#4462/5495 長編
★タイトル (RAD ) 98/ 4/ 3 23:54 (191)
愛美、5パーセント(1) 悠歩
★内容
『愛美、5パーセント』 --Tooi Sorano MARIA-- after story
前略、涼原純子様。
その節はいろいと、お世話になりました。本来ならもっと早くに、お礼の手
紙を差し上げるべきところでしたが、私も身辺何かと忙しく、遅くなってしま
った事をお詫び致します。
………なんてね。
私、長い間お友だちがいなかったから、いいえ、お友だちを無視してしまっ
ていたから、どんなふうに手紙を書いたらいいのか分からなくて。それでこん
なに遅くなってしまったの。いろいろと考えてみたんだけれど、やっぱりお友
だちに出す手紙は、軽い感じで書いた方がいいよね?
もし、「いきなり馴れ馴れしい子だ」、なんて気を悪くしたらごめんなさい。
その時は、すぐに教えてね。許してもらえるなら、次に手紙を書くときには直
すから。
涼原さん………なんかお友だちにしては、堅苦しい呼び方だよね? 馴れ馴
れしいついでに、名前で呼んでいいかしら。純子さん、純子ちゃん………純ち
ゃん。
じゅんちゃん、なんて呼んだら、美璃佳ちゃんのお人形と同じだね。
ごめんなさい。私、ばかなこと書いてる。
やっぱり涼原さんが許してくれるまで。そして私がなれるまで、涼原さんっ
て呼ばせてもらいます。
そういえば、藤井さんとマリアさん、結婚するそうですね。美璃佳ちゃんと
良太くんを自分たちの子どもとして引き取って。美璃佳ちゃんから、ハガキを
もらいました。
半分くらい、なんて書いてあるのか読めなかったけど。
そう言えば先日、近くのお店で『ハート』のポスターを見ました。知ってま
すよね? 最近、テレビコマーシャルが人気になっているジュース。変なこと
を言って、笑われるかも知れないけれど、あのコマーシャルの女の子、涼原さ
んと良く似ているような気がしました。テレビでは気がつかなかったけれど、
口もとの辺りとか。
雰囲気も違うし、まさかとも思うけれど、涼原さんって綺麗だからコマーシ
ャルに出ていても不思議じゃない。
ごめんなさいね、へんなことを言って。
新しい生活にも、やっとなれてきました。
叔母さんのお家の人たちもよくしてくれるし、学校のお友だちも、いい人ば
かりです。
いつか、涼原さんとゆっくりお話がしてみたいです。
相羽くんの好きな人、もう分かりましたか。西崎の名字はまだ変わっていな
いと、お伝え下さい。
それではまた、お手紙します。
鴬の声に誘われるようにして、愛美は裏山に続く並木道を歩いていた。並木
道と言うより、雑木林の中の山道と言ったほうがいいかも知れない。
雑木林の四割ほどを占める山桜の花が、五分咲きに開いていた。しかし花の
頃でも葉の多い山桜は、五分咲き程度では華やかさがない。山桜と同じ割合で
植えられている梅は、もう花の頃を終えようとしていた。
裏山と反対に、駅の方に向かって行けばさくらんぼの実のとれる桜桃(おう
とう)が植えられている。けれど愛美は、桜桃や染井吉野よりも、粗野な感じ
のする山桜の方が好きだった。一つ一つの花は美しく可愛らしいのに、同時に
たくさんの葉をも開かせる。そのため枝の全てを花とする他の桜に比べ、野暮
ったく見えてしまう。そんな姿が、大好きだった父と重なるのだった。
愛美がこの道を歩いていたのは、何も鴬の声に風流を感じたからだけではな
い。ただ散歩以外にすることを思いつかない、というのが本当の理由だった。
母に続いて父をも亡くした愛美は、唯一の親戚、母の妹である雪乃叔母さん
に引き取られ、この街に来た。父母を亡くした愛美に、叔母さんは良くしてく
れた。それこそ子どものない雪乃叔母さんは、愛美を実の子以上に可愛がって
くれる。叔母さんの旦那さん、叔父さんもそのお母さんも。
父と二人きりで暮らしていたときには死んだ母に代わり、家事の一切を愛美
がしていた。それに加えて、家計をも支えるため朝と夜とにはアルバイト。そ
のあと授業に遅れないようにするため、深夜には勉強。
