#4463/5495 長編
★タイトル (RAD ) 98/ 4/ 3 23:54 (185)
愛美、5パーセント(2) 悠歩
★内容
「あっ!」
すぐにそれが間違いであると気づいた愛美は、自分の頭が強く打ちつけられ
ることを覚悟した。しかしその瞬間は来ない。
「ったく………ばかたれが。イモムシくらいで、びびりやがって。自分の足下
くらい注意しろよな」
あの憎たらしい男の子の声が、愛美の顔の、すぐ近くから聞こえてきた。
「えっ?」
何が起きたのか理解出来ない愛美は、しばらくの間自分の顔を覗き込んでい
る男の子を見つめ続けた。
「どうした? どっか痛いのか」
その声で、愛美は我へと返る。
ずっと年下の少年とはいえ、男の子に抱き抱えられるような形になっている
のが、恥ずかしく思えた。
「平気よ」
本当は打ち据えた背中に、じんじんとした痛みがあったのだが、愛美は男の
子の手の中から身を起こして立ち上がろうとした。
「痛っ!」
右足に痛みを感じ、愛美の身体は崩れ落ちそうになる。また男の子が手を伸
ばし掛けたのが見えたが、それを借りるほどのこともない。愛美は右足を押さ
えながら、その場で屈み込む。
「足が痛いのか?」
男の子は愛美が答えるのも待たず、スカートをめくり上げて足を覗く。
パアン。
声も出なかった。考えるより先に、手が動いた。
愛美の掌が男の子の頬を打ち、のどかな春の空の下に響き渡る。
「いってぇな! 何すんだよ、いきなり」
「それは私のセリフだわ。突然女の子のスカートをめくるなんて………あなた
最低ね」
愛美が睨み返すと男の子は、ふう、と一つため息をついて言った。
「だから女ってヤツは嫌いだ………人が心配してやってんのに、これだもんな」
年齢に似合わない台詞と仕草が、わざとらしい。それが妙に滑稽で、怒って
いたはずの愛美は、つい笑い出しそうになった。が、それを懸命に堪えて男の
子を睨み続ける。
そんな愛美の気迫が勝ったのか、男の子はぷいと顔を背け、視線を合わせよ
うとはしない。
「あ、いけない………あの子はどうしたのかしら?」
しばらくは意地になって男の子を睨み続けていた愛美だったが、ふと芋虫に
驚いて転ぶ前の目的を思い出す。
「ああん、あの子って?」
「あなたも見てたでしょ。小鳥のヒナよ」
先ほどの木の方を振り返ると、そこにはまだあのヒナがいた。しかしその足
下に蠢く芋虫たちもやはりまだその場所にいて、愛美はすぐに目を逸らしてし
まう。
「ほっといたって平気だよ」
男の子の言葉に、愛美は自分の眉がひきつるのを感じた。
自分に対して乱暴な言葉を使うのは、まだ我慢するとしても、小さな生き物
に対しての薄情さが許せない。
「なに睨んでんだよ」
「あなた、あんな小さな子を、放っておけって言うの?」
「ああん? 何言ってんだか………ほら、肩貸してやるから。ここから離れる
ぞ」
「余計なお世話よ。私は、あなたみたいに薄情じゃないの。あの子をお母さん
のところに、返してあげるんだから」
「ばっか。イモムシが恐くて、近寄れもしないくせに。どうするつもりだよ」
「それは………」
愛美は、言葉に詰まってしまう。確かにあの芋虫がいる限り、愛美はヒナに
対して手を差し伸べることすら出来ない。それに返してやると言ったものの、
そのあてがある訳でもないのだ。
「心配しなくて平気だ。俺たちが離れれば、あのすずめは、ちゃんと親のとこ
ろに帰れるんだよ」
「えっ………あの子、すずめの子なの?」
「ちっ、なんだよ。都会もんは、すずめのヒナも見たことないのかよ」
男の子は、心底呆れたような顔をした。
もちろん愛美がここに来る前に住んでいた街でも、すずめなど珍しい鳥では
