AWC 愛美、5パーセント(5)       悠歩


        
#4466/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/ 4/ 3  23:55  (188)
愛美、5パーセント(5)       悠歩
★内容



 春休みが終わり、また憂鬱な日々が始まった。
 新学期から愛美も二年生となったが、新鮮さは微塵もない。もとより一年の
三学期に転入して来て、そのクラスに馴染めぬままにいた愛美には、新学期に
クラス替えが行われてもそれまでとの違いを見い出せない。
 前の学校でもアルバイトに追われ、友だちと話すことはほとんどなかった。
だがそれでも父との生活を支えたいという想いが強く、それを寂しいとか感じ
る暇もなかった。
 しかしそれがないいま、愛美にとって学校はただ苦痛を我慢するだけの空間
となっていた。
 どこの中学校も同じだろうが、特にここは全ての生徒が地元の小学校から上
がってきた顔見知り同士。それどころか、赤ん坊の頃からの知り合いという者
たちも少なくない。その中にあって、余所からやって来た愛美は浮いた存在だ
った。
 それでなくとも、同年代の友だちとの接触を長く避けていた愛美は、どうす
ればみんなと打ち解けられるのか、術を知らない。転校初日、自分を見つめる
好奇の視線に酷く戸惑った。
 父との二人暮らしを続けた中で、愛美は世間の噂に対して無意識に身構える
癖がついていた。皆、陰に隠れて愛美の父を悪く言うことを知っていた。その
時に身についた習慣から、自分に向けられる好奇の目に対して、激しい嫌悪感
を持ったことは間違いない。
 新しい街で新しい暮らしが始まる中、うじうじとしていたそれまでの自分は
捨てて、もっと積極的に友だちを作ろう。そんな決意も、今日まで具体的な行
動にはならなかった。
 今日は出掛けに手伝っていた洗濯に手間取り、いつもより十分近く遅い登校
となった。叔母さんは気にしなくていいと言ってくれるのだが、何か手伝いを
しないと落ち着かないのだ。どんなに家の人たちがよくしてくれても、未だ愛
美は自分がその家族ではなく居候であるとしか思えなかったのだ。
「ふうっ」
 教室の前に立った愛美は、小さく息を吐く。毎日のように繰り返している、
ささやかな儀式。こうして気持ちを引き締めないと、教室に入ることも出来な
い。
 扉を開けると、先に着いていた生徒たちの話し声が一際高く聞こえ、膨大な
圧力となって愛美に襲いかかる。
 また憂鬱な気分が大きくなる。
 窓際の一番後ろ。そこが愛美の席だった。
 その手前、愛美の席の隣でたむろする男の子たち。彼らの横を通り過ぎなけ
れば、愛美は自分の席に着けない。
 いつも通りの時間に学校に来ていれば、彼らがたむろするより先に席に着く
ことが出来ていた。愛美が普段早めに学校に来るのは、叔母さんの家にいても
居心地が悪いのと、男の子たちが集まるより先に席に着きたかったからだ。
 しかし今日は遅くなってしまったのだから仕方ない。なるべく男の子たち、
正確にはその集まりの中心となっている席の主、栢下智貴(かやしたともき)
と目を合わさぬようにして自分の席に向かう。
 もし二年生に進級した時点で、栢下と違うクラスになっていたなら、愛美に
とって少しは学校に来る苦痛も和らいでいただろう。栢下とは一年生の三学期
の初め、愛美が転校して来た時に同じクラスだった。
 転校初日、自分に寄せられる好奇の視線に愛美は堪えていた。特に人の流れ
の少ない街で、転校生は珍しいのだろう。そのことについては、前もって雪乃
叔母さんから聞いていて、覚悟はしていた。転校生が珍しいのも、初めのうち
だけ。愛美さえ普通にしていれば、すぐにみんな打ち解けてくれる。そう思っ
ていた。
 この時、愛美自身がもっと積極的に友だちを作ろうとすれば良かったのかも
知れない。けれど出来なかった。長い時間を掛けて身に付いた、周囲の者たち
を遠ざけようとする習慣は、簡単に治せなかった。愛美は自分の方から、友だ
ちを作るための行動が起こせなかったのだ。
 いや、それだけならまだ良かった。せっかく周りの女の子たちが話し掛けて
くれても、どう受け答えていいのか分からない愛美は、そこから逃げてしまっ
