#4337/5495 長編
★タイトル (RAD ) 97/12/24 2:17 (199)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(67) 悠歩
★内容
雪が降るほどの寒さだと言うのに、駿の顔は目眩を起こしそうなほど熱くなっ
ていた。寒さではない、別のものに唇が震え、歯の根が上手く合わず、それだけ
のことを言うのに大変な苦労を必要とした。
「うん、大好きだよ!」
元気一杯の、大きな声でマリアは答える。
これもまた、予想通りではあった。マリアは決して、『嫌い』とは答えないと
分かっている。ただ、単に『好き』ではなく『大好き』と言ってくれたことで、
駿は自分の想いが通じる可能性に、わずかな光を見たような気がした。
「そ、それじゃあ………俺と、一緒に………暮らして欲しい!」
二十二年間の人生で、これほど勇気を必要とした言葉は初めてだった。
駿は静かに、マリアの返事を待った。期待と不安に、息が詰まりそうだった。
「一緒に暮らしてるよ?」
駿の言葉の意味を理解できず、マリアは不思議そうに答えた。
予想もしていなかった返事に、駿も身体の力が抜けてしまう。
「あ、いや………そうじゃなくて………」
今更ながらに、駿はマリアが過ぎるほどに素直な性格であることを、思い知ら
された。言葉をそのままの意味に捉え、そこに含まれた真の意味を読みとるほど
に気が回らないのだ。
悪く言えば、心が幼すぎるのだ。
しかしそれさえも、駿には好ましく思える。
ただしいま、この子に自分の気持ちを伝えるには、直接的な言い方をするしか
なさそうだ。
「そうじゃなくて………マリア。俺は………」
「あっ、流れ星!」
これからだ、と言う時にマリアの注意が駿から逸れてしまった。
マリアは、駿の気持ちを知っていながら、わざとからかっているのではないだ
ろうか。そんなふうにも、思えてしまう。
『いや、マリアにそんな芸当が出来るはず………ないか』
駿はマリアの指さす方向へと、視線を向けた。
そこには不思議な、珍しい光景が展開されていた。夜の闇で、見て取ることは
出来ないが、空はこの雪を降らしている厚い雲に覆われているはず。ところがマ
リアの指さす先では、雪とは明らかに違う幾つもの光体が斜めに降り注いでいる。
天空から、厚い雲を突き破って現れるからだろう。それはまるで空の途中から、
突然湧き出るように発生し、流れていく。
流星群が地球に接近しているという話は聞いていないが、それは駿がニュース
を見逃していただけかも知れない。降りしきる雪の向こうにありながら、こうし
て見ることが出来るのは、ここからそう遠くないところに落ちているのだろうか。
「マリア、なんか変な気持ち………どうしてかわかんないけど………涙が出てく
るの」
流星を見つめるマリアの目に、涙が光る。
いつもは陽気なマリアだけに、時折見せる涙に、駿の心はさらに強く惹かれて
いく。
本当のマリアは、寂しがりやなのかも知れない。マリアがいつも無邪気で明る
いのは、その裏返しなのかも知れない。
ゆっくりと舞うようにして降る、白い雪。
天空を斜めに裂いて地上に向かう、流星。
それを見つめる、美しい少女。
子どもたちの観ているテレビからだろう。バックに流れるクリスマス・ソング。
これほどロマンチックな状況は、望んでもそうそうあるものではない。この機
を逃したら、マリアにプロポーズをするチャンスは二度とないかも知れない。
「マリア………俺と、結婚して欲しい」
今度こそ、直接的な言葉で気持ちを伝えた。
「えっ?」
驚いたように、振り返るマリア。
きょとんとした目で、駿を見つめている。
あるいは駿の言葉が聞き取れなかったのだろうか。それとも、これでもまだ気
持ちが伝わらないと言うのか。いやまさか、『結婚』と言う単語そのものを知ら
ないのか。
「だから、マリアに俺のお嫁さんに欲しいんだ」
真っ直ぐにマリアの瞳を見つめながら、駿はそう言い直した。これでもまだ分
