AWC 『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(38)  悠歩


        
#4308/5495 長編
★タイトル (RAD     )  97/12/24   1:49  (200)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(38)  悠歩
★内容
「じゃあ、それはもっていこう。もういいだろう、いくよ」
「まだ。おてがみかくの」
「おてがみ?」
「しゅんおにいちゃんと、マリアおねえちゃん、おこしちゃだめなんでしょ? 
だからおてがみで、さよならのごあいさつをするの」
 良太にしてみれば、いつ駿たちが起き出すか気が気ではなかった。一分一秒で
も早く、ここを出ていきたい。まして置き手紙などして、良太と美璃佳が家出し
たことを駿たちにすぐに気づかせるのは不都合に思えた。
 けれど良太がそんなことを考えている間にも、美璃佳はどこからボールペンと
紙とを探し出し、台所の板の間に寝そべって手紙を書き始めている。そんな妹の
行為を無碍に咎められず、良太は好きにさせることにした。



「何も終業式の日に、日番が回ってこなくてもいいのに」
 白く煙る街を眺めつつ、純子は思う。ふうと吐く息も白く、まるでそれが街を
煙らせているような錯覚を覚えた。
 日番だからといって別にこんなに早く、学校に行く必要もない。こんな時間に
学校に行くことになったのは、全て目覚まし時計のせいだ。
 二学期最後の日の日番。万が一遅刻でもしてしまったら、格好がつかない。気
合いを入れて、是が非でもそんな事態だけは避けなければならない。と用意した
目覚まし時計が、予定より三十分以上も早くに鳴ってしまったのだ。もっとも、
アラーム時間をセットしたのは、他ならぬ純子自身であるのだが。
 早く起きてしまったからと言って、特に何かする訳でもない。出掛けるまでの
時間を、だらだらと過ごすだけ。これではせっかく入れた気合いも、しぼんでし
まう。
 それならばさっさと学校に行って、日番の仕事を少しでも早く片づけてしまお
う。そう思って早々の通学となった次第だった。
 早朝の空気は、どこかに刃物でも隠し持っているかのように、肌に痛かった。
けれど不快ばかりでもない。家を出るときには、半分寝ぼけまなこの頭も、すっ
きりと目覚める。
 とは言え、やはり長い時間この空気に触れていたいとは思えない。少しでも早
く教室で暖をとりたい。純子は学校へと足を急がせる。
「あれっ?」
 目の前の路地を妙なものが横切り、思わず純子の足は止まる。
「なんだろう、いまの?」
 小さな女の子のように見えたが、何か違和感がある。同じような光景をごく最
近、純子は見た覚えがあった。
「まさか………」
 純子は、女の子の消えて行った路地へと駆け出した。そしてその路地で純子に
背を見せる、二つの影を見つけた。
 一つは小さな女の子。そしてもう一つは女の子より、少し大きな男の子。ただ
し先ほど純子が目撃したのはその女の子でなく、女の子の抱えた大きな人形だっ
た。
 それで純子は得心した。どこかで見た覚えがあるというのは、間違いではなか
った。確かにいま、目の前を歩いている女の子とは一度出逢っている。
「美璃佳ちゃん!」
 純子が名前を呼ぶと、女の子は立ち止まって振り返る。抱えた人形が、ぶん、
と風を斬る音を立てそうな勢いで。
「やっぱり美璃佳ちゃんだ」
 そばまで歩み寄り、純子は人形の横から見せる女の子の顔を確認した。
「あっ、このあいだの、おねえちゃんだ」
 人懐こい瞳が、純子を見つめて微笑む。前に会ったときはほとんど泣いてばか
りだったが、笑顔は一段と可愛らしい女の子だ。
「だれ?」
 隣にいた男の子が、美璃佳を肘で突つきながら訊いた。
「あのね、みりかがまいごになったとき、おうちにつれてきてくれたおねえちゃ
ん」
 静かな朝の街を、一気に目覚めさせてしまいそうな元気な声で、美璃佳が男の
子にと説明をする。
「美璃佳ちゃん、お姉ちゃんはないなあ。名前、覚えてくれてないのかな?
