AWC 『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(68)  悠歩


        
#4338/5495 長編
★タイトル (RAD     )  97/12/24   2:18  (199)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(68)  悠歩
★内容
 小雪が、二人につられるように周囲で乱舞する。
 きっと富子と光太郎も、空の上で踊っているに違いない。あの流れ星は、富子
からおばあさんたちへの贈り物だったのかも知れない。
 そんなふうに、おばあさんには思えた。



 波の音が、こんなに賑やかなものとは知らなかった。
 イヴの晩に降り始めた雪も、クリスマスに入り落ち着き始めていた。しかしま
だ暗闇の中目を凝らせば、わずかに粉雪を見ることが出来る。
 もっともどこまでが雪なのか、どこからが男の手を暖めている焚き火の灰なの
か、区別するのは困難だったが。
「………ったく。せっかくのクリスマスに、何してるんだろ。俺………」
 独りの寂しさに、ついぼやいてみる。けれどそれは、ただ自分が独りきりであ
ることを強調するばかりで、かえって気分を重くさせるだけだった。
 腕時計に目を落とすと、時刻は午前三時を過ぎたばかり。
 予定通りに行けば、この日この時間、男はこの世に存在していないはずだった。
 この夜、正確には昨日のイヴからクリスマスに日付が変わる瞬間、海に入り、
死ぬつもりだったのだ。
 それがいま、男は砂浜で焚き火にあたっている。
 自殺を決めた理由はいろいろあったのだが、なぜか思いだせない。実は何もな
かったのかも知れない。人がもう誰も信じられなくなったとか、自分はこの世に
必要な存在でないと気づいてしまったとか、そんなことだったような気がする。
とにかく、つい三時間ほど前まで、男は死神に取り憑かれたように死ぬことしか
頭になかった。
 その日に自殺しようとした理由は、ごく簡単ものだ。一般的にクリスマスや正
月、世間が賑わう日には、自殺者の数が増えると言う。そんな日だからこそ、自
分の置かれた状況の苦しさ、侘びしさを痛烈に感じるのだろう。
 男もそうだった。そしてこの日を選んで自殺すれば、うかれたクリスマス風景
一色に染まったテレビにも、暗いニュースを提供できる。それで自分を死に追い
やった世間の人々に、少しでも陰を落とせたらいいと思った。
 もっとも冷静になって考えれば、自分の死など、誰も気に掛けはしないだろう。
それどころか、新聞の地方版にも扱われないかも知れない。
 いまはこうして、冷静に考えることも出来るが、三時間前の自分では気づきも
しなかったこと。それで自殺をとり止め、こうして焚き火にあっているのではな
い。
 一歩海へと足を踏み出した瞬間、その冷たさに震え上がり、とてもその中に身
を投じるどころではなかったのだ。あるいは男に憑いた死神が、寒さに弱かった
のか。いや、単に男自身が根性なしだったのだろう。
 とにかく幸か不幸か、男は予定していた時刻を過ぎているにも関わらず、ここ
でこうして生きている。一度逃げ出した死神が、再び男の元に戻って来ることも
なかった。
 だがそれで「良かった良かった」と、一人暮らしのアパートに帰る気にもなれ
ない。世間の恋人たちが、互いの温もりを感じ合いながら迎えるクリスマスの朝
を、独り冷え切った布団で迎えたくはない。
 それはみっともない嫉妬だと、分かってはいる。
 けれど死神とは別れられたが、心の支えを何も持たない男は待ちたかった。
 男は最初から、この海を自殺の場所に決めていた訳ではない。初めはどこでも
良かった。昨夜はその場所を求め、車で走り回っていたのだ。
 これから宵の口という時刻に、流星群を見た。それは不思議な光景だった。
 雪を降らせる厚い雲に覆われた夜空。流星は、その雲を突き破るようにして、
現れたのだ。男はその流星が、神のいる場所………天国から降ってきたように見
えたのだ。
 ばかばかしいことかも知れない。
 だが男は思ったのだ。あの流星の落ちた近くで死ねば、自分は天国にいけるの
ではないだろうかと。
 その中で、一番最後の流れ星。それが男から、最も近い場所に落ちたのだろう。
他の流星に比べ、一際大きく見えた。それが、この海の先に落ちたのだ。だから
男は、この海に場所を決めた。
 人に話せば、笑われるだろう。
 けれど男は、確かに見たのだ。ほんの一瞬ではあるが、その流れ星の中に、人
の姿を。
 あれこそ天使に違いない。
