#4326/5495 長編
★タイトル (RAD ) 97/12/24 2: 6 (199)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(56) 悠歩
★内容
「これは………」
自分のいる場所を。置かれた状況を知り、言葉を失う。
瞬く星空の下、マリアの足元に見えるのは蒼い星。意識を失う前のマリアが、
その二本の足で踏みしめていたはずの台地。
マリアの身体は宙に浮いていた。
ママの船内で、無重力を経験したことはあるが、これは充分に驚愕に値する経
験だった。
しかしそれ以上にマリアを驚かせるものが、そこにはあった。
『心配は要りません。ここには特別な空間を造ってありますから』
ママの一人が言う。
確かに宇宙空間に在りながら、マリアには目に見えない何かの上に立ってると
言う感覚があった。
『それにしても………どうしてかしら? あなたから、この惑星での記憶が削除
出来ないのは』
別のママが言った。
そう、ママは一人ではなかった。
数え切れないほどのママが、マリアの周りを取り囲んでいる。
「あっ………」
マリアは、もう一人のマリアとコンタクトした時のことを思いだした。あのマ
リアも、このママたちのどれかに乗っているのだろう。
自分たちの他にも、宇宙を旅しているママとマリアがいることは知っていた。
しかしこれまで、実際に出逢うことなどなかった。それなのにいま、数え切れな
いママたちが一つの場所に集まっている。
「なに………なにがあったの? 駿は? 良太くんは? 美璃佳ちゃんはどこに
いるの?」
『こちらが先に質問をしているのですよ、マリア』
全てのママたちが、同じ声をしている。だがマリアには、いま話したのが自分
のママであると分かった。
「なに………質問って?」
『なぜあなたの記憶、この惑星でのことを削除出来ないかです』
「知らない………知らないよ、そんなこと。分かんないよっ!」
どうやらマリアが意識を失っている間に、ママによる記憶の削除が試みられた
らしい。しかしなぜだか、マリアはこうして意識を取り戻したいまも、駿たちの
ことを覚えていた。
これまでに、どれほどの記憶がマリアから奪われたのか分からない。削除され
たその瞬間の記憶さえ奪われているのだから。その時、どんな記憶が奪われたの
か。マリアはどんな想いだったのか。思いだすことさえ出来ない。
そんなマリアに、いまとその時との違いなど答えられるはずもない。
『やはりマリア同士の接近による、障害かしら』
『私たちの知らない、マリアの欠陥があるとも考えられるわ』
『その可能性は低いわ。私たちは、マリアに対して万全を期して来たはずよ』
『記憶削除の回数に、限界があるのかも知れない』
『いいえ、私のマリアはもっと削除回数が多いわ』
『削除する内容に起因しているのかも』
ママたちが口々に話し合っている。
よくは分からないが、マリアの記憶削除は失敗に終わったらしい。その原因に
ついて
はママたちにも判断がつかないようだ。
『あるいは、この個体のいずれかとの接触が原因かも知れないわ』
その言葉と共に、マリアのママの中から三つの人影が吐き出される。しかし放
り出されたのではなく、マリアとは違い、人工的な重力の影響を受けずに漂わさ
れると言った感じに。
「駿!」
それは駿、良太、美璃佳の三人だった。
三人とも意識を失っているのか、それとも死んでしまったのか。眠っているよ
うな状態で、マリアの上を漂っている。
「起きて、駿! 良太くん………美璃佳ちゃん」
誰も応えない。
三人に触れようとジャンプをするが、人工的な空間の重力を受けたマリアの跳
躍力では、とてもそこまで届かなかった。
「どうしてこんなことを………生命体の捕獲は、しちゃいけないんでしょ!」
涙の浮かぶ瞳で、マリアはママを睨みつける。
きっ、とした眼差しに敵意を込めて。
初めてのことだった。こんな気持ちで、こんな風にママを睨むなんて。
けれどそんなマリアに、ママはこう言った。
『これで二度目ですね………あなたが、そんな目で私を見るのは』
「二度目?」
感情による抑揚のないママの声。それがどこかマリアには、寂しげに聞こえた。
しかしいまのマリアには、ママよりも優先させたいことがある。
「駿たち殺したの………? だとしたら、マリア………たとえママでも許さない!
