AWC 『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(17)  悠歩


        
#4287/5495 長編
★タイトル (RAD     )  97/12/24   1:29  (199)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(17)  悠歩
★内容
「うえのおなまえ?」
「そう、私だったら純子が下の名前で、涼原が上の名前なんだけど………分かる
かな?」
「わかる。わたし、おかのみりか」
「わあ、みりかちゃんって、お利口さんなんだね」
 純子は手を伸ばして、美璃佳の頭を撫でてやった。
 さて、これからどうしたものか。美璃佳の抱いていた人形には、まだビニール
が掛けられている。たぶん今日、迷子になる前に買ってもらったものだろう。包
装紙があれば、どこで買ったものか分かるのだが、残念ながらそれは残されてい
ない。美璃佳がとってしまったのか、持ち歩いているうちに外れてしまったのだ
ろう。
「ねえ、美璃佳ちゃんは今日電車に乗ったかな?」
「きのう、のったよ」
「昨日じゃなくて、今日、乗ったかどうか分かる?」
 美璃佳は少し考えるような素振りを見せた後、首を横に振った。首の動きに合
わせ、髪が弧を描く。
「のってない。きょうは、りょうたおにいちゃんと、ぞうさんのくるまにのった
の」
「ぞうさん? あっ」
 デパートの屋上の、プレイランドにある乗り物のことだろう。電車に乗ってい
ないということは、そのデパートはこの駅前のものであり、美璃佳もこの街の住
人であると考えてよさそうだ。
 この駅前のデパートといえば、数は限られている。迷子案内を問い合わせてみ
れば、たぶんこの子の保護者も連絡を入れているはずだ。
「よし、じゃあ美璃佳ちゃんのママを、探しに行こうか」
 純子は席を立ち、美璃佳の人形を抱き上げる。重い、というほどではないが、
小さな子どもが持って歩くには重量があった。何より純子でさえ、両手が塞がっ
た状態で歩くのには不安を感じる。それが美璃佳であれば、視界の大半も遮られ
危険も小さくなさそうだ。
「美璃佳ちゃん?」
 美璃佳は席を立とうとしなかった。悲しそうに俯き、声こそ出していなかった
が、目には涙を浮かべている。
「どうしたの? どこか痛いの?」
「………いないもん」
「えっ」
「みりか、ママなんていないもん」
「あっ」
 純子に悪気など、あろうはずはない。しかし何気なく口にした言葉に、美璃佳
が傷ついてしまったことを知った。
「ごめん、ごめんね………美璃佳ちゃん」
 純子は酷く後悔をしていた。

「しばらくお待ち下さい」
 中学生の純子に対しても、立派な大人に対するのと同じ礼儀正しさで、女の人
は接した。
 駅前のアミューズメントビル、デパートの一階受け付け。純子はここで、『お
かのみりか』という迷子を探している人がいないか、訊いてみた。美璃佳の名前
と特徴を確認した受け付け嬢は、迷子センターへと電話を掛けている。
「お待たせしました。確かに一時間半ほど前に、『みりかちゃん』というお嬢さ
んをお探しの男の方が、来られたそうです。館内放送の後、しばらく待たれてい
ましたが、見つからず、また他へ探しに行かれたそうです」
 仕事上とはいえ、これだけの笑顔で応対されれば、不満に思う人はいないので
はないだろうか。その上、女性の純子でさえ、つい見とれてしまうほど受け付け
嬢は美人だった。
 ここで美璃佳が保護者とはぐれた、という純子の推測は見事的中した。
「そちらのお嬢さん、美璃佳ちゃんは、私どもで責任を持ってお預かりします」
 受け付け嬢は、インフォメーションのカウンターを出ようとした。それを見た
美璃佳は、純子の足に強く抱きついた。そんな美璃佳の態度に、つい情がわいて
しまう。
「あの、すみません。その男の人の住所、分かりますか?」
「はい。連絡先は係の者が控えていますから。只今、お家の方へお電話している
と思います」
「それなら、私、この子の迎えの人が来るまで、ここで一緒に待ってます」
 たいして時間も掛からないだろうと考えてのことだった。受け付け嬢も、美璃
