AWC 『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(22)  悠歩


        
#4292/5495 長編
★タイトル (RAD     )  97/12/24   1:33  (199)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(22)  悠歩
★内容
「ねえ、駿。マリア、先に帰ってるね」
 そう言うと、駿の返事を待たずにマリアは駆け出した。
「マリア! 一人で帰れるのか!!」
「だいじょうぶ」
「あ、鍵。掛かったままだよ」
「だいじょうぶ」
「だいじょうぶって、マリア」
 エレベータは下に降りている途中だった。待っているのももどかしい。
 マリアは階段を、二段とばしで駆け降りた。



 父の余命が、あといくばくもないと知った悲しみの中、激しい自己嫌悪と後悔
が、愛美を苛んでいた。
『お父さんのいないあなたに、私の気持ちなんて分からないでしょ!』
 美璃佳に投げつけた言葉が、愛美自身の心も刻む。
 良太と美璃佳の兄妹が、その母親の私生児………父親の誰とも知れない子ども
であることは、なんとなく知っていた。
 美璃佳たち兄妹は母子家庭。愛美は父子家庭と、似たような境遇にある。だが
愛美には母が亡くなるまで、いくつもの楽しい思い出がある。優しい母と、働き
者で子煩悩だった父。その思い出が、母が死んでから今日までの愛美の、心の支
えとなってきた。
 良太と美璃佳にはそれがない。父親が、どこの誰かは分からない。母親は子ど
もの世話を見たがらない。
 どれだけ愛美の方が、恵まれて来ただろう。
 自分の父の死が、近いことを宣告されたのだ。動揺しても仕方ないだろう。し
かしそのことを考慮に入れたとしても、愛美が美璃佳に対して執った行動は許さ
れるものではない。
 愛美よりも恵まれない環境にあって、美璃佳は人を思いやる心を見せたという
のに。
 純真な気持ちを土足で踏みにじり、挙げ句に唾を吐くような真似をしてしまっ
た。
 父のことだけでも気がおかしくなりそうな愛美は、自らが起こしたことではあ
ったが、後悔の念にも責められ、潰れてしまいそうだ。
「いけない………私、急がないと」
 気がつくと、愛美の足は止まっていた。それどころか、いつの間にかアパート
に向かう道から外れている。
 もたもたしてはいられない。父に残された時間が少ないのなら、せめて一秒で
も長くそばにいてやりたい。それくらいしか、愛美にはしてやれることがない。
 けれどこんな気持ちで………美璃佳たちの心を踏みにじった愛美に、父のそば
にいる資格があるのだろうか。もしかすると、父はそんな愛美の汚い心に気づい
ていたのかも知れない。だから愛美を遠ざけたくて、父は愛美に冷たかったので
はないか?
 つい数時間前、美璃佳と遊んでいた父の姿が思いだされた。
 あの時の父は、とても優しい顔をしていた。母が死んでから、愛美には一度も
見せなかった表情。父には美璃佳の純真な心が見えていたのだ。あれが父の、本
当の表情だったのだ。
 頬が冷たい。
 流れた涙が寒風に冷却されていたのだ。
 まるで自分の心のようだ。
 そう思いながら、涙を拭う手も冷たかった。
「愛美ちゃん。愛美ちゃあん!」
 ふいに名前を呼ばれた愛美は、振り返るより先にコートの袖を使って涙を擦る。
相手が誰であれ、泣いている顔は見せたくない。
「ふぅ。やっと追いついたあ」
 いまの愛美には、痛いように感じられる明るい声。
「えっと、あの、マリアさん………でしたっけ?」
 半歩後ずさりして、愛美はなるべく外灯から離れた場所に立って振り向く。
 愛美に声を掛けたのは、駿と一緒にいた女の人だった。年齢は分からないが、
愛美よりは上だろう。ただ話し方や仕種は、ずいぶん子どもっぽい。
「うん、私マリア!」
 瞬間、冷たい風が緩んだような気がした。
