#4367/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 98/ 1/19 18:52 (146)
お題>復活。(上) 青木無常
★内容
復活。
ひゃんひゃんと火がついたように鳴き叫んでいた犬がぐるりと白眼をむく。
その四肢がひくひくと虚空をうち、けいれんする全身も暴れる力すらなくしたか、
弱々しく地に横たわるばかり。
そして、口吻の内側から出現した一対の手のひらが、血泡のこびりついた口もと
から、にゅう、とさらに前進しはじめる。牙がその皮膚を傷つけるが、意に介した
ようすもない。
みちみちと音がしそうな光景だ。
手はそのままゆっくりと、肛門からひりだされる糞塊のようにのびでてくる。
ひじ、腕、肩と、律儀に順番にしぼりでた。
そして、頭が出現した。
禿頭であった。地に伏してけいれんする犬の口中から、つるりとしたつや光りす
る頭が出現する光景は、まるで鶏卵がぽこりと産み出されるかのようだ。
つづいて顔。糸のようにほそい目。だんご鼻。やや大きめの口もとには、苦悶に
みちたその光景に似合わぬにたにた笑いがはりついている。
それから、のど、胸、腹、腰と、理屈どおりににゅるにゅると順にひりだされた。
犬の口腔内部からあらわれ出ていることを思えばそれほど奇異でもなかろうが、
その人物は全裸であった。頭部とおなじく、性器の周囲にも毛髪はいっさい見あた
らず、子どものそれのようにかわいらしいかたちをしたモノが、血まみれの犬の口
からぽろんとこぼれおちる。
さらに短い足をむりやりのようにひねりだして、ようやく苦悶の光景のクライマ
ックスが終了を告げた。
喘鳴とも苦悶の吠え声ともとれぬ、異様に力ない声音を吐きながら犬は、ぱたり
と地におとした四肢をよれよれともがきまわらせ、弱々しくいざる。まるで、おの
れが口腔内から産み落とした奇怪な人間から、恐怖のために逃れようとでもするか
のようなしぐさだ。
いっぽうの、突如として犬の口中から出現した全裸の男のほうは、けろりとした
顔をして地面に尻をつき、その上半身を起きなおらせる。
小柄だが肉づきはいい。肥満体といっていいだろう。どう見ても、それを吐きだ
した犬よりは数倍の大きさがある。全身が犬の血とよだれと体液にか、てらてらと
粘液質にぬれ光り、まるで羊膜からとりあげられたばかりの赤子のようにつやつや
としていた。
突然苦しみだした野良犬のようすを何事かととり囲んで見まもっていた四囲のひ
とびとは、ただ目をまるくして全裸の男をながめやるばかり。
対して男は――血まみれの口からいまにも死にそうな息をつきながら横たわる犬
の姿をちらりと見て、口をひらく。
「やあ、今度はそうきたか。わしはよほどうらまれていたらしいな。やれやれ、首
を切られたり燃やされたり水にしずめられたりといろいろやられてきたが、どうも
考えてみるとこういうのは初めてのような気もするなあ」
いって、ぼりぼりと後頭部をかいた。口もとにはにやにや笑いがへばりついて離
れない。
邪法師ウラデク。そう呼ばれていた。年齢不詳。ユグシュカの生まれといわれて
いるが、伝説にしかでてこない地名だ。
にたにた笑いをうかべたまま、邪法師はよっこらしょっと立ちあがる。
野次馬たちが、反射的にあとずさった。
それへむけてにたりと笑ってみせると、
「さて。それでは成果を見にいくとしようかい。これほどの仕打ちをしてくれたか
らには、いまごろはさぞや肥え太っていることだろうよ。さて楽しみ楽しみ。これ
があるからこうして苦労して、幾度も舞い戻ってこずにはいられないのさ」
股間のものをぶらぶらとさせながら、ほくほくと歩きはじめる。
むろん、人垣はふたつに割れてウラデクをすどおしする。ほかにどうしようがあ
ったろう。あんたはなぜ犬の口からでてきたんだね、と問いたい者はひとりやふた
りではなかったろうが、まずはその問いを口にするには衝撃が大きすぎたにちがい
ない。
地に伏した犬ばかりが、苦悶の代償とでもいいたげに力弱く吠えたてた。まるで
気にもせず、邪法師ウラデクはかろやかな足どりで市場をあとにし――一帯をたば
ねる豪族の屋敷をめざす。貸し付けた金をとりたてに、あるいは肥らせた家畜を賞
味しに。
時代はくだる。王の名が伝説ではなく歴史として残されるようになるころのこと。
イスナンディルは当初、けちな盗賊団の親玉だった。あまり知られていることで
はない。不適当な過去として抹消された結果だろう。盗賊団といっても、そもそも
四、五人の食いつめ者を集めただけのちんけな集団だ。物語のタネとしてはたしか
にふさわしくはあるまい。警吏の目をさけるようにしてこそこそとけちな仕事を重
ねていたし、殺しもくりかえしてはいたが相手はたいがい無抵抗の善民だ。
ゆえに、邪法師が目をつけたのは炯眼といわねばなるまい。でなければ、ぼろを
まとった乞食坊主などけちな盗賊団の目をさほどひきつけるはずもなし、ただ右と
左にすれちがい、盗賊団は盗賊団としていずれそのけちな仕事にふさわしい末路を
たどることとなっただろう。
