#4293/5495 長編
★タイトル (RAD ) 97/12/24 1:35 (200)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(23) 悠歩
★内容
ふくれ面でマリアが応える。
『そうよ、だからサンプルも遺伝子のみに限られているでしょう』
『でもこれは、特別な場合なの! だって愛美ちゃんにとって、お父さんは大事
な人なんだもん』
マリアの感情が、大きく動くのが分かった。どうやら想像以上に、マリアは接
触した原住生物たちに影響されているらしい。
『どうしてそう思うのかしら? あなたには「お父さん」という存在が理解出来
るの?』
マリア自身は知らないことだが、彼女には生み育てたという意味に於いての両
親は存在しない。そんなマリアが、ママの監視下を離れていた期間に父親と娘と
の情を理解したとは思いにくい。
『本当は、お父さんってよく分かんない。でもマリア、もしママがいなくなった
ら一人ぼっちだよ。そんなの嫌だもん。きっと愛美ちゃんにとってのお父さんと、
マリアにとってのママはおんなじだと思うの。
だからお願い。愛美ちゃんのお父さんを、治してあげて』
実にマリアらしい答えだった。
だが、マリアの調査員としての役目には不要な優しさ。マリアの調査員として
の適性である旺盛な好奇心に影響が出てはいけないと、これまは放置してきた。
しかし考える必要がありそうだ。
『私の居場所は分かるわね? マリア。戻っていらっしゃい』
『愛美ちゃんのお父さんを、連れて行っていいの!』
マリアが目を輝かせた。どうやら、言葉の意味を誤解しているらしい。
『いいえ、あなた一人で戻ってくるのです』
『そんな………どうしてなの、ママ』
『探査規則25条の8、あなたの記憶を調整する必要があります。特に駿という
人物に関する記憶は危険です。速やかに削除すべきです』
『………マリア、ママなんて大嫌いっ!!』
それを最後に、マリアの意識はママとのコンタクトを拒絶した。
『困った子………』
これまでにない、マリアの強い抵抗にママはため息をつく。以前似たようなこ
とがあったが、その時にはマリアは常にママの監視下に在ったたため、大事に至
らずに済んだ。しかし今回、マリアは監視下から離れているためことは悪い方へ
と、流れている
ママにとり、マリアのことを含めた全てが好ましくない状況にあった。
もはやマリアの記憶を調整するには、強引に動くしかない。その際、この惑星
の支配種族たちに発見され、あるいは攻撃を受ける恐れもある。たが文明レベル
から判断して、仮に彼らが最高の兵力を以てママに当たったとしても、充分に突
破可能だった。
現状は、その行動に出るのもやむを得ない事態と、判断してもいい。
けれどママは、もうしばらく待つことにした。
少なくともあのことについて、連絡があるまでは。いや、もう連絡が来ること
はないと分かるまでは。
ただしそれを待つのに、ここにいるよりも一度惑星の大気圏外に、出たほうが
いいだろう。
ママは夜陰に乗じて、海から飛び立つことにした。
「はぁあ」
マリアは深いため息を、一つつく。
わずかばかりの明かりの中、口もとから昇る白い煙を、ぼんやりと見つめる。
「ママの………ばか」
マリアにとって、何よりも信ずべき存在だったママ。けれどママは、マリアの
想いを分かってくれなかった。
規則、規則、規則、規則、規則………
いままでは気がつかなかったが、ママは何より規則を優先させようとする。
「マリア、もうママのところへ帰れないよお」
『あなたの記憶を調整する必要があります』
ママの放った、冷たい言葉。
駿や美璃佳たち兄妹。彼らと出会って、マリアの中に芽生えた不思議な気持ち。
彼らのことを想うと、なんだか暖かい。
彼らのことを考えると、なんだか寂しい。
駿のことを考えると、なんだか気持ちが安らぐ。
それはいままで、マリアの経験したことのない気持ち。でもとても素敵な気持
ち。
ママはその記憶を、マリアから奪うと言うのだ。いつもは優しいママが、初め
て冷たく感じられた………。
本当にそうだろうか?