佳が純子になついているようなのを見て、快く承知してくれた。
 ところがしばらくして、迷子センターから掛かってきたらしい電話を受けた受
け付け嬢が、ベンチで待つ純子の元に来て言った。男の人の残していった連絡先
に、何度電話をしても、誰も出ないそうだ。まだどこかで、美璃佳を探している
のだろう。
「連絡がつくのがいつになるか分かりませんから、やはりお嬢さんは、こちらで
お預かりしたした方がいいですよ」
 受け付け嬢はそう勧めてくれたが、足にしがみつく美璃佳の温もりを感じると、
純子にはどうしてもその言葉に従うことが出来なかった。
「よろしかったら、その男の人の………美璃佳ちゃんの住所を、教えてもらえま
せんか。近くなら、私、直接連れて行きますから」
「そうですねえ………」
 受け付け嬢は、純子の影に隠れる美璃佳を見ながら、少し考えていた。
「本当は規則違反なんだけど。何か身分証明書を持っていたら、見せて頂けます
?」
 初めはきっちりとしていた受け付け嬢の言葉遣いが、いつの間にかくだけたも
のに変わって来ている。純子としては、その方が気分が楽だった。
 幸い純子は生徒手帳を持ち歩いていたので、それを受け付け嬢に見せた。受け
付け嬢はそれを確認すると、連絡先をメモした紙を渡してくれた。
「あ、この住所なら分かります。じゃあ、私、この子を連れて行きますから」
 そこに記された住所は、純子の家とは反対方向だが、同じ中学校の学区内だっ
た。
「何かあったら、また連絡して下さいね」
「はい、ありがとうございます。さ、美璃佳ちゃん、お姉さんと一緒に、お家に
帰りましょう」
 純子は美璃佳の手を引き、受け付けを後にした。



『あれっ?』
 受け付け嬢にもらったメモを頼りに歩いていた純子は、あることに気づき、足
を止めた。
 右手を美璃佳とつなぎ、人形を抱えていた左手にメモを持っていた。同じ手に
自分の買い物袋をも持っているので、酷く苦しい格好となってしまう。そのメモ
を良く見ようと顔を近づけたために、人形が腕の中から落ちそうになる。
「あっ」
 小さな悲鳴を上げて美璃佳が、人形を受けとめようと手を差し出した。けれど
純子の腕から人形が落ちることはなかった。
「だいじょうぶよ。落とさないように、ちゃんと持ってるから」
 純子は心配そうな顔をしていた美璃佳に、微笑んでみせる。それから改めてメ
モに目を戻した。
『美璃佳ちゃんを探していた男の人の名前、藤井駿ってなってるけど。美璃佳ち
ゃんと名字が違う?』
「おねえちゃん、どうかしたの」
 気がつくと足を止めたまま、メモに見入っていた純子を、美璃佳の大きな瞳が
見上げていた。
「あ、ううん、なんでもないの。行きましょう」
 深い海の中のような色に染まった街中を、美璃佳の手を引きながら純子はまた
歩き始める。
「ねえ、美璃佳ちゃん?」
「なあに」
「今日、あのデパートには、誰と行ったのかな」
「んーとね、りょうたおにいちゃんとぉ、しゅんおにいちゃんとねぇ………それ
から、マリアおねえちゃん」
 美璃佳の口から、「しゅん」という名前が出て、純子は安心した。どうやら間
違いではないようだ。
「あのね、おにんぎょうさんは、しゅんおにいちゃんが、かってくれたの」
「そう、良かったわね。駿お兄ちゃんって、優しいんだ」
「うん。あのね、しゅんおにいちゃん、サンタさんにたのまれたって、いってた
の」
 それにしても、美璃佳は父親とデパートに行ったのでもなかったようだ。一緒
にいたという三人はいずれも、「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼んでいるが、
名字が違うところから兄妹でもなさそうだ。マリアという人は、外国人なのだろ
うか。何やら複雑な事情が、窺える。
「あ、ここ」
 角を曲がると、嬉しそうに美璃佳が叫んだ。
 三十メートルほど先に、古い二階建てのアパートが見える。その壁面に『若葉
荘』という文字が確認できた。
 美璃佳はつないでいた純子の手を離し、アパートに向かって駆け出して行った。
「あ、走ったら危ないよ、美璃佳ちゃん」
