AWC 翼をその手に 〜夢の始まり〜 9      悠歩


        
#4412/5495 長編
★タイトル (RAD     )  98/ 2/10  22: 7  (200)
翼をその手に 〜夢の始まり〜 9      悠歩
★内容



 空を飛ぶ。
 周囲から指さされ、嘲られても苦にはならなかった。幾度失敗を重ねても、夢
を実現させるための努力は楽しくて仕方なかった。
 しかし今度ばかりは、事情が違う。
 フィリオは生まれて初めて、自分以外の人のために努力しなければならない。
 失敗は許されない。アリスを不幸にしたくない。
(フィリオを信じてるから)
 その言葉に応えたい。
 これほどまで、飛空機造りに必死になったことはない。
 アリスを渡したくない。誰にも。
 幼なじみのアリス。口うるさいアリス。姉のようなアリス。妹のようなアリス。
笑っているアリス。泣いているアリス。怒っているアリス。拗ねているアリス。
優しいアリス。恐いアリス。子どものようなアリス。大人びたアリス。泥だらけ
のアリス。草の匂いのするアリス。
 フィリオは気づいていた。自分にとって、アリスが特別な存在であることを。

 派手な音が立つのも意に介さず、フィリオはひたすらスープを口に運ぶ。
 ジェームズと約束した期日まで、あと四日。本当は食事をする暇も惜しい。
「ずいぶんと、塩のきついスープだな」
 二人きりの食卓で、祖父が呟くように言った。
「ごめん、次は気をつける」
 短く応えると、フィリオは再び食べることに集中する。
 祖父との取り決めで、食事の支度はフィリオの役目だった。そして三度の食事
は、きちんと取ること。空を飛ぶのに有利だからと言って、食事を抜くことは許
されていない。それが十七になっても定職に就かず、飛空機造りに熱中するため
の条件だった。
 いくら完成を急いでいても、違えることは出来ない。だから少しでも時間を節
約するためには、素早く料理して、素早く食べるしかない。
「子爵のボンクラ息子と、とんでもない約束をしたらしいな」
「ああ」
 応えながらも、食事を口に運ぶ手は休めない。
 ジェームズとの約束を祖父に話した覚えはなかったが、人の口に戸は立てられ
ない。と言うことだろう。誰か村人から訊いたらしい。アリスが言い触らしたと
も思えないが、なぜだか村のあちこちで噂になっていたから。
「ボンクラもボンクラなら、お前も大馬鹿だな」
 フィリオは手を止める。何か言おうとするが、返す言葉はなかった。
 もともと酒の入っていないときは、口数も少なく、たまに話してもひどくぶっ
きらぼうな祖父だったが、今日は本気で怒っているように感じられる。
「儂はな、今日までお前が夢を追い続けることに、何も言わんできた。儂も空を
飛ぶなどと、とても適うことではないと思っておったし。だが他の者が何と言お
うと、夢を追うことは尊いことだ。先人たちもそうして、無理と言われてきたこ
とを実現してきた」
 フィリオは知らず知らずのうち、姿勢を正していた。
 普段はなかなか会話のない二人だが、村の大人たちみんなが「馬鹿げたこと」
と笑う飛空機造りをフィリオが続けて来れたのは祖父のおかげだった。積極的に
応援してくれている訳ではないが、決して他の大人たちのように笑い、止めろと
言うこともなかった。
 唯一の身内である祖父が否定しなかったからこそ、フィリオは飛空機造りを続
けられた。そのことは、フィリオ自身よく分かっていた。
「だが、なんだお前は? アリスまで巻き込みおって。全てを自分自身の責任に
於いて出来ないことを、するんじゃない」
「けど、それはアリスが」
「言い訳はするな」
 鋭い視線がフィリオを刺す。
 それはもうすっかり忘れかけていたが、フィリオが幼かった頃見た、まだ現役
の猟師だった祖父の目。
「儂だって、お前が自分自身のために夢を追っているなら、何も言わん。しかし、
人様を巻き込む結果となれば、話は別だ。いいか、もしアリスを泣かせるような
ことになったら、決して許さんぞ」
 フィリオは黙って頷くだけだった。