ふと小さな疑問が浮かぶ。
ママがマリアに冷たかったのは、本当にこれが初めてだったろうか?
何かがマリアの記憶の中に甦る。
朧気な輪郭。男の人の顔のようだ。駿ではない。
『誰だろう………この人』
もう少しで、その顔がはっきりと思いだせそうだ。だが寸前で、まるで煙をか
き消すように、その顔は頭の中から失われた。
『もしかすると………』
これもまた、ママによって削除されてしまった記憶なのかも知れない。
考えてみれば、この惑星に降り立つまでのマリアの記憶の中には、ママ以外と
触れあった思い出がない。
これまで、いくつの惑星に降り立ったことだろう。なのにそこで知的生命体と
出会った記憶は、全くなかった。
それもまた、探査規則に従ったママが、マリアから記憶を削除した結果なのだ
ろうか。
いつの間にか、マリアは自分の目の周りが熱くなっていることに気がついた。
「なに、これ」
手で触れてみて、驚く。
指で掬いとった涙を、マリアはしばらく凝視した。
初めての経験。少なくとも、残されているマリアの………虫食いだらけの記憶
では、
これまで涙を流した覚えはない。
「マリアも………美璃佳ちゃんと一緒だ」
寂しくて、不安で、悲しくなって涙を流す。
長い長い時間を、一緒に過ごして来たママ。ママこそが、マリアにとっての全
てだと思っていた。けれど違うのかも知れない。
ママは泣かない。
どんなに近くにいても、ママの顔を見ることは出来ない。
いまマリアは、長い時間を共に過ごしてきたママより、短い時間を共にしただ
けの駿や美璃佳たちの方が、自分に近い存在に思えた。
「誰だったんだろう? さっきの人は」
もう一度マリアは、その顔を思いだそうとした。しかし今度は、その輪郭すら
浮かんでくることはなかった。ただ、流れる涙の量が増えただけだった。
何かその人と悲しい思い出があったのだろうか。
自分のことなのに、何も分からない。マリアはそれがもどかしかった。
いくら努力しても、失われた記憶が甦ることはない。やがてマリアは、思い出
すことを諦めて、公園の出口へと歩き出した。
「私、ずっとここで暮らしたい」
そう、呟きながら。
公園を出たマリアを迎えたのは、大きなエンジン音。
「彼女、なに泣いてんのぉ?」
見知らぬ若い男が二人、用途不明の装飾、あるいは機能が疑問視される改造の
施された車から降りてきた。
「何か悲しいことでも、あったのかなぁ」
マリアに声を掛けてきた男たちは、二人とも駿とはだいぶ違う恰好をしていた。
一人は髪の毛は元の色と違う物に染め変えられ、針の山のように固められている。
そしてもう一人の方は、髪の色は元のままだが、やはり強引な形で固められてい
て重りのように見える。
二人とも耳に、そのうちの一人は鼻にまで穴を空けて、装飾品を通している。
街中でも何人か同じ装飾品を身につけた者を見掛けたが、駿はしていない。もし
かすると、駿とは別の部族の証なのかも知れない、とマリアは思った。
「あれぇ、君、日本人じゃないのかなぁ。言葉、分かる? キャン、ユー、スピ
ーク、ジャパニィズ」
茶色く髪を染め、鼻に装飾品を付けた方の男が、マリアの瞳を覗き込んで言っ
た。
「マリアに何かよう?」
マリアが応えると、二人は口を揃え「おおっ」と驚いて見せた。
その間、彼らの降りてきた車のエンジンは掛かったままだった。そのエンジン
音から判断して、エネルギー効率はかなり悪そうだ。
「マリアちゃんっていうの。君、可愛いねぇ。俺らとドライブ行かない?」
変な笑みを浮かべながら、茶色の髪の男が言った。その後ろでもう一人の男は、
盛んにもごもごと口を動かしている。何かを噛んでいるらしい。反芻をしている
