#4341/5495 長編
★タイトル (AZA ) 97/12/24 11:36 (198)
そばにいるだけで 18−1 寺嶋公香
★内容
メイクを直してもらいながら、注意を受ける。
「何て言うかな。もう少し、ミステリアスで、それでいてピュアな表情がほし
いんだけどな」
対して、純子は心持ち上を向いた姿勢のまま、「はい」とうなずくこともで
きない。
ポスターの撮影は、長く、暑かった。
「テレビコマーシャルのときみたいな顔、できない?」
照明だけでなく、慣れないかつらに頭の表面が蒸せる。
「やっぱ、無理してでも、ムービーと同じ日に片付けた方がよかったんじゃな
いかねえ?」
「その方が手間は省けたよな。スチールとムービー、全然違うならともかく」
外野で囁き合うスタッフの声が、嫌でも耳に入る。あるいは、わざと声高に
言っているのかもしれない。
ここで言うムービーとは、テレビコマーシャルを意味する。スチールは、今
やっているポスターのこと。最初、何の話なのか分からなかった純子だが、撮
影に通う内に段々と理解し、覚えてしまった。
(そんな風に言われても……)
言い返すのは、体勢的にも精神的にも難しい。
(何もかも一発でうまく行くはずないのに……)
メイクの手直しが終わった。
顔を撮影監督やカメラマンの方に向ける。
「……だめ。疲れた感じが出ちゃってる」
カメラマンが人差し指二本で、ばつ印を作った。
純子は、胸がずきんとした。何度も経験しただめ出しだが、今日はことさら
堪えるよう。
「同じことの繰り返しで、飽きちゃったか?」
純子は首を横に、かすかに振った。
七日で終了のはずが変更となり、今日の日曜日で、全てを終える予定になっ
ている。数パターンのポーズがあるとは言え、昼間から始まった撮影は時間を
要していた。
監督が断を下す。
「しばらく休憩にしよう。純子ちゃん、しっかり休んで、前みたいないい顔に
なってよ」
黙ったまま、こくんとうなずく純子。返事の声が出なかった。
壁際までとぼとぼ歩いて、一旦立ち止まる。
目の前の白い壁に手を触れ、ため息をついた。
愚痴がこぼれそうになるのを我慢して、また歩き出す。他の人がいると、気
になって落ち着かない。控え室に戻ろう。
純子に与えられた部屋は、曲がりなりにも個室である。自分一人になれるの
は、今はありがたくも寂しい。
鏡を前に、椅子に座った純子は、自分の顔を少しだけ見つめた。
(……疲れてるね。楽しくない顔してる)
見続けるのに嫌気が差し、純子は腕枕を作ると、うつぶせに頭を乗せた。
今日は、誰も着いて来てくれてない。最初の頃はできる限り来てくれた母は、
もう慣れただろうと判断したらしく、娘を一人で送り出した。相羽の母も別の
仕事があって無理。いつも優しい言葉をかけてくれる美生堂の中垣内の姿も、
今日はない。代わりに来た人は男性で、ずっとむすっとしている。
一人なんだと自覚させられる状況にあった。
泣きそうになっても、こらえなくてはいけない。目を腫らしては、さらに撮
影を遅らせるだけ。
(休憩してても気分転換にならないよ……。郁江達とお喋りしたい。そうした
ら、少しは気が晴れて)
そう願った折、扉を静かに叩く音がした。二度、こんこんと。
「はい?」
もう休憩終わりかなとも思ったが、それにしてはノックの響きが優しすぎる。
純子は訝りながら、椅子を離れた。
