AWC 愛美、5パーセント(3)       悠歩


        
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★タイトル (RAD     )  98/ 4/ 3  23:55  (197)
愛美、5パーセント(3)       悠歩
★内容

 それからは長い沈黙が続いた。
 愛美は健太の踏みしめる砂利の音を聞きながら、その背に揺られていた。初
めは頼りなげだった、自分より小さな男の子の背中。それがいつの間にかしっ
かりとした、強い足どりへと変わっていた。心地よい春の陽射しと、健太の背
の温もりに包まれ、つい愛美は足の痛みも忘れてうとうととし始める。遠くで
ひばりの声が、聞こえたような気がした。
「あん? 何か言ったか」
 耳のすぐ近くで響く健太の声で、愛美のまどろみは打ち破られる。
『いけない………私、眠ってた』
「なあ、いま、何か言ったろ?」
 健太が繰り返す。
「べ、べつに、何も言ってないわ」
 眠ってしまったため、急に愛美が重たく感じられたのだろう。そのことに気
づいた健太が、愛美を起こそうとして声を掛けたのだ。愛美はそう思った。し
かし、そうではなかったらしい。
「俺の、気のせいか。『お父さん』とか何とか………いや、なんでもない。や
っぱり俺の聞き違いだ」
 言いかけた言葉を健太は濁らせる。
 確かに愛美は幼い自分が、父の背中にいる夢を見ていたような気がする。そ
れでつい、『お父さん』と寝言に出てしまったのかも知れない。きっと健太は、
なぜ愛美が叔母さんの家にいるのか、理由を知っているのだ。だからそれを思
いだし、愛美の寝言について追求するを止めたのだろう。
「あら………この道、叔母さんの家の方向じゃない」
 眠りかけてしまったため、それがいつからかは分からない。だがいま健太が
歩いているのは、愛美の見慣れた、叔母さんの家に向かう道ではなかった。
「ファ………早苗先生のところに行く」
「早苗せんせい………さっきも言ってた名前ね。誰なの」
「俺の、小学校時代の担任だ。桂木さんちより近い」
「小学校時代? 健太くんって、四月から中学生なんでしょ。それならいまは
まだ、小学生なのよ」
 言いながら、愛美はくすりと笑った。久しぶりに。
 生意気ではあるが、健太と話していると気持ちが楽になる。
「ふん」
 一つ鼻を鳴らすと、また健太は黙り込んでしまった。
 何となく息苦しい時間をどうにかしたくて、愛美は話題を探した。そして、
健太の身長についてコンプレックスを煽るような発言をしてしまったことを思
い出す。それを謝ろうと口を開き掛けた次の瞬間。
「はら、ここだ」
 先に健太が口を開いた。
 赤い屋根の一軒家。平屋造りの建物の前で、健太は立ち止まった。
 ずいぶんと色あせた、古そうな家である。この辺りは比較的、大きな家が多
い。その中にあっては、あまり立派な家とは言いがたい。しかし庭だけは広か
った。
「あ、下ろして。私、もう歩けるから」
「いいよ。ここまで来たら、中まで負ぶったって変わんねぇ」
 丸木を立てただけの、形ばかりの門をくぐると、突然犬の声がした。見ると
玄関の左側に犬小屋があり、白い身体に黒い模様のある犬が繋がれていた。デ
ィズニーのアニメに出てくるような犬だ。たしか、ダルメシアンとかいう種類
だったか。健太の方に向かい、嬉しそうに尻尾を振っている。どうやら健太は
ずいぶんとこの家に出入りしているようだ。
「悪いな、黒丸。いま、遊んでやる暇はないんだ」
「あの子、クロマルっていうの? 変な名前ね」
「ん、ああ」
 玄関に向かって歩く健太の背中から、愛美は黒丸を見つめる。
 雪乃叔母さんの家では、犬を飼っていない。父や母が生きていた時も、愛美
の住まいはマンションやアパートだったため、犬を飼ったことはない。けれど
愛美は犬が好きだった。なぜか小さい頃から、大きな犬も恐がらなかったらし
い。近所でも評判の気の荒い犬の頭を撫でようとして、幾度となく母に止めら
れたのだと後になって聞いた。
 あの愛くるしい目で見つめられ、尻尾を振られると無視することが出来なく
なってしまう。愛美はそっと、黒丸に手を振った。
『あれ?』
 小さな違和感。