ない。けれど愛美には、そのヒナを見る機会などなかった。思い出してみれば、
あれだけ街中に溢れているすずめだが、その巣を見た覚えはない。小さい頃に
すずめのお家はどこにあるのだろうと、不思議に思ったものだ。
「で、でも。すずめより、あの子の方が大きいんじゃない?」
「あのな、ヒナって言うのは親鳥より羽が柔らかくて、ふわっとしてるから大
きく見えるんだよ。ほら、さっさと立ちな」
ヒナの正体が、意外にも身近な鳥だったと知った愛美は、その驚きのあまり
男の子に対する怒りも何も忘れてしまった。ただされるがままに、肩を借りて
その場を離れる。
「足、痛くないか?」
「平気よ」
辛うじて弱みは見せまいと、強がった台詞を吐くことが出来たが足の痛みは
隠しきれない。男の子の肩を借りながら歩く度、顔が歪んでしまう。
「よし、ここいらならいいだろう。ほら、身を低くして」
男の子はあの木から七・八メートルほど離れると、ゆっくりと身を屈めた。
当然男の子の肩を借りている愛美も、その身を屈めることになる。
「大きな声は出すなよ。ほら」
くいっ、と顎を振って、男の子はヒナのいる木を指し示す。
相変わらず、ヒナは高い声で鳴いている。しかし愛美の耳には、それがすず
めの声ようには聞こえない。しかしヒナの声に応えるようにして、どこからか
もう一つの鳴き声が聞こえて来た。それは愛美にもよく聞き慣れた、すずめの
声だった。
「あっ」
男の子に釘を刺されていたので、愛美は歓喜の声を飲み込んだ。
「あれが、あの子のお母さんなの?」
すずめを驚かせないようにと愛美は声を潜めて、男の子へと耳打ちをした。
本当に小さな声だったので、男の子が聞き逃さないように、その耳に唇を寄せ
て。
愛美の息がくすぐったかったのだろうか。男の子は、ぴくっと痙攣するよう
に、首を曲げた。
「さ、さあ。雄か雌か知らないけど………たぶんあいつの親だろう」
ぴい、ぴい、ぴい。
ちちちちち。
ぴい、ぴい、ぴい。
ちちちちち。
互いを確認し合うように、親鳥とヒナが交代で鳴きあう。
やがてヒナの停まっている場所。二股になった幹の片方に、どこからか飛ん
できたすずめが斜めに停まった。
互いが互いを見つめ、鳴きあう。
ヒナがすずめとは気がつかなかった愛美だが、もし突然この場面だけを見る
ことになったとしても、二羽が親子であると信じて疑わないだろう。
ふいに親鳥がヒナの横に飛び降りる。そして、ヒナに何かを耳打ちするよう
な仕草を見せると、すぐに飛び去ってしまったのだ。
ヒナを見捨ててしまったのだろうか。
だが、そんな愛美の心配はすぐに打ち消された。
「あっ、飛んだわ」
愛美の口は、見たままのことを言葉にする。
親鳥に続いてヒナも、少しぎこちなく羽ばたき、飛び立ったのだ。その行き
先を追った愛美の目には、一瞬仲良く並んで飛ぶ二羽のすずめを捉え、見失っ
た。
「良かった、あの子、飛べたんだ………お母さんと一緒に、お家に帰ったのね」
「あのくらいまで育ったヒナなら、なんとか飛べるんだよ。けどまだなれてな
いのと、親とはぐれた不安で動けなかったんだろう」
男の子が説明をする。
この声を聞いて男の子の失礼な態度を思い出したが、すずめの親子の再会を
目の当たりにして感動していた愛美は、今更怒る気にもなれなかった。
ただこのまま男の子と一緒にいて、せっかくのいい気持ちがまた壊されても
つまらない。訊いてみたいこともあったが、愛美は出来るだけ早く男の子と別
れた方がいいと思い、歩き出だすために立ち上がった。
「っ………」
ヒナに気を取られ、忘れかけていた足の怪我が痛む。
「ばか、いきなり立とうとするからだ」
相変わらずの乱暴な口調で言いながら差し出された、男の子の手を借りるこ
