#4283/5495 長編
★タイトル (RAD ) 97/12/24 1:25 (198)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(13) 悠歩
★内容
今夜は風もなく、十二月としては暖かい方だった。
とは言っても、いつまでも外気に触れていることは、好ましくない。早々に店
を決め、食事を済ませたい。
「美璃佳ちゃんは、何か食べたいもの、あるかな」
駿は振り返り、マリアと手を繋いで歩いる美璃佳に訊ねてみた。
「なんでもいい………」
まだ元気のない美璃佳は、小さな声で答える。
「良太くんは?」
次に駿は、自分と手を繋いでいる良太にも訊いてみる。が、答えは美璃佳と同
じく、「なんでも、いい」だった。
「私は、ね。美味しいもの。ラーメン!」
手を挙げて、元気に答えたのは、何も訊いていないマリアだけだった。マリア
に希望を訊いても仕方ない。駿の部屋で食べたインスタントのラーメン以外、彼
女は食べ物の名前を知らなようなのだ。
いったい、どんな暮らしをしてきたのか。マリアから知っている食べ物の名前
を訊いてみると、今度は駿の知らないものばかりが、その口から発せられる。
「そうだなあ、何を食べよう」
結局、駿が決めるしかない。マリアは論外として、子どもたちは食べ物につい
て、積極的に希望を言うことがない。無理もない、子どもたちはほとんど毎日、
インスタント食品とスナック菓子だけしか、口にしたことがないのだから。外食
をすると言われても、どんな物が食べられるのかさえ、分からないのだ。
しかし駿も、あまり食べ物に拘る方ではない。一人で外食しても、ラーメンか
カレー。部屋で食べるインスタントのものと、メニューは変わりない。
とりあえず美璃佳のこともあり、何か栄養のあるもの。とにかくご飯の食べら
れる店がいいだろう。だがアパートの近くでは、銭湯のそばにラーメン屋がある
程度。あとは駅の反対側まで行くしかない。
駿は駅への近道をするため、路地を進んだ。そして駅前商店街の手前で、『居
酒屋満天』と暖簾を出した、小さな飲み屋を見つけた。看板には『お食事』の文
字も書かれている。
子どもたちの足に合わせて、駅の向こう側まで行って戻ってくるのも時間が掛
かる。ここで食事が出来るのなら、その方が楽だ。
「ちょっと待ってね」
子どもたちに声を掛け、駿は店の中を覗いてみた。
表から見ても小さな店だったが、やはり中も広くはない。四人掛けのテーブル
が三組にカウンター席が三つ。満席だった。
「やっぱり、一杯か」
「あ、お客さん。ちっょと待って下さい」
諦めて店を出ようとした駿に、太った女将の声が掛かる。
見ると一番奥のテーブル席の客が、立ち上がるところだった。
「こちらのお客さんがお帰りですから、座れますよ」
「あの、お酒を呑みたいんじゃなくて、食事をしたいんですけど、構いませんか
?」
「ええ、ええ、うちみたいな小さな店じゃ、ビール一杯、焼き鳥一本のお客さん
でも大歓迎ですよ」
愛想のいい笑顔で応え、空いたばかりのテーブルを片づけた。駿は子どもたち
を呼んで、その席に着いた。
さすがに店の中は暖房が効いていて、暑いくらいだった。駿は子どもたち、さ
らにはマリアのコートまで脱がしてやらなければならなかった。
「えー、なんになさいます?」
駿たちの前にお茶を置き、女将が注文を待っている。
店の壁を見ると、アルコール類やおつまみの名前と並んで、幾つかの定食の書
かれた札も掛けられている。
「えーと、ぼくは生姜焼き定食。良太くんたちは何がいいかな?」
「私も駿といっしょ!」
必要以上の大声でマリアが言った。
「なんてかいてあるか、よめなあい」
答えたのは美璃佳だった。子どもたちはそれぞれ四人掛けの奥、壁側に向かい
合って座っていた。そのため壁の札を見るのに、ほぼ真上にまで顔を上げている
ほとんど漢字で書かれてあるお品書きを、まだ幼稚園にも行っていない美璃佳
が読めないのは仕方ない。駿は端から、ゆっくりと読み上げてやるが、それでも
美璃佳には、それがどんな食べ物か想像つかないらしい。
「あ、ぼくハンバーグがいい」
