AWC 『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(14)  悠歩


        
#4284/5495 長編
★タイトル (RAD     )  97/12/24   1:26  (200)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(14)  悠歩
★内容
 自分だっていま聞いた、愛美の話は忘れようとしているではないか。気に懸け
たところで、何かしてやれる訳でもないし、してやるつもりもない。下手に同情
するだけなら、初めから関心を持たない方が、よほどいい。
 結局駿は子どもたち、特に美璃佳が食べ終わるのを待つことになった。食事を
終えて、汚れた口の周りを、袖で拭おうとする美璃佳を駿より先に、良太が止め
た。
「だめだよ、そんなのでふいちゃ」
 テーブルにはナプキンが備えられていなかったので、良太はおしぼりで妹の口
を、拭いてやっている。
「ねえ、駿。マリアにもやって」
「えっ」
 それを見ていたマリアが、駿に向かって顔を突き出して来た。
「マ、マリアは子どもじゃないんだから、自分で出来るだろう」
「や、駿にしてもらうの!」
 駿が断ると、マリアはむっとした表情を見せ、ますます顔を近づけて来た。
「しょうがないなあ………」
 周りの客がこちらを見ていないのを確認して、駿はマリアの口を拭いてやる。
 とても恥ずかしかったが、嫌な気分でもない。
 間近に見るマリアの唇が、可愛らしいと思った。
「マリアおねえちゃん、みりかといっしょだ」
 それを見ていた美璃佳に、ようやく笑顔が戻った。

「おにいちゃん」
「ん?」
 支払いを済ませて店を出た駿を、外で待っていたのは良太だった。マリアと美
璃佳はもう、アパートに向かって歩き出している。
「どうした、良太うくん。ほら、あの二人だけで先に行かせたら、迷子になっち
ゃうよ」
 駿はそう言って、良太を促して歩き出した。
「おにいちゃん、これ」
 良太は、ジャンパーのポケットに手を入れて、何かを取り出した。そして、そ
れを駿へ差し出す。
「なんだい? これは」
 良太が手にしていたのは、一万円札だった。母親が美璃佳に渡したお金を、兄
の良太が持っていたのだ。
「ぼくとみりかのぶん」
 良太はそれで、二人の食事代を払おうと言うことらしい。
「いらないよ、良太くん」
 駿はそっと、良太の手を押し戻す。
「でも………」
「大人が子どもから、お金を受け取るのは、カッコ悪いことなんだよ。子どもは、
大人の顔を立てなくちゃ、ね」
 そして駿は、良太のポケットに一万円札をしまわせた。
「これは何かあったときのために、大事に取っておかないと。なくしちゃだめだ
よ」
「うん、ありがとう、おにいちゃん」
「あ、ほらほら。みりかちゃんたち、あんなに先に行っちゃったよ。さあ、ぼく
らも急ごう」
 駿と良太は、小走りで美璃佳たちの後を追った。



「と、富子?」
 眠っていたはずのおじいさんが、突然身を起こして言った。
「どうしたんです、夢でも見たんですか」
 繕い物をしていたおばあさんは、その手を休めて訊ねる。
「富子はどうした?」
 おじいさんさんはそう言いながら、忙しなく辺りを見回す。
「いませんよ、富子は」
「どこに行った………こんな時間に」
「さあ、光太郎さんのところじゃないですか」
 おばあさんは、休めていた手を再び動かし、繕い物を始める。
「ああ、そうか。光太郎のところか………」
 安心したように頷き、おじいさんは横になる。
「なあ」
「はい、なんですか」
「富子は………幸せになれるかなあ」
「ええ、幸せになりますよ。富子は」
「………」
「おじいさん?」
 もう寝入ってしまったようだ。おじいさんは寝息を立てている。
 外で風が吹いた。かたかたと音を立てて、窓ガラスが揺れた。
 おじいさんが眠ったのを確認して、おばあさんはタンスの引き出しから、線香
を出した。
 マッチで着けた火を、線香を振って消すと、それをタンスの横の小さな仏壇へ
と供える。仏壇の引き出しを開けると、そこには古い一枚の写真が入っていた。
 おばあさんは写真を仏壇の中央に立てると、鐘を鳴らし、そっと手を合わせる。
 古い白黒写真の中から、変わることのない笑顔を湛えた若い女性が、そんなお
ばあさんを見つめている。
「富子、もうすぐ今年も終わりですね。私もお父さんも、また新しい年を、生き
て迎えることになりそうです」
 おばあさんは、決して応えの返ることがない写真に、語り始めた。