」
心の中が沸騰するような、激しい感情。自分の中に、そんな激しさのあったこ
とに、マリア自身が驚いていた。
『………なんてことでしょう。なんて汚い感情でしょう。マリア、やはりこの者
たちとの接触は、あなたに悪い影響を与えてしまったようですね』
「答えて、ママ!」
『眠っているだけです』
「美璃佳ちゃんは? 美璃佳ちゃん、冷たくなってたの………美璃佳ちゃんも、
眠っているだけなの?」
『………雌の個体のことですね。死んではいませんが、限りなく死に近い状態で
す』
「お願い、みんなをあの星に返して! 美璃佳ちゃんを助けて!」
『それは出来ません』
マリアは背筋が寒くなるを感じた。
どこまでも冷たいママの言葉に。そして次の言葉は、マリアをさらに震え上が
らせた。
『あなただけを回収するつもりでしたが、この者たちはサンプルに使います。こ
の惑星を滅ぼした後、新しい世界を再生するための』
この惑星を滅ぼす。
信じがたい言葉に、マリアは唖然とした。
マリアとママの使命は、星々を渡り歩き調査すること。星を滅ぼすことなど、
その役目にはないはず。
元より、自分たちの危険を回避するため以外の戦いは、規則で禁じられている
はず。
「どうして………そんなひどいことを」
『いまのあなたに説明する必要はありません。さあ、みんな。力を貸して』
ママのその言葉を合図に、周りを取り囲んでいたママたちが強く輝きだした。
するとマリアを激しい頭痛が襲った。
「いやあぁぁぁっ!! な………なにをするの、ママあ!」
マリアは両手で頭を抱え込み、その場にうずくまる。しかし頭痛を止めること
はもちろん、和らげることすら出来ない。
『抵抗は止めなさい、苦しいだけですよ。ここにいる全ての者が、あなたの記憶
を削除しようとしているのです』
「いや………ひどい、ひどいよ、ママ。マリア………ママが、大好きだったのに
………」
痛みに堪えかねて、マリアは床………ママによって造られた、空間に浮かぶ床
の上をのたうった。
『だいじょうぶよ。これか終われば、あなたは元に戻る………私の可愛いマリア
に戻るわ』
「やだ………やだ……マリア、忘れない………忘れたくないよぉ」
誰かが頭に手を入れて、滅茶苦茶にかき混ぜているような痛み。
喉から鉤付きの棒を突っ込んで、内臓を絡め取ろうするような苦しみ。
おおよそ気がふれない方が不思議な苦痛に、マリアは転げ廻って耐えようとし
た。それでも一向に衰えない苦しみに、自ら頭を床に打ち据える。何度も、何度
も打ち据える。
『マリア、抵抗はおよしなさい。苦しいだけですよ。178機の仲間が、あなた
の記憶を削除をしているのです。抵抗するだけ、無駄なこと………素直にその身
を委せなさい』
遠くから、近くから聞こえるママの声。
もちろんマリアには、その言葉に従うつもりは全くない。あくまでも抵抗を続
ける。無駄だと言われても、諦めることなど出来はしない。守りたい、失いたく
ない、大切な記憶。
『マリア………これ以上の抵抗は、命の保証をしかねます』
「だめ………だめ、だめ、だめ、だめ………マリア、死んでも忘れないっ」
視界が赤く染まり行く。全身に、何かぬとっとしたものがまとわりつく。それ
が毛穴から噴き出した自分の血だと、マリアは感じた。
口の中に、鉄臭い匂いが充満する。喉が詰まる。断固記憶の削除に抵抗を続け
る、生体としてのマリアの身体が崩壊を始めていた。
このまま抵抗を続けていれば、あと数分と保たず、苦しみのうちに命を失うだ
ろう。ママの記憶削除を受け入れれば、楽になれる。
「………い、や………忘れ……たくないの。もう………絶対に」
マリアは、駿たちとの思い出を抱いたままの死を選ぶ。
もう何も見えない。
何も聞こえなくなった。
けれど恐くはない。
失った視力に代わり、心の中に浮かぶ駿たちの顔。