じっと壁のお品書きを見ていた良太が叫んだ。たぶん美璃佳と同じで、他の字
は読めなかったのだろう。唯一カタカナで書かれた定食を選んだ。
「みりかも、はんばあぐがいい」
妹も兄と同じ物を選んだ。それが食べたいと言うより、それ以外の食べ物のこ
とが分からないからと言った方がいいだろう。しかし子どもに食べさせるには、
無難な定食だ。
「私も!」
また大きな声で、しかも今度は手を挙げてマリアが言った。
「あら、そちらのお嬢さんは生姜焼きじゃなかったんですか?」
「マリア、良太といっしょ!」
マリアも子どもたちと同じく、字が読めないらしが、その上分かる食べ物さえ
ないらしい。
「すみません、生姜焼き一つとハンバーグを三つで」
「はい、分かりました」
女将はにっこりと笑い、巨体を揺するようにして狭い調理場へ入って行った。
料理を待つ間に、駿は改めて店内を見回して見る。『居酒屋』の看板が出ては
いたが、駿たちから一つ跳んだ四人掛けの席では、どこかの作業員風の客が食事
をとっている。カウンターでも一人が、みそ汁を啜っていた。まだ宵の口前だか
らなのか、酒目当ての客と、食事目当ての客とが半々。
先ほどの女将の台詞が示すように、商店街から外れた店では酒だけでは商売が
成り立たないのかも知れない。
かちゃかちゃと、何かがぶつかり合う音と、はしゃぎ声がして駿は自分のテー
ブルへと視線を戻した。
見ると美璃佳とマリアが、調味料の入った小瓶をぶつけ合い、遊んでいる。
「だめだよ、オモチャにしちゃ」
駿より早く、良太が二人を注意した。けれど二人とも、止めようとしない。い
や、どちらかと言うと、マリアの方が喜んでやっているようだった。
背の低い美璃佳は、テーブルの中央までは届かない。手にした小瓶で、自分の
手前をとんとんと叩いている。
そこにマリアの持った小瓶が、軽くぶつけられている。美璃佳と遊んでやって
いるのではなく、マリアの方がそれを楽しんでいるように見える。
駿も二人を注意しようとしたが、止めた。
マリアが一緒になって遊んでいるのは、些か問題だが特に乱暴に扱っているの
でもない。本当は中身が飛び出すほど振り回すようになる前に、叱るのが正しい
のだろう。しかしいままで、そしてこの先の美璃佳たちのことを思うと、哀れで
何も言えなくなってしまった。
しばらくして、調理場の奥で女将の声がした。
「アイちゃん、ごめん。奥のテーブルの食事のお客さん、お願い」
「はーい」
どこかで若い女性が応える。巨体の女将ばかりが目立って気がつかなかったが、
他にも従業員がいたようだ。調理場の向こうに、ボブカットの華奢な後ろ姿が見
える。女将の娘なのだろうか。
「お待たせしました。ハンバーグ定食のお客さま」
萌葱色のエプロンをした娘が、両手にお盆を持ち、駿たちのテーブルへやって
きた。
「あ、この三人です」
駿は掌でマリアと子どもたちを示す。
「はい、お嬢ちゃん、お待ちどうさま。あっ………」
娘が何かに驚いたような声を上げる。
「あれぇ、まなみおねえちゃん!」
美璃佳が、食事を運んできた娘を指さして言った。その指につられるように、
駿も娘の顔を見た。ひどく戸惑ったように、駿たちを見下ろしている娘には覚え
がある。
「愛美ちゃん」
間違いない。その娘は駿たちと同じアパートに住む、西崎愛美だった。
「どうして、愛美ちゃんが………あ、もしかしてアルバイト?」
愛美は駿の質問には答えず、子どもたちの前に定食のお盆を置くと、逃げるよ
うにして調理場の中へ消えてしまった。
「まなみおねえちゃん、なんか、へん」
「ああん、まだマリアのご飯がなあい」
「はい、お嬢さんの分はこちら」
本気で泣きそうなマリアの前に、ハンバーグ定食を置いたのは女将だった。
「わあい、頂きます」
現金にもマリアは、すぐに笑顔へと変わる。そして子どもたちを真似て、箸を
使ってハンバーグを食べ始める。が、どうにか箸を上手く使っているのは良太だ
け。マリアと美璃佳は突き刺すようにして、食べている。
「はい、生姜焼きはお兄さんね」
駿の前にもお盆が置かれ、これで注文したもの全てが揃った。
「ねえ、お兄さんたち、アイちゃんの知り合い?」
声を潜めた女将が、駿の耳元で言った。