息一つつく時間さえないほどに、忙しい日々を送っていた。それが叔母さん
と暮らすようになって、家の仕事を手伝う必要がなくなってしまったのだ。愛
美の方で何か家事を手伝おうとしても、叔母さんたちに見つかると止められて
しまう。気を遣ってくれているのだろうが、突然出来てしまった自由な時間を、
どうしていいのか愛美には分からなかったのだ。
中学校が春休みに入ってからは、こうして街の中を目的もなく散策すること
が、愛美の主な日課となってしまった。家で勉強でもしていればいいのだろう
が、昼間叔母さんも叔父さんも務めに出ており、所詮は血の繋がらないおばあ
さんと二人で同じ家の中にいるのが辛いのだ。それは決して叔母さんがいない
間、愛美がぞんざいにに扱われるとか、そういったことではない。おばあさん
も、本当に優しくしてくれる。それがかえって、愛美をいたたまれない気持ち
にさせるのだ。
それならば友だちと一緒に、遊ぶなり勉強するなりしたらいいのかも知れな
い。
けれど愛美にはまだ、この街での友だちを作ることが出来ないでいたのだ。
長く友だちを拒み続けていた愛美には、新しい友だちを作る方法が分からなく
なっていた。決して愛美自身にそのつもりはないのだが、三学期の初めから転
校して来たクラスでは、『どこかすました子』として最後まで浮いていた。
涼原純子………父と暮らした街で出来た、最後の友だちには強がった手紙を
書いたが、本当はまるで新しい生活に馴染めていなかったのだ。
「ふう………」
ため息が出る。
鴬の声はもう聞こえなくなっていたが、もともと本気で探していた訳でもな
い。
柔らかな陽射しの中、微かな山桜の香りを嗅いでいると、無性に父と暮らし
ていた街が恋しくなってくる。
父のこと、母のこと。街を離れる愛美を見送ってくれた友だちたち。失恋に
終わった相羽への想いさえ懐かしい。
「帰りたいな………あの街に」
一粒の涙と共にこぼれる、そんな呟き。
ぴい、ぴい。
いつの間にか伏せられていた愛美の顔を上げさせたのは、鴬の美しさには遠
く及ばない、甲高い鳥の声だった。
愛美はやけに近くから聞こえてくる、その声の元を探す。どうやらそれは、
愛美の頭上ではなく、雑木林の下生えの中から聞こえてくるようだ。
愛美にはなんの鳥の鳴き声なのか分からなかったが、その姿を求めて、下生
えの中に足を踏み入れる。どこか幼く感じられる声が、助けを呼ぶように聞こ
えたのだ。
「あっ」
足を一歩踏み入れた途端、不器用な羽ばたきとともに、何かが下生えの中か
ら飛び出してきた。思わず愛美が身を屈めると、それは頭上を飛び越して行っ
てしまった。
「なに? いまのは」
鳥がいると分かっていながら、突然飛び出してきたものに驚いた愛美は、後
ろを振り返った。そしてたったいま、自分の頭の上を通り過ぎて行ったものの
姿を探す。
「かわいい!」
つい先刻までの沈んだ気持ちを忘れ、愛美は声を上げた。
一本の山桜の木。それは地上から二メートル足らずのところで、幹が二股に
別れていた。その枝の間にまん丸な鳥が停まっていて、こちらを見ていたのだ。
その姿を見てもなんの鳥であるのか愛美には分からなかったが、ヒナである
ことは間違いなさそうだ。背中が茶色で、お腹が白くふわふわとした、タンポ
ポの綿毛のような羽で覆われた小鳥が小首を傾げている。やたらと黄色く、大
きなくちばしが目立つ。
「この子、迷子かしら」
どこか舌足らずに感じられるヒナの鳴き声に、愛美は思わず手を差し伸ばし
掛けた。
「やめといた方がいいぞ」
突然聞き覚えのない声がして、驚いた愛美は手を止めて振り向く。
いつからそこにいたのか、見知らぬ男の子が立っていた
ファッションのつもりなのだろうか、黒い野球帽を斜めに被っている。髪の
毛は短いようだ。少し濃いめの眉に、何か怒っているような目が印象的だ。愛
美のことを、きっ、と睨み付けている。所々に黒や緑色の汚れが目立つ、白い
Tシャツ。如何にも履き古しと分かる、すりり切れたジーンズパンツ。身長は、