のだろうか。
「ううん、マリア、もう帰るの」
マリアは男たちの横を、通り抜けようとした。すると反芻をしていた男に、腕
をつかまれた。
「そんなつれないこと言うなよ、マリアちゃん。一緒に遊ぼうぜ」
顔は笑っているのに、声は脅すような調子だった。二人がこの周辺でも有名な
不良であることを、マリアが知る由もない。ただ腕をつかまれた理由が分からず、
きょとんと男の顔を見返すだけだった。
「そうそう。一緒に楽しもうよぉ」
茶色の髪の男が、マリアの肩に手を掛けた。
「誘ってくれてありがとう。でもマリア、もう帰らないと駿たちが心配するの。
愛美ちゃんのお父さんのことも気になるし。ごめんね」
そう言って、マリアは微笑んだ。
二人の男は、互いに顔を見合わせた。そして茶色の髪の男が、自分のこめかみ
辺りに指を充て、くるくると回す。
「あなたたちも、帰った方がいいと思うよ。ほら、外はこんなに寒いんだもん。
それにね、二人とも色が悪くなってるの。でも心配しなくても、平気だよ。真ん
中には、ちゃんといい色が残っているから。大事にしていれば、全部いい色にな
るよ」
マリアをつかんでいる腕の力が緩んだ。するりと抜け出して、マリアはアパー
トへと歩き出す。途中、足を止めて二人に振り返り、大きく手を振った。
「じゃあね、ばいばい。あと、乗らないときは、車のエンジン、止めておいた方
がいいよ」
呆然と立ち去るマリアを見送る二人。
その姿が完全に見えなくなり、最初に我に返ったのは茶色の髪の男だった。
「おい、浩二。なんで簡単に、行かせちまったんだよぉ」
「なんでって。お前だって引き留めようともしなかったじゃねえか!」
「お、俺は………嫌なんだよ。頭のおかしな女なんてさぁ。なんか………あとで
ヤバイこととかになったら、面倒じゃん」
「俺もだよ………いくら可愛くても、オツムがパーじゃなあ」
二人とも、お互いに本当のことは言えなかった。マリアの瞳に見つめられてい
るうちに、これまでに経験がないほど心が穏やかになってしまったことを。いま
まで気にしたこともない家族が、恋しくなってしまったことを。
「なんかさぁ、今日は気分が乗らないんだよねぇ。家に帰って、さっさと寝ちま
いたいって気分?」
「俺も、なんかもう疲れたわ」
「帰ろうか」
「ああ」
「じゃ、車に乗れよぉ。送ってやるから」
「ああ、サンキュ」
二人を乗せた車は、静かに走り出した。
「あら?」
アパートに戻ったマリアは、階段に座り込んでいる美璃佳を見つけた。
小さな手を合わせ、空に向かって何かを呟いている。
「美璃佳ちゃん、こんなところで、何をしてるの」
「あっ、マリアおねえちゃん」
マリアに気がついた美璃佳が手を振った。
「あのね、おいのりしてたの」
「お祈り?」
「うん。まなみおねえちゃんのパパが、はやくげんきに、なりますようにって」
寒さの中で、ほっぺたを真っ赤に染めた美璃佳が言った。
「ふうん、美璃佳ちゃんって、優しいんだね」
「えへへっ。だって、まなみおねえちゃん、かわいそうでしょ。みりかは、マリ
アおねえちゃんや、りょうたおにいちゃんや、しゅんおにいちゃんたちといっし
ょだから、さみしくないけど。パパがいないと、まなみおねえちゃん、ひとりぽ
っちだもん」
美璃佳の小さな口から、たくさんの白い息が昇っていく。
「それにね、みりか、まなみおねえちゃんも、まなみおねえちゃんのパパもすき
だから」
にっこりと美璃佳は笑う。
「だいじょうぶだよ。美璃佳ちゃんがお祈りしたから、愛美ちゃんのお父さん、
きっと元気になるよ」
「うん」
「さあ、風邪をひかないうちに、お部屋に戻りましょう」
マリアは美璃佳の肩を抱いて、部屋に向かった。