AWC 愛美、5パーセント(4)       悠歩


        
#4465/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/ 4/ 3  23:55  (195)
愛美、5パーセント(4)       悠歩
★内容
「ファーブル先生?」
 そんな二人のドタバタよりも、愛美は咄嗟に健太の叫んだ名前が気になり、
自らの口で繰り返してみる。
 ファーブルと言うのが、早苗先生のあだ名らしい。どこかで聞いたような名
前だ。あまりにも有名な本の作者の名前ではあったが、女の子である愛美がそ
れに触れたのは、小学生の頃の教科書だけであった。そのため、ファーブルと
いう人物がなにをしたのかを思い出すのには、多少の時間を必要とした。
 そして思い出すよりも一瞬早く、二人の男性の騒いでいる原因を目にするこ
ととなった。
「えっ………」
 開かれた襖の下の方、畳がなぜか少し盛り上がっている。盛り上がりは隣の
部屋から続いていた。倒れた透明なプラスチックの容器。畳の盛り上がりは、
その隣の部屋の容器からこぼれ出ている。
 足下にあったその容器を、うっかり健太が引っかけて倒してしまったようだ。
健太と早苗先生の二人は、厚紙のような物で畳の盛り上がりを容器の中へ戻そ
うとしている。
 愛美はそれを麦か何か、花の種だと思った。実際、少し離れた場所から畳の
盛り上がりは小さな粒の集まりに見えていた。
「あの、私もお手伝いします」
 障害になるほど、足の痛みが残っていないことを確認して、愛美は二人の元
に近づいた。驚いたように二人が愛美を振り返る。
「ばか、来るな!」
 叫んだのは健太だった。
 しかしもう遅い。
 口の悪い健太の言葉の意味を聞き返すより先に、愛美は畳の上のものの正体
に気が付いてしまった。
 容器にそれを押し戻そうとしていた、早苗先生の厚紙が止まっている。厚紙
に沿う形にかき集めたものが山になっている。それが何かの種であれば、山も
早苗先生の手と同様に止まっていなければならない。
 しかしそれは動いていた。
 行く手を遮る厚紙を避け、その盛り上がりは二つに別れて行く。
「………」
 愛美は動きを止め、その不可解な現象を凝視した。種のように見えていたそ
の一粒一粒に生えた小さな足。それは何十、何百と言う数の小さな昆虫だった。



 春の暖かさも、沈み行く陽に急かされ、山の向こうへと帰ってしまったらし
い。人も車も通わない道を愛美は家………いまだ自分の家と呼ぶことの出来な
い、叔母さんの家に向かって歩いていた。
 傍らに頭一つ、背の低い健太を従えるようにして。
 少々おぼつかない足どりではあったが、愛美は健太の背を借りることなく、
自分で歩いていた。歩き方がぎこちないのは、足の傷が痛むためではない。
「これだから、女ってヤツはめんどくせぇんだよな」
 不自然に大きな声で、健太が独り言を口にする。
「イモムシはまだ分かるけどよぉ、カマキリの幼虫ぐらいで、気絶するか? 
