#4411/5495 長編
★タイトル (RAD ) 98/ 2/10 22: 6 (199)
翼をその手に 〜夢の始まり〜 8 悠歩
★内容
高い門を見上げると、決意が揺らいでしまう。
(だめ、こんなことじゃ)
とにかくジェームズと会わなくては。誰かに門を開けてもらおうと、アリスは
中を見渡した。
「あれは?」
真っ直ぐ正面、別荘の玄関に人影が見える。アリスに顔が見えるように立って
いるのは、ジェームズらしい。大袈裟な身振り手振りで、誰かと話している。酷
く怒っているようだった。
そして、ジェームズの怒りが向けられている人物の背中。見覚えのある後ろ姿。
「フィリオ? フィリオだわ」
しかし、なぜ?
思わずアリスは、鉄格子のような門に身体を押し付ける。
きい、とわずかな軋みを立て、門が開かれた。鍵は掛かっていなかった。
「フィリオ!」
気がついたときにはもう、アリスは駆け出していた。
「アリス?」
「ほう、役者が揃ったか」
フィリオとジェームズの二人が、同時にアリスを振り返った。
「誰が案内したのかな? いくら我が妻にと考えている女性でも、無断で人様の
家に入り込むのは、許されることではないと思うが」
口の端に笑みを浮かべ、ジェームズが言った。
アリスとジェームズの間であったことを知らない、フィリオが怪訝な顔をする。
「ごめんなさい………でも、どうしてフィリオが子爵さまのところに?」
「それが……」
「ふん、この男、俺の弟に怪我をさせたのだ」
フィリオを制して、ジェームズが答える。
「違うんです、お兄さま! フィリオお兄ちゃんは、ぼくを庇って………」
子どもの声がした。
「うるさい。ケビンは黙っていろ」
見ると、ジェームズの後ろに十歳前後の少年が立っている。左脚の膝辺りに包
帯を巻いていたが、自分で立っているところを見ると、たいした怪我ではなさそ
うだ。
兄に怒鳴られながら、なおも何か言おうとする少年を、執事らしい男が奥へ連
れて行ってしまった。
「いったい、何があったのよ。フィリオ」
「飛空機………テスト用の模型飛空機が失敗して。ケビン……さまの上に墜ちそ
うになったんだ。慌てて庇ったんだけど、間に合わなくて」
「と、言うことだそうだ」
ジェームズの鋭い視線が、フィリオに投げ掛けられている。
「で、アリスよ。お前は、何をしに来たのだ? 俺の妻になる決心がついたのか
な、ん」
「アリス?」
事情の分からないフィリオが、どこか不安そうな目で、アリスの顔を覗き込む。
「違います」
「なんだ、つまらん」
ジェームズは小指で自分の耳を掻きながら言った。貴族の気品など、微塵も感
じられない。
「違います。でも、葡萄酒の取引だけは、なんとか続けて頂けるように、お願い
しに来たんです。子爵さまに取引を止められたら、私の家だけでなく、たくさん
の村人たちが困るんです」
「そんなのは、俺の知ったこっちゃない。だいたい、人様にものを頼むなら、手
土産の一つも持ってくるもんだ」
甲の方をこちらに向け、ジェームズはひらひらと手を振る。まるで犬猫を、追
い払うように。
「でも!」
「うるさい、帰れ帰れ。俺はいま、この男と話をしている」
ふと、ジェームズの手が止まる。そして振っていた手で拳を作り、もう片方の
掌をぽんと叩いた。
「うむ、そうだ。条件によっては、これからも取引は続けてやろう」
どこか意地の悪そうな笑みが浮かんでいる。こんな顔をするとき、人は良から
ぬ考えを抱いているに違いない。
「あの、子爵さまの奥さんになる話でしたら、お断りしたはずです」
「いいから、聞け。この男、えー確か………フィ、フィ、フィリオと言ったな」
びしっとフィリオを指さし、ジェームズはわざとらしく考えるような素振りを
しながら、名前を言った。
「お前と、この男は、幼なじみだそうだな」
なぜジェームズが、そんなことを知っているのだろう?