 男はクリスチャンでもなければ、真剣に神の存在を信じている人間でもない。
しかしあの一瞬、確かに見た。思い込みではないと、断言出来る。だからここに
来た。
 もしかすると、自分が自殺を思いとどまったのは、あの天使の力なのではない
だろうか。あの天使は、死神に取り憑かれた自分のために、神が遣わしたのでは
ないだろうか。
 だとしたら、ここで待っていれば、あの天使が姿を現してくれるかも知れない。
 そう思った男は、ずっとここで待っていた。
 しかし、男が自殺を止めてから三時間。流星が落ちてからは、八時間近くが過
ぎている。海は時折灯台の明かりが過ぎて行く以外、何も変化を見せはしない。
 男の口から、苦笑が漏れる。自分は、何を本気で待っているのだろうと。
 この世に神だの仏だの天使だの、存在するはずがない。そんなことは、自分が
一番よく知っているはずではないか。もしそんなものが実在するのなら、自分の
ように自殺を考える者などいないだろう。いや、自分のような矮小な存在なら、
神の目にも届かないかも知れない。しかし世界を見れば、戦争やテロ、事故や犯
罪、貧困による飢餓、治療法のない病で毎日のように多くの命が失われている。
とても神の庇護の元にある世の中には思えない。
 神も天使も、他にすがるもののない人々が、気休めのために想像した存在に過
ぎない。
 そんなことは、初めから分かっていたではないか。それが何を血迷って、天使
を見たなどと思い込んでしまったのだろう。
 夢ではない。間違いなく見たのだと言う、男の確信は砂の城のように崩れて行
く。人の自信など、斯くも脆いものなのかと、自分のことながら男には笑えた。
 しかしその思い込みによって、とりあえずは男は自殺をとり止めたのだから、
信心深い人間に言わせれば、それが神の意志となるのだろう。もっとも男にして
みれば、こうして生きていることが幸せだとも思えないのだが。
 自殺を断念し、天使に会うことも諦めたが、他にすることもない。もとよりと
うに死んでいるはずだった男に、これからの予定がある訳もない。
 近くに止めていた車に近寄り、カーラジオをFMに入れる。適当に局を合わせ
ると、再び焚き火へと戻る。もうガソリンが幾らも残っていない車内では、暖を
取ることもできないからだ。
「ガソリン代、あったかなあ」
 確かまだ、三千円ほど残っていた。
 わずかな残金、財布を開いて確認する気にもならない。
 まだアパートに戻るくらいのガソリンはあるだろう。車に給油するお金がある
なら、自分が何か食べた方がいい。
 それより車を売ってしまおうか。そうすれば嫌な連中と顔を会わせ、仕事をし
なくてもしばらくは食い繋げる。
 それにしても、自分はどうしてこんなに人間が嫌いなのだろう。自分だって、
同じ人間なのに。そうか、だから死のうとしていたのか。
 自問自答して、一人頷く。
 砂浜の、波打ち際から遠いところには先ほどまで降っていた雪が残っていた。
 男は、カーラジオから流れてくる曲に、耳を傾けた。
 『Blue Christmas』、唄っているのは、知らない男性ヴォーカ
ルだった。
 クリスマス・ソングなど、とても聴く気持ちはならないが、この曲だけは別だ
った。理由はないが、なぜがこの歌だけは好きだった。ただ、このヴォーカルの
声は、あまりこの歌に合わないなと感じる。
 曲はすぐに終わってしまった。こんな日だから、どうせクリスマス・ソングが
続くのだろう。聴きたくはないが、また車に戻って選局をするのも面倒だ。それ
にどこに変えても同じだろう。
 そう思っていると、次もまた同じ曲が流れだした。今度は女性ヴォーカルの唄
で。どうやら『Blue Christmas』の特集をしているらしい。今度
の歌声は、男の好みに良く合っていた。
 ゆらめく焚き火の炎を見つめながら、男は歌に聴き入った。なんとなく、気持
ちが穏やかになって行くようだ。
 ふと何かを感じ、男は波打ち際へと視線をやった。
「!」
 誰かが倒れている。
 まさか自分と同じ、自殺志願者か。
 男はすぐさま立ち上がり、駆け寄った。
 うつ伏せなので、年齢は定かでないが、若い女性のようだ。生まれたままの姿
の、お尻りに張りが感じられる。
「き、きみ………」
 どうしていいのか分からず、男はとりあえず声を掛けてみる。が、返事はない。
死んでいるのだろうか。足元は打ち寄せる波に浸かり、全身も濡れている。
 溺れていた女性が、波で打ち上げられたのだろうか。だが今日の波は比較的穏
やかで、人間一人を浜に打ち上げる力があるようには、男には思えなかった。
 まさか、この子が天使では?
