#4250/5495 長編
★タイトル (FJM ) 97/12/12 2:11 (150)
代償 第三部 8 リーベルG
★内容
8
次の電話は、予告した時刻ちょうどにかかってきた。祐子はすぐに通話ボタン
を押して応答した。
「もしもし!」
『これまでのところは約束を守ったようだな』相手の男は、感情を喪失したよう
な声で言った。『最初の要求を出す。メモの用意をしろ』
「待って」祐子は可能な限り落ち着いた声で相手を制した。「本当に亜紀がそち
らにいるのかどうか確かめさせて」
これは大野川が指示したことだった。人質の無事を確認することは、誘拐犯人
とのネゴでは最重要事項である。また、些細なことでもいいから、犯人側の譲歩
を引き出していくことが、人質の命を保証することにもなる。
だが、この相手にそんな駆け引きが通用しないことはすぐに明らかになった。
『信じないのはそちらの自由だ。確かめたければ、こちらの要求を無視すればい
い。すぐに、耳か指を切り落として届けてやる。メモの用意はできたのか?』
祐子は絶望的な表情で頷いた。
「できたわ」
『明日の朝一番に、一千万円の金を用意しろ。現金でだ。使い古しの札でも、手
の切れるような新札でも構わない。午前10時に、その金をどうするかを指示す
る。金を用意できなければ、お前の妹は4人の男にレイプされる。実況中継でお
前にも聞かせてやるからな。わかったか?』
怒りのあまりボールペンをへし折りそうになりながら、祐子は指示を書きとめ
た。
『次に、お前に作文をやってもらおう。タイトルは、私が虐げた人々、だ。お前
が今までにやった苛めを思い出せる限り、全部書くんだ。相手の名前、時期、方
法、理由、そしてどのような結果に終わったかだ。普通の便せんで構わない。書
いたものをどうするかは、同じく午前10時に指示する。一晩かけて、正確に書
け。省略したり、ウソを書いたりしたら、お前の妹はレイプされる。わかったな』
「わかった」祐子は歯を食いしばった。「書くわ」
『最後に、ひとつ訊く。お前が盗んだ絵をどうした?』
祐子は躊躇った。が、嘘をついても得るところがない。
「手元にあるわ」
『用意しておけ。丁寧に扱った方がいいぞ。それもこっちに渡してもらおう』
「わかったわ」
『それだけだ。じゃあな』
「待って!お願い!亜紀の声を……」
通話は一方的に切断されていた。
「くそ」大野川が罵った。「金目当てじゃないからたちが悪い。これじゃあ、何
の手も打てやしない」
電子音が響きわたった。祐子はびくっと身体を震わせたが、今度は榊の携帯電
話だった。
「失礼」
榊はメモを取りながら相手と話した。口調からすると部下の一人らしい。
「……よし、わかった。引き続き洗え。金はいくらかかっても構わない。とにか
く時間がない。また連絡する」
「何かわかったか?」
「手がかりらしきものが」榊は答えて、メモを見た。「例の写真の女の子、小沢
律子ですがね、ようやく足取りがつかめました。両親が留守なのをいいことに、
毎晩夜遊びしていたようです。その軍資金はお嬢さんが与えたようですがね」
祐子はそっぽを向いていた。
「最後に確認されたのは、<シャレード>というクラブです」
「<シャレード>だと?」大野川が唸った。「常王会傘下の岡田組がやっている
あれか」
「さすがによくご存じで」榊は頷くと、祐子のために説明した。「どんな未成年
者でも、警察の心配することなしに、アルコールやドラッグを楽しめるクラブで
してね。バックに岡田組という暴力団がいるんです」
「どこに行こうと自由でしょう。私は他人にやったお金がどう使われようと、少
しも気にしないわ」
「でしょうな。まあ、そんなことはどうでもいい。問題は、どうもその店の中で
拉致されたようなんですよ。小沢律子は」
「ばかな。あの店には、警察だってうかつには踏み込めない。ボディーガードに
ごついのがごろごろしているからな」
「居合わせた客の一人の話だと、いきなり一人の男が入ってきて、小沢律子と飲
んでいたボーイフレンドを叩きのめし、駆けつけたガードマンたちを、あっとい
う間に片づけて、連れ去ったそうですよ」
「何者だ、そいつは」
「橋本由希の関係者に決まっているでしょう」祐子が苛立ちを見せた。「ぐずぐ
ずしていないで、そいつを捕まえにいってよ」
「残念ながら居場所は不明です。誰も、後を追うことなど考えもしなかったよう
なのでね。ただ、名前だけはわかっています」
「何だ」
「オーナーが、臼井だな、と言っていたそうです」
「臼井か。よし、前科を洗ってみよう」
「その必要はありませんよ。うちのコンピュータに入っていましたから。プロフ
ィールは、ここのファックスに送るよう指示しました。そろそろ届くでしょう」
「見てくるわ」
祐子はそう言うと部屋を出ていった。
「誰なんだ」大野川は榊に訊いた。
「ヤクザですよ。元ヤクザというべきですかね。3、4年前に足を洗っています。
