#4343/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/12/24 11:39 (200)
そばにいるだけで 18−3 寺嶋公香
★内容
それを胸に抱き、階段をとんとんとんと慌ただしく駆け降りた。
「学校で、入れ違ったのね?」
「多分ね」
教科書を交換。持ち主の元に戻った。
「でも、わざわざこんなときに、持って来なくたって」
「宿題が出てたから。一応、自分の教科書があった方がいいかなと思ったんだ」
そう言うと、相羽はわずかに首筋を伸ばし、家の中を窺う仕種を見せた。
「今、留守番しているの?」
「え、ええ。お母さん、買い物で……」
「気を付けなよ。案外、物騒だから」
「相羽君も帰りは−−」
気を付けなさいよねと言おうとしたら、自然がそれを邪魔してきた。
「きゃあっ」
空がついに光った。少し遅れて、とどろく雷鳴。
身を縮め、頭を両手で押さえる純子に、ドアの閉まる音が聞こえた。
相羽が何も言わずに帰ったのかと思ったが、違った。
「……相羽君?」
「こうすれば音が小さくなるから、少しは恐くなくなる?」
「う、うん」
口ではそう言っても、次にいつ稲光があるか、いつ雷鳴がするかと身構えて
しまって、心中穏やかでない。
「じゃ、僕も、雨が激しくならない内に、帰らないと」
相羽は手提げ袋に教科書を入れ、折り畳みの傘を取り出すと、手際よく開こ
うとする。
「待って」
「え?」
相羽が振り返るのを、純子は手で口を押さえながら見た。
(あれ? どうしてこんな呼び止めたんだろ?)
そんな疑問に答えるのは、雷だった。お腹の底から震えさせるような低音が、
一気に伝わる。
「ううっ」
気を抜いた直後に来た。不意打ちを食らった形の純子は、身をすくめ、変な
うめき声を出してしまった。
「……涼原さん、大丈夫か?」
「え、えーと。だ、大丈夫、じゃないかもしれない……」
「……上がっていい?」
相羽は、不安そうに聞いてきた。声量が小さくなったような。
「涼原さんがいいんだったら、雷が鳴らなくなるまで、僕がここに残ったらど
うかなと思ったんだけど」
「う、うん。お願い。上がって」
頭の中がごちゃごちゃ、もやもやしたまま、純子は相羽を招き入れた。
あとから理屈を考える。
「えっと。宿題、一緒にしましょ。ね。折角だから」
「うん。−−どうしたの?」
二階に行こうとして、純子はぴたっと足を止めた。後ろからついて来ていた
相羽が、その拍子にぶつかりそうになる。
(宿題やるとしたら、私の部屋? 相羽君を、男の子を入れるの? 全然、気
構えができてないっ)
焦って、考えがまとまらない。
(これまではどうしてたっけ……。そっか。相羽君をうちに上げるのも、今日
が初めてなんだわ)
何故かしら高鳴る鼓動を、胸に手をあてがって押さえ込もうとする。
「涼原さん? 聞こえてる?」
「あ、はいはい。聞いてます。台所に行ってて。そっちだから」
手で指し示すと、自分は階段を上がっていった。一応、スカートの裾を気に
しながら。
ノートと筆記用具を持って戻ってくるなり、純子は吹き出してしまった。
「な、何でそんなところにいるのよっ」
流しにもたれ掛かるようにして、食器棚を眺める様子の相羽がいた。
「だって、台所にいろって、君が言うから」
「ああ、もう。台所じゃなくて、ええっと、食卓よ、食卓。ほら、座って」
世話が焼けると思った刹那、また雷が光った。
「−−」
あまりにびくっとしてしまった純子は、悲鳴にならず、表情を強張らせた。
その場でしばらく動けなくなる。
「す−−」
相羽の呼びかけをかき消し、今度は雷鳴。大きい。
立っていられなくて、フローリングにへたり込む。
「しっかりして。ほら、何ともない」