フツー」
「気持ち悪いんだもの………仕方ないでしょ。女の子なら、当たり前でしょう」
 言い返す愛美の声には元気がない。健太のせいで、あの小さな虫たちが何百
という大群で蠢く様を思いだし、さらに気分が悪くなった。
「おい、またかよ。大丈夫か?」
 足を止めた愛美に、健太はさすがに心配そうな声を掛けてきた。
「平気よ………ちょっと思い出しちゃっただけ」
 差し伸べられた健太の手を制して、愛美は再び歩き出した。
「けどさあ、分かんねぇよ、やっぱり。だって、愛美はあのすずめのヒナには、
優しかっただろ?」
「それがどうかして?」
 愛美はそう応じると、身を震わせた。急激な冷え込みのため、昼間の気温に
合わせた薄手のカーディガン一枚では少し肌寒い。或いはあの、ミニチュアの
カマキリたちの姿を思い出したせいだったのかも知れない。
「だってよ、イモムシは蝶や蛾の子どもだし、あのカマキリの幼虫だって赤ち
ゃんだろ? 鳥の赤ちゃんは平気で、何で虫の赤ちゃんは駄目なんだよ」
「あのね………普通の女の子は、大人の虫も苦手なの。だいたい、幼虫と赤ち
ゃんって全然違うわ」
「一緒だと思うけどな」
「もう………ねぇ、それより………」
 いい加減虫の話には辟易していた愛美は、話題を変えてみる。
「あの子、何か変じゃなったかしら?」
「はあ? 誰だよ、あの子って」
「ほら、あのワンちゃんよ。クロマルだったかしら」
 早苗先生の家に入るときは、健太に背負われていてよく見ることが出来なか
った。帰りはカマキリの幼虫のせいで気分が悪く、じっくりと見ていられなか
った。だがほんの瞬間的にだけ見た黒丸の姿は、何か他の犬とは違う違和感が
あったのを思い出す。
「ああ、後ろ足のことか」
「後ろ足が、どうかしたの?」
「えっ、なんだよ。気がついてなかったのか。変なヤツだな、愛美って。黒丸
の後ろの足一本、右の方がなかっただろう」
「足がない………」
 愛美はちらりとだけ見た、黒丸の姿を思い浮かべる。
 そして得心した。違和感の正体に。
 言われてみれば確かに、その後ろ足が一本なかったような気がする。全体的
なシルエットが、どこか不自然に感じたのはそのせいだったのだ。
「でもどうして、事故?」
「いや、飼い主にやられたんだ。言っておくけど、早苗先生のことじゃないか
らな」
 愛美が疑問を持つより前に、健太によって釘を刺された。
「前に飼っていた人にやられたのね………でも酷い、どうして………」
「黒丸のヤツ、猟犬だったんだよ。ここから車で一時間くらいかなあ………狩
場になってる山があってよ。そこで先生とクワガタを捕りに行ったとき鉄砲の
音がして、その後すぐ、片足のなくなった黒丸が現れたんだ」
 その時の様子を想像して、愛美は背筋が震えるのを覚えた。それは気温のせ
いなどない。
「猟犬って、狩りをするための犬でしょ。飼い主の人が、間違って撃ってしま
ったってことなの?」
「うーん………確かに間違ったんだろうな。でも獲物と、ってことじゃない。
殺すつもりで撃ったんだろうから、頭か心臓にでも当てるつもりが、足に当た
っちゃったんだろう」
 健太は日常の取るに足らない、些細な出来事を話すかのように、さらりと言
ってのける。
 『狩り』という、生き物の命を奪う遊びそのものが、愛美にとって決して馴
染める単語ではなかった。ましてそれを行う人にとり、大切なパートナーであ
るはずの犬を故意に撃つなどとは理解の範疇を大きく超えていた。
「あの子が、何か悪いことをしたの?」
「そうじゃない。黒丸は、人には良くなついたいい犬だから」
「それならおかしいじゃない。なんで飼い主の人が、あの子を撃ったりするの
よ!」
 何もそれは健太のせいではないと言うのに、つい愛美は声を荒げてしまった。
「狩猟シーズンも終わりの頃だったからな。邪魔になったんだろう、きっと」
「邪魔?」
「狩猟シーズンって、二ヶ月とか三ヶ月とか、そんなもんだろ。それ以外の季
節、猟犬っていうのは訓練や世話が大変なんだよ。エサ代とかのお金も掛かる。
だから狩りが終わったあと、その犬を連れ帰って次のシーズンまで面倒をみる
より、殺してしまって次のシーズンに新しい犬を買った方が安いんだってさ」
 先刻見た、黒丸の人懐っこそうな目が思い出された。どうしてあんな目をし
て人を見る犬を、そんなつまらない理由で殺そうと考えられるのだろう。愛美
は、あまりにも身勝手な飼い主に対してやりきれない怒りを覚えると同時に、
とても悲しい気持ちになった。
 人によって惨い仕打ちを受けながら、同じ人である健太に懐き尻尾を振る黒
丸の姿。言い知れぬ想いとともに、目頭が熱くなる。
「ま、そんな訳でさ。ほっとく訳にもいかなくて、早苗先生が家に連れ帰って