 あの子、どこかおかしい。
 そう感じた時。
「早苗せんせ、入るよ」
 そう言いながら健太は住人の返事も待たず、玄関のガラス戸を開いた。敷居
を跨ぐ寸前、愛美は『早苗』と書かれた古びた表札を見た。
「先生、いるんだろ?」
 健太は玄関先で愛美を下ろすと、靴を脱ぎながら奥へ呼びかける。何か物音
がした。住人が健太の呼び掛けに応え、玄関に顔を出そうとしているのだろう。
 愛美は『早苗先生』と名前で呼ばれていることから、優しげな女性が現れる
ものと予想していた。が………
「お、珍しいな、健太。お前が女の子を連れてくるとは」
 野太い声がしたかと思うと、奥の部屋から現れたのは厳つい顔の、がっしり
とした体型をした中年男性だった。
「こ、こんにちは。初めまして、私は………あっ」
 とにかく挨拶をしなければならない。そう思った愛美は、慌てて立ち上がろ
うとして足の傷に痛みを感じた。
「ばか、危ない!」
 たいしてよろけた訳ではない。なのに健太は大げさな声と共に手を差し伸べ、
愛美の身体を支えた。
「おおっ? 何だか知らんが、健太にそんな可愛い彼女がいたとは、驚きだな」
 どう見ても寝起きにしか見えない、ぼさぼさ頭の男性はからかうように笑い
ながら言う。その視線を追った愛美は、健太の手が自分の腰に宛てられている
のに気が付いた。
「!」
 声もなく、健太から身を退く。
「そんなんじゃねぇよ。早苗先生も知ってんだろ? 桂木さんちに来た、女の
子。その子だよ。この近くで、イモムシに驚いてすっ転んで、ケガしてたから
連れてきたんだ。薬つけてやってよ」
 愛美の態度に対してなのか、男性の冷やかしに対してなのか、いかにも不機
嫌そうに健太が説明をする。
「あの、私、西崎愛美です」
「挨拶はいいから、上がって。部屋で怪我を手当しよう。歩けるかな………肩
を貸そうか?」
「あっ、そんな大したケガじゃないですから、自分で歩けます」
 ぺこりと頭を下げた愛美は、靴を脱いで玄関に上がった。自分の靴を揃える
のは当然忘れなかったが、そのついでに投げ出された状態の健太の靴も揃えた。
「へぇ、いい娘さんじゃないか。こんな子と知り合えたなんて、ラッキーだっ
たな、健太」
「そんなんじゃねぇって、言ってんだろう。それより早苗先生。部屋って、あ
っちの部屋じゃないだろうな?」
「ははっ、俺だっていきなり若いお嬢さんを、あの部屋に入れて驚かせたりは
しないさ」
 謎の笑いを見せた男の人に案内され、愛美は居間へと通された。

「よし、これでいい。西崎さんは若いから、この程度のケガなら傷跡の残る心
配もないだろうから、安心していいよ」
 冗談混じりに男の人が笑った。お世辞にもハンサムとは言えないが、見てい
ると気持ちが和むような笑顔だった。
 愛美の足には、どう考えても大げさ過ぎる包帯が巻かれていた。
「どうもありがとうございます」
 男の人へ礼を述べたあと、愛美は部屋の中を見回した。
「ははは、散らかってるだろ?」
 そんな愛美の視線に気が付いた男の人は、頭を掻きながら笑う。
「いえ、そんなことないです」
 男の人が言うほど、居間は散らかっていない。いや散らかるほどに、物がな
いと言った方が正しい。座卓と小さな茶箪笥、それとテレビが一台。
 愛美は、男の人の顔を見た。確か先ほど健太は、この男の人に向かって「早
苗先生」と呼んでいた。まさか、この人の名前が早苗なのだろうか。しかしど
う考えてみても、早苗と言うのは女の人の名前である。絶対とは言い切れない
が、男の人に付ける名前ではない。それとも、この人のあだ名なのだろうか。
いや、もしかすると「早苗先生」というのは、この男の人の奥さんなのかも知
れない。
「俺の顔に、何かついてる?」
 あまりにも愛美がじっと見つめていたので、男の人は太くて短い指をした手
で自分の顔を撫でまわした。
「あ、いえ………その。奥さんは、お出かけですか?」
「はあ?」
 男の人は、目を丸くして素っ頓狂な声を上げる。
「いや、確かに俺はいい歳にはなっているけど………残念ながらまだ独身なん
だよ」
 部屋のテレビの上には、うっすらと埃が積もっていた。女の人の居る家では、
考えられないことだ。その考え方は、古いのかも知れない。けれど少なくとも、