 くりくりとした、琥珀色の瞳が愛美を捉える。美璃佳とイメージが重なり、愛
美は目を逸らす。
「あの、何か用でしょうか?」
 あれほど後悔していたのに、人の前に立つと嫌な自分に戻ってしまう。
「さっき美璃佳ちゃんには、言い過ぎました。そのことは謝ります。あの、私急
いでますから」
 ぶっきらぼうに言い放ち、愛美はその場を去ろうとした。
 その手が、強く掴まれた。
「無理をしないで」
 どこまでも明るいマリアの声。
 手を振り解こうとした愛美だったが、出来なかった。
「愛美ちゃん、本当は優しい子なのに。いまだって、美璃佳ちゃんに言った言葉、
すごく後悔してる」
「別に私は………どうしてそんなこと、あなたに分かるんです!」
「だって、見えるもん」
「えっ?」
「愛美ちゃんの色」
 言っていることが分からない。
 何かを抽象的に表現しているのだろうか。
 愛美はマリアの瞳を覗き込んだ。無垢な笑顔が、それに応えている。
 この人に、とても遠回りな物言いが出来るようには思えない。本当に、何か色
が見えているのかも知れない。
「愛美ちゃんは、お父さんのことが大好きなんだよね。そのお父さんが病気で倒
れて、何が何だか分からなくなったの。それで愛美ちゃんが、愛美ちゃんでなく
なってしまったの。
 美璃佳ちゃんにあんなこと、言うつもりなんてなかった。なんで言っちゃった
んだろうね。いまはすごく後悔してる。ちゃんと謝りたいけれど、また美璃佳ち
ゃんを目の前にしたら、もっと酷いことを言ってしまいそうで恐いの。
 でもね、だいじょうぶだよ。愛美ちゃんは本当は優しい子だし、美璃佳ちゃん
もとってもいい子だよ。だから、いまはまだダメでも………愛美ちゃんの気持ち
が落ち着いたら、ちゃんと謝ろうよ。
 ううん、焦らなくても平気だよ。美璃佳ちゃんってまだ小さいけれど、人の気
持ちを思いやれる子だから。さっきはいきなりだったから、びっくりしたみたい
だけど。愛美ちゃんの気持ち、分かってると思うよ、ね」
 勝手に愛美のことを決めつけた、マリアの言葉。
 美璃佳に怒鳴りつけてしまった時の愛美なら、きっと反発していただろう。い
まだって、初めは反発するつもりでいた。けれど出来なかった。
 子どもっぽい話し方をするマリア。冷静に聞いていれば、とても説得力がある
とは言えないものだろう。なのに、不思議と聞いているうちに納得させられてし
まう。
 昔、悪戯をして父に叱られたことを思い出した。
 まだ幼稚園に通う前だった。自分が悪かったと分かっていたのに、叱られたこ
とで愛美は意固地になっていた。早く謝って、許してもらいたかったのに、それ
が出来ない。
 そんな愛美に、母は優しく言ってくれた。
『本当は自分が悪かったって、思ってるのよね。愛美ちゃん』
 愛美はわずかに頷くのが、精一杯だった。
『それなら、ちゃんとお父さんに謝りましょうね。お母さんは知ってるのよ。愛
美ちゃんが本当は、とてもいい子だって。もちろんお父さんだってそうだわ。だ
からね、ちゃんとごめんなさい、って言いましょう』
 全然似たところなんてないのに。
 マリアがあの時の母に見えてしまった。
「ね、愛美ちゃん?」
「………はい」
 素直に返事出来たことが、愛美自身、不思議だった。
「あの、マリアさん………ありがとうございました。私、父の着替えを用意する
んで………」
「あ、うん。私はちょっと行くところがあるから」
「じゃあここで」
 少しだけ気持ちの楽になった愛美は、マリアに頭を下げてアパートの方へ歩き
出した。『マリアさんって、不思議な人。まさか、本当にマリアさまの生まれ変
わりなのかしら』
 愛美は教会のステンドグラスに描かれた、聖母マリアの姿を思い浮かべた。け
れどマリアの姿とは重ならない。
「愛美ちゃん。私も、愛美ちゃんのお父さんが、元気になるようにお祈りするか
ら」
 マリアの言葉に、愛美は笑顔で振り返り応えた。
 父が元気になることは、もうないと知っていながら。



