AWC 代償   第三部  23    リーベルG


        
#4265/5495 長編
★タイトル (FJM     )  97/12/12   2:29  (135)
代償   第三部  23    リーベルG
★内容

               23

 救急車の後部ドアが勢いよく開き、二人の救急隊員が飛び降りた。彼らは手際
よくストレッチャーを引きずり出すと、市民病院の緊急救命室へガラガラと押し
ていった。当番の医師と、数人のナースが素早く駆け寄った。
「若い女性」救急隊員は早口で情報を伝えた。「路地裏で全裸で倒れていた。意
識はなく昏睡状態。身体の数カ所に軽度の外傷。呼気にアルコール反応あり。血
圧80の50。脈は52」
「受領した」医師が答えて、ベッドの方に導いた。「こっちだ。移すぞ。1、2
の3」
 毛布に包まれた患者の身体が、ストレッチャーからベッドの方に移された。す
ぐさま医師が聴診器を耳にはめた。
「よし、血算、生化学を急いで。体温は?」
「34.5です」
「心音微弱。脈が49に下がりました」
「瞳孔やや拡大」
「Oマイナス……いや、生食2パックを点滴。血液クロスマッチ急げ。電気毛布
の用意」
「先生」ナースの一人が怯えたように言った。「これを」
 医師はナースが指している部分を見て、目を見張った。両脚の太腿の内側に、
「S」と「O」が刻んである。
「刃物で切ったみたいだな。消毒して、滅菌パッドをあてて」
「酸素分圧80」
「バビンスキー反応なし」
 けたたましい電子音が処置室に鳴り響いた。
「心室細動!」
「CPR!パドル急げ!」
 ナースの一人が、患者の心臓の上に両手をあて、マッサージを始めた。
「パドルOK!」
「200ジュール。よし、下がって!」
 ナースたちが素早く離れた瞬間、医師はパドルを身体の二カ所にあてた。電気
ショックで、患者の上半身が跳ね上がる。
「脈が出ました!」
「エピを1CC静注。おっと、こいつは……」
 医師は患者の腕に、数カ所の注射痕を見つけて怒鳴った。
「薬物チェックを最優先でやれ。酸素マスク。過呼吸にするんだ」
 半透明のマスクが患者の鼻と口を覆った。
「体温、35度」
「脈拍52に上がりました。血圧90の55」
「アンフェタミンおよびメタンフェタミンが陽性です」
「くそ、覚醒剤か」医師は毒づいた。「リドカイン1CC投与。警察に連絡しろ。
身元を確認できるものはないのか?」
「衣服は受領していません」
「そうか。アニオンギャップは?」
「19です」
「ヘマトクリット35.9」
「血圧100の60」
「脈拍60」
「よし、落ち着いてきた。ICUは空いてるか?」
「2号室がさっき空いたところです。今はチェックを」
「空いたら移せ。24時間監視が必要だ。面会謝絶。内科に誰かいたかな?」
「筒井先生が仮眠室にいたと思います」
「起こして呼んでこい」
「警察から連絡が入りました。麻薬関係の事件で捜索中の高校生のようです。担
当の刑事がこっちに向かっています」
「まったく、最近の高校生ときたら」医師は舌打ちした。「警察が来るか、容態
が急変したら呼んでくれ」
 そう頼むと、医師は食堂へ向かった。