現実には、山道で出会った目つきの悪いごろつきどもの頭目を見て、ぼろをまと
った邪法師はひとめでその素質を見ぬき、それを埋もれさすかわりに舌なめずりと
ともに呼びとめたのだ。
「これ、そこの男。名はなんという?」
肥った乞食坊主に気やすく呼びかけられてイスナンディルはもちろん、うろんな
目つきでにらみかえす。
ひるみもせずに坊主は、にたにたと笑いながらヒゲ面の無法者をながめあげ、
「ふうむ。よいツラがまえをしておる。よい。じつによいぞ。イスナンディルか。
名前もまたよし。風格がある。素質にふさわしい名前だ」
満足げにうんうんとひとりうなずいた。
対して盗賊団の親玉は、うすきみ悪げに顔をゆがめる。名前を問うて、こちらが
名乗りもしないうちから自分でこたえてしまったのだ。坊主のなりをしていること
から、なにか神通のたぐいかと瞬時畏怖に近い感情を抱き、ついでその心性により
ふさわしい疑いが首をもたげた。
「このやろう。役人の密偵か?」
数人のとりまきが瞬時、ぎくりと身をこわばらせ、それからすうと目つきを悪く
する。
「殺っちまいやすかい」
ひとりが歩をふみだしながらぶっそうなセリフを吐き、親玉の返事すら待たず、
ふところからとりだした短刀を無造作に突きだした。
対して邪法師は――はあ、と息を吐きかけた。
色でいえば、黒がふさわしかろう。あいにく、煙ではなくただの息だったので色
も形もなかったが、臭気だけは激烈だった。
直接あびせかけられた短刀の男は、刺激に涙を流しながら激しく咳きこみのたう
ちまわる。周囲の男たちも反射的に逃げだしていた。
尋常ならざる悪臭だった。ある種の虫などが、天敵に襲撃をうけたときに似たよ
うな臭気をまきちらす。ただし、刺激の強さはとても比ではない。
「なんでえ、てめえは」
下っぱどもが鼻をつまみながら遠まきに難詰する。乞食坊主はこたえた。
「わしか? わしはウラデクと呼ばれる者だ」
「ふざけやがって」
べつのひとりが憤慨した。それはそうだろう。ウラデクの名は炉辺で語られる伝
説のたぐいにでてくる名だ。五百年生きたとも千年とも伝えられる。何ともいかさ
まじみた存在だ。話としては興深くとも、実在するとはだれも考えてなどいない。
ふはは、と坊主は陽気に笑う。
「邪法師の名をかたったホラふきとでも思うか? まあそれならそれでよいわさ。
いずれにせよ、イスナンディルよ、おまえにすこしばかりいい目を見させてやろう
ということでな。いかさま師であろうとなかろうと、利にさえなればさほどのちが
いもあるまい。どうだ。おまえに、富と権力とに通ずる道を示唆してやろうという
のだがなあ。それとももう一息、わしの口臭を吐きかけてほしいかい?」
にたにたといった。
いぶかりながらも、イスナンディルは身をのりだした。
もとより利にはさとい男だ。食いつめた境遇にもある。好き放題を気どってはき
たが、無頼を決めこんだところで生活がさして楽になったわけでもない。むしろ追
われる立場になったぶん、やりにくくなった部分も少なくはない。富と権力ときい
て興味をかきたてられないわけがなかった。
「話してみろ」
イスナンディルが法師につめより、ことさらすごんでみせる。でたらめだったら
ただではすまねえ、言外にそう圧力をこめたのだ。
ウラデクはまるで動じるようすもない。
「よしよし。そうこなくてはな。よしいいか? おまえたちはこれから下の町にく
だって南のはずれの辻にいき、夕暮れまで待て。そこに馬車が通りがかるから、そ
うしたら“護衛はいらぬか”と呼ばわるがよい。わかったか?」
「それだけか?」
イスナンディルは、あまりにも簡単なその指示に虚をつかれてぽかんと問いかえ
す。
ウラデクはひひひと笑った。
「それだけだ。さしあたりはな。それでまずはひとつ、道がひらけようさ。あとの
ことは、まあ時期がきたらまた教えてやるよ」
盗賊の親玉は腕を組み、考えこんだ。ことさらにあやしげな話だが、通りすぎよ
うという人相の悪い連中をわざわざ呼びとめてまでのことである。悪ふざけにして
は度がすぎていた。
うさんくさげに見まもる手下どもをちらりとながめわたし、よしわかったとイス
ナンディルは口にする。
「そのかわりでたらめだとわかったときはてめえ、容赦しねえからそう思え」
「だれがでたらめなどいうもんかね」邪法師はにやにや笑いながらいう。「おまえ
さんにはせいぜいのぼりつめてもらわねばならんからな。でないと、わざわざここ
で呼びとめた甲斐がないというものだ。では、よろしくやれよ」
いってウラデクはすたすたと歩きだした。
血の気の多いひとりが、野郎、とうめいてあとを追おうとするのをイスナンディ
ルはとめ、臭気にあてられてのたうつ仲間を背負うように指示して歩きだす。
町をめざすのは最初からの予定だ。押し込みをやるのは夜もふけてからのことだ
から、それまではどこかに身をひそめているつもりだった。辻に立って待つなどた
いした手間でもない。
やがてティグル・イリンの炎の球が町の端に身をしずめるころ、坊主の言葉どお
りに馬車が辻をとおりがかる。いわれたとおりにイスナンディルは声をかけた。
「護衛はいらぬか?」