AWC 『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(25)  悠歩


        
#4295/5495 長編
★タイトル (RAD     )  97/12/24   1:36  (195)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(25)  悠歩
★内容
 幼稚園の中で、楽しそうに歌ったり、遊んでいる子どもたち。美璃佳と年齢は
変わりないように見えた。どうして美璃佳はあの中に入れないのだろう。
 訊ねてみると「ママがいれてくれないの」と寂しそうな顔をした。
「良太くん遅いね」
 幼稚園は静かになっていた。マリアはなんとなく手持ちぶさたそうに、揃えた
足を振り回す美璃佳に話し掛けた。
 公園に着いて始めのうちは、鬼ごっこや隠れんぼをしていた。しばらくしてそ
れらに飽きると、今度はボール遊びをしようということになったのだ。あいにく
三人は手ぶらで公園に来ていたため、良太がアパートへボールを取りに戻ってい
た。
「うん、りょうたおにいちゃん、おそぉい。あ、きた!」
 美璃佳は公園の入口を指さすと、ぴょん、とベンチから飛び降りて駆け出す。
「あら?」
 のろのろと公園に入ってきた良太。どこか元気がない。
 そしてマリアの目だけに映るらしい、心の色。もともと美璃佳より、悲しい色
を多く持っている良太ではあるが、それがいつもよりも濃い。
「おにいちゃん、ボールは? ボール」
「あ、ごめん。忘れちゃった………」
 美璃佳に応える声は明るかったが、マリアには無理をしているように感じられ
た。
「良太くん、何かあったの?」
「ううん、歩いているうちに、わすれちゃったの」
 マリアを見上げて、良太は笑う。けれどその瞳は潤んでいた。
「もう、りょうたおにいちゃんの、わすれんぼ」
 ぺしっ。
 背伸びしながら小さな手が、良太の肩を叩いて抗議をする。
「ごめん、ごめん。ほかのことして、遊ぼうよ」
「もう、しょうがないわねぇ。とくべつよ」
 やけに大人びた口調で、美璃佳が言った。



 受話器を置いて、返却口に戻された十円玉を取る。
 そして愛美は、電話機の横のソファに腰を下ろした。
 いつもならそろそろ『満天』に行かなければならない時刻だが、たったいま、
しばらく休むと電話をしたところだった。学校も休んでしまった。
 父のいる、集中治療室のある階にはテレホンカード式の電話しかなく、十円玉
の使える待合室に来ていたのだ。
『そう、愛美ちゃんも大変ね。当分、お店のことは心配しなくていいから。お父
さんのそばにいてあげなさいな。それから………気持ちをしっかり持つのよ』
 受話器の向こうで、女将はそう励ましてくれた。
 ただ愛美にはそんな女将の言葉も、どこか遠くの国での出来事を語っているよ
うに聞こえた。
 父が死ぬかも知れない。
 いや、死んでしまうのだろう。
 全身に繋がれた管。医学の知識がない愛美でも、父の病状はかなり悪いものだ
と知れる。
 そして………回復、完治の望みがないことも。
『気持ちをしっかり持つのよ』
 女将の言葉は、それを予感してのものだろう。
 医師もとうに手術できる状態は過ぎてしまったと言う。
 けれど愛美は認めたくない。
 それなのに昨晩から一睡もせず、父のそばに着いていると、様々な思い出が頭
の中を駆けめぐって行った。まるで亡くなった人を、思い起こすかのように。
 既に外来の診療時間も終わり、待合室の明かりは落とされている。
 電話の横の売店では、販売員がシャッターを降ろしてした。
 入院患者を見舞った帰りだろうか。小さな男の子が、元気良く愛美の前を駆け
抜けた。その後ろから若い夫婦が、楽しそうに談笑しながら歩いてくる。
 きっとこの人たちの見舞った相手は、病気の経過がいいのだろう。もしかする
と、近々退院出来るほどに回復しているのかも知れない。
 前を通り過ぎていく若い夫婦の背中を見る目の周りが、妙にひきつる感じに愛
美は気がついた。たぶん鏡を見れば、凄い目つきをしていただろう。自分の身に
降り懸かった不幸を嘆くばかりか、他人の幸福を妬んでいたのだ。
 その事実は、愛美を愕然とさせる。
「私………最低だわ」
 両手で顔を覆い、愛美は泣いた。

