#4279/5495 長編
★タイトル (RAD ) 97/12/24 1:21 (198)
『遠い宙のマリア』--Tooi Sorano MARIA--(09) 悠歩
★内容
顔以外は出来るだけ見ないようにして。とは思うが、それは無理な話だった。
逆に意識し過ぎたためか、必要以上に少女の身体に目が行ってしまう。
長く黒く、艶やかな髪が白い肌に映える。その肌の色から、少女は西洋人なの
ではないかと、駿は思った。と、言っても確信はない。西洋人の肌をこれほど間
近に見たことなどないのだから。せいぜい雑誌のヌードグラビア程度だが、実物
とは比べようもない。とにかく、着替えさせている駿の手の色と比較すると、そ
の白さは明らかだった。わずかに紅みが射している。
ただ以前、悪友から白人の女性は日本人に比べて肌が粗い、と聞かされたこと
がある。だが少女の肌はまるで子どものようで、駿よりも遥かに肌理細かく思え
る。
そして無視しようにも、どうしても目に入ってしまう胸の膨らみ。決して大き
くはないが、それこそお椀を伏せたような綺麗な形をしている。いまになって、
この胸がついさっきまで自分の背中に直接触れていたのだと思うと、駿の鼓動は
激しくなってしまう。
どうにか上は着せることが出来たが、さらに問題なのは下だった。不可抗力で
あるとは言っても、さすがに胸を見てしまう以上に罪悪感を覚える。
こちらは布団をかぶせた状態で、手だけを入れて履かせることにした。しかし
少女の寝ている布団に手を入れていると、何だかとてもいやらしいことをしてい
るように感じてしまう。手探りの指先が、少女の身体に触れる度、緊張で駿の身
体が跳ね上がってしまう。子どもたちが不思議そうに見るが、言い訳をするゆと
りさえない。
そして、どうにかこうにか、上下とも無事服を着せ終わった。
「てんしさま、おきないね」
いつまでも飽きることなく、少女の寝顔を見ていた美璃佳が言った。
「そのことだけどね、美璃佳ちゃん。良太くんも」
「なあに?」
「この女の人のこと、特に空から降りて来たってことは、他の人には内緒にしよ
うよ」
「どうして?」
「きまってるよ。ほかのうちゅうじんに、見つからないようにだよね」
「ん、って言うか………そう言うことをみんなに知られると、この人も困ると思
うんだ。天使であろうと、宇宙人であろうとさ。普通は人に見られないようにし
ているものだろ?きっとこの女の人、特別な理由があって、あんなふうにして現
れたんだよ。だから、この女の人がそうしてくれ、って言わない限り、秘密にす
るべきだと思うんだ」
駿は出来るだけ、子どもに分かりやすい言葉を選んだつもりだった。良太たち
が聞き分けてくれるか、不安を抱きながら。
「みりか、いわない」
「ぼくも」
二人とも、素直に従ってくれた。
「んっ…」
小さな声。
少女の口からだった。
目が覚めたのか。
駿も、良太も美璃佳も、少女の方を振り返った。
「やあ、気分はどう?」
緊張した駿の声は、妙に高くなってしまった。
まだ幼さの残る顔立ちの少女が、不思議そうに駿を見つめた。とても綺麗な色
をした瞳で。琥珀色、と言うのだろうか。やはり日本人ではないらしい。
「あの、言葉分かる?」
今度はゆっくりと話し掛けてみた。
応える代わりに、少女は小首を傾げて見せる。言葉が分からないのだろうか。
「ねえ、おねえちゃん、てんしさまなの?」
「ちがよ、うちゅうじんだよね」
子どもたちが話し掛けても、やはり応えない。珍しそうに、部屋の中を見てい
る。ふと止められた視線の先を、駿も追ってみた。水道を見ていたらしい。
「わかった、おねえちゃん、のどがかわいてるのね」
駿が反応するより早く、美璃佳が立ち上がった。とと、と駆け出して水道へと
行く。それほど高い位置にある訳でもないが、背伸びしてようやく届いた蛇口を
ひねる。横に伏せてあったコップを手に取り、水流に充てる。飛沫を浴びながら
も、コップの八分目ほどまで水を汲み、戻ってきた。
「はい、おみず」
「××××」