たのだ。そんなことが数回続くと、クラスの中で「あの子は暗い子だ」という
愛美の評価が定着してしまった。
 だがそれでも、学校に来るのが辛くなるほどのことではない。実際前の学校
では、精神的な違いはあるものの似たような状況に堪えていたのだから。決定
的に愛美の立場が悪くなったのは、転校して間もなく、クラスに広がったある
噂だった。特に隠していた訳でもないのだから、愛美が叔母さんの家で世話に
なっていることは早々に知れていた。だがその理由について愛美自らは、誰に
も話してはいない。にも関わらず、それが知れてしまった。
 愛美の前の街での暮らしについて、知っていた者は限られていたはず。叔母
さんとその家族、担任と一部の先生たちくらいだろう。まさかそのうちの誰か
が吹聴して廻ったとも思えない。けれどクラスメイトに知れてしまった。
 そのことを愛美に対して最初に口にしたのが、栢下だった。この男子生徒に
対して、愛美は特に初めからいい印象を持っていなかった。いつも睨み付ける
ような目で愛美を見る栢下。当時彼の席は愛美の後ろにあり、授業中に刻んだ
消しゴムの欠片を、しつこいほど投げつけてきたりしていた。愛美が振り返る
と、素知らぬ顔でノートに黒板を書き写し、前を向くとまた消しゴムを投げて
くる。普段の態度からも、栢下という男子生徒はいじめっ子の部類に属するよ
うだったが、特に余所者である愛美を嫌っていたようだ。
 その栢下が、ある日愛美に向かって言ったのだ。
「お前、中学生のくせにアルバイトしてたんだってな。親父が働かないからっ
て。その親父が死んで、叔母さんにもらわれてこっちに来たんだろう。だった
らいまは、時間とか結構余裕あるだろ?」
 愛美にはこの言葉が、死んだ父に対しての侮辱以外の何物にも聞こえなかっ
た。冷静に考えることなど出来なかった。言葉で応える代わりに、愛美は栢下
の頬を打っていた。
 掌が栢下の頬を打つ乾いた音が響き、同時にクラスの各所で発生していたざ
わめきが止んだ。
 さすがに女である愛美相手に、栢下も殴り返しては来なかったものの、これ
によって学校での愛美の立場は決定してしまった。もともと栢下は上級生にも
恐れられていたらしい。その栢下に睨まれるような真似をしてしまった愛美に、
近づこうとする者などいない。そもそも暗い子として、積極的に友だちを作ろ
うとしなかった愛美だ。敢えて栢下を敵に回す危険を冒してまで、愛美に話し
掛けてくる者はなかった。
 誰がどこにいるかは確認しない。ただ集まりの中心が栢下であると分かれば
充分だった。その中心と目が合わないようにして、自分の席に急ぐ。愛美と栢
下のことを知らず、こんな近い場所に席を割り振った担任を少し怨みながら。
 ふと春休みに出会った、早苗先生の厳つい顔が浮かんだ。あんな先生が担任
だったら良かったのに。無理なことを知りながら、そう思う。早苗先生は、小
学校の教師なのに。
 栢下と目を合わせないようにと意識しすぎたため、その周りへの注意が疎か
になっていた。栢下の席の横に立っていた男子生徒の背中に、愛美の鞄が当た
ってしまった。
「痛ってぇな! 気をつけろよ」
 当たったと言っても、軽く掠った程度のことだ。なのに男子生徒は大げさな
声と共に、愛美を振り返る。
「あっ」
 顔を上げた愛美は、驚きのために「ごめんなさい」の言葉をつい、飲み込ん
でしまう。
 そこにあったのは、集まりの中心にいるとばかり思っていた栢下の顔だった。
席の方を見ると、座っていたのは栢下でなく、別の男子生徒だった。
「なんだよ、お前は! 人に鞄をぶつけておいて、謝りもしないつもりか」
 鞄を当てたのが愛美だと知ると、栢下は一段と声を荒げる。同時に教室の各
所で続いていた、お喋りが止み、全ての視線が愛美たちに集中する。
 いまの愛美の立場を決定づけた、あの日と同じだ………恐怖した愛美は、声
が出なくなってしまう。
 父と二人きりで過ごした日々。幾度となく、父は些細な理由を見つけては愛
美を怒鳴りつけたものだった。けれどこれほどまでに、それを恐いと感じたこ
とはない。
「………」
 「ごめんなさい」の一言で、この場を切り抜けることが出来たのかも知れな
い。けれどすっかりすくみ上がった愛美の唇は、言葉を紡ぐことも適わない。