「どうぞ、開いています」
そう言ったけれど、自らノブへ手を伸ばしていた。
「あ−−」
ドアを開けた純子と、向こうにいた訪問者は同じ反応を見せる。
「涼原さん」
「相羽君−−どうして」
「涼原さんだよね、やっぱり?」
相羽の台詞は、どこか妙だった。
手で示されて、純子は頭を軽く押さえる。
「ふふっ、かつらよ、これ」
急にこみ上げてきた愉快な気持ち。純子は相羽を見つめまま、招き入れた。
「そんなに見違えたかしら?」
「いや、一目で分かったけど。あまりにも似合ってて、びっくりした」
相羽の口調は真面目なものだったが、純子は少しむくれる。
「どうせ私は、男装が似合いますよっ」
「ち、違うよ。そういう意味じゃなくて……髪、短くしても、似合うんだなっ
て思ったのにな」
「ほんとにー?」
手を腰の後ろで組み、疑る風に上半身を前屈みにすると、純子は相手の顔を
覗き込んだ。
「本当だって。だけど、髪を切った方がいいと言ってるわけじゃないから」
「それぐらい、分かってるわよ」
相羽に座るよう促し、純子も元の場所に腰掛けた。
一瞬、間ができた。
「あの」
全く同時に、同じ言葉を口にして、また閉ざす。
「何?」
「あ、ううん、大したことじゃないから。相羽君から言って」
「いいの? ……僕の方も別に大した話ではないけど、いや、大した話かもし
れない」
「何を言ってるの?」
「えっと。大丈夫? スタッフの人から、ちらっと聞いたよ。最終日、だいぶ
絞られてるみたいだ」
「……そうなのよね」
太股の上で指を絡め合わせ、その手をじっと見つめる純子。普段なら、強が
ってみせたかもしれない。だけど、心細くなっていたときに来てくれた友達に、
無意識の内に頼りたくなる。
「自分ではこれまで通りにやっているつもりでも、周りの人達には、そうは映
ってないの。前と違うって」
「疲れてるんじゃないか?」
「しんどいというか……あのね、今、振り返ると、これまでは多分、何もしな
かったの」
「え? 意味、分からない」
わずかに眉を寄せる相羽。
「これまでは勢いだけでやってきた。笑うのだって、何も考えずに、本当に笑
えてた気がする。それなのに、今日は……作っちゃう。こんな風に」
と、純子は指で口の両端を吊り上げた。突然の行動に驚いたらしくて、相羽
の目が見開かれる。
「無理矢理笑ってるみたいな気分。楽しくないのに、笑うのって、難しいよね」
「当たり前だね」
事情が飲み込めてほっとしたのか、相羽は表情を柔らかくしていた。
「僕も、そんなのできない。したくないしさ」
「あの……こんなことまで言うつもりじゃなかったけれど……一人で、心細か
った。来てくれて、ありがとう。今の自分、凄くほっとしてる」
改めて相羽を見つめてから、純子は深く頭を下げた。自分の膝小僧に額が着
きそうなぐらい。
「やめなよ。そんな大層なことじゃないだろ。ま、目的は達成したかな」
「目的? そう言えば、あなた、何でここに? 用事があったの?」
面を上げた純子から、相羽は視線を逸らしてしまった。
「新人タレントさんを励ましに来たんだよ」
「え、誰か来てるの、有名人?」
「えっ?」
立ち上がりかけた純子を、相羽は慌てた手つきで押しとどめる。
「な、何よっ」
「か−−勘違いするなって」
胸を押さえる相羽。何を苦しがってるのかと思いきや、笑いをこらえている
らしかった。
(また笑う!)