浜島組の幹部で、関東地方では5本の指に入るぐらいの武闘派ヤクザだったそう
です。鋼鉄の臼井とか、浜島の虎とか呼ばれていたんです。静岡の出身で、高校
卒業と同時に自衛隊入隊。その間の詳しい経歴は不明ですが、レンジャー部隊で
訓練を受けたという情報もあります。3年後に除隊し、浜島組の幹部として東京
へ行きました。除隊の理由は調査中です」
「やけに詳しいな。知り合いか何かだったのか?」
「実は、うちがその手の人材を探しているときに、ある筋から紹介されましてね。
勧誘してみたのですが、にべもなく断られました」榊は苦笑した。「今どき、珍
しいぐらい仁義に厚いらしく、金で釣れるような男ではないようです。あまり強
く勧誘すると侮辱と取られかねないのでやめましたが」
「組を抜けたのは何でなんだ?」
「はっきり調査したわけではないんですよ。浜島組の組長が病死して、跡目を継
いだのが血縁の甥だったらしいのですが、その甥が体よく追い払ったようですな。
能力も人望も臼井の方が上だったので、いつ寝首をかかれるか心配だったんでし
ょう」
祐子が戻ってきた。B4サイズのファックス用紙を数枚持っている。
「読ませてもらったわ。どうして、こんな危ない男が刑務所に入っていないのよ。
警察ってほんとに税金泥棒の集まりなのね」
大野川は腹を立てて唸った。
「利いた風な口を……まあいい。あんたに何を言っても馬耳東風だろうからな」
榊はファックスに目を通すと、大野川に渡した。そこに書かれている内容は、
榊の概要以上のものではなかったが、ただ一つ大野川が注意を引かれた箇所があ
った。
「両親、死亡。妹、行方不明。なんだこれは」
「そう、そこが問題なんですよ」榊が興味深そうに答えた。「どうやらこの事件
のキーワードは『妹』という存在らしいですな。橋本由希の自殺した妹。お嬢さ
んの血のつながっていない妹。臼井の行方不明の妹。偶然とはいいきれない。橋
本由希と臼井の接点もそのあたりにありそうだ」
「そんな奴らの妹なんかどうだっていいのよ」祐子が沸騰寸前の声で言った。「
問題なのは、私の妹なのよ。これからどうするの?」
「とりあえず、相手の指示に従うことがベストでしょうな。お嬢さん、金の用意
はできますか?一千万円ですが」
「できると思うわ。父が私の名義で登録してある不動産がいくつかあるし、あっ
ちこっちの証券会社に株券があるわ。とりあえず東証の場立ちと同時に売りに出
せば、一千万ぐらいはできると思うけど」
「では、今すぐ証券マンに連絡を取って、売りの準備を。それから、もう一つの
条件ですが……」
「私はそんなもの書かないわよ」祐子は挑戦的に言った。「何よ、人を馬鹿にし
て……」
「書くんだ!」大野川が驚くほど強い口調で遮った。「あんたがやってきたこと
を。それが全ての原因なんだから。血はつながっていなくても、一度は妹として
愛した女の子の命がかかっているんだ。あんたの下らないプライドなんかよりも
ずっと大切だ」
祐子の顔が真っ赤になったが、それが怒りなのか、それとも自分を恥じたため
なのかは判別し難かった。
「わかったわよ。書くから自分の部屋に行くわ。邪魔しないで」
そう言うと、祐子は階段を踏み破らんばかりの勢いで、二階へと上がっていっ
た。
「本当に書くかな?」
「まあ、書くでしょうな。あのお嬢さんは、決してばかではありません。何が重
要かを見極める目ぐらい持っていますよ。ただ、他人に何かをやれ、と命令され
ると、本能的に拒否するんでしょう。別にお嬢さんのせいじゃない。そういう風
に育てた父親のせいですよ」
「それにしては、血のつながらない妹を大事にするってのは不思議だな」
「誰かを好きになるのに理由はいりませんよ。あえて理由をつければ、連れ子と
はいえ、初めて妹ができたわけですから、それまで忘れていた愛情というものが
一斉に芽を出した、といったところでしょうかね。それまで……今もそうですが、
お嬢さんの人生というのは、いかに人を利用するか、ということが基盤になって
いたんですからね。お嬢さんが受けた好意というのも、ほとんど金銭と引き替え
だったはずです。そこへ、まったく無償で愛情を表明してくれる相手が出現した
とすれば、お嬢さんにしてみれば晴天の霹靂だったかもしれません。お嬢さんが
属している本質的に冷たい世界から、心地よく暖かい世界を覗いたような」
「ふーん。精神分析もやるのか?」
「とんでもない」榊は苦笑した。「素人が勝手に理屈をつけているだけのことで
すよ。さて、我々もぼーっとしているわけにはいきませんな。とりあえず、臼井
についてあらゆることを調査してみましょう。特に不明となっている妹の行方で
すな。刑事さんは、警察関係で臼井の妹の名前が浮かび上がるかどうか試してみ
てください。私は私のネットワークを駆使してみます。運がよければ、どちらか
が何かにぶつかるでしょう」