「なに睨んでんでよ、お前が悪いんだろ」
 もちろん愛美には、睨み付けているつもりなど毛頭ない。ただ相手から視線
を外せなくなっていただけだ。愛美の意志に反して、栢下の怒りは増幅されて
いくばかりのようだった。顔の紅みが濃くなっていく。
 今度こそ、殴られるかも知れない。
 そう思ったとき。
「栢下、もうヤメなよ」
 そんな声が聞こえた。
 女の子の声だったが、誰であるかは分からない。しかしこの学校に転校して
来て、初めて愛美を庇うような発言に、愛美本人ばかりか栢下も驚いたようだ。
栢下の目が愛美から逸れ、声の主を探す。反射的に愛美も、それに倣おうとし
た。
「あれぇ、そこで女を虐めてるの、智貴じゃねぇの? みっともねぇ〜」
 今度は男の子の声だった。
 愛美の目は、最初の女の子より先にその男の子の姿を捉えた。
 二年に進級してまだ日も浅く、その上孤立していた愛美はクラスメイトと話
をしたことはないが、顔は分かる。クラスの子ではない。しかしどこかで見た
覚えのある顔。
 真新しい詰め襟の学生服。足下から覗く、上履きのラインの色が他の子たち
と違う。あれは新一年生の色だ。
「ちっ、誰かと思えばチビ健か。一年坊が、勝手に二年の教室に来るんじゃね
ぇよ」
 どうやら栢下の知り合いのようだ。その男の子にも、栢下は威嚇的な話し方
をしているが、愛美に対してよりはややトーンダウンしたいるように感じられ
る。
「けっ、中学生になったら急に威張り出しやがってさあ。バッカじゃねえの?
 やるんなら相手になるけどよ」
 距離が離れているので定かではないが、栢下に比べて男の子の身長は頭一つ
半以上低い。にも関わらず、その男の子は臆した様子もなく、それどころか挑
発するような物言いで返して来る。
 それまで張りつめた空気の中、静まり返って教室のあちらこちらから、くす
くすと小さな笑い声が聞こえてきた。男の子が栢下に対して臆しない理由を、
皆知っているのだろう。
「チビけん………あっ」
 歳上を相手にしての生意気な話し方。たぶん同じ一年生の男の子と比べても
低い身長。それはあの春休みの日、愛美の出会った男の子、綾瀬健太だった。
「オマエ、中学生になってもまだ女を虐めてるワケ? 進歩ねぇの」
 そう言いながら健太は、上級生の教室の中を平然とこちらに向かって歩いて
くる。少しふざけたような、けれど本気で怒ったような声で話しながら。
「別に虐めてたんじゃねぇや!」
 栢下はぷいと健太から視線を逸らし、逃げるようにして自分の席に戻って行
った。そこに座っていた同級生を突き飛ばすようにして。
「あっ、お前! ………愛美」
 ようやく健太も愛美に気が付いて、驚きの声を上げた。しばらく健太は茫然
していたが、突然真顔になったかと思うと素早くしゃがんで愛美のスカートの
中を覗き込んだ。
「ばか! 何するのよ」
「うおっと!」
 驚いた愛美は、健太の肩を押して突き飛ばす。ただ咄嗟に栢下を叩いてしま
ったときのことを思い出し、手加減を加えたはずだった。ところが健太は大き
な声と共に、芝居掛かった大げさな仕草でよろめき、尻餅をつく。
 教室中から、おお、と声が上がった。栢下を叩いてしまったときとは異なり、
皆その出来事を楽しむのかのように。
「おい、カヤ。あの二人、ずいぶん仲がいいみたいだぜ。いいのかよ」
「うるせい、俺にカンケーねぇだろ」
 そんな会話が聞こえた。
「ちっ、ケガの具合を見てやろうとしたのによ」
 立ち上がった健太は、汚れてしまったお尻を叩きながら言った。
「一週間近く経ってるのよ、あれくらいのケガ、とっくに治ってるわ。だいた
い、そんな確認の仕方ってないでしょ」
「相変わらず、可愛くねぇ女」
 不機嫌そうに応えた健太は、もう愛美に対する興味はなくなったかのように
顔を背ける。そして栢下の方へと歩いて行った。
「なあ、智貴。ひっとして、お前、まただろ?」
 座っている栢下の肩に腕をのせ、健太は親しげに話し掛ける。栢下は座った
ままであるが、こうして二人が並んでいるのを見るとその身長は大人と子ども
ほどに違っていた。




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