『間違いないよ』電話越しに大野川が言った。『お嬢さんだった。覚醒剤を注射
されて、裸で路地に捨てられていた。天野志穂と同じだ』
「違うのは、お嬢さんの場合は生きていることですな」榊は考え込んだ。
『死んだと思ったのかもしれない』
「普通、確かめるでしょう」
『橋本由希は何をやっているんだ』
「さっき警察から帰ってきてからは、ずっとマンションにいます。彼女を逮捕す
るおつもりですか?」
『何の罪でだ。殺人罪でか?』大野川が自嘲気味に笑った。『それに、どうやっ
て立証する?目の前で見ていましたから、と証言するか?』
「私は少なくとも何も言うつもりはありませんよ」
『おれだってない』
「お嬢さんはどうなるんです?」
『明日、父親が帰国するそうだ。意識はまだはっきりしないし、わけのわからな
いうわごとばかり呟いているから、事情聴取どころじゃない。それに、父親が上
に圧力をかけてでも引き取るだろうよ。あんたはどうするんだ?』
「どうもこうも」榊は苦笑した。「お嬢さんがああなってしまった以上、残金を
払ってもらえるとは思えませんからね。父親の方に請求書を切るわけにもいきま
せんし。これで終わりです」
『橋本由希が、またお嬢さんを狙うんじゃないか?』
「だとしても、何もできませんよ。そっちも同じでしょう?」
『まあな。ああ、そうだ。一つ言い忘れていた。昨日、小沢律子が死体で発見さ
れた』
「小沢……例の写真の女の子ですか?お嬢さんの後輩だという?臼井が拉致した
まま行方不明になっていましたね」
『発見されたのは、天野志穂の死体が見つかったのと同じ場所だ。死因は覚醒剤
の過剰摂取。身体の百カ所以上にいろんな傷跡があったそうだ。拷問に近い仕打
ちを受けたらしい』
「何を意味しているんでしょう?」
『県警では、お嬢さんが麻薬を二人に与えていた、と考えている。そして、どこ
かの暴力団が縄張りを荒らされた報復を行ったんだと』
「なるほど。しかし、そうなると、お嬢さんがこのまま釈放されるとは思えませ
んね……そうか、おそらく精神鑑定で責任能力なしとなるでしょうな」
『ああ。すでに精神科医が予備的な鑑定を行っている』
「弁護士はいくらでもいいのがつくでしょうしね」
『それに、逮捕された日、お嬢さんが取った行動は、どうみても常軌を逸してい
るからな。充分な傍証になる』



 大野川の予想は的中した。翌日帰国した祐子の父親は、国内でも最高級の法律
事務所に依頼した。弁護士は、最高級の精神科医を4人も用意して、緊急に祐子
の精神状態の鑑定を行った。
 祐子は意識を回復していたものの、誰かがそばに近づくたびに、けたたましい
悲鳴をあげて震え出し、まともな精神状態ではないことを疑う者はほとんどいな
かった。もっとも、精神科医たちは、たっぷり報酬をもらっていたから、たとえ
祐子が正常な思考を保っていたとしても、精神異常との診断を下しただろう。彼
らは、逮捕された当日の祐子の行動を追い、祐子が訪問したクラスメイトたちか
ら詳しく話をきき、その時点ですでに異常をきたしていた、と結論づけた。
 最終的な鑑定が出たのは、9月の半ばを過ぎた頃だった。心神喪失により責任
能力なし、というのが精神科医たちが出した結論である。笹谷刑事をはじめとす
る県警の麻薬取締課の担当者たちは、悔しがったがもはやどうしようもなかった。
 9月19日、祐子は警察病院の特別室から、都内にある精神科・神経科病院に
移送された。病院の名は「遠藤メンタル・クリニック」といった。



 祐子の精神状態は、周囲の人間が思いこんでいるほど異常ではなかった。病院
に運び込まれた直後と、それに続く数日間こそ心神喪失と診断されるのにふさわ
しい状態ではあったが、その後次第に元の祐子に戻りつつあった。亜紀を失った
苦しみは未だに深い傷を残してはいたが、それで全てが崩壊するほど、祐子の精
神は脆弱なものではなかった。
 しっかりした思考ができるようになったとき、祐子は周囲の状況を確かめ、お
かしくなったふりをしていた方が自分の利にかなう、と判断したのだった。麻薬
取締法違反で逮捕されるぐらいなら、病院に入った方がましだ。ほとぼりが醒め
れば、父が退院させてくれるだろう。
 この時点で選択できる行動の中では、これが最善だと祐子は信じていた。だが
以前、榊が臼井克也の妹について話したことを少しでも記憶していたら、絶対に
選ぼうとはしなかったにちがいない。他人に関する興味を、最小限しか持続でき
ない祐子の性格が生んだミスである。
 そして、自分が地獄に入り込んでしまったことを祐子が知るまでに、それほど
長い時間はかからなかった。





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