#4245/5495 長編
★タイトル (FJM ) 97/12/12 2: 4 (184)
代償 第三部 3 リーベルG
★内容
3
耳をつんざくロックが、血管の中を流れる化学物質とアルコールの効果を高め、
道徳や理性や良心を麻痺させていく。小沢律子は、だらしなく椅子の背もたれに
もたれながら、何でもないことにバカ笑いしている仲間たちに負けないぐらい大
きな笑い声を発していた。
律子と仲間たちがたまり場にしているディスコだった。健全な学生ならば、近
寄ろうとも思わない場所にある。公然と違法ドラッグが売られ、性の取引など珍
しくもない。店のオーナーは、どこかの暴力団の幹部らしい。
地下3階にあり、到達するまで迷路のような通路と、数カ所のドアをくぐり抜
けなければならないので、たとえ警察の手入れがあっても逃げる時間は十分にあ
る。もちろん出入り口は一つではなく、数カ所に分散してある。
ただ一つ、店内での暴力だけは厳禁になっていた。そのルールに違反した者は
どこからともなく出現する屈強な黒服たちに、有無を言わさず連れ出されること
になる。連れ出された後どうなるのかは、誰もしらない。二度と戻ってきた者は
いないからだ。店を訪れる客は、血の気の多い人間の方が多かったが、店内では
他の楽しみに没頭していた。
律子は祐子からもらった金で、仲間たちと楽しんでいた。祐子に欠点があると
しても、けちでないことだけは確かだった。特に自分に従順な者には惜しみなく
金銭を与えた。この店で一晩過ごせば、銀座の高級店で2時間楽しむのと同じぐ
らいの金がかかるのだが、祐子が律子に与えたのは、そのような心配などこれっ
ぽっちもしなくてすむぐらいの札束だった。その金と引き替えに、クラスメイト
が将来を失ったかもしれないことなど、律子は全く気にすることもなかった。
新しい客が入ってきたときも、律子は隣に座っている男の、卑猥なジョークに
げらげら笑っていた。
客はサングラスをかけた背の高い男だった。男はサングラスをはずすと、鋭い
視線で店内を見回し、小沢律子が座っているテーブルを見つけると、つかつかと
そちらに歩いていった。
「失礼」男は律子に言った。「あんたが小沢律子か?」
律子は話に割り込んできた男をうさんくさそうに眺めた。男は再びサングラス
をかけている。見覚えはなかったが、ドラッグのせいで警戒心はわかなかった。
「あんただれよ?」
「だれでもいい。一緒に来てもらいたい」
サツか、と思ったが、そんなはずはなかった。警察の人間がここまでたどり着
く前に、店の方から客に対しては警告が出ているはずだった。
「よう、おっさん」話を邪魔された律子の仲間が、腹を立てて男の肩をつかんで
歯をむき出した。「邪魔すんなよ。どっか行ってな」
「こいつ、どっかにやってよ、ケンジ」律子が薄笑いを浮かべた。
「どっか行けよ……」
ケンジは最後まで台詞を口にすることができなかった。目にも止まらぬスピー
ドで繰り出された男の肘が、真下から顎を粉砕したからである。酒の混じった唾
液と、血と、歯がまき散らされた。おそらく何が起こったのか、全くわからない
まま、ケンジは仰向けに倒れた。
「な、なによ、あんた!」律子は恐怖に目を見開いた。「だ、だれか!」
「てめえ、ふざけやがって!」
律子の仲間の一人が、ウィスキーの角瓶を手に殴りかかってきた。男はほとん
ど身体を動かさずに、振り下ろされる手首をつかむと、容赦なく反対側に曲げた。
関節のちぎれる音と情けない悲鳴が響く。男は角瓶を奪うと、悲鳴を上げている
口に叩き込んだ。スイッチを切ったように悲鳴が断ち切られた。
「い、いや」律子は怯えて後ろに下がった。
いつのまにか音楽はやみ、周囲の客たちが、律子と男を遠巻きに見つめていた。
誰も律子を助けに介入するつもりはないようだった。
ようやく黒服が何人か現れた。いずれも屈強な大男ばかりである。それぞれが
特殊警棒を握っている。
「お客さん」リーダーらしい先頭の男が重々しく言った。「困りますな。ここで