 愛美を現実に引き戻したのは、売店の横にあるコーヒーの自動販売機が、紙コ
ップを吐き出す音だった。
 顔を上げると、パジャマを着た男の人が販売機の前に立っていた。入院患者で
あることは間違いない。男の人はコーヒーの入った紙コップを片手に、もう一方
の手でキャスター付きの点滴台を引きずりながら、愛美の隣のソファに腰掛けた。
胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけて大きく吸い込んでいる。
 愛美は自分の顔が酷い有り様になっているだろうと想像し、なるべく男の人か
ら見えない角度にと向けた。もっとも男の人は、愛美を気にする様子など全くな
い。病院と言う場所柄、愛美のように、この場所で暗く落ち込んでいる人を見掛
けるのは、珍しいことではないのだろうか。
 愛美は財布を開き、中身を確認した。
 今日のところは、父の容態が大きく悪化することはなさそうだった。もちろん
良くなることもないのだが。
 父の容態に変化がないとなると、愛美にはもう一つ直面しなければならない現
実がある。
 それがお金のことだ。
 財布の中には、一万円札が四枚に千円札が三枚。そして小銭。それが愛美の、
いや愛美の家の全財産だった。
 雪乃叔母さんから三万円をもらってなお、これだけしか残っていない。
 今日の昼間、入院受付の事務員の人から入院費の話をされたばかりだった。
 父が生死の境にいる中で、お金のことなど考えたくはない。けれど考えずに済
むことでもなかった。
 父は病院に運ばれてすぐ、集中治療室に入ったため、ベッド代は免除された。
だがその命を長らえるための装置に、お金が掛かる。決して安い物ではない。し
かも父は、仕事を辞めて社会保険を失ってから、国民保険にも加入していない。
 そのため毎週水曜日が支払日だという、入院費はとても愛美に出せる額ではな
かった。
 事情を説明すれば、支払いを待ってもらえたかも知れない。手続きをすれば、
負担が軽減されたかも知れない。だがいまの愛美には、そこまで考えが及ばない。
それにまだ父が回復することにわずかな希望を抱いている愛美には、支払うお金
が父の命を繋ぐためのものに思えていた。
「どうしよう………とても足りない」
 今日愛美は、水以外何も口にしていない。しかしそんな生活をこれから続けて
行くとしても、いま手元にあるお金では入院費には及ばない。
 その時、愛美の頭の中に、雪乃叔母さんの手にしていた通帳が浮かんだ。二百
三十万円あると言っていた通帳。
 雪乃叔母さんに頼めば、なんとかなるかも知れない。だが愛美は首を振り、そ
の考えを否定する。
「だめだわ、叔母さんには頼めない………」
 あのお金は、雪乃叔母さんが愛美を引き取る代償として、父に渡そうとしたも
のだ。それを受け取ってしまえば、愛美は父と別れなければならない。
 もし奇跡が起きて助かったとしても、父は愛美がそばにいてやらなければ、食
事もまともに取りはしないのだ。
「でも、雪乃叔母さんがだめなら、他にどうすればいいの?」
 早朝の新聞配達と、夜の『満天』でのアルバイトだけが愛美の、いや愛美の家
の全ての収入。それだけでは日々の生活費が精一杯。
 返す能力のない愛美に、借金をさせてくれるあてなど、他にありはしない。
「あっ………でも」
 一人だけ、頼れるかも知れない人がいた。
 母の友人だった、『満天』の女将。
 中学生の愛美を雇ってもらっているだけでも、充分迷惑を掛けている。その上
に借金の相談をすることはさすがに気が退けるたが、いまの愛美に選択の余地は
ない。
 『満天』は小さな店で、その利益も大きなものではないだろう。あまり大金を
頼むことは出来ない。それでもなんとか、当座の分だけでも借りられれば………
 考えているだけでは仕方ない。愛美は一度、父の様子を見てから『満天』を訪
ねることにした。



