#4327/5495 長編
★タイトル (RAD ) 97/12/24 2: 8 (200)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(57) 悠歩
★内容
「駿………」
そこには駿が、良太が、美璃佳が、愛美が、北原のおじいさんとおばあさんが
………マリアがこの星で出逢った人々たちが微笑みながら待っていた。
「リュアナス」
もう一度振り向くと、リュアナスの身体は霧のように霞んでいた。
「君の生きるべき世界は、もうこの世にはないぼくのところじゃない。暖かい温
もりで、君を包んでくれる人たちのところだ」
「うん………ありがとう、リュアナス」
涙のフィルターを通して見るリュアナスの表情は、よく分からなかった。けれ
ど笑顔で見てくれているのだと、マリアは思った。
「早くお行き………辛い戦いかも知れないけれど、負けちゃいけないよ。あの人
たちには、それだけの価値が充分にあるのだから………」
リュアナスの言葉の語尾はどこかに吸い込まれて行くように、小さかった。
しかしもう、マリアはリュアナスを見ていなかった。消えていくリュアナスを
見ていられなかった。それに、いまマリアが見るべき者は、リュアナスではない。
彼もそれを望んでいた。
「待ってて駿、マリア行くから………絶対に行くから」
マリアは歩き出した。
「ああっ………あっ、あっ、あっ、あああああああっ、あっ」
長い自らの髪をむんずとつかみ、マリアが空間の床を転げ廻る。全身から噴き
出した血が、その軌跡をなぞっていく。
『危険よ、これ以上は』
誰かが言った。
『これ以上続けたら、この子、間違いなく死んでしまうわ』
『凄い精神力だわ………この子にとって、それほどまでして守る必要がある記憶
だと言うの?』
『手を緩めないで』
G−36001、マリアのママが皆を叱咤する。
『だけど、本当に死んでしまうわよ』
『私に従わないなら、仕方ないわ………マリアはまた再生すればいい。いえ、計
画には間に合わないけれど、他に177人のマリアがいるもの。支障はないでし
ょう?』
必死に歩を進めようとするのに、マリアの身体は一向に駿たちの元へ着くこと
が出来ない。
向かい風が吹いているのでもない。急な坂を上っているのでもない。それなの
にいくら歩いても、駿たちに近づくことが出来ない。そのつもりはないのだが、
まるで同じ場所で足踏みをしているかのように。
「どうして………どうして行けないの? マリア、がんばってるのに」
誰も応えてくれない。
駿たちは、ただ微笑んでいるだけ。
「駿、何とかして。マリア、もう歩けないよ」
泣き言が口を出てしまう。けれどやはり、誰も応えてはくれない。
「マリア、もうだめ」
疲れたマリアは、その場で膝をついてしまった。その瞬間。
駿たちの姿が、わずかに霞んだ。先程のリュアナスのように。
「いや! だめ! 消えちゃだめ!」
慌てて立ち上がり、マリアは駆け出す。あの姿が完全に消えてしまう前にたど
り着けなければ、もう二度と会うことが出来なくなってしまう。二度と駿たちの
ことを思い出せなくなってしまう。そう思って。
しかしいくら焦って走ろうと、事態に変わりはなかった。どんなにマリアが懸
命になっても、駿たちとの距離は縮まらない。目にはほんの数歩先にいるのに、
実際の距離は数万光年にも値するように感じられた。
そしてその間にも、駿たちの姿は霞み、薄れていく。
「やだ………やだ、やだ、やだ、やだ、やだ……マリアを置いて行かないで!