騒ぎを起こされては。申し訳ありませんが、外に出ていただけますか」
「すぐに出ていく」男は、律子を見た。「こいつと一緒にな」
「うちのお客様に手を出さないでいただきたいですな」黒服のリーダーは、言葉
遣いだけは丁重なまま進み出た。「ここではみなさんが、そういった心配なしに
楽しんでいただけることをモットーとしておりますので」
「そっちが邪魔をしなければ、これ以上騒がせずにすむ」
「おわかりいただけないようだ」リーダーは左右の黒服たちに合図した。「出て
いっていただけ」
二人の黒服が同時に男につかみかかった。決して男をみくびっていたわけでは
ないし、数を頼んだことで油断していたわけでもない。
ものすごい勢いで振り下ろされる二本の特殊警棒を、男は蝶のような身のこな
しでかわすと、黒服の一人の足元に飛び込んだ。相手に対応する時間を与えず、
強烈な蹴りで膝を粉砕する。
ぐらりとよろめく黒服の身体を盾に、男はもう一人の黒服に急迫した。突き出
される特殊警棒をかわし、相手の腕を抱え込むと、そのままひねって床に叩きつ
け、腕の付け根を破壊された黒服が声も出せないほどの苦痛にのたうちまわるの
を冷静に眺めながら、顔面に蹴りを叩き込んでとどめをさす。
「お前、何者だ?」
リーダーが、数秒で二人を片づけた男に訊いた。丁重な態度は消え失せ、怒り
と殺意が露わになっている。
「邪魔をするなと言ったはずだ」男は息を弾ませてさえいなかった。「これ以上
怪我人を増やしたくなければ下がっていろ。おれはこいつを連れていく」
「そうはいかない」
リーダーはゆっくりと内ポケットの手を入れた。
「やめろ、矢島」
黒服たちの背後から、品のいいスーツを着た年輩の男が現れた。矢島と呼ばれ
た黒服のリーダーは慌てて頭を下げた。
「もうしわけありません、ボス。こいつが客に暴力を……」
「お前、臼井だな」年輩の男は、矢島の言葉を無視して言った。
「お久しぶりです、岡田さん」臼井克也はサングラスを取ると、敬意をこめて軽
く頭を下げた。「その節はお世話になりました」
「これは何の真似だ。お前、浜島の組からは足洗ったって聞いたがな」
「浜島とは何の関係もありません。私事です。岡田さんに迷惑をかけるつもりも
ありませんでした」
「そいつは結構だ。互いにやり合いたくねえからな。特にお前とはな。で、何の
用なんだ?」
「この女に用があるだけです」
「ここで話をするわけにはいかねえのか?」
「はい」
岡田はタバコを出すとマッチで火をつけた。
「ちょっとこっちへ来てくれねえか。ここじゃあ客様の迷惑になる。奥で話をし
よう」
「構いませんが、その間にこの女が逃げたりしないように願えますか」
「逃げると、実質的にお前の邪魔をしたことになるってわけか。いいだろう。お
い、矢島。そのお嬢さんに飲み物でもサービスしな」
「ちょ、ちょっと!」
すっかり酔いも覚めたらしい律子がわめいたが、岡田も克也もそれを無視した。
「おれが戻るまで、ここにいてもらえ。いいな?」
「わかりました」
矢島は不承不承うなずいた。
奥の事務所に克也を招き入れた岡田は、早速訊いた。
「どういうことなんだ?あの女をどこに連れていこうってんだ?」
「岡田さんに迷惑をかけたくありません。これはおれの私事ですから。もし、サ
ツに事情を訊かれるようなことがあれば、おれの名前を出してくれて構いません。
言えるのはそれだけです」
「誰のために動いてる?」岡田は探るように言った。
「おれの恩人です」
「わかってると思うが、お前のやろうとしていることは拉致誘拐だぞ。それだけ
のリスクに見合う報酬をもらってるのか?」
「金の問題ではありません。受けた恩を返すためです。強制されているわけでも
ありません。おれはたとえ死んでも、その恩に報いることを心に決めたんです」
「誰だか訊いても構わねえか?」
「申し訳ありませんが」
「だろうな」
岡田は煙を深々と吸い込み、一気に吐き出すと頷いた。
「いいだろう。連れていきな」