 子どもたちが寝入ったのを確認して、駿はジャンパーを羽織り、静かに部屋を
出た。
 冷たい空気が、半分眠り掛けていた頭を目覚めさせる。
 階段を中ほどまで降り、そこに腰掛ける。ポケットから煙草を取り出し、火を
着けた。ふうっと吐き出す煙が、外灯の中朧気に浮かび、闇に消えていく。
 いくら吐いても、駿の口から白い煙が途絶えることはない。どこまでが煙草の
煙で、どこからが息なのか、区別がつかない。
 はっきりと嫌がられた訳ではないが、どうも子どもと同じ部屋にいると、喫煙
を控えてしまう。これを機に、止めてしまってもいいのだが、やはり口さびしい。
 久々に吸う煙草は、旨かった。
 この煙草は、単に禁煙生活が苦しくなったためではない。考えをまとめるため
のものだった。
 夜中に部屋を出て、煙草を吸う。
 何か考え事をするときの、駿の習慣だった。
 小説を書いているときも、案に詰まったときはいつも、こうしていた。
「やっぱり、そうするしかない」
 独りごちる。
 考えていたのは、子どもたちのこと。いま状態を、いつまでも続けては行けな
い。子どもたちのためにも、駿のためにも。
 話し合いをしようにも、あれ以来子どもたちの母親は、帰ってこない。勤め先
も分からない。
 もう駿一人が、どうにかしてやれるような事態ではない。誰か専門家に頼るし
かないと、駿は判断した。
「こんなところにいた」
 いつの間にか、後ろにマリアが立っていた。
 駿は驚いた。そこにマリアがいたことにではない。いつも、子どものような無
邪気な笑顔をしているマリアが、これまでと違う、優しげな笑顔を見せているこ
とに。
「なにをしてたの?」
 静かな口調で言いながら、マリアも駿の横へ座ろうとする。
「あ、待って。お尻、汚れるよ」
「だって、駿も座ってる」
 構わず腰を下ろそうとするマリア。
「だめだよ………ほら」
 駿はポケットから、ハンカチを取り出した。確か四日ほど前から入ったままの
ものだが、一度も使った覚えはない。駿はそのハンカチを、階段に敷いてやる。
「ほら、これでだいじょうぶ」
「ありがとう」
 微笑むマリアに、つい数十分前までの天真爛漫さはない。見た目相応の、いや、
それ以上の大人の女性の落ち着き。
 女性とは、かくも短時間のうちにその表情も変えられるのか。しかし先月まで
付き合っていた彼女も、ここまで極端な変化を見せたことはない。
「なにをしていたの?」
 マリアは先ほどと同じ質問を繰り返した。わずかに小首を傾げたため、長く柔
らかい髪が駿の頬をくすぐった。
「ちょっと、考えごとを」
 そう答え、駿は吸っていた煙草の火を、足下に擦りつけて消した。そして吸い
がらを、下へ投げかけて、手を止める。マリアの前では、どんな些細な不道徳も
犯してはいけない。そんな気がしたのだ。
「考えごと」
 駿の言葉を繰り返しながら、マリアが顔を覗き込んで来た。
 心の中まで見透かすような、無垢な瞳がそこにある。
 駿の鼓動は、裸のマリアを背負ったとき以上に高まった。
「分かった! 愛美ちゃんって子のこと、考えてたんだ」
 さも嬉しそうに破顔しながら、マリアは笑う。
「えっ、どうしてそう思うの」
 満天にいたときには、全く無関心に見えたマリアが、愛美の名を口にしたのが
意外に思えた。
「だって駿は、やさしいもの」
「優しい? 俺が?」
「うん」
 マリアは夜空を見上げた。
 自分の顔に向けられていた視線が、次に見つめるものを駿も追う。名も知らぬ
星々が瞬いていた。
「駿は、マリアの面倒を見てくれてるもん」
「それは………優しいって言うより、成り行きだよ。夜道に裸でいる女の子を、
そのまま放って置けなかっただけさ」
 言いながら、駿はマリアの形の良い胸を思いだし、赤面してしまう。
「でも、そのあとも、駿はマリアのこと、あんまり訊かないし。お洋服もくれた
し、ご飯も食べさせてくれてるよ」
「それは………、洋服は俺じゃなくて、北原のおばあさんがくれたんだよ」
 だけど、と駿は思う。
 確かに突然裸で現れた少女を、警察にも知らせず自分の部屋に置く気になった
のは不思議だ。
 ほとんど詮索しようとしないのも不思議だ。
 それは訊いてはならないことと、マリアを気遣っているから?
 いや、俺はそんなに思いやりのある人間ではない。
 子どもたちのことで、手いっぱいだったから?
 いや、それならなおのこと、素性の知れぬマリアを訝しく思うはずだ。
 裸の、しかも可愛らしい少女に、何か良からぬ期待を持ったのだろうか。この
考えが、一番肯定したくはなかったが、納得出来る。
 付き合っていた彼女と別れ、面倒事………子どもたちを背負い込み、欲求不満
やストレスが溜まっていたのかも知れない。
 そう考えると、駿はマリアに「優しい」と言われたことが、とても恥ずかしく
思えて来た。
「それにね」
 星を見上げるマリアは、駿が赤面しているのには気づかない。
「良太くんや、美璃佳ちゃんたちは、駿の子どもじゃないよね?」
「あ、ああ」
「なのに、駿は可愛がってるよ。だから駿は、やさしいの」
「………」
 駿は答えることが出来ない。
 自分は、非情な人間ではないと思う。病気に苦しむ美璃佳を、放っては置けな
かったから。ゴミ溜めのような部屋で、二人きりで過ごす子どもたちを無視出来
なかったから。
 それを指して「優しい」と言うなら、確かに駿は優しい。
 けれど中途半端な優しさなのではないだろうか。
 この先、駿にはいつまでも子どもたちの面倒を見続ける経済力も、精神的なゆ
とりもない。遅かれ早かれ、子どもたちを他の者へと任せることになるだろう。
 子どもたちのためにも、そして駿自身のためにも。
 せめてちゃんとした形で、ちゃんとした人へ子どもたちを任せるようにしよう。
駿は思う。
 優しさでなく、子どもたちと関わってしまった、自分の責任として。
「だからきっと、愛美ちゃんも助けてあげるよね」
 マリアが言った。
「それは無理だよ。良太くんたちと、愛美ちゃんとでは、全然事情が違う。それ
こそ、俺が何かしたって、余計なお世話になる。それに………やっぱり俺は、マ
リアが言うほど、優しくはないよ」
「ううん、マリアには分かるの。駿はやさしいって」
 星が一つ、夜空を駆け抜けて行く。
 マリアもそれを見たのだろうか。駿はすぐ隣にいる、マリアの横顔へと視線を
向けた。
「ねえ、マリア。君はどこから来たの」
 いままで訊きそびれていたことを、訊いてみる。たぶんマリアは、答えないだ
ろうと思いながら。




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