マリア、みんなのこと、絶対忘れたくないの!!」
静かな空間に、涙で濁ったマリアの声だけが響き渡った。
「それなら、もっとがんばろうよ」
ふいに応える声がして、マリアはその手に温もりを感じた。
「あっ、あなたは」
その温もりの先に、マリアは見た。こちらに微笑みを投げ掛けている、もう一
人のマリアを。
「こんにちは。顔を見るのは、初めてだね」
「じゃあ、あなたがあの時の?」
「うん、そうだよ。私、マリア」
良太たちを探すのに、力を貸してくれたもう一人のマリア。それがいま、マリ
アの目の前に立っている。
声だけではなかった。その容姿、立居振舞まで鏡に映したかのようにそっくり
だった。
「力を貸してくれるの?」
「そうだよ。だって、私もマリアだもん」
もう一人のマリアが笑う。つられてマリアも笑う。
「ありがとう、マリア………マリア、とっても嬉しい」
「お礼は、オトモダチのところに着いてからだよ。みんなにもね」
「みんな?」
「うん、ほら」
もう一人のマリアは、空いている方の手をすうっと巡らした。
「あっ!」
マリアの口から漏れる、小さな悲鳴。歓喜の悲鳴。
たくさんの瞳がマリアに向けられている。
たくさんの微笑みがマリアに向けられている。
そのどれも、全てがマリアだった。
「うわっ、どうりで寒いと思った」
長い髪を柔らかなバスタオルで包み、純子は窓から外を眺めていた。
入浴する前は、黒い帳に閉ざされていたその風景に、仄かな光が生まれている。
ガラッ。
窓を開ける音さえも吸収されてしまう。白く輝く花びらの乱舞。
室内にもぐり込んでくる冷たい空気さえ、湯上がりの肌には心地いい。
「やっぱり雪になったんだ」
窓の外に身を乗り出すと、乾かしてしない髪に舞い落ちる雪たちがまとわりつ
いてくる。
雨から変わったばかりの雪は、積もるまでにはまだ至っていない。けれど二階
の窓から見下ろすと庭の土、植木の枝は、うっすらと雪化粧を始めていた。
「積もるといいな。それでせめて、明日一日がんばって、イヴまで保ってくれる
といいのに」
白い息を、舞う雪たちの生まれ来る空へ立ち昇らせて、純子は独りごつ。
雪だるまを作ったり、友だちと雪合戦をする年齢はとうに卒業したと思いなが
らも、雪を見ると気分がはしゃいでしまう。しばらくの間、窓の桟に腕を載せ、
純子は飽きることなく雪を眺めていた。
そしてふいに、腕の中へ顔を埋めた。
「私って、最低だ」
浮かれていた気持ちが、一気に沈み込んでしまった。顔を埋めたまま、右手に
作った拳で、自分のあたまをこんと叩く。
「まだ美璃佳ちゃんたちが、見つかってないのに。雪の降ったことを喜ぶなんて
………雪のせいで、美璃佳ちゃんたち、辛い想いをしてるかも知れないのに」
人を思いやれない自分に嫌気がさし、当分立ち直れそうにない。
階下から、食事の出来たことを告げる母の声がした。純子は「いま行く」と応
えたが、しばらくは顔を上げることも出来そうにない。
ようやく顔を上げたのは、気持ちが落ち着いたからではない。どこからか聞こ
えてきた、笑い声に反応してだった。
「いまの、美璃佳ちゃんの声みたいだった………」
窓の外に視線を巡らせ、純子はその笑い声の元を探す。しかし見つからない。
空耳だったのだろうか。あるいは近所の家の中で、美璃佳とは別の女の子が笑っ
ていたのかも知れない。
ふう、と白いため息をつく。
「しょうがない、ご飯にしようかな」
そんな気分ではなかったが、いつまでもこうしていたら、母が心配するだろう。
重たい身体を無理に立ち上がらせて、窓を閉めようとした。半分ほど閉めた窓が、
途中で止まる。そして閉め掛けていた窓が、再び大きく開かれる。
また笑い声が聞こえたのだ。先ほどより大きく、はっきりと。
美璃佳ではないのかも知れない。けれど確認しなければ、気が済まない。純子
は声がしたと思われる方向を、目を凝らして見つめる。
「あっ!」