「えーっ、マリアおねえちゃんって、はなび、したことないのぉ」
 小さな美璃佳が、大きな驚きの声を上げる。
「うん、ないよ。ねぇ、『はなび』ってなに?」
 脇で話を聞いていた駿も、マリアが花火を知らないというのは驚きだった。
「あのねぇ。こうなっててねぇ、こうしてもつの」
 美璃佳は何か細いものを、握る仕種をする。そしてもう一方の手を、握ったも
のの先辺りに持ってくる。
「でね、ひをつけるの。そうすると、しゅーってなるの。とってもきれいなんだ
よ」
「ふぅん」
 マリアは感心したように頷いた。果たして、美璃佳の説明で花火をどこまで理
解できたか、甚だ疑問ではある。
「ねえ、駿。マリア、その『はなび』がしてみたい!」
「みりかもしてみたいな。ずうっとまえに、りょうたおにいちゃんと、やっただ
けなんだもん」
 きらきらと輝く、四つの瞳が駿に向けられる。
「弱ったなあ」
 少女漫画のヒロインのような瞳に見つめられ、駿は苦笑しつつ頭を掻いた。
「麗しき姫君たちに頼まれて、イヤとは言いたくないんだけど。無理だよ」
「ええっ、どぉして! マリア、してみたいよ。したい、したい、したいっ」
 身体を揺すって、だだをこねるマリア。こうして見ると、美璃佳よりよほど幼
く感じられてしまう。
「花火はね、夏のものなんだよ。いまは冬だから、お店にも置いてないんだ」
 駿は、幼子に言い聞かせるようにして、マリアに話した。この話し方も、マリ
アや美璃佳たちと暮らすようになって、すっかり板についてきた。
「なつって、いつ? 明日? 明後日?」
 ところがマリアは、まだ納得してくれない。
「そうだなあ、せめてあと半年………180回は夜と朝が来ないとだめだな」
「ええっ、そんなに待つのぉ」
「しょうがないわ、マリアおねえちゃん。がまんしましょう」
 ぽんぽんと、美璃佳がマリアの肩を叩き、慰めるような仕種をする。
『まったく、どちらが歳上なんだか』
 その光景に、駿の口元には笑みが浮かび掛けるが、完全な形になる前に消えて
しまう。
 やがて訪れる花火の季節には、もう美璃佳はこのアパートにいないだろう。マ
リアと美璃佳が並んで、花火に歓声を上げてはしゃぐ姿は見られない。
「はなび、はなび、はなび、はなび、はなび」
 しかしマリアは、駿が感傷に浸る時間も与えてはくれなかった。
「だからあ、ないものは仕方ないだろう」
「うーっ」
 目一杯、不満を溢れ出させた目が駿を見つめる。本当に面倒の掛かる少女だ。
そんなマリアに好意以上の感情を抱いた自分が不思議でならない。けれど、だだ
をこねるマリアに腹が立つことはない。むしろそんな姿にさえ、愛おしささえ感
じてしまうのが事実だった。
「そうだ」
 突然、美璃佳が立ち上がった。
「ちょっときて!」
 駿に対してなのか、マリアになのか、そう叫ぶと美璃佳は部屋の外に飛び出し
ていった。
 顔を見合わせてから、駿とマリアは美璃佳の後を追う。
 外に出てみると、隣の部屋のドアが開かれ明かりが灯されていた。202号室、
美璃佳たちの本来の部屋だ。『フラッシュ・レディ』のキャラクターが入った、
小さな靴が玄関からはみ出ていた。美璃佳が脱ぎ捨てて行ったのだろう。
「美璃佳ちゃん?」
 部屋を覗き込んでみると、押し入れの中で蠢いている小さなお尻が見えた。
「美璃佳ちゃん、何を探しているの?」
「あったぁ!」
 嬉しそうな声と共に、頭に綿埃を被った美璃佳が押し入れから出てきた。その
手に何か、平たい包みを握って。
「ほら、マリアおねえちゃん。はなびだよ」
 とたとたと、駆け寄って来た美璃佳がその包みをマリアに手渡した。
「これが、はなび?」
「うん、まえに、りょうたおにいちゃんが、かってくれたの」
 マリアはビニール面が埃で黒くなっている、その花火セットをしげしげと眺め
ている。
 母親から、ぎりぎり以下の生活費しか与えられていない良太には、数百円の花
火セットでも高価なものだったに違いない。それでも妹を喜ばせたかったのだろ
う。




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