失った聴力に代わり、心の中に響く駿立ちの声。
良太が笑いながら走っている。白い雪に足跡を刻みながら。
美璃佳が楽しそうに唄っている。真っ赤な唇から白い息を昇らせながら。
愛美が幸せそうに眠っている。お父さんとお母さんに見守られて。
そして駿が手を広げ優しく微笑んでいる。唇が動く。こっちへおいでと、マリ
アを呼んでいる。
マリアは走る。駿の腕の中へ。
飛び込んだマリアを、力強く抱きしめる駿の腕。固くてごつごつとした胸が、
なぜがとても心地いい。
「愛しているよ、マリア」
思いがけない言葉に、驚いてマリアは顔を上げる。
マリアを見下ろす顔は、霞んで見えた。
「駿?」
不安な気持ちで、マリアは目を細める。霞んだ駿の顔をはっきり見ようとして。
「愛しているよ、マリア。誰よりも」
ようやくはっきりとしてきた顔は、駿のものではなかった。駿と良く似た別の
人。
誰だろう、いつかどこかで逢ったことのある顔。思いだそうとして、マリアは
さらに相手の顔を見つめる。そんなマリアの心を知ってか、その人は包み込むよ
うな笑みを湛え見守ってくれている。
「………リュアナス?」
小首を傾げ、マリアはやっと思いだされた名前を口にする。
遥か以前、別の星で出逢ってマリアと恋に落ちた人の名前を。ママに記憶を奪
われ、忘れていたはずの名前を。
「思いだしてくれたね、マリア」
嬉しそうにリュアナスは、マリアの額に子どものようなキスをした。
「どうしてここに、リュアナスがいるの?」
広い胸に抱きついて、マリアは訊ねた。熱い涙が止まらない。
「君が覚えていてくれたから、またこうして逢えた」
数億年前と同じ笑顔が、マリアの目の前にあった。
「生きてた………生きてたんだね、リュアナス」
ふいにリュアナスの笑顔が曇り、左右に首が振られる。
「もうぼくは生きてはいない。君と別れたあと、ぼくはぼくの寿命を全うして死
んだ」
「そう………」
悲しみがマリアの心に広がって行く。星から星を旅するマリアは、その大半の
時間をママの中で眠って過ごした。数百年から、長いときで数億年を眠るマリア。
星の上で生きる者たちの寿命は、マリアの一度機の眠りの間に尽きてしまう。
「そんな顔をしないで。君との別れは辛かったけれど、ぼくに素敵な思い出を残
してくれた。ぼくの人生の中で、君との時間は光輝いていた。君と知り合えたこ
とに、満足しながら人生を終えることが出来たんだ」
「でもマリアは………リュアナスのことを、ずっと忘れていたの。リュアナスが
マリアのことを思いだしてくれてるときも、マリアはリュアナスのことを、忘れ
ていたの」
マリアの涙が、リュアナスの胸を濡らして行く。
すうっ、とマリアの顔に伸ばされたリュアナスの指が、その目から涙を掬い取
って行く。
「泣かないで、マリア。可愛そうに………ぼくは思い出を宝に生きられたのに、
君は思い出を持つことも許されなかったんだね」
大きな掌が、髪を撫でてゆく。マリアにはそれがとても心地よかった。
「マリア………このまま、リュアナスといっしょにいたいな」
本当にそう願ってマリアは言った。けれどリュアナスは、悲しそうに首を左右
に振った。
「それは君の本心じゃない」
「本心だよ」
マリアはリュアナスの腕をきゅっと握りしめ、自分の想いが本気であることを
伝えようとする。けれどリュアナスは、そっとその腕を解き、マリアの肩をつか
む。
「君はいま戦っている。大切なものを、守るためにね。強く抵抗するあまりに、
記憶の中に微かに残っていたぼくが、呼び起こされて守るべき記憶と混乱してい
るだけなんだ。君が守らなければならないものは、ほら、あそこだよ」
その瞬間さえ、リュアナスは優しかった。優しく、しかし強く、マリアの肩を
押した。マリアは軽くよろめき、その視線は百八十度回転をした。