純子の口から漏れたのは、喜びの声だった。
路地の外灯に照らされ、見覚えのある四人の姿が浮かび上がっている。
駿、マリア、あの男の子は良太。それにマリアに抱っこされている美璃佳。
美璃佳は笑っていた。とても楽しそうに。他の三人も、みんな笑っている。
美璃佳たちの家出の原因がなんだったのか、純子には分からない。しかし四人
の笑顔を見る限り、問題は解決されたように思われた。
「美璃佳ちゃん」
純子は手を振りながら、美璃佳を呼んだ。けれど気がつかなかったようだ。四
人はそのまま歩いていく。
「みり………」
もう一度美璃佳の名前を呼ぼうとして、手を挙げ掛けた純子だが止めることに
した。楽しそうな四人の中に、割り込むのが悪いように思われたのだ。
「良かった、とにかく美璃佳ちゃんたちが無事で」
相羽にも連絡してあげなければ。
純子は窓を閉めて、部屋を出ようとした。その途中、もう一度だけ美璃佳たち
の姿を見ようと振り返った。
「あれ? もういない」
美璃佳たちの姿は、既に消えていた。真っ直ぐな道。隠れる場所などないはず
なのだが。
「でも………確かに、美璃佳ちゃんたち………だったよね?」
誰もいない部屋の中で、純子は自問した。
「あれ? それに変だよね………藤井さんたちって、電車で美璃佳ちゃんたちを
探しに行ったのに」
純子の家と、駿のアパートは駅を中心にした角度の広いV字型の位置関係にあ
る。駅からアパートに向かうには、純子の家の前を通る必要はない。
「でもあれは、間違いなく美璃佳ちゃんだった。幻なんかじゃ、絶対にない」
首を捻りながら、純子は部屋を後にした。
「笑っていたよ」
「えっ?」
目を開くなり、突然おじいさんが口にした言葉を、おばあさんは聞き取ること
が出来なかった。
「笑っていたんだ………富子が」
布団の中で、天井を見つめたままおじいさんは繰り返す。
「そうですか、笑っていましたか」
おばあさんは針仕事の手を休め、おじいさんの顔を見つめる。
「ああ、笑っていた。光太郎と一緒にな」
おじいさんは涙で目を潤ませながら言う。こぼれ出た涙が、微かな音を立て枕
に落ちる。
泣いてはいたが、おじいさんの顔は穏やかだった。これほど穏やかな顔を見る
のは、富子が死んで以来、初めてだった。
「富子と光太郎さんが、一緒でしたか………良かったですねぇ」
おばあさんの目からも、熱い涙がこぼれ落ちた。
「富子はな、言ってくれたよ」
そんなおばあさんには気づいているのか、いないのか、おじいさんは相変わら
ず天井を見つめたまま独り言のような話を続ける。
「わしを怨んではいない………と。だからもう、そのことで苦しむのは止めて欲
しい、と………言ってくれたんだよ。富子がな」
悪い夢から目覚めたばかりの子どものように、おじいさんは泣く。うおんうお
んと、声を出して泣く。
「言ったでしょう。富子は優しい子です、あなたを怨んでなんかいませんって」
細くやつれた手で、おばあさんはそっと撫で上げる。長年連れ添った、おじい
さんの頭を。
「おじいさんはもう、充分苦しんだんですもの………富子も天国で心配していた
んでしょうね」
おばあさんは手を止めた。いや、止められたのだ。おじいさんに強く、握りし
められて。
「わしが、富子のことで苦しむのを止めたたら………あの子はまた生まれ変わっ
て、光太郎と幸せになれるかなあ」
「ええ。だからそのためにも、ね」
「ああ………」
二人の目が合った。おじいさんが、にぃと笑う。しわくちゃの顔で。そして、
むくりと布団から身体を起こした。
「熱いお茶を一杯、もらえないか」
「はいはい、少し待ってて下さいね」
おばあさんはつかまれていた手を、優しく外し、台所へと立った。
「なあ………あの子も幸せになってくれるだろうか?」
「あの子、ですか?」
初めはまだ富子のことを、言っているのだとおばあさんは思った。しかしすぐ
にそうではないと知った。
「あの子だよ………愛美ちゃんだ」