「アイちゃんて、愛美ちゃんのことですよね。ぼくら、同じアパートの住人です」
「ええ、うちではアイちゃんって呼んでますけどね。ちょっと待って下さい」
女将は調理場に行き、またすぐに駿たちのテーブルに戻ってきた。そしてそれ
ぞれの前に、肉じゃがの小鉢を置く。
「あれ? 肉じゃがなんて、頼んでないけど」
「口止め料ですよ」
おかめにも似た、ふくよかな顔がウインクをして見せる。お世辞にも、可愛い
とは言い難いものだった。
「アイ………愛美ちゃんってまだ中学生でしょ。それがこんな所でアルバイトし
てってバレたら、いろいろと面倒じゃない。それで、立て前は、親戚の子が店を
手伝ってくれてる、ってことになってるんですよ」
身振りを加えて、女将は話し出す。潜めてはいるものの、女将の地声が高いた
め、あまりその効果があるようには思えない。幸い店の他の客の喧騒で、周囲に
は聞こえてはいないようだったが。
「ほら、お兄さんも愛美ちゃんと同じアパートに住んでいるなら、あの子の父親
のことは、知ってるでしょ?」
「え、ええ、まあなんとなく」
「あの子、家計を支えるためにアルバイトを探していたの。でもねぇ、まだ中学
生ってことだと、新聞配達とかくらいしかなくて、困っていたようなんですよ。
私ね、昔、愛美ちゃんの近所に住んでいたんですよ。それで愛美ちゃんのお母さ
んと、親しくしてましてねぇ。そんなこともあって、愛美ちゃんの方から頼って
来たんですよ。そりゃあ、私だって労働法ですか? 面倒に巻き込まれたくはな
いけど、放ってもおけないじゃないですか」
こういう店をやっているだけあって、根っからのお喋り好きなのだろう。女将
は別に訊いてもいないことまで、話してくれる。
「ですからね、お兄さんたちも愛美ちゃんがここで働いてることは、内緒にして
欲しいんですよ。ほら、もし学校にでも知れたりしたら、さすがに私だって雇っ
ておけないでしょ。そうしたら、中学生の愛美ちゃんを他で使ってくれるところ
なんて、そうそうないじゃないですか。あのろくでなしの父親を抱えて、あの子
がどんなに困るか………」
「女将ー、生ビール二つ、おかわり頂戴」
別のテーブルの客の注文によって、駿はようやく女将のお喋りから解放された。
『どこも大変なんだな』
愛美の境遇を気の毒とは思うが、駿がどうにかしてやれる問題ではない。それ
に、子どもたちやマリアを抱えてしまった駿には、これ以上の面倒事に関わるゆ
とりなどありはしない。
子どもたちやマリアのことは、直接駿の身近で起きてしまった。それを無視出
来るほど冷淡ではないが、不幸な人々を全て救ってやりたいと願うほどの慈善家
でもない。
気がつくと、女将の話しに付き合わされた駿は、他の三人に比べて食事が遅れ
てしまっていた。一番遅い美璃佳でさえ、もう三分の一ほどを食べている。
『ま、ちょうどいいハンディかな』
同時に食べ始めていたら、駿は子どもたちを待たなければならなかっただろう。
いまから食べ始めれば、ちょうどいい頃合に終わりそうだ。
そう思いながら、駿は冷めてしまったみそ汁を啜る。
「ハンバーグって、美味しいね。駿も食べてみる?」
駿の目の前に、二本の箸で突き刺されたハンバーグの欠片が現れる。その先に、
口の周りをソースで汚したマリアの笑顔。
「ありがとう。でも、いいよ。ほら、ぼくは自分の分があるから」
「そお」
駿が断ると、マリアはハンバーグをそのまま自分の口へと運ぶ。
「いいなあ、駿たちの世界は。毎日、こんなに美味しいものが食べられて」
嬉しそうにマリアは言った。ハンバーグぐらいで、これほど喜んでもらえれば、
安いものだ。
しかしマリアは、これまでよほど貧しい暮らしをしていたか、とんでもない贅
沢をしていたかの、どちらかではないかだろうか。駿は城を抜け出し、庶民の味
に感動する、お姫さまの話を思い出した。
それにしてもマリアは、いまの女将の話しを聞いていたのだろうか。全く関心
を寄せる素振りすら見られない。
食べることに夢中で、話しの内容を聞いていなかったのか。
元より他人の事情には、関心がないのか。
『俺が気にすることじゃないか』
思わず苦笑が漏れる。