愛美より頭一つほど低いだろうか。小学校の中学年から、高学年になるかなら
ないか、と言ったところだろう。
「相羽くん………」
男の子には、届かなかったであろう。愛美の口からこぼれた、小さな囁き。
何も似た所などないのに、男の子の持っていた白い捕虫網が、以前愛美が心
寄せていた少年の部屋を一度だけ訪れたときに見たそれと重なる。
「手ぇ、出さない方がいいぞ」
何が気に入らないのだろうか。男の子はぶっきらぼうに繰り返す。ずいぶん
と乱暴な口調だった。男の子が何を言いたいのかは分からないが、まるで愛美
を叱りつけているようだ。
自分より明らかに年下の男の子に、そのなふうに言われて、つい愛美も腹を
立ててしまう。
「ちょっと、なんて言ったのかな?」
腹は立っていたが相手が子どもということもあり、愛美は出来る限り穏やか
な声で聞き返した。
すると男の子は、愛美を馬鹿にするかのように、ふんと鼻を鳴らして言った。
「なんだオマエ、日本語が分からないのか?」
さすがにこれには、愛美も頭にきた。
「ふざけないで! どうして手を出しちゃいけないのか、訊いてるの」
子ども相手に大人げないと思いながらも、つい声を荒げてしまう。
人を怒鳴りつけるなど、愛美には久しく覚えのない事だった。
「なに怒ってんだよ、オマエ。人が親切で言ってやってんのに」
むすっとした表情で男の子は応える。
年下の男の子に「オマエ」と呼ばれ、愛美は少しきつく叱りつけてやろうと
口を開き掛けたが、言葉は出なかった。何も思いつかなかったこともある。し
かし感情が高ぶると同時に、過去のとんでもない過ちを思い出してしまったの
だ。
父が病に倒れ病院に駆け付けた愛美は興奮のあまり、自分を気遣ってくれた
幼い少女、美璃佳に酷い言葉を投げつけてしまったことがある。そのことへの
後悔の気持ちもあって、殊、怒りの感情は抑えるようにする習慣が身に付いて
しまった。ある種の人間による、不当な仕打ちにも抗することが出来なくなっ
ていた。
返す言葉を失った愛美は、男の子を無視して再度木の上のヒナへ手を伸ばす。
その掌で、そっと包み込もうとして。今度は男の子からの声は掛からなかった
が、やはり愛美の手は途中で止まってしまった。手だけではない。愛美の身体
は、まるで凍り付いてしまったかのように、動かすことが出来なくなってしま
った。
そんな愛美を、不思議そうに見つめている小鳥。その姿はとても愛くるしい
ものだった。愛美を凍り付かせたのは、そのヒナではない。
ヒナのいる周り、二股になった木の幹に見つけた蠢く物がその原因だった。
それは数十匹にも及ぶ、芋虫の群だったのだ。その場所の何が気に入ったの
かは知らない、知りたくもないが丁度ヒナの足下、幹が二股になった部分に無
数の芋虫がびっしりと貼り付き蠢いていたのだ。
叫び声を上げたつもりだったが、愛美自身の耳には届かない。声が出なかっ
たのかも知れない。
他の女性の多くがそうであるように、愛美もまた虫が苦手だった。たぶん男
性でもこれだけ大量の芋虫を見て、平気ではいられないだろう。
愛美は無意識のうちに、後ずさりしようとしていたらしい。だが凍り付いた
身体は、スムーズな動きを執ることが出来なかった。石か、草の根かは分から
ない。何かが踵にあたったような気がした途端。
「あっ、ばか!」
男の子の声がした。
恐怖のあまりその意に反して視線を逸らせず、ただじっと見つめていたはず
の芋虫の集団が消えた、ような気がした。耳元で風を切る音が聞こえたかと思
うと、強い重力を感じた愛美の視界には、青い空が飛び込んで来た。
何かに躓いた愛美の身体は、そのまま後方に倒れようとしていたのだ。
気づいた時にはもう遅い。背中から倒れたのでは手をつくことも出来ず、咄
嗟に身を捻る間もない。せめて頭だけは護ろうと、愛美は両腕を後ろにまわす。
まず背中に軽い衝撃。
いまの愛美には、倒れ込む勢いのわりに衝撃の少なかったことを疑問に感じ
る余裕などない。予測はしていても、実際に衝撃を感じたことで驚いてしまっ
た愛美は、頭を庇っていた手を外した。