からないと言うのなら、自分の全てを使って伝えるつもりだった。
そんな駿の気持ちが、気迫になってしまったのか。マリアは怯えるように駿か
ら視線を逸らすと、くるりと背を向けてしまった。
『しまった………』
想いの強さが、裏目に出てしまった。
後悔しても遅い。もしマリアが駿に恐怖を感じてしまったのなら、もう取り返
しがつかない。駿はそう思った。
「違うの………」
背中を向けた、マリアの言葉。
駿にはそれが、否定形の言葉に聞こえた。
「ご、ごめん………別にマリアを恐がらせるつもりじゃ、なかったんだ」
駿は必死に弁解を試みる。
「違うの?」
マリアは同じ言葉を繰り返した。けれど今度のそれは、否定形でなく疑問形の
ように聞こえる。
「えっ? あの………違うって、何が?」
質問を質問で返すことになってしまった駿に、マリアは再び顔を見せることで
答えてくれた。それは少しはにかんだような、そしてとびっきりの笑顔で。
「マリア、もう駿のお嫁さんだと思ってたのに。違うの、って訊いたの」
「へっ………あ、えっ………それって、もしかして?」
その時きっと、駿は情けない顔をしていたのだろう。
マリアは少し頬を膨らませて、こくりと頷く。そして吹き出した。
「やだ、駿。変な顔してるぅ」
くすくすと笑い出すマリア。
駿は夢を見ているような気分だった。
「それじゃ………俺と、結婚してくれるね?」
優しく言いながら、駿はマリアの両肩に手を置いた。
「駿がイヤじゃなければ、マリアはずっと一緒だよ」
笑顔で応えるマリアの目に、涙が光っている。
「嫌なものか………世界で一番、俺はマリアのことが好きだ」
「でもマリアは、駿と同じ人間じゃないよ。遠い遠い、宇宙から来たんだよ」
この期に及んで、またマリアはおかしなことを言い始めた。もしかすると、そ
れがマリア流の、照れ隠しなのかも知れない。
いや、もしかすると本当のことかも知れない。
色の話や、日本人、地球人にしては素直すぎるマリア。この子が嘘をつくのは、
駿が生身のまま空を飛ぶのよりも難しいことに違いない。マリアの言うことなら、
何でも信じたい。
駿にとって、マリアが何者なのか、もうどうでも良かったのだ。例え宇宙人で
あろうと、幽霊であろうと、天使だろうと、悪魔だろうと。ただ一緒にいられる
のなら、そんなものに拘りはしない。
「それでも、駿はいいの?」
不安そうに首を傾げるマリア。
駿は応える代わりに、マリアの身体を引き寄せる。そしてその濡れた薔薇のよ
うに紅い唇に、自分の唇を重ねた。
一瞬、大きく目を見開いたマリアも、すぐに瞼を閉じて駿に応じて来た。
温かな感触。
何も考えることなどない。間違いなく、駿の愛しい人としてのマリアがここに
いる。
パアン。
甘い、至福の瞬間は鼓膜を揺るがす音に、わずか数秒で中断させられてしまっ
た。駿の頭に、ふわっと何かが落ちてくる。続いて、「やったあ!」と言う歓声。
慌ててマリアの唇から離れた駿は、その声の方へ顔を向ける。
「おめでとう、駿お兄ちゃん!」
「マリアおねえちゃん、しゅんおにいちゃんの、およめさんになるんだね」
手にクラッカーを持った良太と美璃佳。駿の頭に落ちたのは、クラッカーから
飛び出た小さな紙テープだった。
駆け寄って来た美璃佳が、マリアに抱きついた。先ほどまで駿が独占し掛けて
いたその胸が、美璃佳に奪われてしまう。
「ねえねえ、しゅんおにいちゃんとけっこんしたら、マリアおねえちゃんは、み
りかのママなのかなあ?」
「うん、そうだね。いつかお風呂屋さんで、美璃佳ちゃんの言って通りだね」
マリアは人差し指で、美璃佳の鼻をくすぐるようにして応えていた。嬉しいの
か、くすぐったいのか、美璃佳の笑い声が響いている。
「やれやれ」
ため息をついた後、駿は良太の目を真剣な顔をして見つめる。笑っていた良太
も、自分たちが何かまずいことをしたと思ったのだろう。真顔になって、駿を見
つめ返す。
駿はマリアたちに聞こえないよう、良太に近づいて耳元で囁く。
「たまには、俺とマリアだけの時間も作ってくれよな」
