#4415/5495 長編
★タイトル (RAD ) 98/ 2/10 22: 9 (191)
翼をその手に 〜夢の始まり〜 12 悠歩
★内容
翼の強度は上げすぎると逆に壊れやすくなる。風の方向が変わったり、旋回を
しようとすると力に耐えきれず折れてしまうのだ。しかし機体を支えるだけの強
度もまた、必要である。
フィリオは複葉に何本ものワイヤーを通し、それを上下で繋ぐことを考えた。
それは丁度、紙製の長い箱のようになる。端を掴み力を加えて捻ると、全体がた
わみ力を逃がす。
目の前から、フィルの姿が消失して、池が視界に広がる。
(間に合わないか)
浮力は生まれているはずだが、もう距離がない。フィリオは操縦管を目一杯に
引き倒し、瞼を閉じた。
(……………)
冷たい水の感触を予想していた。けれどいつもで経っても、それがフィリオを
襲うことはなかった。ただ風の音だけが聞こえている。
開かれたフィリオの視界には、池の姿はない。池とは違う、青一色だけが見え
ている。そういえば、車輪が地を摺る音がしない。
(もしかして)
期待と不安とが交差するなか、フィリオは横から下を見る。池も丘も子どもた
ちも、遥か遠くにいた。
(やった……のか? ぼくは)
初めて成功したときには、もっと興奮するものだと思っていた。けれどいまの
フィリオは、驚くほどに静かな気持ちだった。
顔に何か当たった。上げると、翼の一部に亀裂が生じている。今朝方まで修復
をした部分であった。
(喜ぶのは後にして、着陸を先にした方がよさそうだ)
そしてフィリオは、生まれて初めての着陸を試みることにした。
鳥が舞い降りるように、という訳にはいかなかった。
丘に戻るために旋回をした時点で、翼の亀裂はさらに大きくなり、高度を下げ
た機体が地に着くのを待たずに折れてしまった。バランスを崩した飛空機は、地
面に大きな円を描いた。それでもフィリオは無事、怪我もなく地に立つことが出
来た。次の課題は、飛ばす度に作り直す必要のない物を造ろうと思いながら。
「フィリオ」
飛空機から降りたフィリオを、アリスが出迎えてくれた。
「やったよ、アリス」
「うん、信じていたもん」
応えるアリスの声は小さかったが、その喜びはこぼれている涙の量で分かった。
「アリス………」
「フィリオ………」
「うおっ!」
手を広げたフィリオの胸に飛び込んできたのは、レベッカだった。
「凄い、凄い、凄い、凄い、凄いよ、フィリオ!」
興奮しているレベッカの頭が、まともにフィリオの喉に入ってしまった。
「おいおいレベッカ、飛空機から降りた後に怪我をさせないでくれよ」
「だってだってだって、わたし、感動しちゃったんだも」
苦笑いするフィリオの胸の中で、レベッカは本気で泣いている。
「あれぇ、レベッカが泣いてるよ。まるで女の子みたいじゃん」
少し不機嫌そうに茶化すのはアルフ。
「わたしは女の子よ! アルフのばか!」
「それよりよぉ、早くフィリオ兄ちゃんを譲ってやれよ」
「譲るって、誰によ?」
「決まってんだろ。アリス姉ちゃんにさ」
「なっ………!」
声を上げたのはフィリオ。アリスの頬も染まっていた。
「もう、仕方ないわね」
指で涙を拭うと、レベッカは素直にフィリオから離れた。そして何やら、アリ
スに耳打ちをする。
「レ、レベッカったら………」
アリスはさらに紅くなってしまった。
「勝手に盛り上がるのは、それまでにしてもらおう」
和やかな雰囲気にそぐわない、怒気を孕んだ声が響く。集まった子どもたちを
割って、ジェームズが厳しい形相で姿を現した。
「アリスよ、俺と来るのだ」
それが当然のことであるかのように、ジェームズはアリスの腕を掴んで引き寄
せた。
「そんな……」
「待って下さい、子爵さま。約束が違います。ぼくは飛びました」
フィリオはその手を振り解いたアリスを、背中に庇う。
「約束が違うだと? それはこっちの台詞だ」
ジェームズの指が、横たわる飛空機をさす。
「十を数えるほどの時間で『飛んだ』だと。ふざけるなよ。そんなものが認めら
れるか」
「しかし、時間まで約束していません」
「屁理屈をこねるな」
「フィリオは、約束通り飛びました」
毅然としてアリスが言う。
「いいのか? それで」
興奮を抑えた低い声で、ジェームズはアリスに向けて言った。
「俺は飛んだと認めてはいない。なのにお前が約束に従わないのなら、こちらも
考えがある」
説得ではなく脅迫だった。
フィリオは憤りを覚え、強く拳を握りしめた。だがそれを振るうことは出来な
い。感情に委せ振るってしまえば、村の産業全てを犠牲にしてしまう。
「フィリオは飛んだのに」
小さな抗議の声。
「ん、いまのはお前か。どこのガキだ? ああ、親の名前を言ってみろ」
レベッカの前に立ったジェームズは、脅しつけるように見下ろす。他の子ども
たちは、黙って俯いてしまった。
みんな子爵家に逆らえば、どんなことになるか知っているのだ。
「飛んだんだもん………」