訳が分からなくて純子が恐い目つきをすると、相羽は息を整えてから言った。
「新人タレントって、君のことだよ。もう、気付くと思うけどなあ、普通」
「なあんだ……って、私? とんでもない!」
顔の前で片手を激しく振る純子。
「タレントじゃないわ。所詮、アルバイト」
「……そうは見てくれないよ」
不意に静かな口調になった相羽。心持ち、姿勢も正されたみたい。
純子も急いで居住まいを正した。
「多分、スタッフの人達は全員、涼原さんをプロのタレントと見なしている。
経験が多いか少ないか、ずっと続けるのか今回限りかなんて、まるで関係ない。
一緒に仕事をするからには、みんなプロの仕事をするし、タレントにもプロの
仕事を期待する、要求する」
厳しい言い方だった。
だけど、純子は目が覚めたような気がしてくる。目を伏せ、これまでの自分
を思い起こしてみると、最初の頃は度胸と開き直りでカバーしてきたものが、
そろそろ通用しなくなってきたらしい。
(本当に好きでやらなくちゃ、だめなんだわ。ごまかしていたら、いつかはば
れる。当たり前なのに、気付かなかった)
気付かせてくれた相羽に、感謝を示そうと口を開きかけたが、それよりも相
手の方が早かった。
「−−なんてね。なーんにも働いてない僕が言っても説得力ないよな。これま
で、たまに母さんに引っ付いて、こういう撮影の現場を見せてもらう機会があ
ったから、そのとき見たり聞いたりしたことの受け売りだよ」
そう語る表情は、いささか照れくさそうだ。
純子は相羽の手を取って、首を横に何度か振った。そして、戸惑いが露な相
羽を相手に、元気よく言う。
「ううん。そんなことない。私、少しは分かったような気がするわ。もっと今
のお仕事、好きにならなくちゃね。興味だけじゃなく、本当に好きでモデルを
やるようにする」
「い、いや……それも困るんだけど」
「どうして困るのよ、相羽君が?」
純子の質問に相羽が答えるのを逡巡していると、外から呼び声がかかった。
「純子ちゃーん! そろそろ始めるよ! 五分後、いいね?」
「あっ、はーい! 分かりました!」
ドア越しに返事してから、相羽の手を離した純子。
「今日は来てくれて、本当にありがとう。ほんとは郁江や久仁香や、芙美とも
お喋りしたかったけど、今やってることは秘密だもんね」
「僕だけでは役不足か。仕方ない」
肩をすくめて立ち上がった相羽に、純子はすぐに言った。
「感謝してる、相羽君。言葉で伝えきれない」
機嫌を直したのか、相羽はふっと笑みを漏らす。
「よかった。さ、もう少し、頑張れっ」
「もちろん」
本当の笑顔になって、純子はドアのノブに手をかけた。
−−それからの撮影で、純子はすぐにオーケーをもらった。
と言っても、一発オーケーではなく、二度目に。
一度目がだめになったのは、スタジオの隅から相羽が見ているのに気付いて、
少しだけ緊張してしまったせい。
家まで送るという市川らスタッフの誘いを丁寧に断って、純子は相羽と二人、
電車に乗って帰ることにした。
「つ、冷たいっ」
プラットホームに立つと、冬の風に首をすくめる。撮影の間中、体調には充
分注意するようにと言われ続けたためもあって、首にはマフラーを巻き、ダッ
フルコートの両ポケットには使い捨てカイロを入れてあるのだが、それでも少
しばかり寒く感じる。
「車で送ってもらえばよかったのに」
風上に立つ相羽は遠くを見つめながら、ぽつりと言った。彼のコートは学校
指定の青っぽい物。
「いいの。そういうのって、いけないと思ったから。中途半端なことしかでき
ない自分が、送ってもらおうなんて」
「……僕の言葉が効きすぎた? それぐらい、いいじゃないか」
「いいんだってば。撮影は終わったんだから、一度、すっきりと何もかも忘れ
たかったし」
「うん、その気持ちなら分かる」
納得できて嬉しいのか、微笑する相羽。身体を、純子の方に向けた。
「……何、見てるのよ」
相羽の視線を感じ、聞き返す純子。どうにも居心地が悪い。
「涼原さんは長い髪の方がいいかなあって思ってた」
「変なこと言わないで」
頭を自分の手で押さえながら、抗弁する。何故かしら、顔が赤くなるのを意
識した。
−−つづく