とで愛美は転ぶのを避けられた。
「あーあ、ひざが擦り傷になってんじゃねぇか。痛いはずだよ」
一度叩かれたことを教訓にしてか、今度はスカートをめくらず、けれど下か
ら覗き込みながら男の子が言った。
せっかく彼の無礼を不問にしようと思っていた愛美の心に、新しい怒りの気
持ちが生じてくる。しかし膝の傷がずきずきと痛み、それどころではない。
「それじゃ、歩けないだろ。ほら」
手にしていた網と篭を投げ捨てると、男の子はくるりと廻れ右をして、愛美
に背中を向けて屈んだ。何が「ほら」なのか分からない愛美は、しばらくその
背中を見つめるだけだった。
「いつまで、ぼけっとしてんだよ。おぶってやるって、言ってんだ。さっさと
しろよ」
「えっ、あ………うん。でも網はいいの?」
「一日や二日、ここに置いといたって、誰も持ってきゃあしないさ」
言い方は乱暴なままだったが、思いがけない男の子の態度に、愛美は反撥す
ることも忘れ、素直に従ってしまった。
「よいしょっと………オマエ、思ったより軽いな」
そう言いながら立ち上がった男の子だったが、自分より背の高い愛美を背負
うのは楽ではないようだった。初めの二、三歩は足下をふらつかせていた。そ
れを愛美に悟られまいとしてか、男の子は下手な口笛を吹きだした。
案外、いい子なのかも知れない。
やせ我慢をしながら自分をを背負う姿を見ながら、愛美はそう思った。
「あのね、『オマエ』って呼ぶのはやめてくれる? 私には西崎愛美って、名
前があるんだから」
「知ってるよ。桂木さんちにいるんだろ」
「えっ………」
どうしてそれを?
と言いかけて、愛美はそれをやめた。
ここは田舎と言うほど小さな街ではなかったが、それほど大きくもない。あ
る日突然現れた余所者の愛美のことを、男の子が知っていても不思議ではない。
自分は男の子のことを何も知らないのに、男の子は自分のことを知っている。
愛美は改めてここではまだ自分が余所者であることを思い知らされた。
「アナタ………どうして、あのヒナのお母さんが迎えに来るって、分かったの?
」
沈んだ気持ちを紛らわしたくて、愛美はそんな質問を男の子にぶつけた。
「ん、ああ。俺も昔、あのくらいのすずめのヒナを拾ったことがあるんだ……
…それで、そいつを早苗先生に見せたら、拾った場所に置いてこいって言われ
た。親鳥が、きっと迎えに来るはずだからって」
男の子にとって昔と言うのは、どれほど前のことだろう。そんなことを考え
ると、少しおかしくなって、愛美の沈んだ気持ちも軽くなった。
「それから、愛美も俺のことを、『アナタ』って呼ぶなよ。俺は健太、綾瀬健
太だ」
「そう、健太くんね。分かったわ………けど、あなたまだ小学生でしょ。私は
中学生なのよ。呼び捨てはやめて」
「俺だって、四月から中学生だ」
愛美と健太では、ほぼ頭一つ分身長が違っている。もともと愛美自身、同年
代の女の子たちと比べて小柄な方なのだ。そんな愛美よりも小さな男の子が、
わずかに一学年下なのだとは信じられない。
「うそ………冗談でしょう?」
その問いかけに対して、健太は「ふん」と答えただけだった。背に乗ってい
る愛美からは、男の子の表情が窺い知れない。けれどそれは嘘を言った後の態
度には思えなかった。
もしかすると、男の子は歳の割に身長が低いことを、コンプレックスに感じ
ていたのかも知れない。愛美に疑われて、怒ったのだろうか。初めから無愛想
な態度だった健太の口数が、さらに減った。
愛美も愛美で人見知りの激しいほうである。けんか腰であったとはいえ、初
対面の相手、しかも男の子とこれだけ話が出来たのも珍しい。それだけに相手
が口を閉ざしてしまうと、急に息苦しさを感じてしまう。