アリスには分からない。状況からして、フィリオが話したとも思えない。
わざわざ調べたのだろうか。
まるで品定めでもするかのように、ジェームズは二人を交互に見遣った。
「ふん、アリスよ。お前が俺の求愛を断った理由など、知れている。この男のせ
いだろう? 幼なじみに対する感情を、恋愛と勘違いしているのだ」
「な、なにを………」
勝手なことを言っているのだろう。
断定的なジェームズの物言いに、アリスは抗議しようとする。が、ジェームズ
はそれを遮り、独り善がりに話を続けた。
「それを俺が正してくれる。フィリオ、貴様にチャンスをやる」
「チャンス? ですか」
「そうだ。貴様は子爵家の者である、ケビンに怪我を負わせた。世が世なら、こ
の場で処刑されても仕方ないことをした。本来なら縛り上げて街に連れて行き、
裁判に掛けてやるところだが………」
「そんなおおげさな………だって、あの子……ケビンさまの怪我だって、それほ
どのものでは、ないみたいじゃないですか!」
フィリオに代わって、アリスが抗議する。
「やれやれ、落ち着きのない娘だ。そんなことでは、貴族の妻として………まあ
いい。とにかく話は最後まで聞け。
だから、チャンスをくれてやろうと、言っている。貴様は、イルナスの『羽ば
たかぬ鳥』を再現しようとしているらしいな?」
「飛空機です。人が乗って、自由に空を飛ぶ乗り物。そう、地を走る車や、水の
上を行く船のように」
フィリオは熱っぽく、話し出した。
どんな状況にあっても、飛空機の話になると、フィリオの目は輝きだす。
アリスには飛空機のことは、よく分からない。けれどフィリオのそんな瞳は好
きだった。
「馬鹿馬鹿しい話だと、思うが。車は初めから地についているし、船は水に浮か
んでいる。だが、この世に最初から空に浮かんでいるものがあるか? 雲か?
月か? 太陽か? そんなものは、初めから手が届かんぞ」
そしてジェームズは高笑いする。
アリスはジェームズを見る自分の目つきが、きつくなるのを感じていた。
「飛べます。飛空機は雲や月や太陽とは違います。ちゃんと、飛べる理屈がある
んです」
「ならばそれを、俺の前で証明して見せろ」
「えっ?」
「一週間、時間をやる。一週間後、俺の前で貴様がその飛空機とやらに乗って、
飛んで見せろ」
「む、無茶です。一週間なんて!」
「見事飛んで見せたら、貴様の罪は忘れてやる。アリスよ、葡萄酒の取引も、こ
れまで通りに続けてやろう」
「本当ですか?」
自分でも気づかぬうちに、アリスはフィリオより前に立っていた。
「ただし!」
ジェームズの声のトーンがさらに上がった。
「飛べなかったときには、アリス。お前は俺の妻になる。どうだ?」
「無茶だ、そんな条件は飲めません」
「構わんよ。この条件が飲めぬなら、貴様には罪の償いをしてもらうし、先刻の
宣言通りウッド家は村の葡萄酒の取引から、一切手を退く」
一方的な条件を言い、ジェームズは勝ち誇ったように笑っている。それがアリ
スには我慢ならなかった。
「分かりました」
考えるより先に、言葉が口を出ていた。
「アリス!」
「ほう」
「フィリオはきっと、飛んで見せます。ですから、その約束、忘れないで下さい」
「よかろう。ふふ、一週間後が楽しみだ………最高級の、王妃さま輿入れのとき
に召されたもの以上のウェディング・ドレスを用意して、待っていてやろう」
両手を広げ、芝居じみた台詞回しをしながら、ジェームズは玄関の奥へ去って
いった。二人の使用人が、無言でアリスたちに礼をし、扉を閉めた。
「なんであんな約束をしたんだ! いままで何年も掛かって、まだ成功していな