 純子よ、す・ず・は・ら・じゅ・ん・こ」
 膝を折って、純子は美璃佳たちの視線に目の高さを合わせて言った。
「そう、じゅんこおねえちゃん」
 美璃佳が喋る度、口元から白い息が、その小さな顔を覆い隠してしまいそうな
ほど立ち昇る。
「あの………いもうとがおせわになりました」
 男の子が、純子に向かってぺこりと頭を下げた。年齢のわりにはどこか大人び
た目をしている、と言うか拗ねた印象を受けるが、意外と礼儀正しいようだ。
「じゃあ、あなたが良太くん?」
「は、はい。美璃佳から、きいたんですか?」
 純子が見つめると、良太は恥ずかしそうに目を逸らした。五・六歳といったと
ころだろうが、丁寧過ぎる言葉遣いが少し気に懸かる。あるいはそれも恥ずかし
がりの性格に所以しているのか。
「西崎さんって、分かるかな。ええっと、たしか………」
「まなみお姉ちゃん?」
「そう、愛美お姉ちゃんに教えてもらったの」
「みりか、きめた!」
 良太の方を見ていた純子のすぐ耳元で、美璃佳の大きな声がする。鼓膜に響き
渡る黄色い声に、思わず顔をしかめてしまった純子だが、美璃佳には気づかれな
いように振り向いた。
「決めたって、何を?」
「このこの、なまえ!」
 抱いている人形に顔を寄せて、美璃佳が答えた。まるで美璃佳が人形の頬に、
キスをしているように見える。
「お人形さんの名前?」
「うん、じゅんちゃんにするの」
「へっ?」
 つい、純子の声が裏返ってしまった。
「このこのおかげで、じゅんこおねえちゃんと、おともだちになったでしょ。だ
からじゅんちゃんにするの。いいよね」
 小首を傾げ、と言うより全身を傾げて美璃佳が訊ねてくる。人形に自分と同じ
名前をつけられるのは、あまり気持ちのいいものではなかったが、美璃佳の瞳を
見ていると無碍に断ることも出来ない。
「そ……そう? 美璃佳ちゃんが、それでいいのなら構わないけど」
 と、不本意ながらひきつった笑顔で答えてしまった。
「わあい、よかったね。あなたはきょうから、じゅんちゃんだよ」
 人形に語りかける美璃佳を、純子は複雑な思いで見るしかない。
「あの、ぼくたち急ぎますから、これで」
「えーっ、みりかまだ、じゅんこおねえちゃんと、おはなししたいのにぃ」
 良太は再度純子に頭を下げると、まだ名残惜しそうにする美璃佳の手を引き、
歩き出した。
「そう、それじゃあまたね」
 純子が手を振ると、美璃佳もこちらを向いて小さな手を振った。
「美璃佳、にんぎょう、もってやるよ」
「いいの。じゅんちゃんは、みりかがだっこするの」
 そんな兄妹の会話が聞こえた。
「いっけない! せっかくの早起きが、台無しになっちゃう」
 思わぬ所で時間を食ってしまったと気づき、純子は学校に向かって駆け出した。
 日番の仕事のことが頭にあったためか、最初に会ったときは一人で泣いていた
美璃佳が、今日は兄と一緒で楽しそうにしていたからか。早朝、幼い兄妹が二人
だけでいることに、その時の純子は何の不自然さを感じることもなかった。



 駿を目覚めさせたのは、激しい尿意だった。
 布団がめくられたため、身体が冷えてしまったらしい。
 隣で寝ているはずの良太の姿がない。良太が起きるときに、布団をめくってい
ったのだろう。それにしても朝早くから、良太はどこに行ったのだろう。不審に
思いながらも、まずは生理現象を優先させるべく、トイレへと急ぐ。
「駿、おはよ」
 トイレから出た駿を迎えたのは、下着姿のマリアだった。起き出して、着替え
ている最中だったらしい。
「わっ!」
 驚いた駿は慌てて背を向ける。
 どうにも羞恥心に乏しいマリアは、何度言い聞かせても人前………主に駿の目
の前だが、平気で服を脱ぐ。
 おかげで今日まで数回、マリアの肌を目にしているが、駿も駿で慣れることが
ない。自分がそれほどウブだとは思っていなかったが、何故かマリアの白い肌を
目の当たりにすると緊張してしまう。以前の恋人と肌を重ね合った時ですらなか
ったほど、鼓動が早まり目眩を起こしそうになる。