「ありがとうございます」
岡田は鋭く克也を見据えた。
「だが、臼井。おれもこの世界の人間だ。面子を潰されちゃあ、しのいでいけね
え。だから、今夜のことは互いの胸の中だけに収めるってことにしといてもらい
てえ。もし、お前がおれの兵隊を突破して、この女を拉致してったなんて噂が立
ったら、おれにも意地ってものがある。お前の首に賞金懸けざるを得ん」
「わかっています、岡田さん。抜けた世界ですが、仁義を忘れたつもりはありま
せん」
「それともう一つ。こっちの若いもんと客に負わせた怪我、それに見合うだけの
頼みを一つだけきいてもらいてえ。何のカタも取らずに、このままお前を帰した
んじゃあ、納得できねえ奴らもいるだろう」
「わかりました」一瞬の躊躇いもなく、克也は了承した。
「お前の決断の速さも変わらねえな。よし、それで手打ちってことにしよう」
「岡田さんの頼みを今聞いておきましょうか。しばらく忙しくなって義理を欠く
といけませんで」
「簡単なことだ。うちの若いもんを少し鍛えてやってもらいてえ。たとえばあの
矢島とかな。最近、他の組の奴らがちょっかい出すようになってきやがった。血
の気の多い奴ばっかりで、お前みたいに腕の立つ奴がいねえ」
「わかりました。9月になったら、少し身体が空きます。そのときでは?」
「いいだろう。じゃあ、行こうか。店の若い奴らには、お前があの女の肉親だと
説明してやる」
引きずり出されるように店から出た律子は、何度も理由を克也に問いただした
が、克也の方はその都度、鋭い視線で律子を黙らせた。律子は大声を出して、助
けを求めようとしたが、克也が軽く頬を叩くと沈黙した。朝倉祐子の庇護のもと
に、立川めぐみに対するいじめを続けてきた律子は、守勢に立たされることに全
く慣れていなかったのだ。克也の有無を言わせぬ態度は、世界が暗転したような
感覚に陥らせた。
店から遠くない路地に、一台のバンがエンジンをかけたまま停まっていた。二
人が近づくと、ドアがスライドした。克也は律子を押し込んでドアを閉めると、
ドライバーに車を出すように命じた。同時に助手席から、律子に声がかけられた。
「夜10時以降の外出は禁止って、校則で決まっているでしょう、小沢律子さん」
「せ、先生!?橋本先生!」
律子は驚きのあまり、そう叫んだきり、しばらく声が出せなかった。が、すぐ
に自分の陥っている窮地を思い出して助けを求めた。
「先生、助けて!こいつらが……」
「落ち着きなさい」由希がにっこり笑った。「私が頼んだのよ。あなたと話がし
たくてね」
「先生が?い、いったい、何を……何が、どう……」
「落ち着きなさい、小沢さん」由希が繰り返した。「8月4日の夜、めぐみさん
に何をしたのか話してほしいの」
「4日……」律子の顔が青ざめた。「知らないわ。何のこと?」
「とぼけないで」
「だって、本当に知らないもんね」律子は反抗的に言った。
「あなた、まだ自分の立場がわかってないようね」
「冗談じゃないわよ。教師がこんなことしてもいいの?学校に言ってやるから」
「あなたにそんな機会なんかないのよ」むしろ優しいともとれる口調で、由希が
告げた。「なぜかと言うとね、あなたはもうすぐ口がきけなくなるからよ。その
前に、私の質問には答えてもらうけどね。同じ口がきけなくなるにしても、それ
を穏やかにやるか、苦痛に満ちた過程を辿るかは、あなた次第なのよ」
「ふざけんなよ、ばばあ!」
その言葉に怒りの反応を見せたのは、由希よりもむしろ克也の方だった。
「由希さん。少し痛い目に遭わせようか?」克也はそう提案した。「あまりのん
びりしている時間もない」
「確かに時間は貴重ね。小沢さん、もう一度訊くわ。8月4日の夜、あなたたち
が学校の美術室でやったことを話してちょうだい」
「し、知るもんか!帰してよ!」
「そう」由希の口からため息が洩れた。「苦痛の方を選ぶというわけね」
「何をするの?」
「言ったら後の楽しみがなくなるでしょう。心配しなくてもすぐにわかるわ」