 古ぼけた納屋。
 ここが飛空機を造るための場所になっていた。
 机代わりの木箱にランプを置いて、フィリオは図面を睨み付ける。その傍らに
は、アリスにもらったゴーグルが置かれている。
「だめだ………これじゃあ、この前の失敗作と同じだ」
 癇癪を起こしたように叫び、図面に大きくバツ印を書き込み、干し草を敷き詰
めた床に寝ころぶ。
 頭の先には翼のない、機体だけが復元された飛空機があった。
「形状は、これでいいはずなんだ。間違いなく浮力は得られている」
 修理もされず、放っておかれた屋根の穴から、小さい方の月が覗いている。空
に浮かぶ二つの月の影響か、所々重力の枷が緩む場所のあることは、実験によっ
て分かっていた。上手くそのポイントを使えば、飛空機にかかる負担は減る。だ
がそれは補助的なものに過ぎず、飛空機自体に浮力がなければ飛ぶことなど適い
はしない。
 けれど浮力の問題はクリアしているはず。飛空機が浮きかけたり、模型が滑空
をしたりしていることから、そう考えていいだろう。
 ところがこれまで造った飛空機は、重力の減るポイントに達するまで行かない。
それどころか、飛んだと言える状態にすらなっていない。前回のように、飛ぶ前
に大破してしまったり、機体が重すぎるのか浮くことすら出来なかったことも数
知れない。
「この前の模型は、翼が折れてしまった………風の変化に対応出来なかったんだ。
風の変化さえなければ、滑空は続けられたはずだ。でも………実際に空を飛んで
いて、風が変わらないなんてあり得るか? 周りは山だらけだ。上空の風は常に
変化を続けている」
 いま出来ている機体は、前回の失敗からその強度を増している。これで浮き掛
けて、真っ二つになるようなことは、もうないだろう。しかし翼はどうしたらい
いのだろう。
 強すぎる翼は、意外に脆さのあることが分かった。けれど柔らかな翼では、機
体を支え浮力を保ち続けることは出来ない。
「畜生! あと四日………いや、実際の作業を考えれば三日もない。こんな短い
期間に結果を出せるくらいなら、もうとっくに成功してる」
 諦めが心を支配する。
 どう考えても無理な話だ。たとえ祖父に縁を切られたとしても、出来ないもの
は出来ない。
(フィリオを信じてる)
 アリスの言葉が、脳裏に甦る。
「くそっ………やるしか……ないだろ」
 フィリオは身を起こすと、ゴーグルを頭につけた。そして再び図面と睨み合い
を始めた。

 耳の後ろが、じりじりと熱い。
 フィリオはまるで、オーブンの中で焼かれるチキンの気分で目を覚ました。
「ん………あ?」
 咄嗟に自分の置かれている状況が把握できず、ぐるりと周囲に視線を送る。
 幾筋もの光の帯が縦横無尽に走り、漂う埃屑たちにスポット・ライトを浴びせ
ている。その幻想的な光景に暫し見とれ、ようやく自分が納屋にいることを思い
出す。
「そうか、あのまま眠り込んでしまったんだ」
 どれほどの時間、寝ていたのか分からないが、板の隙間から射す光は陽がかな
り高くなっていることを示していた。
 激しい喉の渇きを感じ、木箱の下に置いた水差しの水を、直接口に含む。が、
すぐに吐き出してしまう。温くなった水は、渇きを癒すのには不充分だった。
 井戸に向かおうとして、頭にゴーグルをつけたままであることを思い出す。外
して木箱に置き、額を指でなぞってみる。ゴーグルの跡が、くっきりと残ってい
た。

