AWC そばにいるだけで 18−2   寺嶋公香


        
#4342/5495 長編
★タイトル (AZA     )  97/12/24  11:37  (200)
そばにいるだけで 18−2   寺嶋公香
★内容
「ここのところ、かつらを被ったり脱いだり。その上、自分の毛もヘアスタイ
リストの人に触ってもらってたから、自分の髪型って、元はどうだったか忘れ
てしまいそうよ」
「あはは。そういうもの?」
 相羽が声を立てて笑うと、それをかき消すようにアナウンスがかかった。電
車が金属の軋む音をさせながら、滑り込んでくる。
「行こう」
 車輌の中は狭苦しい印象。休日とは言え夕方のこの時刻、混むものらしい。
 相羽は昇降口脇の角に素早く潜り込むと、純子を手招きして、立つ位置を入
れ替わる。そして、陣地を宣言するかのように、左手を閉じたドアに当て、右
手で椅子から垂直に伸びる手すりを掴む。
 思ったよりもスムーズに、電車は動き始めた。車内放送が終わってから、純
子は礼を言う。
「あ、ありがと」
「ん? 何が」
 きょとんとする相羽に、純子は心中、首を傾げる思い。
(あれ? 違ったのかな? てっきり、私のために場所を取ってくれたのかと
思ったんだけど)
 少し気になるものの、人の多くて騒がしいこんな場で、しかと確認するほど
の疑問でもない。純子は追及をやめ、喉元に手をやった。暖房の入った車輌の
中、マフラーをしていては暑すぎる。
「持とうか」
「え、いいわよ」
 外したマフラーを丸めて抱える純子。
(これじゃまるで、恋人同士に思われるかもしれないじゃない。人の目がある
んだからね)
 まさかとは思いつつ、周囲に目を走らせる。知っている人の姿はないと確か
め、ほっと一息。
「ねえ、相羽君。さっき、かつらを被った私を見て、一目で分かったって言っ
たわよね」
 落ち着いたところで、気になっていたもう一つのことを持ち出す。
「うん」
「他の人も分かると思う?」
「さあ……。さっきの場合、僕は、涼原さんが控え室にいるって前もって聞い
ていたからね。それで分かったのかもしれない。分かった方がいいわけ?」
「うーん、それが迷うところなのよね。男の格好してるのを見られるのって、
どうしても恥ずかしさが着いてくるから……。女の子ヴァージョンは、顔が見
えないから気付かれないでしょうし」
「あ、そうなのか」
 どことなく安心した顔つきになる相羽。純子は意外に感じながら尋ねた。
「相羽君、お母さんから聞いてないの? どんな風なコマーシャルなのか」
「うん。母さんだって、深く関わっているわけじゃないからかな。それで−−
出来はどうですか?」
 相羽の口調が、急にインタビュアーめいた。右手を手すりの棒から離し、あ
たかもマイクを持っている形を作って、純子の目の前に差し出す。
 思わず純子は吹き出した。
「−−っぷ。何やってんのよ」
「えっと、そうだね。言いたくないことでも、こうすれば言わざるを得なくな
るかなと思って」
 相羽自身、苦笑していた。
 と、突然、電車が速度を落とす。立っている者のほとんどが、がくんと身体
を傾ける。皆、つり革や手すりを持っているから、大きくバランスを崩すこと
はない。
 だが、相羽にとっては、タイミングが悪かった。
「あっ」
 声を出したのは、二人とも。
 純子はとっさに手を前に出しかけるだけで精一杯。
(ええっ、嘘ぉ)
 迫ってくる相羽に、純子は一瞬、小学六年生のときのハプニングを思い出す。
 しかし相羽も、同じ轍は踏まなかった。
「−−あ、危なかった」
 目前で止まった相羽。
 純子が見上げると、彼の右手の指が、少し捻れたような形で網棚に引っかか
っていた。
 純子達がほっとする間もなく、先ほどの駅とは反対側のドアが開き、人の乗
り降りが始まって、やがて収まった。程なく、車輌が動き出す。
「あと四駅か」
 体勢を立て直した相羽が、また流れ出した景色を見やり、つぶやく。
「腕、どけてほしいんだけど」
 相羽の左腕に視線を合わせ、純子は言った。
「さっきみたいにぶつかりそうになるの、嫌ですからね」
「なるほど」
 納得した相羽が手を引っ込めると、純子は身体の立つ位置をずらして、ドア
にもたれかかった。
「そっちに立つのはいいけれどね」
 突然、相羽の口元に笑みが浮かぶ。
 純子はきょとんとしつつ、次の言葉を待った。
「ドアが開いたら、危ないよ」
「それぐらい、気を付けるわよ。駅に着いたときだけなんだから」
「甘い」
 相羽の指摘に眉を寄せる純子。奇跡的に、しわはできていない。
「どうして?」
「あまり知られていないけれど、走行中の車輌のドアが開いてしまう事故が数
件、今までに起こっているんだ」
「……冗談でしょ」
 そう言いながらも、背をドアから浮かす純子。
 ふと気付くと、周りにいる他の乗客も、心なしかドアから距離を取ったよう
に見える。二人の会話が聞こえたのかもしれない。
「恐がらせようと思って、そんなこと言って」
「いいえ、嘘ではありません。脅かす気はないよ。でも、注意するに越したこ
とはない」
「ちょっと。おかしいわ。走ってる電車の扉が開いたら、人が落っこちて大事
故になるんじゃないの? それなら当然、ニュースで流れると思う……」
「これまではたまたま、昼間の乗客が非常に少ない時間帯で起こっているんだ。
人が落ちてはないみたいだよ」
「げ、原因は何なの、原因は」
 近くの手すりを両手で持つ純子。
「電気系統の不良で片付けられたのがほとんどで、正確には原因不明になるの
かな。どうしようもない」
 肩をすくめる相羽。
 純子は相羽の方に一歩近寄った。
(これならいつでも掴めるわ、うん)
 相羽の腕と横の手すりをじっと見つめる。
 それに気付いたらしく、相羽はくすくす笑い始める。
「心配なら、手をつなごうか−−なんて言ってみたりして」
「け、結構よっ」
 純子がぷいと横を向いても、相羽はまだ笑っていた。
「もしものときは、絶対に助けるから。反射神経、いいんだ」
 自信満々の彼の口ぶりに、純子は安心を通り越して、呆れそうになる。
「相羽君、あのねえ。私、くたくた。そこへさらに疲れる話、しないでよ」
「それはどうも、失礼しました」
 やけに丁寧に答えると、相羽は押し黙り、ただ目を細めて、車輌内を見渡す
仕種を始めた。周囲は冬の装備をした大人が大半で、皆、背を少し丸めている
感じがある。
(あんな見回して、何をやってるのかしら)
 純子の疑問に対する答は、すぐに示された。
 電車のスピードが緩くなるのと同時に、相羽はいきなり純子の手を引き、人
と人の間を何度かすり抜け、ある座席の前まで案内をする。座っているのは高
校生らしい制服を着た、それでもいくらか老け顔の男性。
 駅へ入り、電車がいよいよ止まり出すと、絶妙の間でその高校生が立ち上が
った。そのままドアへ向かう。
「さあ、どうぞ」
 できた空間を、相羽が示す。
「早くしなよ。取られちゃうかも」
 そっと押されて、純子は状況がよく分からないまま、座った。
「どうして分かったの、ここが空くって? さっきの人、ぎりぎりまで立ち上
がる気配、なかった」
 ドアが開き、人混みに紛れて高校生が降りて行く。
「朝、登校しているときなら、高校の制服から学校の最寄りの駅が分かるから、
判断できたかもしれないけれど、今はそうじゃないわ」
「もっと単純さ。観察してたら、さっきの高校生、定期券をポケットから出す
のが見えた」
「なあんだ。ほんと、単純ね」
「だから種明かしは嫌なんだよ」
 その次の駅を出る頃には車内の混雑は解消され、純子の隣の席も空く。
「座らないの?」
「座っていいの?」
 妙なところで遠慮するなぁとおかしく思いつつ、純子は隣のシートをぽんぽ
んと手の平で叩いた。
「はい、どうぞ」
「あと二駅だから、どっちでもいいんだけど」
 でも、相羽は座った。
「ええっと」
 話題を探すように、天井を見る相羽。
「改めて聞くけどさ、コマーシャルの出来、どうなんだろ?」
「実はまだ、何にも分からないのよね。完成すれば、試写会やるって言ってた」
「そうなんだ? ……観てみたいな」
 明後日の方向に視線をやっている相羽。
「テレビに流れたとき、観ればいいでしょ」
「うーん……母さんに頼もうっと。何とかして、潜り込んでやる」
 小さな子供がするように唇を尖らせ、相羽は言った。またまた呆れて、純子
はため息。
「先に観たって、何の得にもならないのに」