飼うことにしたんだ………おい、泣いてんのか? 愛美」
「えっ」
 健太に言われ、慌てて目の周りを指で拭ってみる。
 しっとりと指先が濡れた。愛美は自分が泣いていることに気がついた。
「別に泣いてなんかないわ」
 今日会ったばかりの、さして親しくもない少年に涙を見られてしまったこと
が恥ずかしい。愛美はぷい、と健太から視線を逸らした。背けた視線の先では、
朱色に染まった太陽が山陰に隠れようとしていた。
「優しいんだな、愛美って」
 どこか小憎らしい物言いしかしなかった健太がの口調が、突然穏やかなもの
に変わる。
 不意打ちを喰らったように驚いた愛美の視線は、健太の顔にと戻される。
 寸前に見ていた夕陽に目が馴れてしまったためか、その表情は黒い影となり
窺い知れなかった。無意識に、愛美は顔を健太に近づける。二人とも、歩く足
は止められていた。
 ようやくはっきりとして来た、健太の顔。夕陽の反射を受けてか、紅い顔で
少し戸惑ったような表情をしていた。
「お、おい」
 健太の声が、やけに近くから聞こえた。唇の動きとともに、息が愛美の顔に
触れる。
「あっ」
 顔を近づけすぎていたことに気づき、愛美はまた夕陽の方角へ頭を振った。
まるで首の運動をしているかのように、慌ただしく。流れた髪が、何かを掠め
るのが分かった。たぶん、健太の顔だろう。
「なにヘンなこと、言ってるのよ!」
 怒っている訳ではないのに、語調が荒くなってしまう。どうも健太とは出会
った瞬間から、普通に話すことがなかったように思えてならない。
「別にヘンじゃないだろう。すずめのヒナのために一生懸命になってたり、黒
丸のために泣いたりしてさ………」
「女の子なら、フツーでしょ」
 二人は再び歩き出していた。なぜか先ほどより、早足となって。
「そんなもんかなあ? ま、でもやたら可愛そうだとか言って、すぐ泣く女っ
て鬱陶しいけどよ」
「鬱陶しくて結構です。私、あなたに好かれたいなんて、思ってないから」
「可愛くねぇヤツ………」
「あのね、何度も言うけれど、私の方が歳上なの。歳下の男の子に呼び捨てに
されたくないし、可愛いとか言われるつもりもないの。それから、叔母さんの
家はすぐそこだから、もう送ってくれなくていいわ。健太くんはもう、早苗先
生に言いつけられた役目は、充分に果たしたから」
 愛美は見えてきた叔母さんの家を指さしながら、そう言った。
「本当に今日はありがとう。もう話すことはないかも知れないけど」
 決して礼を述べる言い方ではない。愛美は怒鳴るようにして言った。
「ああ、そうかい。じゃあまたな」
 そんな愛美に応戦するかのように、健太も乱暴に言い捨てると、くるりと背
を向けた。
 大股で立ち去る健太の背中を見送りながら、愛美は大人げない態度を執って
しまったと後悔した。確かに口は悪かったが、健太は自分より歳上で身体の大
きな愛美を背負ってくれたり、こうして家まで送ってくれたのだ。そのことで
はちゃんとお礼を言わなければならないのにと。
 けれど愛美は、ついに健太の姿が見えなくなるまで、それを言うことが出来
なかった。
「本当に嫌な子だな………私って。だからお友だちも出来ないんだ」
 嫌悪感に浸りながら、愛美は叔母さんの家に向かって歩き出す。が、ふと途
中でその足が止められた。
「そう言えば………」
 黒丸という犬は、健太の姿を見つけて嬉しそうに尻尾を振っていた。あの時
愛美は、それは頻繁に早苗先生の家に出入りしていた健太の顔を覚えていたか
らだと思った。
 しかしもし自分が黒丸だったら、と愛美は考えたのだ。
 信頼していただろう飼い主に殺されかけて、片足を失ったとしたら。もう人
間など信用出来なくなるのではないか? けれど黒丸は尻尾を振っていた。健
太に対して嬉しそうに。
 それは黒丸が懐くに値するだけのことを、健太がしてきたからではないのだ
ろうか。愛美は健太の去って行った方へと振り返った。だが健太の姿はもうな
い。
 また会えるだろうか。
 生意気で憎らしいとばかり感じていた健太と、また会えるといい。そう愛美
は思っていた。たとえ半ばけんか腰であったとしても、この街に来て、これほ
ど人と話したのは初めてのことだった。
 もし健太が愛美と同い歳で、同じ学校で、同じクラスだったら。
 もし早苗先生が小学校ではなく中学校の先生で、愛美の担任だったら。
 この街での暮らしも、少しは楽しいものになっていただろうか………
 愛美は首を横に振った。そんな仮定をしたところでなんの意味もない。
 その夜、愛美はいつもより早く床に着いた。




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