 冷たい水が喉に染み渡り、まだ眠ったままだった頭を目覚めさせる。
「おはよう、フィリオ」
 顔を洗おうとして、掌で水をすくい上げたフィリオの背後から声がする。
「アリス………」
 そのまま、陽の光の中に溶け込んで行きそうな白いワンピースの、少女が立っ
ている。小さいときからほとんど毎日のように見てきた顔が、今日は何か特別な
ものを感じる。いや、ここ数日は、毎日のように違う表情を見せている。
「それは………風呼鳥?」
 アリスの肩に停まる鳥を指さし、フィリオは言った。その鳥の、白い姿がアリ
スの服の色と混じり、全体が一つの芸術品のようにさえ思える。
「ぷっ」
 そんなフィリオの想いを裏切るように、アリスが吹き出した。
 それはやがて、笑い声へと変わっていく。
「な、なんだよ。何がおかしいんだよ」
 言いながら、フィリオは額にゴーグルの跡が残っていたのを思い出す。
「ちょっとな………居眠りしちゃったんだよ」
 フィリオは手で額を隠した。
「ふふふっ。それだけじゃなくね。ねえ、おかしいわよね、フィル」
「え?」
 フィリオは自分の名前が呼ばれたのかと思ったが、そうではないらしい。「フ
ィル」と言いながら、アリスは風呼鳥の喉を、指でさすっている。
「フィルって、そいつの名前かよ。紛らわしい………」
 鳥に嫉妬するつもりはないが、フィリオの声は不機嫌になってしまう。
「いいじゃない、素敵な名前でしょ」
 アリスはまた笑う。
「おい、だから何を笑ってるんだって」
「見てごらんないさい」
 小さな手鏡が、フィリオの前に差し出された。
「あ、いけね!」
 鏡を見たフィリオは、井戸水で顔を洗い始めた。鏡の中のフィリオの顔には、
黒い数本の線と細かい文字が刻まれていたのだ。
「ふう、もう落ちたかな?」
 タオルで強く拭いて顔を上げ、アリスに見せる。
「うん、落ちた」
「夕べ、図面の上で居眠りしちったから、さ」
 フィリオは頭を掻きながら、照れ笑いをする。ところが、先程まであれだけ笑
っていたアリスは、ふと寂しそうな顔をした。
「ごめんなさい………私のせいで、無理をさせてしまって」
「そんな……ぼくは、無理をしているつもりなんて、ないよ」
「飛空機、上手くいきそう?」
「ううん、まだ………だけど、絶対成功させるよ」
「うん。ねえ、散歩に行きましょうよ」
「えっ、でも時間が……子爵との約束まで、あと三日しかないんだ」
「焦ったって、いい考えは浮かばないわ。ね? 気分転換しましょ」
 アリスは渋るフィリオの手を掴み、強引に歩き出した。

「気持ちいい風。来て良かったでしょ?」
 アリスの長い髪が、風になびく。細くて軽い髪は、まるで風と一体化したかの
ように、優雅に踊っている。
(渡したくない)
 フィリオは思う。
 祖父に言われたからでも、自分自身の意地からでもない。もちろん妹を守ろう
とする、兄のような気持ちでもない。
 アリスを渡したくない。
 あの子爵には。いや、他の誰にも。
 純粋なフィリオの気持ち。
「どうしたの? 黙り込んで」
「いや、なんでもない………本当にいい風だあ」
 緩やかな丘の上から、下を見下ろす。
 そこはこれまでに何度か、フィリオが飛空機を飛ばそうとした丘だった。先日
も下に見える池に、飛空機を沈めてしまったばかりだ。
「この子ね、羽を怪我していたの。それでしばらく面倒をみていたんだけど、も
ういいみたい」
 アリスは肩の上の鳥を、そっと撫でる。
 改めてよく見ると、フィルと名付けられた風呼鳥の羽には、わずかに灰色の部
分があった。まだ若い鳥らしい。
 薄手の服の肩に、風呼鳥の爪が食い込んで、痛くないのだろうか。
 フィリオがそんな心配をしていると、アリスは風呼鳥を肩から手の上へと移し
た。二つの掌で、優しく包み込むようにする。そしてその手を、高く挙げる。
 フィルは少しの間、忙しなく頭を四方に振っていた。飛ぶことを躊躇している
のだろうか。フィリオがそう思ったとき。
 フィルは大きく翼を広げた。
 ふわっ。
 正にそんな感じで、フィルの身体が掌から浮かび上がったように見えた。次の
瞬間、力強く羽ばたいたフィルは、あっと言う間に空高く飛び立った。
「ほら、フィルは飛んだよ」
「ああ、飛んだ………」
 当たり前のことだ。
 鳥が空を飛ぶ。それは何百年、何千年前から、遥かな神話時代からの常識。け
れど。




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