 歌を唄う、いや好きな曲を聴くだけでも気が紛れるかもしれない。純子はそ
う思った。
 けれど、プレーヤーに手が伸びることはなく、体育座りをして、自室の壁に
もたれかかる姿勢のまま。
(何でこんなときに、お母さん、出かけちゃうのよ)
 首を伸ばし、窓の向こうを見ようとした。
 と、そのとき、ごろごろという音が遠くでしているのが分かった。
「やあん。始まっちゃうのかなぁ」
 声に出し、首をすくめる。
 先ほど見えた暗雲が、脳裏のビジョンとして膨らんでいく。目を閉じ、耳を
塞いでも、悪い想像は鮮明な絵と音として、純子の内で序曲を奏でる。
(雷なんか……恐い)
 布団を頭から被って、寝てしまえば、雷が鳴っても大丈夫だろう−−こんな
アイディアが浮かんだが、今の純子はやがて来るであろう雷に怯えてしまって、
とても寝られそうにない。
(せめて、一人じゃなかったら……)
 思考を中断する形で、不意に別の音がした。
 純子の願いが通じたわけでもあるまいが、玄関の呼び鈴が鳴ったのだ。
 ドアを開けたくないと思いつつ、純子はやむなく立ち上がり、玄関へ小走り
で向かった。
「ど……どなたですか」
 口に出しながら、ドアに付いた覗き窓で、見てみる。
「相羽君?」
 思わず、叫び気味に言った。
(何の用? こんな、天気が崩れそうなときに来るなんて)
 訝りながら、もう少しだけ様子を観察。待ちかねた様子で、再度、呼び鈴の
ボタンに手を伸ばす相羽の姿が分かった。
「相羽君、何?」
 急いでドアを開けた。
 勢いのよさに、相羽は驚いたらしく、目を白黒させている。
「何の用? 早くして」
「−−これ、持って来たんだ」
 気を取り直した風に、相羽は手に提げた鞄から一冊の教科書を取り出した。
数学だ。
「何よ、それ」
「名前を見たら分かるけど、涼原さんの本だよ」
「ええ?」
 手に取ると、確かに自分の名前がある。いつの間に?と戸惑う純子に、相羽
は苦笑いしながら言った。
「僕の教科書は、涼原さんが持ってると思うんだ。それ、確かめてほしい」
「あっ。分かったわ」
 きびすを返し、二階に上がる純子。今日、授業があったので、数学の教科書
は鞄の中だ。
(あった。−−本当、相羽君のだ)

−−つづく




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