はっきりとは聞き取れなかったが、不思議な響きの言葉が少女から発せられた。
英語ではない。どこの国の言葉なのか分からない。どこかで聞いたような覚えさ
えない、不思議な言葉。けれど、とても美しい声。美しい響き。
両手を添えて、美璃佳は少女にコップを差し出す。少女はそれをそっと受け取
り、美璃佳に微笑みを返した。
花が咲いたような微笑み。駿は初めてその言葉を実感したような気がした。薄
暗い、どこか汚れたように見える古アパートの一室が、本当に明るくなったよう
に感じられる。
少女はひとくち、水を含む。こくりと喉が、可愛らしく動く。
水を飲み干すと、少女は部屋中を興味深げに眺め回す。あるいはこんな安アパ
ートを見るのは初めてで、珍しいのかも知れない。
やがて少女はテレビに気がつく。細い腕を伸ばし、上に置いてあったリモコン
を取る。まるで新しいおもちゃを与えられた子どものように、それをしげしげと
見ていたかと思うと、スイッチを押してテレビを着ける。そのまま、少女はテレ
ビに見入ってしまった。
「ねえ、君」
言葉が通じないのは承知で、駿は話し掛ける。学生時代英語の不得意だった駿
には、日本語以外に、少女に話し掛ける言葉を知らない。
テレビに見入っていた少女も、自分に声が掛けられたことは分かったらしい。
駿の方を振り向いた。
「君は、誰なんだい? どこから来たの?」
少女の口が、ゆっくりと開いた。
「私は………」
少しぎこちない発音だったが、明瞭な声。確かな日本語。
「私は、マリア」
愛美は読んでいた本から顔を上げた。本を読むなんて、いつ以来のことだろう。
母の死後、そんな時間をとることなど出来なかった。成り行きで相羽に勧められ
て、借りることにならなければ、まだ当分読もうと言う気になどならなかったは
ずだ。
時計を見る。
時刻はもうすぐ、午後十時になろうとしてた。
「お父さん、今夜も帰ってこないのかしら」
昨日持ち出して行ったお金は三万円。愛美にとっては大金だが、大人の男性が
二晩外で過ごすのには不充分ではないだろうか。女の人が外にいるのだろうか。
その人のところに泊まっているのだろうか。それならばいい、もし父に好きな人
がいるなら、再婚をしたいと考えているなら、愛美は心からそれを祝いたい。父
も立ち直ってくれるだろうから。
でも愛美は知っている。
決してそんなことは、ないだろうと。
愛美の父がまだ死んだ母を忘れられないでいるのを。
心配なのは、また外で誰かに迷惑を掛けていないか、と言うことだった。
がちゃ。
ドアノブを回す音がした。それを引き抜こうかとするような勢いで、ドアが開
けられる。
「おら、帰ったぞぅ」
薄い部屋の壁が小さく振動するほどの、大声。父は酔って帰ってきた。
「お父さん………いままで、どこにいたの」
「なんだとぉ、なんで俺が、んなことをぅ〜いちいち娘に、説明する必要がぁ、
ある」
呂律の回らない父。愛美はそれを責めるつもりなどなかったが、父は気に入ら
ないらしい。玄関先に痰を吐き捨て、蹴り跳ばすように靴を脱ぎ捨てて部屋に上
がると、愛美の顔も見ず布団に潜り込む。
「お父さん、晩御飯は………」
恐る恐る訊ねてみる。愛美は父を待ち、自分も食事をとっていない。
「あ、あのね。今日はカキが安かったから、カキ鍋にしてみたの。お父さん、カ
キ鍋好きだったよね」
平日はアルバイトがあるため、どうしても作り置きの食事しか父に食べさせる
ことが出来ない。だからせめて日曜日くらいは、出来たてを食べて欲しい。そう
思った愛美は、かなり無理をして材料を揃え、父が帰るのを待っていた。
「カキだぁ? んな生臭いもん喰えるか。それより俺は寝てるんだ、とっとと、
明かりを消せ」
「お父さん」
「消せ」
父は全く愛美の話を、聞く耳を持たない。これ以上は何を言っても、怒らせる
だけなのは分かっていた。
仕方なく部屋の明かりを消して、愛美は狭い台所のガラス戸を閉めた。
テッシュを手に、父が玄関に吐き捨てた痰を拭き取ろうとする。
「………お父さん」