「……そ、そう言われたって」
心身に染み込んでしまった恐怖感は、なかなかぬぐい去れる物でない。
純子が起きないでいると、相羽が同じ体勢を取った。右横に並ぶ。
「どうして恐がるようになったの? 生まれつき?」
「……元から恐かったのよ。けど」
呼吸を整え、絞り出すようにして始める。
相羽が「うん。それで?」とうなずいた。
「けど、お父さんの田舎に帰ったとき、庭のすぐ前にある大きな木に、雷が落
ちて、凄い勢いで燃え上がって。それをまともに見たからだと思う。こんなに
恐がるようになったのは」
「ふうん。雷が落ちて、その木はどうなったんだろ?」
「重たい物がぶつかったみたいな音がして、半分に割れて、みしみしって……。
葉っぱや枝が、はぜながら燃えていったわ。割れた幹は、片方が完全に折れて、
地面に」
「うん、もういいよ。恐かった?」
「だって、一人だったんだもんっ。どうしていいか分からなくて、それに、次
は雷が家に落ちて、あの木みたいになるんじゃないかと思ったら……不安でた
まらなかった。落雷で人が死ぬこともあると聞いて、もう完全にだめよ。雷の
ときは、外に出られない」
「分かった。分かったから、落ち着いて。立てる?」
「……手を貸して。また光ったら、恐いから」
純子の頼みに、相羽は先に立ち上がると、手を差し伸べてくれた。
「ありがとう」
「これぐらいなら、お安い御用」
二人はそれぞれ座ると、教科書を開いた。
雷の間隔は開いたようだが、窓ガラスを打つ雨音が激しくなっていく。最初
は標準的なクラシックか民謡だったのが、ハードロックを思わせるビートに変
わっていた。
「相羽君、これ、ノート代わりに」
シャープペンシルと消しゴムに加え、ルーズリーフのファイルから五枚ばか
り外し、手渡す純子。
「サンキュ」
「あ、あの、お茶、入れようか」
「え、いいよ。どうして急に、そんなことを」
「ん……だって、これまで何度も言ったでしょう、お茶飲んでいかないかって。
なのに、いつも断るから。ちょうどいい機会だなと思ったの」
「言われてみれば、そうだっけ。最初は、去年の十一月」
頬をほころばせ、相羽はペンで自らの肩を叩いた。
純子も懐かしく思い出し、話に乗る。
「そうそう! あのときは雷はなかったけど、同じように雨が降ってて。傘を
持って来てなかったから、私、入れてもらったのよね、相羽君の傘に」
「あはは。あのときの涼原さん、最初は意地張って、雨がやむまで学校にいる
って言ってさ」
「何よー、意地っ張りはそっちでしょ。あのあと、風邪引いたくせに、元から
悪かったんだって、言い張って。あの風邪は絶対、雨のせいだわ」
「違うよ。本当に元から調子、おかしかったんだ。それよりも、風邪を引いた
せいで、劇に出られなくなって、君に凄い迷惑かけたことが」
「今さら、何言い出すのよ。もう終わった話でしょうが」
声を大きくする純子に、相羽はくすっと笑って、肩をすくめた。
「そうだね、終わった話だ。それを相も変わらず、意地を張り合ってる自分達
が、馬鹿みたい」
「……ほんと、強情なのはお互い様」
「前にも言った気がするけれど……お互い、進歩ないよな」
言って、宿題に没頭する様子を見せた相羽に、純子は不平を漏らした。
「そうかしら? ちょっとは変わったと思うけど」
「どこが」
「たとえばそうねぇ……相羽君は私の家に上がるの、遠慮しなくなった」
純子は笑って、相羽は不思議そうに瞬きする。
「初めてでしょ、うちに上がったの」
「何だ、気付いてたのか」
頭の後ろで両手を組み、力が抜けた様子の相羽。
「あんまり自然に上げてくれるもんだから、気が付いてないんだと思ってた。
よっぽど雷が恐いんだなあって」
「恐いのは本当よ。だから、思わず……」