 慌てて純子は、美璃佳の後を追った。
 純子の胸にも届かないブロック塀でも、美璃佳の身長を隠すには充分だった。
アパートの門をくぐった美璃佳の姿が消える。
 ここまで来れば、また迷子になる心配も少ないだろうが、純子は美璃佳の人形
を預かっている。それによその家の子を、連れて来た責任もある。保護者に引き
渡すまで、見届けなければ。
『うわあ、レトロぉ』
 足を止め、思わずアパートを見上げる。
 昔の青春ドラマにでも出てきそうな造りのアパート。建てられてから、かなり
の年数が経っているのだろう。この周辺はアパートやマンションが多く建ち並ん
ではいるが、ここまで煤けたものは他にない。
「っと、見とれてる場合じゃなかった」
 純子はブロック塀の切れ目でしかない門を入り、美璃佳の姿を探した。
「あ、あれっ? 美璃佳……ちゃん」
 隠れる場所などない。だがL字になったアパートの横に三つ、そして正面に一
つのドアがあるだけで、美璃佳の姿は見当たらない。
 純子は慌てて、メモに視線を落とす。
「えっと、『アパート若葉荘、201号室』あ、二階か」
 そう気がつくと同時に、上の方からどんどんと、音が聞こえてきた。見上げる
と、二階の部屋のドアを叩く美璃佳の姿があった。純子はすぐ隣にある、錆の浮
いた鉄の階段を上る。
「美璃佳ちゃん?」
 階段を上った、一番手前の部屋のドアを懸命に叩く美璃佳は、純子の呼びかけ
に応えない。
 初めは片手で、やがて両手でドアを叩きだした。小さな身体で、反動をつける
ため背中を大きく、弓なりに逸らしてドアを叩く。
「あけてよぉ。みりか、かえってきたよ。りょうたおにいちゃん、しゅんおにい
ちゃん、マリアおねえちゃん………あけてよぉ」
 まだ誰も戻って来てはいないらしい。美璃佳がいくら呼びかけても、ドアは開
かれない。
「ねえ、あけてよぉ」
 それでも、半べそをかきながら、美璃佳は必死に叩く。その勢いのあまりに、
美璃佳は後ろによろけて、ぺたんとお尻をついてしまった。
「ふ、ふうっ………ふあああん」
 それまで純子といる間、一度も泣き出さなかった美璃佳が、初めて大声で泣い
た。アパートに辿り着つくことが出来て、安心したのだろう。それだけにまだ家
族が不在だったことで、ずっと堪えていたものが一気に噴き出してしまったらし
い。
「あっ、美璃佳ちゃん、泣かないで」
 純子は抱いていた人形を、ドアの横に座らすように置いて、美璃佳に駆け寄っ
た。ところが美璃佳は、純子が抱き起こそうとしても、自分の足で立とうとはせ
ずに泣きじゃくるばかりだった。
「困ったなあ、どうしよう?」
 ここまで来て、まさかデパートに戻っても仕方ない。けれどいつ戻って来ると
も知れない家族を、外で待つには寒すぎる。
 陽はもうとうに落ち、アパートの廊下にも明かりが灯されている。周囲は、深
い海の中にいるような色に染まっている。
 純子でさえ、訳もなく心細さを感じる時間帯である。幼い美璃佳であれば、な
おのことだろう。
 ただ泣きじゃくるだけの美璃佳が、純子の気持ちまで悲しくさせてしまう。
『家の人が帰ってくるまで、お隣さんにでも、美璃佳ちゃんのことを預かっても
らった方が、いいかしら?』
 同じアパートの隣人であれば、多少なりとも美璃佳の家族ともつき合いがある
はず。そう思って、純子は隣の部屋に目をやるが、その考えは空振りだと知った。
 人のいる気配がない。部屋の中に明かりが着いていないのだ。
『そうよ、何もお隣さんじゃなくっても、同じアパートの人なら………あら?』
 他の部屋の人に頼んでみようか。そう思ったとき、純子は隣の202号室に掛
けられた、表札に気がついた。
「ねえ、美璃佳ちゃん」
 純子は自分で立とうとしない美璃佳を、支えながら202号室の前に連れてい
った。
「美璃佳ちゃんのお部屋、こっちじゃないの?」
 そのドアの、純子の胸より少し低い辺りに表札があった。掛けられているとい
うより、貼られているといった方が正しいかも知れない。プラスチックのケース
に、ボール紙を入れるタイプの表札だ。




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