#4410/5495 長編
★タイトル (RAD ) 98/ 2/10 22: 6 (195)
翼をその手に 〜夢の始まり〜 7 悠歩
★内容
とても静かだった。
そして重苦しかった。
父親は椅子に腰掛け、テーブルについた腕で頭を抱え込んでいる。
母親はそんな父親と向かい合うようにして座り、何か考え込むような顔をして
いる。
「お父さん、私やっぱり子爵さまのお話、お受けしても………」
いいわよ。
辛そうな両親の姿に耐えきれず、テーブルから離れて立っていたアリスは、そ
う言いかけた。
それを母親の優しい声が遮る。
「いいのよ、アリス。あなた、他に好きな人がいるんでしょ?」
「えっ………そんな、私。別にいないわ」
慌てて顔を背けたアリスに母親の、ふふふ、という笑い声が聞こえた。
「そうね。あなたにはまだ、結婚なんて考えるには早すぎるわね。だからもっと、
時間を掛けて、じっくりと考える必要があるもの」
「しかし、なあ」
弱々しい父親の声。
無理もない。
つい先程、子爵家からの使いが来て、今後一切葡萄酒の取引から手を退く、と
言ってきたのだ。
葡萄酒の製造販売をしているアリスの家はもちろんのこと、村のほとんどの農
家が葡萄の栽培で生計を立てている。子爵家からの通達は、死刑宣告にも等しい
ものだった。
「村の連中に、なんと説明すればいいんだ」
「考えましょう。村の皆さんには迷惑を掛けてしまうけれど、私たちは親として、
娘の幸せを考えなくては。きっと、なにかいい方法があるはずです」
母親の言葉は気休めに過ぎない、とアリスは知っていた。この辺りの土地は、
代々ウッド家の領地だった。その為、時代が変わってもウッド家の影響力は絶大
なものがあった。
この村で生産される全てのものは、ウッド家を通じて取引される。もちろん昔
とは違い、ウッド家を通さず取引を行ってもいいことになってはいるが、それは
立て前だけの話だ。
街の商人、他の貴族もウッド家との関係が悪くなることを恐れ、決して直接の
取引に応じることはない。
それが分かっていて、あの男は取引の中止を言ってきたのだ。アリスがジェー
ムズの求婚を断ったから。
アリスはそんなジェームズを憎いと思う。卑劣な男だと思う。
けれどこのままでは、村人たちの生活は立ち行かなくなってしまう。
「アリス………私はお父さんと、これからのことを相談しなければならないから、
ね」
母親は自分も抱えているだろう不安を隠し、アリスに退席を促した。
「うん、分かった」
アリスが悪い訳ではないが、自分が元で起きた問題の相談から外されることが
寂しかった。けれど自分がいても、何も力になれないことも分かっていた。
母親の言葉に従い、アリスは部屋を出た。
「凄い! こんな大きなものが、本当に飛ぶの?」
疑問と期待の混じった瞳が、フィリオと模型飛空機を交互に見やる。
「それは、これから試すのさ」
笑顔で応え、フィリオは子牛ほどもの全長を持つ飛空機の双翼を、そっと撫で
た。
「もっと早くくれば、ケビンも組立が手伝えたのに、さ」
「えっ、これ………アルフたちが組み立てたの?」
驚きに満ちた顔で、ケビンはアルフを見る。
「ああ、なんたって、こんなに大きいもんだろ? だからみんなで、バラバラの
こいつをフィリオ兄ちゃんの家から運んで、ここで組立たんだよ」
アルフは鼻を擦りながら、得意そうに言った。
「なによ、偉そうに。途中、羽を踏んづけて、壊しそうになったのは誰かしら?」
と、意地悪く言ったのはレベッカ。
「で、でも壊れなかったろ」
「運がよかっただけでしょ。壊していたら、どうするつもりだったのかしら」
「ふふっ」
そんなやり取りを、ケビンはおかしそうに笑う。
「仲がいいんだね、アルフとレベッカは。羨ましいなあ」
「仲がいい? こんな男女(おとこおんな)と! やめてくれよ、ケビン」
「あら、それはこっちのセリフよ。どうしてわたしが、こんな乱暴者と」
二人とも、むきになってケビンの言葉を否定する。
「なんだよ」
「そっちこそ」
「あの、喧嘩は後回しにして、そろそろこいつを飛ばすの、手伝ってもらえない
かな」
苦笑しつつ、フィリオは二人の喧嘩に割って入った。
「あ、ごめんなさい、フィリオ。ほら、アルフもぼさっとしてないで、フィリオ
を手伝いなさいよ」
「うるさいあ、レベッカなんかに言われなくても、分かってるよ」
そんなやり取りを見ているうちに、フィリオの頭の中からはアリスのことは消
えていた。いつものように、ただこれから始まる飛空機の実験に、期待が膨らん
でいく。
そして子どもたちは、飛空機の周りに、それぞれあらかじめ決めておいた場所
に立つ。
「じゃあ、ケビンはぼくと一緒に、前の方を頼むよ」
「はい」
レベッカを除く、全ての子どもたちが位置につく。
「用意して!」
フィリオの号令の元、子どもたちは模型飛空機を肩に担ぎ上げる。子どもたち
の身長にあわせるため、フィリオだけは中途半端な高さで抱えることになるが。