「僕だって、無遠慮になったわけじゃないんだけどな。涼原さんの恐がりよう
が凄かったから、どうしても気になってさ」
今、雷は一段落している。無論、ごろごろと地鳴りのような響きが伝わって
くるが、先ほどに比べればずっとまし。
「ねえ、相羽君の苦手な物って、何? 教えてくれない?」
純子が問うと、相羽は計算式を一つ片付けてから、面を起こす。
「答えてもいいよ。ただ、聞いてどうしようっての?」
「うーん、何て言うか、一方的に自分だけ苦手な物を知られて……悔しい」
答えてから、変かな?と思った。でも、知りたいのも本心。
「あはは。なるほど。他に何かあったっけ……そう、涼原さんが好きな食べ物
は、胡桃クリームパン。嫌いなのはこんにゃく」
「……どうして知ってるのよ? こんにゃくが嫌いだって」
訝しむと、相羽は得意そうに答えた。
「推理した−−というのは嘘で、お祭りのとき、会っただろ。町田さん達が話
しているのを、盗み聞きしたわけでして」
「なあんだ。じゃ、相羽君の好きな食べ物と嫌いな食べ物も、教えてもらおう
かしら」
「好きなのは、エビ」
「……材料で答えるなっ」
一応、冗談混じりに指摘しておく。
相羽は照れ笑いみたいなものを浮かべながら、穏やかに反論した。
「だって、本当にエビ料理ならたいてい好きなんだ、僕」
「そう言えば、九月だったかしら、夜のおかずを作って持って行ってあげたと
き……エビフライがいいって言ったみたいね、相羽君? 最初の日、エビフラ
イだった」
「あれも具体的にエビフライとは言わなくて、一例として……母さんが挙げた
んだよ」
「エビって私も嫌いじゃないけど、コレステロール高いでしょう? そればか
り食べてたら、ぶくぶく太るわよ。おかずなら私は鳥肉−−鳥の唐揚げが好き」
影響を受けて、やはり材料で答えてしまった自分がおかしい。
「まだ健康的でしょ」
「まさか、エビだけ食べて生きてるわけじゃあるまいし、僕は男だから、少し
ぐらい太ったって……」
「あれー、いいのかな、そんなこと言って?」
「な、何だよ」
純子が歯を覗かせて笑みを作ると、相羽は若干、身を引いた。
「前に言ったでしょ、あなたのことをいいと思ってる女子、多いんだって。そ
の子達が逃げちゃうよ」
「……」
相羽は何か言おうとしたらしかった。だが、すぐには言葉が出て来ない様子
で、ぽかんと口を開けた状態になってしまう。
「ん?」
「−−いいよ、別に。外見は関係なしに、中身を評価してくれる人がいれば、
それでいいんだ。ふん」
いくらかつっかえながら、答える相羽。すねたような顔つきが、似合ってい
るような似合っていないような。とにかく、普段にない様子が面白い。
(あらら。となると、よっぽど好きな子がいるのね。その人さえいれば、あと
は全然気にならないっていうぐらいの。郁江達や白沼さんも大変だわ、振り向
かせるのは)
内心、そんなことを思い浮かべて、純子の表情は苦笑いのそれに変わった。
「それで! 僕の嫌いな食べ物は」
相羽の切り出し方は、いかにも唐突だった。よほど話題を換えたがっている
のだろう。
純子は物分かりよく、うんうんと相づちを打った。
「トマトジュースだよ」
「へえ。健康にいいって聞くけれど、確かに、おいしい物じゃないわ」
これには素直に同意できた。
「うん。トマトは嫌いじゃないんだ。ただ、トマトジュースは、トマトの味が
しないような気がしてさ。納得行かないって言うか……」
「理屈っぽい。好き嫌いなんて、感じ方だけでしょうに。まあいいわ。さあ、
いよいよ苦手な物を聞きましょうか」
遠くで鳴る雷をちらっと気にしながら、純子は尋ねた。
純子が見つめると、相羽は顔をそらし、わずかに下を向いて、前髪をかきあ
げた。そのままの姿勢で返事する。
「真っ赤な満月だよ」
−−つづく