「ふう、さて」
 愛美と別れたマリアは、辺りを見渡す。そして公園の入口を見つけた。
「あそこにしよう」
 遊戯施設のない、広場になった公園の中に入る。『野球禁止』と書かれた看板
を横目に、マリアは思いの外に広い公園の中央に向かった。
 まだそれほど遅い時間ではなかったが、冷たい風の吹き抜ける公園に人影はな
い。数本の外灯が設置されていたが、そのほとんどが並ぶように植えられた木の
枝に遮られ、公園内を充分に照らしてはいない。
「ここなら、たぶん平気かな」
 マリアは、公園内に他に人のいないことを確認した。
「ずっと連絡するの、忘れていたから………ママ、怒ってるかな?」
 別段、悪いことをしたと思っていないマリアはぺろりと舌をだす。そして祈る
ように手を合わせ、心の中で呼びかけた。
『ママ、ママ。聞こえる? 私よ』
『マリア! マリアなのね』
 すぐに返事が返ってきた。
『もう、いつもでも連絡をよこさないから、心配してたのよ』
 久しぶりに聞く、ママの声。今日まですっかり忘れていたくせに、ママが無事
だったことを知りマリアは安心をする。
『ごめんなさい。すっかり忘れてたの』
『本当に仕方ない子ね』
『あのね、ママ。マリア、お願いがあるの』
『お願い? 何かトラブルでも起きたの?』
『ううん、そうじゃないの。助けて欲しい人がいるの』
『助けて欲しい?』
『うん』
 マリアは愛美の父親の姿をイメージする。
 倒れる直前、倒れた直後。こっそり覗いていた、CTスキャンの写真。「ガン
かも知れない」という、駿の言葉。
 マリアがイメージしたものは、ママへと伝わる。それはテレパシーと呼ばれる、
超能力の類とは異なっていた。マリアが見聞きしたものに、曖昧な記憶が混じる
ことがない。マリア自身が、遠隔操作されたママの一部となったように、その経
験が寸分の狂いもなく送られていく。
『ね、ママだったら治せるでしょ? マリアのどんな病気だって、治してくれた
もの』
『ええ、治せるわ。でも、どうしてその必要があるの?』
『だって、この人が死んじゃったら、愛美ちゃんがかわいそうだもん』
 マリアは微笑んだ。ママがその願いに応えてくれることを、信じて疑わずに。
 しかしママの答えは、マリアの期待しているものとは違っていた。
『出来ないわ』
『えーっ、だっていま、治せるって言ったのに』
 頬を膨らませて、マリアは抗議する。遠く離れていても、その様子はママに見
えているはずだ。



 ママが危惧していたことが、現実になっていた。
 ようやく連絡をよこしたマリアは、この惑星の生命体と深く関わってしまった
らしい。
 マリアが望まなくともその心に接触出来れば、ママは彼女の得た全ての情報を
知ることが出来る。「病気を治してほしい」と言ってきた人間に関する情報と共
に、ママはマリアがこの惑星に降り立ってからの全てをも知った。
 好ましくない状況だった。
 駿、良太、美璃佳、愛美………マリアの心から引き出された、いくつもの名前。
それらに対してマリアが持つ興味は、調査対象としての域を越えている。
 心配していたように、ママの監視下を離れていたマリアは、その好奇心から彼
らに強い感情を抱き始めていた。特に駿という、この惑星の支配種族の雄に対し
ての感情は、大きな危険を孕んでいる。
『出来ないわ』
 マリアの希望は、決して受け入れられるものではない。受け入れる理由もない。
『えぇっ、だっていま、治せるって言ったのに』
 頬を膨らませて抗議する、マリアの姿が感じられた。
『分かっているはずよ、マリア。探査規則31条・惑星上に於ける原住生物への
干渉の範囲について』
『特別なことがない限り、そこの生き物たちの生死に関わってはいけない、って
ことでしょ?』




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