いものが、たかが一週間で出来るはずがないじゃないか!」
いつになく、フィリオは興奮しているようだった。
「じゃあ、他にどうしろって言うの?」
そんなフィリオにつられるように、アリスもヒステリックに怒鳴り返してしま
う。
「そ、それは………ごめん。本当は、ぼくが悪いのに」
「あのね、私、あの子爵さまにプロポーズされちゃったのよ」
フィリオが頭を下げると、アリスの興奮も嘘のように退いて行った。ウッド家
の別荘のある高台から、眼下に葡萄園を見ながら、二人はゆっくりと歩いている。
「ああ、さっきの話で分かった」
「私、断ったのよ。そうしたら今日、使いの人が来て『今後葡萄酒の取引は一切
しない』って、言ってきたの」
「………」
「ほら、でもフィリオが飛んでくれたら、全て上手くいくのよね」
アリスは笑う。何がおかしいのか分からない。それなのに、笑いがこぼれてし
まう。
「あ、でもフィリオは気にしなくていいのよ。もし駄目でも………子爵さまだっ
て、自分の奥さんの家が困るようなことは、しないはずでしょ? だからどっち
にしろ、葡萄酒のことは心配ないから」
後ろ手を組んで、アリスはフィリオの前をいく。
精一杯の強がり。
(何か言ってよ、フィリオ)
沈黙が続く。
早くフィリオが何か言ってくれなければ、その強がりはいまにも壊れそうだっ
た。
「本当に、それでいいのかよ、アリス?」
フィリオの大きな手が、アリスの細い肩に置かれる。やっと話してくれたのに、
やはり強がりは壊れてしまった。
「いやよ!」
アリスは振り返る。でも、フィリオの顔をはっきり見ることが出来ない。どん
な表情をしているのか分からない。
目の前にあるはずのフィリオの顔が、うねうねと、うねうねと揺れている。
(あっ、私泣いているんだ)
自分の涙を感じると、今更ながらとんでもない約束をしてしまったと気がつく。
「いやよ、私………あんな人と結婚なんかしたくない。だって、だって私……」
フィリオのことが好き。
言えなかった。
言ってしまって、フィリオが何も答えてくれなかったら。そこで全てが終わっ
てしまうようで、恐かった。
「私、フィリオを信じてるから」
それだけ言うのが、やっとだった。
「ぼく、やってみるよ」
アリスの両肩に、フィリオの手が優しく置かれる。
「アリスに悲しい想いをさせないように、絶対に飛んで見せる。だって、ぼくも
アリスのこと………」
(好きなの?)
期待と不安のおり混ざる中、アリスは次の言葉を待った。しかしフィリオの口
から、何も言葉が紡がれることはなかった。
その代わり、フィリオの顔がゆっくりと、アリスに接近してくる。
(えっ、まさか………)
目を閉じるべきか、アリスは迷う。もし目を閉じて、それがアリスの勘違いで
あったら、もう立ち直ることなど出来ない。
けれどもう、躊躇っている時間はなかった。フィリオの顔が、すぐ目の前に来
ている。アリスは瞼を閉じた。額に柔らかくて熱いものが触れる。
(やっぱり、おでこなのね)
アリスは悲しくなった。
やはりフィリオは、自分を仲のいい幼なじみとしてしか、見ていないのだろう
か。
「あ、あのさ」
俯くアリスの耳に、照れ臭そうな声が届く。
「その………ちゃんとしたキスは、一週間後、飛空機が飛べたときにするから」
「えっ?」
自分の耳が信じられず、アリスは慌てて顔を上げた。真っ赤な顔のフィリオが、
すっ、と視線を逸らす。
「だから、あと一週間、待ってて欲しい」
雲一つない空を見つめながら、フィリオはそう言ってくれた。
アリスは小さく頷く。そして胸が一杯になる中、その一言をやっとの思いで口
にした。
「私、フィリオを信じてるから」