 一瞬、そんな考えが頭をよぎるが、すぐに否定する。背中に翼はないし、頭に
光の輪もない。もちろん本物と出会ったことなどないが、少なくとも男の知って
いる天使の特徴をその女性は持ってはいない。
 とにかく死んでいるにしても、このまま放って置くのは可愛そうだ。けれど裸
の女性に触れるのも躊躇われる。
 男は自分の着ていたブルゾンを脱ぐと、女性の身体に掛けてやり、抱き起こし
た。
「………これは」
 女性を抱き起こして、男は驚いた。
 身体が温かいのだ。まるでたったいま、風呂から上がったばかりのように。
「………んっ」
 微かに女性の唇から、うめき声が漏れる。まだ生きているのだ。
 男は急いで女性を、焚き火の元へと連れていく。
 他に何もないので、車の中にあった新聞を砂の上に敷き、そこへ女性を寝かせ
た。
「いや………そうじゃなくて、やっぱり救急車を呼ぶべきか………」
 携帯電話などという、気の利いたものなどは持っていない。この近くに、公衆
電話などあっただろうか。そう言えば、ここに来る時に通ったコンビニの前に、
公衆電話があったような気がするが。車で飛ばしても、五分くらいは掛かるはず
だ。
「んんっ」
 また女性がうめく。
 苦しいのだろうか。
 もしかすると、人工呼吸の必要があるのではないか?
 男はこの時初めて、女性の顔をはっきりと見た。
 濡れた長い黒髪が、やけに艶やかに感じられる。身体の温かさもそうだが、と
ても冷たい海に浸かっていたとは思えない、紅く控えめな唇。頬を見ても、血色
は悪くない。
 年齢は十七、八と言ったところか。まだ少女と呼んだ方が、いいかも知れない。
 毛布代わりに掛けたブルゾンが、胸の辺りで小さく盛り上がっている。
 直視するのが苦しく、目を逸らした先で白く長い素足と出会ってしまう。
「ちょ………直接、病院に運んだほうが………は、はやいか?」
 突然行うことになってしまった人命救助と、若く瑞々しい少女の裸を目の前に
してしまったことで、男はパニックになっていた。まず先に何をすべきか分から
ず、右往左往するばかりだった。
「ん………ふあぁぁっ」
 パニック状態の、男の思考が停止する。
 横たわっていた少女が、突然両手を伸ばしたかと思うと、大きなあくびをしな
がら起きあがったのだ。
 ブルゾンが滑り落ち、小振りだが形の良い、白い乳房が露になる。
「ひゃっ!」
 情けない叫びを上げて、男は慌てて少女に背を向けた。
「おはよう。ねえ、ここ、どこかしら?」
 自分が裸であること。それを男に見られたことなど、まるで気にする様子もな
い声で少女が言った。
 あまりにものんきな態度から、決してこの少女は自殺を試みたのではないだろ
うと、男は判断した。
「あなた、どうして後ろを向いてるの?」
 そんなことは、質問しなくても分かりそうなものだ。もしかすると、頭が少し
おかしいのではないだろうか。
「そ、その………君、む、胸が見えてるよ………」
 どもりながら男は言った。頭の中では、何か着るものを用意してやらなければ
と考えながら。
 しかし女性用の服が、三千円で上下とも買えるのだろうか。それよりも前に、
この時間にそれを売っている店が、開いているだろうか。
「胸? おっぱい、見えたらダメなの?」
「いや………いいとか駄目とかの、問題じゃなくて………とにかく、せめてそこ
にあるブルゾンを着てくれ」
「これを着るの? 分かった」
 声だけ聞いていると、少女はまるで小さな子どものような話し方をする。
 しばらく男が背を向けたまま待っていると、がさごそと少女がブルゾンを着て
いるらしい音がした。
「はあい、着たよ」
 少女の応えを待って振り返った男は、思わず眉をしかめる。
 確かに少女は、ブルゾンを着るには着ていたが、前後ろを逆にしていたのだ。
当然、背中側に回ったファスナーなど、締められてはいない。
「へんなお洋服ぅ」




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