくって」
「……ますます意味が分からなくなってきた」
「私さ、事務所に入ったじゃない」
「うん。知ってる」
戸締まりも済んで、二人は並んで、ゆっくり歩き始めた。
「それで色々習うことになって、でも、調理部も折角入ったんだからやってみ
たいなって思ってたの。学校を優先してくれると言ってもらったけれども、限
界があるだろうし……。両方できるかどうかを考えてたら、どんどん悪い方に
向かっちゃって。それで−−」
舌の先をちょっと覗かせ、純子は隣の友達を上目遣いに見た。
「思い出したのが、相羽君のこと」
「僕……」
「二年生になったらクラブを掛け持ちするって言ってたでしょ。あんまり言い
たくないけど、おうちの事情もあるし、時間的に考えたって大変じゃないかな
あって。それでも相羽君、やるって言うかもしれない。それを聞いたら、私も
元気になれるかも。そう思ったわけなのです」
話が真剣すぎる気がして、語尾に面白おかしくアクセントを置いた。
「以上、報告終わりっ」
おまけで敬礼ポーズも付ける。
相羽はしばしぼんやりと純子の方を見やっていたが、小脇に抱えていた鞄を
持ち直すと、急に笑い出した。
「ははは、なるほど。僕なんかでも役立つんだ。嬉しいかもしれないな、これ。
あははは!」
「笑い事じゃないんだから、こっちは」
ちょっぴりふてくされてみせる。
「初めに想像したたより、ずっとプレッシャーが大きいのよ。重たい石を背負
って、押しつぶされそう」
「漬け物になった気分?」
「やだ、茶化さないでよ!」
今度は本気で頬を膨らませた。
下駄箱の前に立ち、靴を履き替えながら相羽は「ごめん、リラックスさせる
つもりで、つい」と謝る。
「まあいいわ。−−だいたい、聞いてなかったのよ。所属が私一人だけで事務
所を始めるなんて。他にも新しい子がいるんだとばかり……。あっ、それに事
務所の名前よ!」
「ルーク、だったっけ? アルファベットでエル、オー、オー、シーと書くと
かって聞いた」
校舎の外に出ると、好天の日差しが夕刻近くになってもまだ強かった。
「そうっ。あなたはもう知ってるの、意味?」
指を突き立てるように差し向ける。相羽は黙って首を横に。
「辞書を引いても載ってなかったから、あとからおばさん−−相羽君のお母さ
んに電話で意味を聞いてみたわ。そうしたら、涼原の涼の字から取ったって」
「涼……」
相羽はつぶやき、瞬きの回数が多くなった。推測を重ねているようだ。そし
て表情が明るくなる。
「そうか。『涼しい』を英語で言うと『cool』。これを逆に並べてルーク
なんだ?」
「そうなのよ……」
相羽は感心した風に何度かうなずくが、純子はそれどころではない。
「聞かなきゃよかった。ますます重荷になるー。−−でも!」
純子は自らを励ますためもあって大きな声を出すと、右の手の甲で相羽の左
胸付近をぽんと叩いた。
「さっきの話で回復したからね。自分らしく、やっていける」
「ふうん。それはいいとして……前から気になってたんだけど、芸名はどうな
ったのかなぁ?」
「……」
返す言葉がなかった。
−−『そばにいるだけで 23』おわり