愛美は家のテレビやタンスに埃が積もっている様な状態にはしておけない。だ
から、男の人がまだ独身であると答えたことには、充分得心がいく。しかし…
……
「あの、じゃあ………綾瀬くんの言っていた『早苗先生』って?」
「ん、ああ、そう言うことか。ははっ、なるほど………いや、確かに仕方ない。
ははっ」
 男の人は、さも愉快そうに大声で笑い出してしまった。そして愛美に何かを
言おうとするが、まともな言葉にならない。ちゃんとした説明を聞くため、愛
美は男の人の笑いが収まるのを待つしかなかった。
「えっと、西崎さんは表の表札、見なかったかな?」
 やっと笑いの収まった男の人は、疑問に答えるより先に、愛美に質問を返し
て来た。
「見ました。確かに『早苗』って表札がありましたけど」
「たまにフルネームの表札を出してる人もいるけど………まあ普通、下の名前
の方だけを表札にする人ってのは、いないだろ」
「あ………じゃあ?」
「そう、『早苗』は俺の名字なんだ。早苗勘二郎、三十歳、小学校教諭。綾瀬
健太は、五年生と六年生の時、俺のクラスの生徒だったんだ。このオッさんど
こが気に入ったか、すっかり懐かれちゃってね。卒業式が終わっても、こうし
てちょくちょく遊びに来ていやがる。まあ、そのおかげで、西崎さんみたいな
可愛いお嬢さんと知り合いになれた訳だけどね」
 そう言って男の人、早苗先生はまた笑った。どうやらやたらと陽気な性格ら
しい。あの無愛想な健太とは、正反対だ。たからこそ、健太が懐いているのか
も知れない。
「早苗先生、そいつ………愛美はまだ中学生なんだぜ。そんな子を口説いたり
したら、ヤバイんじゃないの? 仮にも学校の先生としてはさ」
 突然襖が三十センチほど開いて、隣の部屋にいた健太が顔を覗かせた。「そ
いつ」だの、「愛美」と呼び捨てにしたりだのと、相変わらず歳下なのにも関
わらず失礼な態度で。
「『愛美』じゃなくて、『西崎さん』か『愛美さん』だろ。お前は、何度注意
しても言葉遣いが直らんな」
 人前ということで我慢していた愛美に代わり、早苗先生が健太に注意をして
くれた。どうやら健太の口が悪いのは、何も愛美に対してだけではないようだ。
「ねえ、健太くん。あなた、どうしてそんなところから顔だけ出しているの?」
 なぜだか健太は、襖を三十センチ以上開けようとはしない。その隙間から顔
だけ出して、こちらを窺っている様子は滑稽だった。
「お前………愛美のためだ」
 まだ呼び捨てであることが気になるが、もう愛美は諦めた。その言葉遣いに
ついてか、あるいは健太が「愛美のためだ」と言った理由を知っているからな
のか、早苗先生は何やら苦笑している。
 そんな健太の言葉や早苗先生の態度が、気になって仕方ない。健太のいる部
屋に、何があると言うのだろう? 本当なら、無理にでも健太が顔を覗かせて
いる襖を全開にして、中を見たいところであるが、さすがに人様の家でそんな
真似は出来ない。
「ふふ、あまり秘密めかしていては、西崎さんも気になってしまうだろう。健
太、後で西崎さんを家まで送ってやるんだろう? その時にでも教えてやれ」
「ちっ、めんどくせ。本当に手間のかかるヤツ………愛美なんだから」
 文句は言うものの、愛美を送ってやることについて、健太は拒まなかった。
それにしても、なぜいま教えてはくれないのだろうかと、愛美は不思議に思う。
「西崎さん、まあせっかく来たんだから、お茶でも飲んで行きなさい。もらい
物だけど、おいしい煎餅があるんだ」
「あっ、あの煎餅食いたい。俺が出してくる」
 立ち上がり掛けた早苗先生より、健太の方が早かった。襖から覗かせていた
顔を引っ込め、そちらの部屋から廊下に出ようと言うのだろう。ばたばたとし
た足音を響かせたかと思うと、続けさまにごんという鈍い音がした。慌てて、
何かを蹴飛ばしたらしい。
「あっ、バカ! そこを閉めろ」
 開かれたままの襖に、早苗先生の手が伸びる。
「ダメだ、ファーブル先生。潰しちゃう」
 一度見えなくなった健太の顔が、また襖の向こうに現れる。襖の両側を手で
抑えて、それを閉めようとする早苗先生を止めた。




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