赤黒く染まった痰。また父の身体が悪くなり始めているのではないだろうか。
愛美は不安に震えた。
「本当にいいんですか?」
駿は手にした紙袋を見ながら、おばあさんへ訊ね返す。
「ええ、ええ、どうせ家にあっても、タンスの肥やしになっているだけですから。
ご迷惑でなければ、使って下さいな」
「いえ、迷惑どころか、本当に助かります。じゃあ、遠慮なく頂きます」
駿は丁寧に頭を下げて礼を言った。
「それじゃあ、何か他に困ったことがあれば、言って下さいな。私で出来ること
なら、力になりますから」
にこやかな笑顔を残して、おばあさんは立ち去っていた。
本当に助かった、駿は心から思う。
昨夜拾った少女、マリアに着せる服をどうにかしなければ、丁度そう思ってい
たところだった。いつまでも男物を着せていたのでは、外出もさせられない。と
りあえず一着分は買わなければならないだろうと、思っていたところに北原のお
ばあさんが紙袋を持って来たのだ。
中身は女物の服を二着分と、下着が三着分。
特に下着は有り難い。正直、男の駿が女物の下着を買いに行くのは抵抗があっ
た。
「とにかく、子どもたちのこともあるし。お金が節約できるのは助かった………
けど。良太くん、美璃佳ちゃん………そして、マリアさん。少し、静かにしても
らえないかなあ」
駿が疲れた顔で振り返ると。
「えっ」と言うような顔で駿を見上げる三人がいた。
良太、美璃佳、マリアの三人はくすぐり合いをして、遊んでいたのだ。
「駿もやろう、面白いよ」
誘ったのは子どもたちではなく、マリアだ。二人の子どもたちと遊んでやって
いる、と言うよりマリア自身が率先して楽しんでいる。
なんだって三人とも、こんなに元気でいられるのだろう、と駿は思った。
六畳一間に四人で寝るのは少々窮屈だ。それにまさか駿とマリアとが同じ部屋
で寝る訳にもいかない。ところが布団は二組しかない。良太たちの部屋にあった
布団は、湿っている上にカビだらけで使いものにはならない。駿が気がつくまで、
よくあの布団で良太たちは寝ていたものだと思う。美璃佳が病気になったのも、
当然だろう。
だから昨夜は、子どもたちとマリアにこの部屋で布団を使って寝てもらい、駿
は隣の部屋で寝ようとした。しかしこれは子どもたち、特に美璃佳が嫌がった。
ずっと兄妹二人きりで夜を心細い夜を過ごしてきた美璃佳は、みんなで一緒に寝
たいと言った。
マリアも美璃佳に同意した。初めは部屋と布団を使わせてもらう心苦しさから、
遠慮して言っているのだと思った。だがそうではないらしい。マリアという少女、
どうも男女間の恥じらいと言うものがないらしいのだ。
とにかくそれで、昨夜はこの部屋で四人揃って寝ることになった。もちろん駿
と良太、マリアと美璃佳が同じ布団でと、配慮して。
この冬場に布団なしで一夜を過ごすことにならなかったのは良かった。だがや
はり、窮屈だった。
子どもたちの寝相も悪かったが、それに負けず劣らず、マリアの寝相も大した
ものだった。一晩の間に、マリアの胸や太股が何度駿の眼前に迫って来たことか。
おかげで駿は一晩中三人の寝相を直し、布団を掛けてやったりして、ほとんど
眠ることが出来なかった。おまけに三人に遠慮して、窮屈な体勢でいることが多
かったため、身体中が痛い。
まったく、誰が部屋の借り主か分からない状態だったが、駿はそれほど腹が立
つこともなかった。不思議と子どもたちやマリアの布団を直し、その寝顔を見て
いるのが楽しかった。意外に自分は家庭的な男なのかも知れない、と駿は思った。
「だめだよ、部屋の中で騒いじゃ」
「えー、どうしてぇ」
真っ先に抗議をしたのはマリアだった。
昨日マリアを部屋に連れ帰った時には、もしかすると何か事件絡みの少女では
ないかと思ったりもした。でなければ裸で道端に倒れていた説明つかない。駿は
マリアが空から降りてきたことを、否定していた。あれは直前に見た流星と、夢
見がちな子どもたちに感化された錯覚であると。
しかし無邪気なマリアの様子を見ていると、どうにも事件と結びつかない。