「もう、着替え終わったよ」
 肌を見られた側のマリアは、全くあっけらかんとしている。
「そ、そうだ………マリア。良太くんたち、どこに行ったか知らないか?」
 振り向いた駿が見たものは、おおよそ冬場らしからぬ服を着たマリアの姿だっ
た。大きめのレモン・イエローのブラウスに、モス・グリーンのズボン。セータ
ーなどのニット類、厚手のものは肌に触れる感触が嫌いだとマリアは言っていた
が、これはないだろうと駿は思う。よく寒くないものだ。
「ううん、知らないよ。ねえ、これなんだろ?」
 マリアの指さす先、駿と良太の寝ていた布団の枕元に、一枚の紙が置かれてい
た。
「ん、これは………手紙みたいだな」
 脳裏に焼き付いたマリアの裸身を振り払いながら、枕元の駿はワープロ用紙を
拾い上げる。赤いボールペンで、拙い文字が書かれていた。どうやら美璃佳の文
字のようだ。
『しゅんおにいちやんと
 まりあおねえちやんえ
 さよおなら
 みりか』
「『さよおなら』って、えっ? これは………置き手紙か?」
「おきてがみってなに?」
「良太くんと美璃佳ちゃんが、家出したんだ!」
 部屋の中を見回せば、駿が美璃佳に買い与えた人形もなくなっている。一人き
りになった、クマのぬいぐるみが寂しそうにしている。
 説明してもなお、マリアはより分かっていないらしい。首を傾げてこちらを見
ている。
 その時、ドアをノックする音がした。
「はい」
 良太たちが帰ってきたのか。
 駿は急いで、ドアを開けた。だがドアの外に立っていたのは、愛美だった。
「愛美ちゃん。どうしたの」
「あの、美璃佳ちゃんたち………いますか?」
「いや、それが」
「いないんですね?」
「ああ、その………家出したらしい」
 予想していたのだろうか。愛美はわずかに険しい表情を見せただけで、それほ
ど驚いた様子もない。
「実は病院に行こうとしら、ドアにこれが挟んであるのをみつけたんです」
 愛美はそう言って、一枚の紙を見せた。駿の枕元にあったのと同じワープロ用
紙で、やはり赤のボールペンで文字が書かれている。
『まなみおねえちやんえ
 げんきになてね
 さよおなら
 みりか』
「でも、どうして」
 駿に訊ねているか、独り言なのか、はっきりしない愛美の声。
「分からない………おととい辺りから、良太くんの元気がなかったようなんだが」
 いくら考えてみても、原因が分からない。確かに母親のことでは、子どもなり
に悩むこともあっただろうが、駿が面倒をみるようになってからは、出来る限り
のことをしてきたつもりだ。それでもなお、何か不満があったというのか。
 それが子どもたちに通じていなかったのかと思うと、駿は良太たちに腹立しさ
さえ感じた。
「ねえ、よく分からないけど、おとといならね」
 駿の横に来たマリアが言った。
「何か覚えがあるのかい?」
「あのね、おとといマリアと、良太くんと、美璃佳ちゃんで、公園で遊んでたで
しょ。そのときね、良太くん、ボールを取りにお家に帰ったの。それなのにね、
ボールを忘れて公園に戻って来たんだよ」
「ボールを取りにアパートに………あっ」
 家出の理由が分かった。
 マリアと子どもたちを公園に行かせた後、駿は部屋で民生委員と話をしていた
のだ。良太たちを施設に入れるための相談を。
 おそらくボールを取りに帰って来た良太は、ドアの前でその話を聞いてしまっ
たのに違いない。だからあの日から、良太は元気がなかったのだ。
 妹と別れ別れになるかも知れない。それが良太を思い詰めさせたのだろう。
「馬鹿たれが!」
 駿の口から飛び出した悪態に、マリアと愛美が驚いている。だがそれはもちろ
ん、二人に言ったのもではなく、また良太たちに対してでもない。良太を追い詰
めてしまった自分の迂闊さ。そしてそのことにも気づかず、良太たちに一瞬でも
腹を立てた自分に対してであった。




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