唇を噛みしめ、目に一杯の涙をためてレベッカが応える。
「止めて下さい、子爵さま。子どもたちには、関係ありません。私………私、子
爵さまの言われる通りに……」
堪えかねたアリスが何かを言いかける。ジェームズの顔に、歓喜の色が浮かび
始めた。
「飛んだよ、兄ちゃんは」
力強く、はっきりとした声が響く。仁王立ちをしたアルフが、睨むようにジェ
ームズの顔を見ていた。
「このガキが……」
「うん、飛んだよ」
「飛んだ、絶対に」
「見たよ、ぼくは」
「ぼくも見た」
俯いていた子どもたちが、次々に顔を上げる。口々に、フィリオは飛んだと言
いながら。
「貴様ら………俺が認めんと言っているのに」
ジェームズの身体が、わなわなと震えだした。怒りが心頭まで達している様子
だ。
子どもたちの言葉は、フィリオにとって涙が出るほど嬉しい。何があってもア
リスを渡すつもりはないが、このままではジェームズの怒りが子どもたちにまで
及んでしまう。
たとえアリスをさらってでも守る。だから君たちは、子爵を怒らせないでくれ。
フィリオはそう、言うつもりだった。しかしフィリオより先に、口を開いた者
がいた。
「止めて下さい。お兄さま」
ケビンだった。
それまで黙って兄に付き従っていたケビンが、他の誰よりも強い決意を秘めた
面持ちで、口を開いたのだった。
「ケビン………お前まで、兄を裏切るのか?」
ついも強引なジェームズには珍しく、わずかだが戸惑いを見せている。
「いいえ、そうではありません。ぼくはお兄さまが好きだから………みんなにも、
好きになって欲しいんです。なのにお兄さまは………」
必死に訴える眼差しが、ジェームズを捉えている。
「し、しかし約束は約束………」
そこに悪役然とした姿はない。懸命な弟に、どう応えていいのか迷う兄として
のジェームズがいた。
「フィリオさん、ううん。フィリオお兄ちゃんは、飛びました。お兄さまだって、
それは認めているはずです」
ケビンがじっとジェームズを見つめる。
「ケビン」
アルフもレベッカも、他の子どもたちもそれに倣う。
「くそっ、もうどうでもいい。好きにしてろ!」
唾を吐き捨てると、ジェームズはくるりと背を向け、その場から去って行った。
「ケビン………」
フィリオが呼びかけるとケビンは微笑み、ぺこりと頭を下げた。そして一瞬、
寂しそうな顔を見せると、やはり背を向けて兄の後を追った。
「また遊ぼうな、ケビン」
そんなケビンに声を掛けたのはアルフだった。振り返ったケビンは、驚いたよ
うな表情をしていた。
「明日もみんな、ここにいるからね」
レベッカが手を振ると、ケビンも嬉しそうに手を振り返した。
「ねえ、さっきレベッカは何を言ったんだい」
丘には二人きり。フィリオとアリスだけが残されていた。
「えっ、さっきって?」
草の上に腰を下ろしたアリスが、聞き返す。空ではフィルが弧を描いている。
「何か耳打ちしてたろ。あの時、レベッカは何て言ったのかな」
「ふふっ、知りたい? 女の子同士の秘密」
悪戯っぽく笑うアリス。
「別に、無理に訊きたいわけじゃないけど」
「いいわ、教えてあげる。レベッカは、こう言ったの。『今日だけは、特別にフ
ィリオを貸してあげるわね』って。モテて大変ね、フィリオは」
「やれやれ、相変わらずマセた子だな」
フィリオは苦笑する。
「だいたい、レベッカにはアルフがいるじゃないか。ああ、それにケビンも」
「そういうものなのよ、女の子は。特にあのくらいの年頃は、同い年の男の子は
子どもに見えるの」
「アリスも、そうだった?」
「ええ。私から見れば、いまもフィリオは子どもだわ」
「それはないだろ。ぼくの方が、一つ年上なのに」
フィリオは少し戯けて見せる。
アリスが笑う。
お互いに肩の荷が下りて、二人とも久しぶりに心から笑うことが出来た。
「ねえ、フィリオ。私との約束、覚えてる?」
「必ず飛んで見せる、だろ。ちゃんと果たしたよ」
そうでないことは分かっていたが、フィリオはとぼける。ジェームズとのこと
が解決して、いままでの関係を取り戻した安堵感を楽しみたい気持ちもあった。
その落ち着きが、さらに一歩アリスとの仲を進ませることに、わずかな躊躇いを
覚えさせていた。
「もう、わざと忘れたふりしてるでしょ?」
ぷう、と頬を膨らますアリス。
(アリスだって、子どもじゃないか)
フィリオはそう思った。そんなアリスが可愛いと思った。
「だって、ぼく子どもだからね」
「ばか」
「でも少ししたら、思い出すかも」
「少しって、どのくらい?」
「さあ」
「………意地悪」
傾きかけた陽が、山々の尾根を紅く染めていく。
ねぐらへと戻る鳥たちが、群れをなして飛んでいく。
夜の空の主役となる二つの月が、太陽が沈みきるのを待ちきれず朧気な光を放
ち始めている。
一羽の風呼鳥が、壊れた飛空機の上で翼を休めていた。
涼しげな風が、通り過ぎていった。
翼をその手に -Create the WING for us!-
〜夢の始まり〜・完