それから、ぽんと良太の頭を掌で包み込んだ。
「うん、約束するよ」
そう言って、良太は破顔した。
「マリアおねえちゃん、おろして!」
とん、と飛び降りた美璃佳がそのままマリアの手を、そして駿の手をも引っ張
って、部屋の中へ連れて行こうとする。
「はやくおへやにはいろうよ。『フラッシュ・レディ』がやってるよ」
「あれ、今日は『フラッシュ・レディ』の日じゃないだろう?」
「きょうは、クリスマスだから、とくべつなの」
せっかくのプロポーズも、余韻を楽しむ暇さえない。
まさかその後に、子どもたちとアニメを観ることになろうとは、予想もしてい
なかった。つい数分前の、ロマンチックな雰囲気は影さえ残っていない。
駿はそれを残念に思ったが、決して嫌な気分でもない。
『まあ、こんなことがあってもいいか』
これからはずっと四人で暮らして行くのだ。慌てなくとも、これから楽しい思
い出をたくさん作って行けばいい。
ただ一つ、まだ駿の心を悩ませるものが残っていた。
『正月が終わったら、急いで仕事を見つけないとな』
当分の間、書きかけの小説も止まったままになりそうだ。
「素敵なイヴですね」
「ああ、素敵なイヴだな」
雪の降りしきる中、肩を寄せ合う老夫婦の見つめる先で、二人の若者と二人の
子どもを呑み込んだドアが閉じられた。
「とみ………愛美ちゃんがいなくなって、このアパートもすっかり寂しくなった
と思ったが」
まだ富子と愛美を同一視してしまうことがあるが、二人が別人であることを認
識し始め、おじいさんの痴呆も良い方へ向かっているようだった。
「ええ、良太くんや美璃佳ちゃんも、いい顔で笑うようになりました」
そう言いながら、おばあさんは自分も久しぶりに心からの笑顔になっているこ
とに気がついた。おじいさんが回復に向かっているのも、アパートの子どもたち
が笑っているのも、若い夫婦が誕生しそうなのも、全てが嬉しかったのだ。
「それにしても、綺麗だなあ………」
おじいさんは、ついさっきまで二階の住人、駿たちの見ていた光景に目を向け
ていた。
天空より突然生まれ出た、流星の群れ。それを歓迎するように舞い踊る、白い
雪たち。
「まるでとびっきりの、クリスマス・ツリーのようだな」
おじいさんが呟く。
その背中が、流星たちの仄かな光に照らされ、わずかに輪郭を浮き上がらせる。
おばあさんは、若い頃、まだ結婚する前に二人で花火を観に行った時のことを、
思いだしていた。
「晴彦さん、一緒に踊りませんか?」
その名前でおじいさんを呼ぶのは、何十年ぶりだろう。
結婚して、富子が生まれてからは『お父さん』となり、いつしか年老いて『お
じいさん』と変わった、連れ合いの名前。
「なんだい、おばさんや。薮から棒に」
名前で呼ばれたことに驚いたのか、それとも、踊ろうと誘ったことに驚いたの
だろうか。おじいさんが、不思議そうな顔で振り返る。
「名前で呼んで下さいよ、晴彦さん」
「ははは、変なヤツだな。若い二人に、あてられたのか? 年寄りが冷たい夜風
にいつまでも、触れているのは毒だぞ」
いつもとは反対に、おじいさんの方がおばあさんを気遣う言葉を口にする。
「だいじょうぶですよ。踊っていれば、すぐに暖かくなりますから………せっか
くのクリスマスですよ。ねえ、踊りましょうよ、晴彦さん。あの時、花火を観な
がら踊ったように」
おばあさんの気持ちは、もうあの時の、二十歳前の少女に戻っていた。
その様子を、おじいさんも感じ取ったのだろう。どこか気恥ずかしそうに笑い
ながら、こう応えた。
「よし、踊ろうか………香奈恵」
おじいさんが、手を差し伸べる。
その手に、おばあさんの手が合わせられる。
どちらの手も、いまはしわが一杯に刻まれている。
けれど互いの心は若返り、青年と少女の頃にと戻って行った。
降りしきる雪の、微かな音がワルツの代わり。
少しだけ歳をとった青年と、少しだけ苦労を重ねた少女が踊る。
いつの間にか、流星のライトアップは終わってしまった。でも二人には気にな
らない。