しばらくそのままに、風を待つ。
待ち望む風は、すぐにやって来た。
「行くよ。3、2、1、ゴー!」
皆、一斉に緩やかな丘を下り始める。
初めはゆっくりと。徐々に駆け足になりながら。
スカートがめくれることを気にしながらレベッカも、みんなに遅れて着いてき
た。
出来る限り強度は保ちつつ、軽量化に努めた飛空機だが、それでもこのサイズ
ともなれば重量は相当なものだった。それが走っていくうちに、少しずつ、少し
ずつ、軽く感じられてくる。
「はい」
フィリオが合図を送ると、一人、飛空機から離れる。けれど残った者に掛かる
負荷は、思ったより軽い。
(いいぞ。上手く行きそうだ)
次第に速度を上げながら、また一人、一人と順番に飛空機から離れていく。ま
だ残っているフィリオたちも、もう飛空機を持っているという感覚はない。とも
すれば、飛び出して行こうとするそれを抑えている。
「よし、最後だ。ケビンも、合図したら、手を離して!」
「はい!」
「よし、いまだ」
残っていた全ての者も、その手を離す。
「おおっ」
誰かが歓声を上げた。
抑える手の、全てがなくなったいま、飛空機は空に向けて浮かび上がった。
高く、高くと。
「凄い、凄い、凄い」
ケビンはただ、その言葉だけを連呼する。
「やったよ、やったよ、フィリオ兄ちゃん。成功だよ」
アルフが声を張り上げる。
「ああ」
大地に残された、飛空機の影を踏みながら走った。
フィリオも、ケビンも、アルフも、レベッカも、他の子どもたちも。
「次は、本物だね」
その問いかけに、フィリオは笑顔で応える。この模型での成功が、絶対的な自
信をフィリオにもたらしていた。
その時、風が変わった。
強い向かい風を受け、飛空機がぐらついたように見えた次の瞬間。
右側の翼が、いとも簡単に折れてしまった。
「あっ!」
飛空機の後を追って走っていた、子どもたちの足が止まる。
片方の翼を失い、バランスを崩した飛空機が、そのまま宙に留まるはずはない。
「みんな、逃げろ!」
フィリオが叫び終わるより先に、失速した飛空機は機首を下にして、きりもみ
しながら落ち始めた。
子どもたちは、蜘蛛の子を散らすように四散する。ただ一人を残して。
落下する飛空機の、真下にケビンはいた。
自分の方を真っ直ぐに目指してくる飛空機を、呆然と見つめて。
「いやあっ、ケビン!」
「危ない!」
子どもたちの絶叫が響く。
けれどケビンは動かない。足に根が生えてしまったかのように。
「くっ! 間に合うか?」
フィリオは地面を蹴って、ケビンの身体を押し倒した。
「ジェームズさま」
珍しく大きな声を出し、ジェームズの返事も待たずに執事が部屋に入ってきた。
「なんだ、騒々しい」
一人でチェスを打っていたジェームズは振り返りもせず、相変わらず不機嫌そ
うな面持ちで執事を怒鳴る。
「はっ、申し訳けございません………あの、ケビンさまが……ケビンさまが、戻
られました」
「出掛けた者が戻ってきて、何の不思議がある」
相手側の駒を一つ動かし、ジェームズはチェスの盤面を見つめ、腕組みをする。
「それが、お怪我なされておりまして」
「怪我? 酷いのか」
初めてジェームズは、執事に顔を向けた。
「いえ、軽い打撲と擦り傷ですが」
「ちっ、それくらいのことを、いちいち報告しなくてもいい。貴族ではあっても、
あいつも男だ。遊んでいて怪我の一つや二つ、したところで騒ぐこともない」
再び盤面に視線を戻し、自分の駒、相手の駒と動かす。
「はい、ですがお怪我をされたケビンさまを、村の方が連れてきて下さったので
す」
「ん? 礼のことか。お前に任す、適当にしておけ」
「その村の方といいますのが………あのフィリオさまでして」
「なに」
ぱんと音をたて、ジェームズの駒が盤面に置かれた。相手側のキングの正面へ。
足どりは重かった。
何度引き返そうと思したことだろう。
しかしその度に、苦悩する父母のことを思い、村の人たちのことを思い、踏み
とどまった。
こっそりと、家を抜け出して来たアリスの目指す先は、高台にあるウッド家の
別荘。そこに行って何をするのか、考えがある訳ではない。けれど家でじっとし
て、ただ成り行きを見守るなんて、出来なかった。
とにかく、話をしてみよう。
貴族だって、同じ人間。誠心誠意、お願いすれば、きっと分かってくれる。
「我が妻になれ」
ジェームズの言葉が、頭の中に甦る。身震いがした。
もし彼が、あくまでもそれを条件としてきたら?
自分はそれを、受け入れられるだろうか。
アリスの足が止まる。
「いや………私、出来ない」
掌で顔を覆い、その場に座り込んでしまう。
「やっぱり、いや………誰か助けて……フィリオ、フィリオ………」
熱い涙が溢れ出る。
他にすがるものもなく、幼なじみの名を何度も、何度も呼ぶ。答えの返らぬこ
とを知りながら。
肩に蝶が停まったのにも気づかず、アリスはしばらくそのまま蹲っていた。一
頻り泣くと、少しは気分が落ち着いた。意を決して立ち上がる。肩の蝶が、ひら
ひらと飛んで行った。